Anti_cult掲示板
この掲示板は投稿しても管理者が内容を確認するまでは掲載されません。掲載されるまでしばらくお待ちください。

[トップに戻る] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]
おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
参照先
投稿キー (投稿時 投稿キー を入力してください)
パスワード (記事メンテ用)

[4584] 老人のつぶやき 求道編 投稿者:離脱関係者 投稿日:2010/12/11(Sat) 15:21  

私は、この秀明会に明主様信仰なんて無い事は、お陰さまですぐ解りました。後からネットでもいろんな情報が出て来て確信に変わり、自分の半生を振り返り、後悔と自責の念に押しつぶされそうになりました。
私達夫婦から始まって、入信した方は、1万人を超えておりましたので、なんという罪を犯したのかと愕然となりました。それで、なんとか説得しよう、会を辞めてもらおうと思い、少なからず努力しましたが、会の人達から狂人の様に扱われるだけで、いっこうに前にすすみません。
もうつける薬はないなと、申し訳ないですが思いました。動かぬ証拠がこんなに沢山あっても会をやめない人は、頭の構造がどうか成ってるとしか思えませんでした。

ただ、私は数々の奇跡を見せてくれた、起こしてくれた明主様が、明主様一筋に生きて来た我々夫婦にこんな結末を用意されてる筈が無い、死ぬとしてもなんらかの光明が差した状態が有る筈だと、用意周到で、推理小説でいうと伏線をよくお使いになる明主様からすると、おかしいなと思ったのです。
もう一つ最初のほころびは、御在生当時「私は90まで生きるよ。」と仰られていたのに73歳で御帰天された事。

私は、明主様の事を考える様になりました。幸い、景仰や信仰雑話はありましたので、読みふける様になりました。やはり、彼は「力のない者は、来世の救いなんて言う」的な事を言っています。つまりもう、私以上の神はいないから、とも仰っておられたにしては、お粗末な結末が多いのです。

私は、信者さんの最期を、親しい信者さん達が亡くなる度に見てきました。信者の最期は「本当に力のある、正しい神」の信者、「絶対の救い主」の信者にしては、お粗末な結末が多すぎるのです。葬式すら出来ない人、花もなく、祭壇もなく、ただ棺が家においてあるだけの、縁ある信者さんの最期を見る度に、「毛筋一本くるいがない」、「一厘の狂いもない」にしては、お粗末だと思えるのです。

そして私は、ふるいに掛けられて、救われない側にまわったから、私たちはこういう最期を迎えるのか、とも一時期考えましたが、彼は、そんなにも不自由な男では、無いのです。もっと大きくて大乗な男だと、自分で話されています。

私は、明主様が本当に解らなくなりました。そこで、明主様のお言葉だけでは、明主様は解らないと思い、それこそ精神世界の本から、神と名のつく本、ありとあらゆる本を読みました。
気が付くと、15年の月日が流れておりました。わたしが、人間岡田茂吉を気の毒な人だと思い、かれの呪縛から完全に解き放たれるまでに。


ここからは、わたしの拙い勉強の結果、抱いた感想です。まさに一老人のつぶやきです。人はそれぞれ違います。違ってていいのです。同じ物を見て同じに思う必要はなく。こうだからこう思えと言う時、もうすでに歪み初めています。心を中庸に保ち、この人はこう思うんだ。でいいのです。

この世は、奇跡にあふれてたんだ。と私は気付きました。
病気が治った?有る筈のないものが出て来た?過去を言い当てた?叶えて欲しい願いがかなった?・・・etc
で、それが何か?としか感じないのです。そうだとして何故献金しなくちゃいけないの?
今、生きてる事の奇跡に比べたら、なんてこと無いことばかり。これは極論ですが。
マーフィーの法則、引き寄せ、シークレット、潜在意識の活用、ありがとうで癌が治った・・、枚挙にいとまがないのです。
岡田さんが起こした奇跡なんざ珍しくもなんともない、と感じたのです。
金粉が出て来た?物が動いた?それこそだから何?それがどうした?としか思えないのです。

それよりも、太陽があって、水があって、空気があって、種をまいたら草木が生えて、農家の人がお米作ってくれて、漁師さんは魚を取ってくれて、三度三度、ご飯が食べられる。パソコンがあって、知らない人とこうやってコミュニケーションが取れる。学校があって、警察の人がいて、ビルを作る人がいて、電車やバスがあって好きな所に行ける、車を売ってる人がいて、炬燵やストーブがあって、あったかいお布団で毎日眠れる。これが奇跡なんだって感じたのです。

