Anti_cult掲示板
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[4592] 元崇教真光信者様 投稿者:元信者JG 投稿日:2010/12/28(Tue) 00:18  

元崇教真光信者様

なかなか、大変ですね。。
どうしたもんでしょうね。。

経済が許すなら、親と別居するのがとりあえず一番かとも思いますが・・・
どうしても親と一つ屋根の下に暮さなければならないなら、私もあなたと同じようになると思います。部屋に鍵をかけて・・・

ただ、

> オカルトはエンターテイメントであり、
> それ以上でもそれ以下でもないと私は思います。
> オカルト(神秘主義)に基づくものを、現実の世界で
> 現実の事であるように喧伝し、自らの利益につなげる事は、
> たちの悪い詐欺商売そのものであると私は思います。

こういう視点からご両親に言っても、おそらく通じないんではないかと思います。
ご両親が「霊」の存在を知っているなら。

霊の存在を信じられない人達は、それを簡単に「詐欺」と見がちだけれど、
しかし教団の指導者たちも、その主観においては決して「人を騙そう」とは思ってないはずですよ。
その指導者たち自身が、その信仰体系を「信じて」いるのだから。

真光でも「浮霊」とかいって、霊の存在を感じさせる現象があるそうじゃないですか。
そういうのを見てしまうと、霊の存在を信じるわけだから、「詐欺だ」という言い方ではなかなか難しいですよ。

霊の存在を知ってしまった者は、ある意味、ただ単純に無神論的な世界に還ることは不可能です。

これ以上は、この掲示板の趣旨に反しますから、やめときます。ごめんなさい。


[4591] 離脱関係者様 2 投稿者:元信者JG 投稿日:2010/12/27(Mon) 23:30  

離脱関係者様、ご解答ありがとうございました。
「丸1日以上」かけて、書いてくださったんですか? すみません!

> 「力のない者は、来世の救いなんて言う」
> すいません主語述語をはしょり過ぎですね。
> 「力の無い私以外の教祖達は、現世で利益をだす、
> 奇跡を起こす力が無いので、言い訳として、
> 来世での救いという言葉を使う」です。
> 分かりにくくてすいませんでした。

私は「ああ、そうか・・・」と独りごちました。いや、私の勘が悪過ぎました。
実は「タイプミスか何かかな」と思っていたのですが、言われてみると全然普通の日本語ですね。こちらこそ失礼しました。

そして、なるほど、岡田氏のそういう考えですか。いや、聖教書の中にもそういうの、チラホラ伺えますよね。
私は最近、岡田氏の考えることはけっこうフツーの人間の発想なのではないかと思うことがあります。「フツー」、つまり、大してビックリするほど優れてない、世間にざらにある、そのへんに転がっている、という意味ですが。彼は、人には「増上慢に陥ってはならない」と言いながら、ご自分はやっぱりご自分の位置に、言うところのその「高さ」に -------「最高位」に!-------「酔っぱらって」いたのではないでしょうか。
たとえば、ある人に自分の写真を撮らせたら観音様や龍神が写っていたというくだりですけど、彼はその写真について「空前絶後」とか「(他に比べての)私の霊写真の何という素晴しさだ」とかいう言い方をしていますよね。
http://shumeic.blog7.fc2.com/category26-1.html
しかし kimura さんがおっしゃるように、どんなに不思議な写真であろうと、人類の地獄世界の前ではそれはやはり一枚の写真であって、それに「空前絶後」などという語を当て嵌めるのは、いささか舞い上がり過ぎというものです。ちょうど、「金粉が出た。ダイヤモンドが出た」と言って無邪気に喜んでいた秀明会信者と同じような「単純さ」が、そこにはあるように思えます。
(ちなみに、私は金粉やダイヤモンドには少しも喜びませんでしたけどね。「神様、安っぽい喜ばせ方をするじゃないか」と、白けたような気分でいました。エッヘンw)

