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[3846] 信楽町の町有地払下げに関する贈賄事件のその後 投稿者:金色のROTAX 投稿日:2008/06/16(Mon) 00:57  

他の掲示板に既出の記事ですが、今回の贈賄の対象となった信楽町の町有地払下げについて、住民が監査請求をした記事がありました。過去ログで見れるよう、引用させてもらいます。


「損害3億5000万円の請求を
旧信楽町汚職で住民監査請求 Kyoto Shimbun 2008年6月12日(木)


 旧信楽町の町有林売却をめぐる汚職事件で、滋賀県甲賀市の住民が12日、「町有財産の不当な処分で、市に約3億5000万円の損害を与えた」として、当時の町長と逮捕された元助役に損害金を請求するよう中嶋武嗣市長に求める住民監査請求を行った。

 請求したのは「甲賀を美しくよくする会」会長の山田克さん(68)=同市甲南町。

 請求などによると、旧信楽町は2003年8月に町有林を売却する際、公簿面積に基づいて大津市の不動産会社に約5000万円で売り、その後、同社が甲賀市の宗教団体に4億円で転売した。

 山田さんは「議会に買い主は宗教法人と提案していたにもかかわらず、不動産会社に売却したのは、土地転がしによる利益を得させることを目的とした行為。本来なら市長が同社に損害賠償を求めるべき」としている。 」

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008061200143&genre=C4&area=S00


[3845] 中華民国の仏壇 投稿者:金色のROTAX 投稿日:2008/06/16(Mon) 00:53  

中華民国(台湾)に、秀明会の布教が始まった当初の平成3年のことである。

仏教徒の多い、中華民国には、仏壇をもっている家庭も多く、

秀明会に入信した人で、素直は人は、

秀明会の例のお屏風観音様を奉斎するようになっていた。


しかし、秀明会の会主 小山美秀子氏が、この国の仏壇を見て言った言葉が、

「この国の仏壇では、たとえ、お屏風観音様を奉っても、先祖は救われない。

すぐには、言えないが、いずれ、仏壇も、日本のものに変える必要がある。」である。

(中華民国の一般的な仏壇が、日本の仏壇とは、かなり様式が異なることから出た発言である。)


明主様の御教えを根拠とする発言ではなく、会主の直感、霊感による発言ではあるが、

その国にも、歴史・伝統という時間と習慣に裏打ちされた重いものがある以上、

秀明会の考え方をすべてそのまま押し付けるのは難しいのかもしれない。


ただ、秀明会のお屏風観音様が、明主様の書いたものではないことがばれてしまった以上、

仏壇の形式など、もうどうでもよくなってしまったのかもしれない。


中華民国の仏壇の画像のあるサイト
http://www.livetaiwan.jp/entertainment/drama_nani/nani_008.php
http://www.ryukyunosato.com/diary/200111/2001-1129.html
http://whzat.minidns.net/shoko/Computex98B/tungzih/tungzih.html

秀明会の観音様の模写について
http://izumo.cool.ne.jp/shuken/kannonsama/index.html


[3844] 小山荘○ 投稿者:班長 投稿日:2008/06/15(Sun) 19:07  

気になったので、初めて書かせていただきます。

既に出ている話題かもしれませんが
小山荘○でグーグル検索をかけると馬主登録者のサイトにひっかかります

おそらく中央競馬のデータサイトと思われますが馬主登録は1973年でした(離脱して3年後)
同姓同名の方か気になりました


[3843] インターフェイス完遂 投稿者:金色のROTAX 投稿日:2008/06/14(Sat) 16:14  

日本国内では、有名無実となりつつある「インターフェイス」という難解な概念についてなのですが、

実は、アメリカ合衆国の神慈秀明会 SSAでは、インターフェイスという呼ぶにふさわしい恒例行事が定着しているのです。それは、


ハリウッドの丘で、毎年6月15日に、秀明会SSA信者と世界救世教信者がいっしょに、日の出朝拝をしているのです。

インターフェイスという思想自体がアメリカ生まれなのですから、SSAが、最初にインターフェイスを実現するというのも、当然の結果なのでしょう。

ただ、インターフェイス活動も結構なのですが、その一方で、秀明会では、世界救世教は邪神・悪魔であるという歴史ある戒律、立教精神も厳として存在するのですから、この点、一抹の不安が残ります。


世界救世教という邪神とかかわると地獄に堕ちるので、魂が救済されなくなる。

秀明会に所属すると、体が救済されなくても、魂だけは救済されることが約束される。(?)