最初、「農家の人は凄いなぁー。明主様以上の奇跡を起こしてるよ。日本国民全部、コメ食わしてるんだから」なんて思ったのですが、ある時、「パン屋のおばちゃんがいるから、この子達は毎朝パン食べられるんだなぁ」と思った時、パン屋のおばちゃんも神様の働きしてんだなぁ、なんて考えた時、突然とめどなく涙があふれました。

違う、生きとし生けるもの、全てが神なんだ、私ですら神なんだ、人はそれぞれが、今を一所懸命生きようとした時に、もう神に近づくんだ。
生活そのものが修行なんだ、信仰なんだ。
自分の外側に神様なんていないんだ。

毎日これでいいのかと自問自答して、明日からどうしようと思いながら、なんとか働いて子供にご飯食べさせて、仕事場で理不尽な事を言われて、笑顔で答え、どんなにつらくても朝起きて仕事に行って、働いて世の中のお役にたって、尊いお金を貰って、子供達や、自分や、愛する物のために、またお金を使う。
これが、最も尊い修行なんだ。

生活の心配をした事も無く、泣きながら歯を食いしばった事もない、お前ら宗教の教祖らが、「さぁ、世界の平和を祈りましょう。」なんて、ちゃんちゃらおかしいって言うんだ。お前らに教えて貰う事なんて一つもない!!

たくさん本を読んだ中で、新興宗教系の教祖が書いた本は、全くだめでした。私の体が受け付けませんでした。
もうだめだと落ち込んだ時、掃除の本は私を救ってくれました。運命を変える掃除なんたらは、私にとっては結構いい本でした。
個人的な感想ですが、自殺する前に、掃除を初めてそれで救われた人もいるだろうな、と感じました。

斎藤一人さんの本も、かなり面白くて、ためになりました。
生きがいの創造系の本も、ハマってしまいました。
瀬戸内寂聴さんの本もわかりやすくて面白いと感じました。
伊勢白山道さんの本は、うなりました。私の感じた一つ一つの点が、線としてつながりました。

それぞれその作者が出している現在までの、著作物全て読みました。
でも、全てをコピーするのは、この世に生れてきた、私の学びではないなと感じます。私は私として、この世で私にしか出来ない修行をするために、とても素敵なこの地球に、出て来たのだと、考えるのでは無く、感じるのです。

生きてる内に、信慈醜名会からの呪縛を逃れられた事、岡田茂吉からの呪縛も逃れられた事、非常に有り難く思っています。


まだ信者を続けている方へ、
気が付いていて、それでも続けている人、もう辞めた方がいいよ。悪に加担してる事になるよ。認めるのは哀しいし、とてもツライけどね、辞めにくい事情も分かるよ。
でも辞めな。勇気をもって辞めな。世界は広いよ。
秀明の中での評価なんて、鼻くそ程にも思わないよ。そこから出たら分かるよ、本当に心から離れて良かったと感じるよ。

元旦祭行く暇があったら、家族で紅白見ようよ、「なんだ曙よえーな」とか、炬燵で酒飲みながら、たわいない事言って、家族で過ごそうよ。
そのバス代で、嫁さんになんか買ってやんな。これが幸せだって分かるよ。誰だっていいよ、自分の愛する人に買ってやんな。それこそ自分になんか買ってやんな。お洒落して、町内会の集まりに行こうよ。自分の住んでる町や、公園一緒に掃除してみな、楽しいよ。春になったら釣りを始めてもいい。

人生で少しでも興味があった事やってみな。秀明やめたら、分かるよ。人生って楽しいよ。桃一つで世界一周出来るんだよ。どんな趣味でも、秀明ほどお金かかんないから、いつからだって遅くないから、子供の本当の笑顔が分かるよ、孫だって喜ばすの簡単だよ。

外から見てたら気の毒でしょうがないんだよ。中の事、僕はだいぶしってるからね。もし明日死ぬってなってても、今日辞めな。本当にそう思うんだよ。
行かなくなるだけでいいんだよ。宣言なんてしなくていい。
簡単だろ。


現会長へ
ひろ子ちゃん、もう辞めなさい。あんたそんな子じゃないの知ってるよ。神戸で英語の先生する時だって、遠慮してたあんただから、気が弱いのも分かるよ。
でもね、死んだ方が、世の為人の為になるような人に成っちゃいけないよ。まだあんた生きてるから間に合うよ。
新体制っても、矛盾だらけだろ。そんなに良い会なら、それを人に知らせようよ。30年かけて、自然消滅させる気かい?生きてるうちに改心しようよ。もう言いわけ出来ないよ。もう見苦しいよ。体裁ももう調わないよ。もう小山一族が、何世代も食べて行けるだけ、貯まっただろ?あんたがこの後どうなるか、想像しただけで恐ろしいよ。