ご紹介くださいましたページ、参考になりました。けれど、コメント欄を見ますと、そこでもまた一つの「宗教」が、「権威」ができつつあるようですね。プチ権威ではあっても権威は権威です。いや、正しいならそれで良いです。でも、「スウェデンボルグは本物だ」とは・・・
私には、「ここにもまた、自分の『霊感』なるものに頼って迷っている者がいる」としか思えません。

長男さんへ。
そうお泣きにならないでください。
世の中には、七十になろうと八十になろうと「人生の目的」など露ほども考えず、毎日「おいしいもの」「楽しいこと」ばかりを追って生きている者もいます。私の知っている人なんか・・・まあ、私の親ですけどw、彼の人生は「旨いもの」と「麻雀」で成っているようなもんですわ。
あなたのご両親は立派です。


[4590] 茶番 投稿者:kimura 投稿日:2010/12/27(Mon) 16:54  

「私は神だ。」と云う者がいた。
彼は周りの人々の病を癒す力を持っていた。
人々の思い込みによる改善か、彼の精神ケアによる改善か、
彼のツボに対する圧迫刺激による改善か、後日、彼の手から
発する気孔又は赤外線(光)刺激による改善とも云われた。
しかし、彼は「神」ではない。
百歩譲って、彼が彼の云うように「神」であったなら、彼は
とてもささやかな、取るに足らない、「神」だ。
なぜなら、彼は「太平洋戦争」時に「神」として存在した。
彼は広島・長崎の原爆投下も、東京を始めとする大空襲も、
沖縄の玉砕も、ソ連の条約破棄による被害も救うことはなかった。
ましてや、真珠湾攻撃も、南京大虐殺も、満州国建設も止める力を
持っていなかった。
あの時代の「人間」の行いは、彼の「神」としての行いを遥かに凌駕
している。どうみても、彼は「神」として人々を救う力を持っていた
とは云い難い。「神」だとしたら「ごみ」程度の力を有した「神」だ。
その彼が「地上天国」をつくり、人々を救うと云う。
正にこれは「茶番」である。
生前この国の「地獄」に何一つ救いの手を差し伸べなかった「神」を
何故人々は「神」として崇めることができるのか。
それは、崇める人々が、無知の上に、自分だけは病が治りたい・
自分だけは幸せになりたい「エゴイスト」達だからだ。
その、無知で、心の狭い人々が「地上天国建設」など、出来ようはずもない。
正にこれも茶番である。

「神」はあなたの「心の中」にいるのだ。
いつも、あなたを「見つめて」いる。
他人の云う「神」を信じる必要はない。それは「人間(他人)の創造物」だ。
あなたの「心の中」の「神様」はあなたに何もしてくれないように思える。
ただ、あなたを「見つめて」くれるだけだ。しかし、その「神様」は本物だ。
いつもあなたの傍にいて、あなたを包んでくれているのだ。
時に、あなたを励ましてくれる事もあるだろう。
時に、あなたを叱ってくれることもあるだろう。
時に、いっしょに泣いてくれる事もあるかも知れない。
あなたの身近な「人間」として現れることや、
美しい「自然」として現れることもあるだろう。
そう、「神様」はあなたの「心の中」にいる。
神社や教会や神殿や聖書や経典やまして「みその」や「聖教書」の中にいようはずもない。
あなたの「心の中の本当の神様」を見つけて欲しい。
それこそが、「真の信仰」だ。
集団で傷の舐め合いしているような、新興宗教に「信仰」はない。「信仰ごっこ」をしているのだ。


[4589] 愛郷不動明王 投稿者:fujiya 投稿日:2010/12/27(Mon) 12:54  

参考になるかどうか分かりませんが、下記のような事例もありました。

長野県松本市で神慈秀明会が道場を建設しようとしたとき、住民達が秀明会と戦って自分たちの「幸福追求の権利」を守り通した記録をまとめた「護られた街」という本があります。
その中で、住民達は高さ6mの「愛郷不動明王」を建てたことが報告されています。この「愛郷不動明王」はその後、秀明会側との交渉過程で撤去されましたが、秀明会側にとっては「イヤな存在」であったようです。