それにもかかわらず、秀明会信者が救世教にかかわるならば、魂すら救われないこととなり、悲惨きわまる地獄絵図のみがその人の末路となる。

秀明会の離脱原理主義の立場からすれば、こういう風な理解となるのではないでしょうか。

この立場からすれば、ハリウッドの儀式に参加している秀明信者を一刻も早く救ってあげる必要があります。

日本の旧体制下の標準スタイルに従うならば、10万円以上の献金とお詫びが必須です。


でも、SSAの信者に、こんな不合理な説教が受け入れられるとは到底思えません。

だからこそ、SSAの2人の教師も、このハリウッドの丘での救世教との合同礼拝を許可しているのです。

P.S. いつも閲覧してくれている秀明会本部の総務担当者の方へ。
救世教との合同礼拝について、ぜひ、○ー○ン先生を詰問してみてください。
いつも、作り笑顔をしている彼の顔が無残に引きつる光景を見ることができるのではないでしょうか。


[3842] 〜救われない資格者〜 さんへ 投稿者:江戸前寿司 投稿日:2008/06/14(Sat) 01:26  

どうもありがとうございます。引き続き詳細がわかればお願いします。


[3841] 価値観の入れ替え方 投稿者:いつもの通りすがり 投稿日:2008/06/13(Fri) 18:09  

風水さん、こんにちは。

> 盲目的な会主様信仰の異様さ、閉鎖的、排他的、価値観の押し付けに対して違和感を感じながらも、秀明紙に載るような奇跡が起こり、神意の離脱という教えがある限り秀明会を否定する事が出来ませんでした。


会主様が素晴らしいというのは、離脱の神意があるからです。離脱を成し遂げた会主様は素晴らしい。明主様に選ばれた会主様が素晴らしいということなのです。離脱の神意が嘘ならば、小山美秀子はすこしも素晴らしくありません。むしろ、自分を素晴らしく見せるための、離脱の神意という嘘を自らついたという、ただの大嘘つきということになります。

秀明紙に起こる奇跡がなぜ素晴らしいと言うかというと、離脱の神意が本当で、人類救済の神の経綸が世界救世教から神慈秀明会に移ったからという証としての奇跡とされているからです。

しかし、実際は、離脱の神意自体が嘘であり、世界救世教に奇跡が無くなったというのも嘘であり、神慈秀明会の奇跡も言うほど多くありません。多かったのは金粉とかおもちゃのダイヤとかおみくじのゴールドなどの水増しの奇瑞です。

> 周りで起こる不思議な事の多くは、結局は秀明会に都合の良い(盲目的な秀明信者をつくる)ように働いているようにも思えてきました。

その通りです。現象自体もそういう傾向のことが起こるし、秀明というところが、起こったことをそういう方向に結びつけようとする人間たちの集まりでもあるので、その相乗作用で、信者は秀明(小山家)の都合の良い方向に、どんどん引っ張られていく仕組みです。


> 自分自身、価値観の入れ替えを行なうと共に友人にも気が付かせてあげられるように話していこうと思います。


自分の価値観の入れ替えを行う時に重要なのは、ただ古い価値観を抜くのではなく、たくさんの本を読み、多くの知識を得て、別の価値観と入れ替えていくことが大事です。

単純に、自分の中を支配している考え方を否定していくだけだと、否定して消し去った考え方のあとにぽっかりと大きな心の穴が開くことになります。自分の心の中にそういう穴が開いてしまうことも、一つの不安の材料になります。自分には何もないのか?こんな心の穴の状態で、これから生きていけるのか?そんな気持ちになる人もいるのです。