ここまで読んでくれた、全ての方へ。
これは、父の語る事を、長男の私が代筆しました。
途中で完全に口調が変わってしまってるのも、その場の彼の雰囲気を忠実に再現したつもりです。過去から逃げずに久しぶりに親子で思いだし、時に泣き、時に笑いながら貴重な時を過ごせました。私達親子の思い出の昇華にもなりました。
この場を提供して下さっているfujiya様に感謝いたします。

最初思いだすのも嫌がっていたが、これで一人でも救われるならと応じてくれた父と、これを読んでくれた全ての人に感謝します。みなさんの魂の解放を心より祈ります。


[4583] 老人のつぶやき 気付き編 投稿者:離脱関係者 投稿日:2010/12/11(Sat) 03:20  

私は、離脱前からの信者で御座います。
家内は資格者、私は助教師で御座いました。
離脱の時、私は醜名協会代表世話人で御座いました。
自宅に、k山壮吉会長が来られて、「○○さん、なんとか醜名協会を頼む」と言われたので、それが嬉しく、信者を説得して廻り、まとめ上げたのを自負しておりました。
程なく離脱となり、離脱認証感謝特別号には、壮吉会長と共に座談会に出てる写真が出ております。
秀明紙3号では、感謝報告を夫婦でしています。飛天への投稿記事は、「プロの救い○」という内容で御座います。
京都本部建設の際は、当時1級建築士であった事もあり、建設委員長の大役もさせて頂きました。その後、神戸支部等各支部の建設委員長も歴任させて頂きました。

以下、わたしの体験です。少し長くなりますが、御容赦下さい。
私たち夫婦は、本当に明主様が好きで御座いました。
子供が出来ない私たち夫婦に、子供が出来た事をきっかけに
神恩感謝の活動を、生涯させて頂こうと心に誓い、信仰に邁進させて頂いたので御座います。
家内は、産婆科の看護婦で御座いましたので、自分の子宮が、どうの様な状態であるのか、何故子供が出来ないか、熟知しておりました。それで子供を授けて下さったのは、間違いなく奇跡だと、家内も申しますし、懇意にさせて頂いた御医者様も、ありえない事だと仰いますので、これは大変な事だと考えたので御座います。

入信するまでの私たちは、昭和の復興時期で、私は1級建築士でありましたので、平均よりは、沢山お給料を頂いておりましたが、家内は、当時としては高学歴な女と申しましょうか、看護師だけでなく、産婆の免許もあり、大きな病院で、もう婦長になろうかと、しておりましたので、私が25万円もらって来ても、彼女は40万以上稼いでおりましたので敵いません。ボーナスにしても、わたしが75万と喜んでいても、彼女は手取りで100万を超えており、嫌な女だと思っておりました。二人とも働きもので、子供もいません、いつのまにか、沢山の貯蓄が出来て居りました。

信仰生活に入っても、何年も働かずとも食べて行けるだけの貯蓄が御座いましたので、罪の深い職業だと言われた事もあり、彼女も看護師をやめ、私も本部での仕事が忙しく、建築の仕事をやめて、夫婦で御用させて頂いておりました。

当時の御神体は、床の間の無いご家庭に、御俸歳する時は、何もなくむき出しで、壁に引っ掛けるだけで御座いました。救世教時代より、何かが当たっただけでお詫びに成る事が、やけに多く、頂き直す際の条件も、とても厳しくなっており、信者の方はとても困っておいででした。
私は、大工の経験も、家具屋の経験も御座いましたので、大きな箱状の神棚を作りました。最初はカーテンで開け閉めする物を作り、信者さんに提供した所、大変喜ばれました。そして、あまりにも希望者が沢山おりましたので、材料代を頂き、ほんの少しだけ製作費も頂けました。昼は、建築委員長の仕事で忙しく、当然御手当も無い状態で御座いました、子供が出来て、何かと入り用になりますし、貯蓄だけで生活するのも不安で、かといって就職する事も本部の事情で出来ませんので、その神棚を、朝早く起きたり、たまには寝ないで製作し、それでも大変信者の方は喜びますし、順番待ちが出来る程で御座いました。明主様は、信仰しながら生活する糧を与えて下さった、と感謝しておりました。