松本市での戦いは1995〜1999年にわたって戦われ、最終的に秀明会は道場建設を断念しました。




[4588] 老人のつぶやき 行動開始編 投稿者:離脱関係者 投稿日:2010/12/26(Sun) 19:24  

 fujiya様、コメント欄をお借りします。

この掲示板を見ている方に、お願いがあるのです。
どうかお知恵を貸して下さい。そして若さと行動力も貸して貰いたいのです。

縁があって、私は現在友人から、滋賀県の信楽本部のすぐ近く、第4駐車場の横の土地の管理を任されています。

広さは約3000〜4000坪です。本部奉仕者に上がられていた経験のある方なら、フロンティアという名前の土地の事と言えば分かるでしょうか?

土地の入手と現在に至っている経緯を簡単にお話しします。京都本部時代からの友人が、私財をなげうって、信楽本部から出る、ゴミを処理するために購入しました。
そして彼は死ぬまで、信楽本部からのゴミを処理する仕事をしておりました。その息子さんも、その仕事を引き継いでゴミの処理を、本当に小さなお手当でしておりました。

ある頃から、醜名会にその土地を、自然農法をする土地として、捧げなさいという命令に近いご指導を受けたのです。新体制に入ってから、今から、ほんの10年内の出来ごとです。
しかしもう完全に目を覚ましていた息子さんが、きっぱりとお断りした所、そのゴミ処理の仕事と、秀明快での立場をあっさり失いました。
そして彼は、醜名会の仕事が出来ないなら、あの辺鄙な場所の土地ですし、この土地を醜名会で買い取って欲しいと、本部に話をしたのですが、そんな物は要らないと、相手にしません。

醜名会の特徴ですが、対外的には、とても良い顔をしたがりますが、信者に対しては、本当に奴隷位にしか思っていません。
現会長も、笑顔で、時には泣き顔で世界の平和を訴えながら、信者にも元信者に対しても「この奴隷が何を言ってるの?」そんな発想しか出来ない、もうどうしようも無い奴だと思っています。

信楽本部の首根っこの土地を、醜名会は、要らないそうなので、何か楽しげな使い道が無いかと、思案している所です。

現在、バス参拝の時、自家用車でも、美術館に行く時にでも、どうしても目につく所なので、そこに看板を無数に建てようか位の事を話合っています。

そこで、この土地にどんな事をされると、醜名会本部は嫌がるでしょうか?みなさん考えてくれませんか?

そして、老い先の長くない私として、醜名会本体を弱らせる力が無い事位、もう分かっています。だけどこのまま死ぬのは口惜しすぎるのです。引っかき傷だけでも残したい。出来る事なら、刺し違えてもなんて思うのですが、その舞台すら用意されない、口惜しいです。

取り敢えず、毎月 コンパネ一枚分の看板を建てようと思っています。私の命が尽きるまで。私の一生のライフワークとして。

本部の人間は、なんか気になる所に出来物が出来た。ニキビが出来た位にしか思わないかも知れないが、それでもいいと思う、こんな会を作った人間の一人として、私はこの会から離れるだけで許されるとは思わないのです。

神慈秀明快被害者の方、本当にすいません。
取り返しのつかない事をしてしまいました。申し訳ありません。私達夫婦は、化け物を生み出す、手伝いをしてしまいました。責任持って退治したい。年寄りの願いです。

お知恵を貸して下さい。一番効果的な方法を教えて下さい。国や行政から撤去命令が出ないやり方を、あまりお金がないので、お金が無くとも出来る方法を。

彼らは、都合の悪い物には、ふたをする、見て見ないふりをする。しかしどうしても目につく所に、「元信者の叫び」として、だんだん看板を増やしたいと私は思っているのです。