本来、秀明の教えが支配していた心の部分には、その人の生き方、信念、ポリシー、夢、理想、そういったものが入るべきはずの場所だったのです。そこを秀明の「小山家の利益のために信者をコントロールするための」教えが支配していたわけですが、そこにあったものを否定し、空っぽにすると、まるで自分が「生き方に信念もポリシーも持っていない人間」になってしまうかのように思えるのです。

ですから、秀明を消し去りながら、同時に大量の本を読み、自分の生き方、信念、理想、夢、ポリシーを充当していきましょう。

私が扱った多くの元秀明信者は、秀明は偽物だとわかったが岡田茂吉は信仰したい。本来の信仰をやり直したいという人がほとんどでしたので、上記の入れ替えには、岡田茂吉の教えを使いました。岡田茂吉の教えの根本は「自由なる信仰」ですので、岡田茂吉の教えを通じて、元秀明の人たちはその呪縛を逃れ、自由な考え方を得ることが出来るようになりました。

しかし神慈秀明会を抜ける人が全員、岡田茂吉をあらためて信仰したいわけでもありませんので、そういう人は、一般的な書籍を大量に読むのが良いでしょう。

「秀明を否定するために、たくさんの本を読む」のではありません。ここは勘違いしないでください。秀明の否定なんて、そんなみみっちい理由で、自分の新しい生き方を作っていくのではありません。それは、新しい生き方を探すと言いつつも、いまだに秀明を中心におき、秀明に振り回されている姿と言えます。また、それでは秀明によって植え付けられた、暗く攻撃的な心のままです。

秀明という体験は、自分の人生の反面教師として、後々の人生にもとても役に立つ有用なものですが、秀明を否定することを唯一最大の目的とする学びは、自分という人間を小さくみみっちくします。

世の中というのは、もっと楽しく面白く素晴らしいところです。秀明がカルト構築を目的とするために繰り返した、世の中は地獄で恐ろしいところだというのは、小山家の利益のために信者をあやつるためついてきた嘘です。

世の中の楽しさおもしろさ素晴らしさを味わうために、そんな世の中で自分がよりよく生きていくために、この生き方考え方が良い、という生き方考え方を探すのです。

まず、本をたくさん読むことで、人の生き方考え方は、たくさんあるんだということを知ります。

その中で、自分が共鳴し共感できる生き方考え方を探し、それらを参考に自分独自のものを作っていくのです。

もし、本を読んで、「素晴らしい生き方考え方の人物だ」という人を見つけたとしても、たった一人の人間の生き方をまるまる自分にコピーするのはあまり良くありません。

その人が、また「カルトの親玉」であったら困るわけですが、たとえそうでなくても、人には個性があり、その人のあり方が自分にそのまま有効かどうかはわからないからです。

だから、この人の生き方考え方が良いと思える人が見つかっても、そこで終わりにするのではなく、その人とよく似たようなことを言っている別の人を探してみるのが良いでしょう。

そのようにして、自分がその生き方考え方を共感できる人を、最低10人は見つけるのが良いでしょう。まあ、10人もの別々の人が共通して言っているようなことならば、だいたい、世の中の真実をついていると判断してもよいと思うからです。

そして、そういったものを参考に、自分独自の、自分の性格や個性に合った、生き方考え方を、自分の中に作り出すのです。そこには試行錯誤も出てきます。自分が実際にやってみて、うまくいく生き方考え方を積み重ねていくのです。

そういう、自分の中の革命をしていこうと思ったら、とても忙しくなり、秀明などに関わっている時間はないはずです。



秀明のカルト思想を捨て、自分で選んだ、自分にあった、楽しくて面白くて愉快で幸せな気持ちになる生き方考え方を選んで詰め込んでいきましょう。そういう生き方考え方を示した本が、いまはたくさん出版されています。