ところが、神棚の製作は、本部でする、飽和商事というのを作るから、一切今後そのような事は、してはならない。と下知を受け、「この様にしても、御無礼になりませんかとお伺いをし、許可を頂いておりますし、なにより信者さんも喜んでおりますが、何故でしょうか」とお伺いしました所、全国で統一してなんたらと、一向に要を得ないお返事で、でもわかりましたと、一切手を引きました。
ただ出来上がった物は、私の作ったものと全く変わらない物、イヤ少し粗悪な物で御座いました。ただ料金は、5倍の値段になっておりました。その時はあー神様のする事は解らない位の気持ちで居りました。
 
その後、離脱前からの私共夫婦の夢、大阪に支部を作って、この教えの素晴らしさを広めたいと思い、残ったお金を振り絞って、大阪に本部直結の集会所をお許し頂きました。
成績が上がると、出張所に、そして大阪支部という名前に出来ると、これから誠を尽くして頑張ろうと夫婦で誓いあって喜んでおりました。
先輩方にも、とても喜んで頂けると思っておりました所、数人の支部長から、信仰者とは思えないお言葉を頂きました。
勿論、○○さんおめでとう、これから一緒に頑張ろうと仰ってくれる支部長先生もおられました。
私たち夫婦は、何で怒ってるのかなぁと、話合ったので御座いました。しかしそれは、すぐに解りました。
 小さいとはいえ、拠点の長になりましたので、行事ごとにお金が動くのですが。。信者数と参拝者数だけで、数字はほぼ確定して来ます。ところが、私たち集会所で、参拝数はこれで、この数字になるのに、その他の支部で、どうみてもおかしな経理をしてるとしか思えない数字が出てくるのです。「お父さん、おかしいね。」と家内も良く申しておりました。

信楽町に本部がきまり、建築開始前に、時々、バスでの参拝が始まりました。バスでの参拝はおかしな事だらけでした。
1日貸し切り料金と高速代と寸志をつつんだとしても、何円かかるかは、すぐ出て来ます。神戸や大阪から、滋賀までですから、バス1台で高速料金分の数千円しか変わりません。なのに、一人当たり数千円も多く集めるのです。私たちの集会所が、安い設定すると迷惑だと言わんばかりのお叱りを受けたり、あからさまな批判、中傷も受けました。
その時、私たち夫婦が、集会所を作った時、もの凄く嫌な対応をされた理由が分かりました。

家内は、悪い方に合わせる必要は無い、堂々としていこうと、すべての経理にを適正に報告しておりました。
きっと他の支部長から、煙たがられてたのだと思います。あからさまな批判と言いがかりに、とうとう家内は、それは支部長先生方がおかしいと、かみついてしまいました。決定的な証拠をつかんでいた家内は、どちらが正しいか、判断してもらうと会長の所にまで、詰め寄りました。

今思えば、小山家が信者の方の献金を、自由に使っているのを見て、幹部の方も自分の出来る幅で、好きな事をするという、簡単な構図なのですが、私たち夫婦は、何故か小山家は、お金を好きに使っていいが、各支部長はダメという不思議な、しかし確信に近い変な思いがあったのです。そもそも小山家も献金を自由に使って良い筈が無いのですが、、、
つまり、チンピラがやった悪事を、その組織のお親分に言いつけるという愚の骨頂をしておりました。
「お父さん、これで不正もなくなるよ。よかったね」家内は、満足気に話して居りました。
結果は、何故か私たちの集会所がお取りつぶしになりました。そして私は、本部での仕事もなくなり、家内は九州に飛ばされました。家内と共に、会主会長の所まで行きましたが、この県には、拠点が一つもないのです。○○さん、なんとかお願いします。そこをゼロから開拓出来るのは○○さんだけなので、こんな人事をさせて貰った。と説明を受けました。
何故か、その言葉で「解りました。」と引き受けたのです。
「明主様は、もう少し苦労をしなさいと言ってるかもね。」と家内も申しますし、これも縁だからと、家内は九州に行きました。
その頃貯蓄もとっくに底をつき、借金生活をしておりましたので、私は一線を退き、仕事をさせて頂くと、申しました所、それ見た事かと、この人は、そもそも邪神だと、好きな事を、支部長や幹部から罵られました。
ただ働かないともうお米も貸してもらえない状況にまで、なっていましたし、九州から本部までの往復で、少ないお手当も、どう計算しても赤字になります。
そして不正なんて絶対出来ない夫婦でしたので、私はその時、一線を退き働きました。今思えば、もの凄い幸運でした。
家内は、遠い布教地で、その時はこれが最高の人助けだと信じて、本当はもの凄い罪な事をしていただけですが、頑張りました。
10年の月日が流れた頃、家内は急性緑内障という病気で、目が見えなくなりました。そうすると、もう来なくていいと秀明会から、下知を受けました。本当に物でも捨てるかのように。