少しユーモアが効いていて、短くて、痛烈なもの、そんなキャッチコピーの様なものを教えて下さい。内部からの告発があれば、なお最高です。

醜名会が無視出来ない人数を集めたい。宜しくお願いします。



[4587] 老人のつぶやき 奇跡の解剖編 投稿者:離脱関係者 投稿日:2010/12/26(Sun) 13:41  

JG様 初めまして、落慶の頃の方ですか、懐かしい、本部ですれ違ったたりしてるかもしれませんね。こんな年寄りに声を掛けてくれてありがとう。

先ずはJGさんの疑問にお答えしますね。

「力のない者は、来世の救いなんて言う」すいません主語述語をはしょり過ぎですね。私の理解では、
「力の無い私以外の教祖達は、現世で利益をだす、奇跡を起こす力が無いので、言い訳として、来世での救いという言葉を使う」です。分かりにくくてすいませんでした。

fujiya様、JG様が、体験された奇跡が有ったうえで、「どうして?」という疑問を持たれている。この事は、カルトからの脱出に不可欠な物と思いますので、どうかこのコメント欄をお貸し下さい。

ただしみなさんここからは、目に見えない世界を、目に見えない物を使って説明する、非常に厄介な世界になります。ただの読み物として読んでくれて結構です。
大なり小なり、奇跡を体験してしまった人を救うのは、困難を極めます。でも私は、そんな人こそ救いたいと思うのです。

確かに秀明快はいい組織とは思えない、だけど私の体験した奇跡に言い訳が出来ない。全てインチキでは説明のつかない事が沢山ある。そんな人こそ救いたいと願うのです。

ここからは、私達夫婦が体験したトンデモ話です。ただの一人言だと思って下さい。

まだ私達夫婦が、大阪支部を目指していた頃、私は建設委員でもありましたので、まぁある支部の石垣と塀を作らねばならなかったのです。私達でどうにかなる金額でも無いですし、本部は本部で、大変な時期だったので、さてどうした物かと考えておりました。
すると家内が、○○さんに頼みに行こうというのです。私の縁有る人の所に、個別訪問布教をした際に、「私に神様の話をするとは、勇気のある人たちだ、私以上に神様の事を分かってる人間はおらん」と笑い飛ばされて、ほうほうの体で帰って来たあの○○さんです。私は、こいつは何を言い出すのだ、と感じました。

これは、家内の事、秘密なのですが、家内が感じるのは、薫香ではなく、温熱を感じるでもなく、光が見えるではなく、味覚で伝わってくるという事なのです。当時の表現を使って申し訳ないのですが、この会に縁が有る人と接すると、口の中が甘くなると言うのです。これは会の方にも、他の信者の方にも秘密にしていたのですが、「驚異的なお導きの数」を達成してくるのは、彼女は独特のアンテナを持っていたからなのです。

「お父さん、大丈夫、甘いもん」と家内は言うのですが、わたしは、何が大丈夫なもんか、また恥をかくのかと思っておりました。そうすると○○さんは、開口一番こういったのです。

「なんや、あんたらやったんかいな」
私達夫婦は??です。

「もう分かってる、せなあかん事も分かってる。一週間も前に頼まれてる。」と言うのです。

彼曰く、神様が出て来て言われたと、もうすぐ神様の使いの者がやってくる、その神様は、我よりもっと高位な神である、その者が頼む事を成せ、断る事も、お金を取る事もあいならん。と言われたと、言うのです。
私はもうびっくりしてしまって、ただ呆然と、鼻をふくらまして「どやっ」という顔をしている家内の顔を眺めておりました。「もう分かってるから連れて行けっ」と言われ、たしか支部ではなく、京都本部にお連れしました。