自分の生き方は、良いと思ったら自分で自由に選んで良いのだ。だめだと思ったら、自由に捨てて良いのだ。その自由を満喫することが、脱秀明にとても大事なことです。

風水さんが、秀明のカルト体験を踏みつぶし、踏み台にして、よりよい、楽しく明るい人生を過ごされますように祈っています。




[3840] Re:[3838] [3835] 〜救われない資格者〜 さんへ 投稿者:匿名 投稿日:2008/06/13(Fri) 12:39  


> 、何年前の出来事なのか。どこの所属の資格者なのか。本部布教者談とは、本部奉仕者のことなのか。可能な限りの情報をお願いします。

本部奉仕者ではなく本部布教者の方から昨年直接聞きました。私にとってもとても興味深い話でした。
お名前は頭文字で話されていました。資格者に興味がなかったので所属も頭文字もはっきり覚えていませんが、信者内で金銭的に相当汚名があった女性資格者であるのは確かです。
(推察ですが、話の前後から数年前だと思われます。)
詳細は、時間がかかります。



[3839] いつもの通りすがりさんへ 投稿者:風水 投稿日:2008/06/13(Fri) 11:33  

いつもの通りすがりさん、こんにちは。

ご丁寧にコメント下さり有難うございます。精神的な部分にまで分析されている事に関心致しました。これから洗脳を解いていくうえで、すごく参考になります。

盲目的な会主様信仰の異様さ、閉鎖的、排他的、価値観の押し付けに対して違和感を感じながらも、秀明紙に載るような奇跡が起こり、神意の離脱という教えがある限り秀明会を否定する事が出来ませんでした。

周りで起こる不思議な事の多くは、結局は秀明会に都合の良い(盲目的な秀明信者をつくる)ように働いているようにも思えてきました。偽物のゴールドやダイヤモンドも信者は惑わされてしまうのかもしれません。秀明会の中にいては全く気が付く事が付きませんでした。

いつもの通りすがりさんが仰る「自分の生き方は自分自身が決める。これが、秀明の呪縛から逃れる第一歩なのです。」 すごく響きました。有難うございます。

自分自身、価値観の入れ替えを行なうと共に友人にも気が付かせてあげられるように話していこうと思います。






[3838] [3835] 〜救われない資格者〜 さんへ 投稿者:江戸前寿司 投稿日:2008/06/13(Fri) 03:38  

とても興味を抱きました。もし、これが事実なら…。しかし、拝見した記述内容では信憑性が低いように感じられました。

それゆえ、もっと具体的な話して頂けませんでしょうか。例えば、何年前の出来事なのか。どこの所属の資格者なのか。本部布教者談とは、本部奉仕者のことなのか。可能な限りの情報をお願いします。



[3837] Re:[3834] 私にとっての信仰 投稿者:いつもの通りすがり 投稿日:2008/06/12(Thu) 22:24  

風水さん、こんにちは。

>今まで秀明会から植え付けられてきた価値観というものを見つめ直しています。
>確かに簡単に辞められるようなところではありません。また、秀明会がそのように価値観を刷り込ませていたようにも思います。
>それが恐怖信仰であったりと、秀明会でしか通用しない価値観なのかもしれません。マインドコントロールと言うのでしょうか。


辞めようと思う人は、神慈秀明会に習ったことがすべて嘘であることを理解しているはずなのに、いざやめようと考えると、さまざまな恐怖心や不安感が浮き出してきます。

おっしゃるとおり、これは神慈秀明会が信者に植え付けた、神慈秀明会にとってだけ都合が良い価値観や恐怖心によって生み出される幻想です。

たとえ秀明の嘘を知った人であっても、この恐怖心や不安感、また、神慈秀明会によって植え付けられた価値観に勝てない人が、「もっと嘘を暴いてやろう」とか「内部からの改革をするために」とか、「秀明はニセモノだけど培った人間関係は捨てられないから」などと、自分の心の中の本当の理由に目を向けず、言い訳を言って、秀明に残り続けるのです。



実は、辞めた人でも、神慈秀明会によって植え付けられたものがとれないままに、長年生きている人もたくさんいます。私は、そういう人を何例も知っています。ネットにも、その手の人がたくさん現れます。

これは、団体を辞めたからといってそれだけで神慈秀明会が辞められるわけではないということを意味します。団体を辞めれば、それだけで、自分の人生から神慈秀明会というものがなかったかのようにリセットして生きられるというわけではないのです。

ですから、風水さんの仰るとおり、辞めるにあたり、自分の心の中にある感情、考え方、価値観が、神慈秀明会によって植え付けられたものなのかどうなのかを、しっかりと見つめ直す行程が絶対に必要です。


> もし宜しければいつもの通りすがりさんが脱退された経緯を教えてもらえませんか?