家内は、「私はもう布教も出来ません、秀勉のお役にもたてません。だけど私は、浄霊が出来ます。支部の片隅で、浄霊当番させて頂きます。」と必死に申し出たのですが、他の信者が動揺するから、支部にあまり姿を見せるなと言われました。
そこから支部長達からの、凄い攻撃がはじまりました。
目が見えないのは、地獄の霊層界。それが証明された。とか御用はお許し、あの人はそもそもで始まって、ありとあらゆる事を言われました。
しかし、幾度となく奇跡を、その手で起こして来た家内は、「明主様と私の間には、誰もいない、私は明主様に恥じる事は、何もしていない。胸を張って参拝する。」と、本部には参拝しておりました。家内は目が見えないので、誰かが連れて参拝するのですが、もう本部にも来るとも言うような、露骨な嫌がらせをします。

電気自動車も、健康な幹部が乗り、目が見えない家内は乗せて貰えません。「私は、足は丈夫だから、いいの」とそして手を引く長男にも、「笑顔で胸を張ってあるこう、私は、恥じる事何もしてないよ」と気丈にも、頑張って居りました。

ある時気が強い家内が泣いておりますので、どうしたか聞いた所、資格者用のクロークは、男子クロークの奥にあり、長男に荷物を取りに行かせたら、中からH本先生の罵声が聞こえて来た。

「なんやのんあんた気色悪い!!出て行きなさい!!」。

「母は目が見えません。ガウンを掛けたらすぐに出て行きますので」と長男が答えると、「そんな人は、もう参拝のお許しがないのや。もう来なくてもいいのや!!みんなが迷惑や」と言われたと、自分が言われるより辛かったと。

「お父さん、ここは人の幸せを祈る所じゃないね」と気丈な家内がつぶやきました。本部にも、大きなお祭りしか行かなくなりました。

そして何年かして家内はクモ膜下出血で死にました。

私はこれは、おかしいぞと泣きながら思いました。
私は、この秀明会に、明主様信仰なんて無い事は、お陰さまですぐ解りました。世界救世教が小山救世教になっただけだと。もうそんな事は、どうでもいいと、これで解らんかったらめでたいにも程がある。もう狂人に近いと。

ただどうしても納得が出来ないのは、明主様が、本当に力のある正しい神様なら、こんな結果は作らない筈、だって彼は全知全能の創造神だから、こんな結果で、誰も信仰心深まらないし、地上天国建設のマイナスになろうともプラスにはならない、明主様はそんな非効率的な事はしない。

だけど、私達夫婦は、目の前で奇跡を見て来たし、何より自分の手で何回も、奇跡を起こして来た。最初、明主様はお働き頂いてた筈だ、明主様、私達はあなたに恥じる事は、何もしてないよ、あなた「私は、本当に力のある神だから、現世で奇跡を出すよ」「子子孫孫まで、救ってやるよ」と言ってたよな。

でも、御在生当時「私は90まで生きるよ」と言ってたのに、73位で死んだよな、ふるいの効果を狙ったのかと、その時思ったが、あまりにも準備不足で、神計らいとは思えない。 

そして、私の求道生活が始まったのです。

以上、父高齢にて、パソコン画面を見続ける事が出来ないので、長男代筆です。求道編に続きます。


[4582] 無題 投稿者: 投稿日:2010/12/10(Fri) 23:01  

「幸福の科学学園」、住民が建設反対ネット結成へ

http://kyoto-np.co.jp/politics/article/20101210000174


[4581] 学校関係の情報 投稿者:ステン 投稿日:2010/12/05(Sun) 22:49  

ちょっとした情報が入ったので投稿します…
すでに皆さんも知っている情報かもしれません。
また、どうでも良いような、特に必要ないことも含まれてますがご了承ください。
箇条書きにします。
MIHOの高等学校?に関する情報だと思います。
どうやら開校の準備は着々と進んでいるようです。