彼はそれでも中々納得が出来なかった様で、椅子席の2列目の所で、腕を組みながら、上から目線で、お前が本当にエライのかと、お写真を睨みつけておりました。その彼が、突然飛び上がる様に 気をつけ をしたかと思うと、ペコペコと頭を下げるのです。
「あかん、凄いのん出て来おった、もう半端ない神さんや、位が違う。眩しくて見えん位や」と言うのです。もう家内の鼻はちぎれそうな位膨らんでおりました。

その彼は、面白い人で、その神様から言われた事で間違った事は一度も無かった、そういう話の後、もの凄い有利な条件の仕事を取れたりするらしく、誰にも言わないが、いつも神の声を聞いていたと話してくれました。今でいうオーラとか、人の考えている事が、説明しにくい言い方でしたが、何故か見える分かるといった内容です。それでいて、彼は業界で確固たる地位を築いていたのでした。そして結局入信はせずに、仕事だけを無償でやってくれました。入信しない理由も深く納得出来るものでした。

当時の私達夫婦は、醜名会と岡田茂吉氏から教わっている、偏った霊的知識しかありませんでしたので、これ位の事で、簡単に「なんと有り難い事だ。」と思い込んでしまいました。

全く有り難い事ではなく、恐ろしい事なのに。

何故恐ろしい事なのかの説明に入りますが、非常にめんどくさい内容なので、興味の無い方(実はこういう方が、最も安全で、霊的知識なく日常を常識的に生きられる、素晴らしい方だと私は思っています。この世だけで終わるなら、私なんざ好きな事をやってしまいそうです。)は

時々不思議な事もある、でもそれが正しい事とは限らない。いや不思議な事の99.9%は、低次元の存在が起こしている。それによって生き方を変えるような事は辞めようと、簡単に思って下さい。

 この世には、科学で説明がつかない事が、沢山あります。「99・9%は仮説」という著書を読んでもらっても分かりますが、実は分からない事は、沢山あるのです。飛行機が何故飛ぶのかすら、実は分かっていないらしいのです。
そして反証という立場から考えると、低次元の身近な存在から、例を上げれば、霊 霊魂 幽霊 等が存在しない事を証明せよ。と言われると、やはり難しいし不可能だ。と私は思っています。

そしてここから、もう霊的存在はいる、という立場で話します。「いるんだからしょうがない、もう諦めて」と言った斎藤ひとりさんの言葉をそのまま使います。
ここで躓く人は、「いきがいの創造」あたりを読んで下さい。但しあの本の半分は、危険な存在が起こしている、と私は思っていますので、読むのは、1と2位までがいいかと思います。著者はやはり学者です。

簡単に言うと、こっくりさん遊びを繰り返している内に、不思議な事位起こってしまう。その場にいた人にとっては、偶然とか、インチキという言葉でくくれない、「何か」が起きてしまう位、奇跡 奇瑞とは身近な物なのです。試すのは、辞めて下さいね。返し方が分からないのに、呼び出すのは最も危険です。精神障害を起こす危険が伴うと思います。

実は宗教というのは、簡単に起こせると、私は考えています。奇跡ぐらいその内起こるからです。最初はトリックを使っても、サクラを使ってもいいです。その内、本当の奇跡なんて起きます。映画で「奇跡を呼ぶ男」(スティーブマーチン)というのは、とても良くその感じを表しています。怪しげな事して人を集めて騒いでいると、そんな低次元の存在は、嬉々として寄って来ます。そして都合良く奇跡を起こして、依存心の塊の人間の魂を食します。輪廻からの脱落です。魂の宿る場所を食われます。存在そのものが亡くなります。宗教とは、依存心ばかりの人間を、ふるいにかけて、存在を亡くす便利な装置だと考えています。

きりが無いので、例え話も辞めますね、奇跡体験なら、どんな人にも負けない自信があります。物理的にあり得ない現象も、この年寄りは見て来ました。それを踏まえても言いたいのです。「神慈秀明快は辞めなさい。」と