きっかけはネットや人からのさまざまな情報より、離脱の神意が嘘であったということがわかったからです。秀明の根本は離脱の神意にあり、離脱の神意が嘘ということは、それ以降に教えられた秀明の教えすべてが芋づる式に嘘になるということになります。


そして、岡田茂吉の教え通りの宗教団体を標榜していた秀明が、実際には岡田茂吉の教え通りどころか、真逆なことを教えていたことを知り、秀明の教えと岡田茂吉の教義とを比較して調べると、差異は膨大にあり、その差異の部分が、秀明による意図的な洗脳箇所であることがわかりました。

秀明は信者に、離脱の神意という嘘をつき、意図的な洗脳を仕掛けていました。その洗脳の内容を分析し、その目的はなんだったのかを考えると、少なくとも神慈秀明会という団体で教えている教義には一つの真実もなく、小山家には全く別の目的があったということが推理できるのです。神慈秀明会は、その小山家の目的を遂行するために存在する団体であり、神慈秀明会という団体と、その中の教えは、小山家の本当の目的を全うするための、真実ではないニセのものだということです。

小山家の本当の目的が何かは、小山家の人間でないとわかりません。金なのか(小山家は50億円もの私財をつくりました。)、名誉なのか、(世界救世教や川合輝明に対する)意地なのか、そのすべてなのか、それはわかりませんが、そんなことはどうでもいい。

とにかく、私たちに埋め込まれた神慈秀明会の教えというものはニセモノであり、小山家の真の目的と、信者らが信じていた神慈秀明会の教えは全く違うところを目指しており、秀明の教えは小山家の目的に都合がよい人間を作るための洗脳教育であり、道具にすぎないという実態だけが問題なのです。

ですから、これは、自分の頭の中から、自分の人生の害にはなっても益にはならない秀明の洗脳をたたき出さなければいけない。そう考えました。秀明の教えは、岡田茂吉の教えではなく、そもそも宗教ですらないからです。

その後私は、自分も辞め、秀明の信者が辞める手伝いもしました。何人もの信者を辞めさせました。

しかし、辞めさせるよりも、辞めさせた後の方が大変で、神慈秀明会によって植え付けられた考え方を、「それは秀明の考え方だ」と気づかせ、それを取るようにしむけることのほうがずっと難儀でした。

秀明に批判的=秀明の洗脳から脱出した人間 ではないのです。ところが、自分は秀明に批判的だという自分の状況に満足してしまい、それで秀明の洗脳から脱却できたと勘違いし、自己修正を行わない人がとても多いのです。

風水さんは、現時点で、自分だけの力で、自分の中に秀明の洗脳が入り込んでいることを気づいているだけ、ずっとよいのです。

> 秀明会の中には大切な友人がおり、私が辞める事でショックを受けるかもしれませんが、いつか分かってくれると思います。

友人には、なぜ自分が辞めると決意したのかをしっかりと話しておくと良いでしょう。

友人にどんなことを話すのか、それをあらかじめまとめて考えておくことで、自分自身の考えの整理にもなるでしょう。

秀明によって特殊な考え方が植え付けられているという概念を伝え、「秀明によって植え付けられた考え方はすべて捨てる」と宣言しましょう。

この話の中で、「あんたも辞めろ」と誘ってもよいでしょう。

一生懸命、自分の考えを話した結果、その話を友人が理解し同意するかどうかは、友人の生き方、考え方の問題です。

風水さんは、自分の生き方、考え方に従って秀明を離れるのです。友人は、友人の生き方、考え方に従って、自分がどうするかを決めるのです。

自分の生き方は自分自身が決める。これが、秀明の呪縛から逃れる第一歩なのです。




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