・定員180人 変更⇒240人
・入学選考基準:学科・面接・作文[MIHO美学入学理由]
・募集開始平成23年9月予定
・信者/未信者問わない
・費用:年頭?250万円の予定、入学金15万・年頭?130万
・奨学金あり
・寮の設計はペイ氏
・清水建設
・宗教教育は信者/未信者問わずに行う。
・土日の午後は新教育の公開授業
・帰省日は夏・冬・春季のみ
・食事、掃除は自分たちで行う
・教員:原則信者(20〜50代)
・教員教育:平成23年から順次
・ソーラーシステムやオール電化等はなし
・開校後、食材の提供を信者にお願いしたい。

・MIHO美学に協力してほしい。
・信者からの寄付を奨学金の基金にしたい。
・会主様の明主様信仰を世に受け継ぐ絶好のお徳積みチャンスである。
・2012年:明主様御年130歳、黄島50年、クレストン20年、MIHO15周年
・大きな節目であり、しっかりお徳積みするチャンスであり、その心を伝えてほしい。

結局は、信者からお金を絞り取るのが目的だと感じてしまいます。
未信者・信者は問わない、宗教教育は全員とのことですが、
未信者(入っても少ないでしょうが)は宗教教育と称した洗脳が行われるということでしょうか…
入学者に未信者が多ければ、色々と問題が生じる可能性もありそうですね。

失礼しました。


[4580] 秀明信者の家庭 投稿者:fujiya 投稿日:2010/12/04(Sat) 13:58  

ステンさんも述べておられる通り、親や親族が秀明信者であり、小さいときから二世信者、三世信者として育てられてきた方が秀明信者を止めるのはとても大変なことです。
私のところには、そうした二世信者、三世信者の方からの苦悩のメールが増えています。その中から、ご本人の了解を得られたものは下記に体験談として公開させていただいております。

その方が秀明会を止めることによって、それまで培ってきた家族関係が破綻してしまう危険性があるとき、「家族を捨てて秀明会など止めてしまいなさい」とは、私もアドバイスすることはとてもできません。
現在でも信者を続けている人の中には、こうしたしがらみによって秀明に縛り付けられている信者も少なからずいるのではないかと思います。

秀明が抱えている多くの問題点を外部から解決するのは困難です。問題点に気づいている”意識ある信者”が声を上げ、内部から改革を図って行かなければ、この先も秀明を巡って同じ悲劇が繰り返されて行きます。団体としての神慈秀明会に自浄能力はありませんので、信者個人が組織を健全化しようとする気概を持つことが大切と思います。
しかし、一旦自分がその組織に属してしまうと、組織をひいき目に見る傾向が強くなるのが人の常であり、その中でも”盲目度”が際だって高く、物事を客観視することができない秀明信者にとって、そうした改革への道は果てしなく遠いのかもしれません。


秀明信者の家庭
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9575/taikendan/taikendan062.html


神慈秀明会での体験談
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9575/taikendan/taikendan.html


[4579] 親の傾倒がなければ… 投稿者:ステン 投稿日:2010/12/04(Sat) 09:50  

ちょっと事情があり名前を変えて投稿させていただきます。

信者さんが秀明会に疑問を持つ、脱会しようと考えるとき、
自分1人が信者の場合と家族全員が信者の場合では状況が大きく変わると考えます。
もし、自分1人が信者だった場合は秀明会と離れるのも難しくないと思います。
でも、2世などで家族が信者だったら…

それは、家族との離別を示すと考えます。
自分から家族と争い、苦悩することを選択する必要があります。
特に親の愛情を受け、家族との絆がある人間ならば、
これは尋常じゃない苦しみだと思います。

また、秀明会には様々な洗脳テクニックがあります。
本部での祭典や、支部・出張所等での多くの行事。
毎日、聖教書を声に出して読む。
(実際に、聖教書読んでみると差別思考が強いと感じました)
その他、旅行のような秀明会の行事が数多くあります。
もちろん、日数分の玉串+旅費全額負担です。

また、おひかりの取扱いに関し、非信者と遊んだり交遊を持つことで多くの問題が生じるため、
秀明会信者との交遊だけがますます深くなります。
また、友達が少ない、悩みを抱えている、いじめを受けているなど、心の弱みに付け込まれると抵抗は無理でしょう。
これに加えて、病気が治ったなどの体験を運よく?してしまった人は秀明会の奴隷になるわけです。
奴隷と言う理由は人生の多くの時間を秀明会に捧げるからです。決して言いすぎではないと思います。
報酬のない労働をし、それに加え仕事で得たお金+多くの時間を秀明会に捧げることは、奴隷と言う言葉が適していると考えます。
ただ、良く訓練された奴隷状態なので、自分から秀明会へ喜んで献金・労働することが若干異なる点でしょうか。