段階としてこんな手順で調べて欲しいのです。

今信者の方は、自分の教祖の言葉を調べて下さい。それを止める存在がいたら、それこそ邪神です。それだけで、醜名会を辞める事が出来ます。離脱の神意がウソなら、全てウソでなんと辻褄が合います。本当です。宗教ですらないです。危険です。見てられないのです。自分が信仰している教祖の言葉を調べるだけです。あんたと、家族の人生かかってるんだよ、教祖の事調べたらダメなんてそんなのおかしいんだよ。

そして次の手順として、敢えて岡田茂吉氏の言葉を借りるならば、他の教えに触れてみよ、です。
 
15年間、調べに調べて このページに出会えて全ての辻褄が合いました。信じる信じないは自由です。
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20080629

私は、特攻隊の生き残りです。予科練の兵隊でした。生まれてからずーっと教えられてきた事が、数か月の短い間に全てひっくり返る事を経験しています。それが良かったのかなとも思っています。自分の常識を疑う事が出来たのです。

北朝鮮の人を気の毒に思う以上に、醜名会でまだ信者をやってる人を気の毒に思います。

どんな奇跡があって、どんな思いがあっても、この年寄りに声を掛けて見て下さい。自分達が作ってしまった会だと思ってます。出来れば、自分で潰したいとまで思っています。
自分の非力さを恨みますが、、、

以上、また長男代筆です。時々泣きだすので、始末に負えません。丸1日以上かかりましたが、また忠実に再現したつもりです。彼は、死ぬまでに一人でも、目を覚ます人を作りたいと思っているようです。



[4586] 離脱関係者様 投稿者:元信者JG 投稿日:2010/12/22(Wed) 22:41  

離脱関係者様

私は、昭和57年、翌年の本部落慶に向けて信者たちが盛んに布教に回っている頃 ------- 私は学生でしたが ------- 戸別訪問されて入信した者です。在籍していたのは通算で8年くらいでしょうか。しかし、まともに関わっていたのは・・・4年くらい? もう記憶が定かではありませんが・・・ともかく、縁が切れてもう十数年になります。

あなた様の告白は、私にとって重いものでした。というのはもちろん、私には「分かる」からです。
こんなに立派なご夫婦が、こんなに人生を壊されてしまうとは・・・と思わずにいられません。でも、今はなんとかご無事で居られるのですね。良い息子さんもいらっしゃって。
不幸中の幸いというか・・・まあ、良かったと思います。
私自身・・・信者である頃、学校を辞めたり、多額の献金をしたりといろいろあり、その余波が、現在の私の人生の上にもあると言えます。まあ、全てが教団のせいではなく、自分のせいである部分も大いにあると言わねばなりませんが。

そして、私もまた、岡田茂吉氏の宗教について「どうして?」を考えます。
私も東京支部でしたからH本支部長のことを知っています。そしてあなた様のお話の中の彼女を見る時、「最低だ」と思います。けれども、私にとって一番気になるのは、「私の体験したあれは何だったのか?」ということです。私はあなた様とは違い、優秀な人間ではありませんし、従って信者としても末端の人間でした。けれども、入信当時約一週間にわたり薫香に取り巻かれたり、「神様」(と当時は信じていました)の強烈な光を体で感じていたりしました。
本当に、「神様」としか思えませんでした・・・

だから、

> だけど、私達夫婦は、目の前で奇跡を見て来たし、何より
> 自分の手で何回も、奇跡を起こして来た。最初、明主様は
> お働き頂いてた筈だ、明主様、私達はあなたに恥じる事は、
> 何もしてないよ、あなた「私は、本当に力のある神だから、
> 現世で奇跡を出すよ」「子子孫孫まで、救ってやるよ」と
> 言ってたよな。

> ただ、私は数々の奇跡を見せてくれた、起こしてくれた明
> 主様が、明主様一筋に生きて来た我々夫婦にこんな結末を
> 用意されてる筈が無い、死ぬとしてもなんらかの光明が差
> した状態が有る筈だと、(…)

このへんの事は身につまされる思いがいたします。

いろいろ考えますよね。
「あれらの奇跡やら奇瑞やらは、悪しき龍神か何かが起こしたものなのか?」とか。
「秀明会は初めは確かに良い教団だったが、後になって邪神に乗っ取られてしまったのか? それとも初めから悪かったのか?」とか。
「それとも、秀明会とかいうもの以前に、岡田茂吉氏の宗教そのものが、そもそも偽りの宗教だったのか?」とか。
「私達が舐めたこの苦しみもまた、大きく見れば罪障消滅のために神がお許しになったものなのか?」とか。
切りがありません。そして確かなことは分かりません。

けれども今、私は、「岡田茂吉氏の宗教そのものが、そもそも偽りの宗教だったのではないか」という方向に強く傾いています。秀明会に限らず、救世教も他の分派教団も含めてです。なんとか自分の心の内でそれを100%確かめたいと思い、ネットでいろいろと調べています。(ネットでは限界があるかも知れませんが。)

そこで、あなた様の投稿の中で私が少し気になるのは次の部分です。

> 私は、明主様の事を考える様になりました。幸い、景仰や
> 信仰雑話はありましたので、読みふける様になりました。
> やはり、彼は「力のない者は、来世の救いなんて言う」的
> な事を言っています。

最後の文は、彼が「力のない者は、来世の救いなんて期待できない」という言い方(冷酷な、あるいは無神経な言い切り方)をしたということですか? わざわざお調べになる必要はありませんが、もう少しどのようなニュアンスのものだったかをお伺いできれば嬉しく思います。もし、御余力がおありになればですが・・・すみません。

毎日お元気にお暮らしになることを願います。

fujiyaさん、このBBSの趣旨とはちょっとズレた書き込みをしてしまいました。お許し下さい。


[4585] まだ何も知らない子供だったから… 投稿者:元崇教真光信者 投稿日:2010/12/20(Mon) 20:28  

初めまして、元崇教真光信者だった者です。

崇教真光は世界救世教の分派の真光系諸教団の一つ(らしい…あまり深入りしていないので詳しいことは分かりません)です。
神慈秀明会は世界救世教の分派という事らしいので、私の体験してきた事や、現在も信者である私の両親の事について、こちらに書き込ませていただこうと思います。何か思う事がありましたらご意見ご感想いただければ幸いです。

私は小学5年生の頃に、健康食品関連の知り合いからの誘いで入信したと思われる母親の影響で、小学校の頃に初級真光研修会を受講することにより「御み霊 -おみたま- (胸に着けるペンダント)」と「祈言集 -のりごとしゅう- (念仏のようなものが書かれた本)」とやらをもらい、信者になってしまいました。

しばらくして姉と父も入信しました。姉は数年前に結婚して家を出ているので、真光の方はどうしているのかは分かりません。

父は母親が創価学会の信者だったようです。父が子供の頃に亡くなり学校で悲しくて泣いていたという事を聞きました。父の家庭がどうだったのかなど聞きたいですがなかなか聞きにくく、父も自分のことをあまり話さないのでわかりませんでした。なんだかんだでもう20年近く経ち、私も33歳になってしまいました。
元々不安定な精神を抱えた夫婦同士だったのか、母親が子育てや主婦としての悩みを抱えていたからなのか、新興宗教の格好の餌食になってしまったようです。

私は小学5年生の頃に入信し、中学に入る頃には「お玉串」や「霊線保持」などのお布施の様なものや、祭られている神々や教えそのものなど、何かおかしいなと思い始めたのと煩わしさから、道場にはほとんど足を運ばなくなってました。

しかし、マインドコントロールはやっかいですね。「御み霊」は、肌身離すな地面に置いたり汚したり壊したりしたら神罰が下る、というような教えにおののいて、下着に縫い付けられた袋にサランラップを何重かに巻いて入れ、後生大事に肌身離さず付け続けました。
体育やテニス部の時間などに友達に見つかって変な目で見られないかと気が気ではなく、そのうち付けなくなりました。