結局は、すべての幸福は秀明会で信仰してるお陰と考えさせられ、
すべての感謝は玉串や献金、労働、信仰という形で秀明会へ流れていきます。

秀明会が世間に受け入れられない理由や数多くの矛盾点に薄々気づいているのにも関わらず、
信者が真実に目を向けられないのは、fujiyaさんの言う通り子供なのだと思います。
また、真実を見つめられるだけの精神の強さや覚悟がないと感じています。
私自身も同じようなものかもしれません。
様々な努力をしたつもりですが、信者1人脱会させることもできないのですから。
残る駒はその人との絆を築けたとき、自分の命くらいでしょうか。
まぁ、逆に傾倒を招くだけかもしれません。
そのくらい深い問題だと思います。

こういった考えの整理、意見交換や議論ができるのもfujiyaさんのお陰です。
(様というとこの掲示板をチェックしている信者の方から何か言われそうですので…)
心から感謝します。


[4578] 宗教は頼らなくて良いものなら 投稿者:匿名 投稿日:2010/12/03(Fri) 00:55  

カルト指定されているから関わっては駄目だと、それだけでは納得させられない。T教のような歴史のある団体でも搾取の団体としての時期を経過して現在にいたる。s会のように献金はないが外国からカルト指定されてしまっている。病気治しの奇跡はどこでもおこる。現代の文明でも否定できない。しかし虫歯を治せる団体はない。奇跡は切りがない。宗教はどこでも金はかかる。受け取る側になれるならなったほうが良い。だいたいどこでもネズミ購の形態になっている。文明が進み前世とか魂とか奇跡とか科学で説明できる時代にならないと宗教はシュウメイ会もなくならない。と思う。自分以外の人間を全員殺したら神の裁きをうけるだろうか?地球にとっては良い事をしたと言える。いくらカルト、カルトと叫んでもシュウメイ会は消えない。でもこのサイトの役割は大きいとおもいます。fujiya様ありがとう


[4577] Re:[4576] みずいろさんへ(2) 投稿者:みずいろ 投稿日:2010/11/26(Fri) 23:21  

fujiya様のお言葉を頂いて、今まで悩み、考えて、ずっとこわばっていた背中をさすって頂いたような感覚です。
本当に有難く思っています。

彼が私に初めて秀明会の信者であることを話した時、決して堂々とした態度ではありませんでした。
うしろめたさというか、隠し事を告白するような感じで、そこにも違和感を覚えたことは確かです。
他の有名な日本のカルト宗教をいくつか挙げ、それとは違うから・・・という説明もされました。
彼もきっと、世間で受け入れられていないことは気づいていながら、それを受け止められず、目を塞ぎ、耳を塞いでいるのだと思います。
彼が秀明会への信仰と引き換えに失ったもの、これから失うものに早く早く気づき、そして、多くの信者の方々にも、同じように、本当は気づいているはずの真実から目を背けないで正しい判断をしてほしいと、切に願います。


[4576] みずいろさんへ(2) 投稿者:fujiya 投稿日:2010/11/25(Thu) 00:55  

私は、みずいろさんは正しい選択をされたのだと思います。
彼に真実を気づかせてあげることができなかったことで自分を責めてしまう気持ちも分かりますが、彼は子供ではありません。彼はもう立派な大人なのですから自分の信仰についてきちんと調べ、正しい判断をする責任があります。

秀明信者は神慈秀明会が必ずしも世間に受け入れられていないことは気づいています。内部的にも多くの問題を抱えている団体であることも多くの信者は気づいています。
それにも係わらず、自分できちんと調べて結論を出そうとせず、惰性や信者間の人間関係に縛られてずるずると信者を続けているような人は、まだ大人になりきっていないのだと思います。
人間誰しも完璧ではありませんが、信仰という人間の根幹をなす部分に関してはもっと慎重であるべきと思います。


先祖を大切に思う気持ちや、自然農法を追究するのはとてもよいことだと思いますが、そうした表看板とは違ったところでたくさんのウソを平気でつき、信者を苦しめてきたのが神慈秀明会という団体です。私のサイト上などに具体的な内容を掲載していますのでここでは個々の問題には触れませんが、多くの人々の人生を狂わせ、多くの家庭を崩壊させ、多くの過ちを犯してきたことに対して反省も謝罪も全くできない神慈秀明会という団体に宗教団体としての存在意義はないと思います。

秀明信者は神慈秀明会の良い点だけを見続け、ネガティブな部分には目を向けようとしません。また、ネガティブな部分に気づいても”気づかないフリ”をします。こうした傾向は日本の社会では企業や他の団体でも散見されることですが、そのように自浄能力のない団体は徐々にほころびが大きくなり、自滅して行きます。
自浄能力のないことでは天下一品の神慈秀明会という団体は、「上から下まで」そうした傾向が蔓延しており、彼もそうした病に冒されている一人なのだと思います。
しかし、長年、神慈秀明会信者であった人の中にも、自力で秀明会の矛盾に気づき脱会していく人もいます。


>それが私だけの問題であれば踏み込めたかもしれません。
>しかし、これまで私を慈しんで育ててくれた両親・家族を巻き込み、尋常ではないであろう悲しみ・苦悩を与えてしまう現実もありました。そんな苦悩を家族に与えたくなかったのです。


私はみずいろさんのこの考えがとても素晴らしいと思いました。
みずいろさんの、ご両親・ご家族に対する愛情をとても強く感じました。
彼に真実を気づかせて上げることも大切なことですが、みずいろさんがその道を選択したことによってみずいろさんのご両親・ご家族に大きな悲しみを与えてしまうことが予測できたとき、どちらを選択するかはそれまで培ってきた”家族の絆”の強さによるのだと思います。
みずいろさんが家族の絆を大切と判断したのは、みずいろさんのご両親・ご家族に対する愛情であるとともに、ご両親・ご家族のたゆまぬ愛情があったからこそみずいろさんがそうした判断をされたのだと思います。それが家族愛なのだと思います。
家族に悲しい思いをさせるような人間になってはいけないと思います。


>結局、私は自分がかわいくて、線を引いてしまったのだと思います。どうしても自分を責めてしまいます。


みずいろさんはご自分を責める必要はありません。みずいろさんが家族を大切に思う優しい方だったから正しい判断をしたのです。
いつかは家族の元を離れ、新しい家庭を築くことになると思います。例え物理的な距離は離れていても、ご両親・ご家族はいつもみずいろさんのことを気遣ってくれているでしょう。
みずいろさんが笑顔で、幸せな人生を送ることが、なによりの親孝行なのだと思います。


[4575] Re:[4574] みずいろさんへ 投稿者:みずいろ 投稿日:2010/11/24(Wed) 22:24  

fujiya様

ご返信、本当に有難うございます。御礼の気持ちでいっぱいです。
以下、思いつきで書く形なので、乱文になると思います。申し訳ありません。

ご先祖様を敬う気持ち、自然農法についてなど、初めて聞いた時は、私自身も、それを素直にいいことだなと思いました。しかし、仰るとおりインターネットで何でも調べられる現在、そして分別のつく大人である自分は、本質に気付き疑問を持つことができました。
逆に彼自身が信仰を持った頃は今ほどインターネットが身近なものではなく、純粋に、その教えに引かれていったのだと思います。彼を勧誘した方も、純粋に信仰心を持った方だったかもしれません。
私がその時の状況の彼であれば、私自身が信者となった可能性は否めません。
fujiya様の言葉どおり、人間が本来持っている良心を利用して取り込んでいく恐さを感じます。このことで考え続けている今、通勤中の電車でも「あの人も信者なのかもしれない、この人も・・・」など思ってしまうのです。

彼に真実を気付かせる努力をすべき、しなければならない、したい、という気持ちで悩みました。
仰るとおり、相当の覚悟と時間が必要であることは想像できました。それが私だけの問題であれば踏み込めたかもしれません。
しかし、これまで私を慈しんで育ててくれた両親・家族を巻き込み、尋常ではないであろう悲しみ・苦悩を与えてしまう現実もありました。そんな苦悩を家族に与えたくなかったのです。
結局、私は自分がかわいくて、線を引いてしまったのだと思います。どうしても自分を責めてしまいます。責めている自分に言い訳しようとする自分をまた責めてしまいます。
この事は、自分の人生にとっての試練であったと言い聞かせて、落ち着こうとしています。
この掲示板に、ただただ自分の気持ちを書き込ませて頂き、fujiya様にお返事を頂いたことでも、気持ちが落ち着き始めるきっかけとなりました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

まとまりのない文章となりましたこと、お許し下さい。



[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69] [70] [71] [72] [73] [74] [75] [76] [77] [78] [79] [80] [81] [82] [83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90] [91] [92] [93] [94] [95] [96] [97]
処理 記事No 暗証キー
- LightBoard -