その後、私は2010年になるまで「御み霊」と「道場」から離れて、崇教真光を脱会したわけではなかったですが、実際は脱会者状態でした。
しかし親は熱心でした。「御み霊」をはずして「道場」にも行かない私に母親は、神罰が下ると信じてるからでしょうけど、私がじっと何かをしていると「手かざし」を強要してきたり、勝手にしていたりしました。
一番きつかったのが朝起きると枕元に座って「手かざし」をやってるんです。そのうち私も不眠症気味だったのか気配で目を覚ますと「手かざし」を始めるのがわかり、ほって置いたりさっさと起きて避けたりしてました。

私がなぜはっきりと拒否できなかったのか?それはマインドコントロールの影響も少なからずあったかもしれません。
しかし、一番引っかかっていたのは私が小学5年生の時に「くも膜下出血(脳内出血)」で倒れ、入院や検査などで体力面でも金銭面でも負担をかけてきたことでした。
母親はそれ以前から入信の兆候があった様な気もしますが、息子の大病からの気苦労でさらに信仰を深めていってしまったのではと思います。
その後、中学卒業後の冬休みにまた「くも膜下出血」が再発し「ガンマナイフ」という高価な放射線治療を受け「脳動脈瘤奇形からの脳動脈瘤」という先天的な奇形部分の治療を行い完治しました。

私は両親の「手かざし」も「祈言 -のりごと- (念仏のようなもの)」も、会社員になって4年目ぐらいまでは耐えていました。しかし、我慢の限界を超えてしまい、部屋に入れない様に戸を閉めて両親とは口を聞かなくなってしまいました。

そして今年2010年になって、ネットの脱会のための内容証明の書き方などをみて正式に脱会しました。もうこのままの状態は続けられないと思い、どうにかしてこの家から「崇教真光」を無くせないものかと思案中です。

一度、私がIT系の仕事をやっていた為、父親にパソコンをそれなりに教えて使える様になっていたので、「崇教真光」の脱会した信者の暴露・批判サイトのアドレスのメモを置いてみました。数週間後ぐらいに父親が酔って帰ってきて、近所迷惑も顧みず戸を閉め切った私の部屋の前で大声で泣きわめき散らかされました。
口は聞いていませんが、メモ書きでの筆談はしているので自分の正直な「崇教真光」への疑心や批判などを伝えたのですが音沙汰なしです。
私は我慢ならなくなって「御み霊」を開いて中の無意味な紙に、「ルサンチマンからの搾取は大罪です」などと書いて、本部に内容証明と共に脱会届を出した次第です。

今は「疑似科学はなぜ科学ではないのか―そのウソを見抜く思考法」などの疑似科学を扱った本などを読んでもらって詐欺の手法などを遠まわしに学んでもらおうか、などと考えてます。
オカルトはエンターテイメントであり、それ以上でもそれ以下でもないと私は思います。
オカルト(神秘主義)に基づくものを、現実の世界で現実の事であるように喧伝し、自らの利益につなげる事は、たちの悪い詐欺商売そのものであると私は思います。

いつまでも青臭い事を言ってと堅苦しいことを言ってと馬鹿にされるかも知れませんが、作り事としての趣味や娯楽以外の表現において、作り事をさも現実の事である様に表現し、人の不安や恐怖を煽る事で継続的に対象者の人生に寄生して飯の種にする人間達を私は信じられませんし、私の身近に被害が及ぶなら許せません。
社会で生きていれば詐欺的なことは日常的にありますし、自らも何となく又は知らずに加担していることが多々あるとは認識してますが、自分のわかる範囲でやれる範囲で是正しうるものは是正していきたいと思ってます。

以上、20年近くに及ぶ優柔不断で中途半端で駄目な私の新興宗教との戦いの記録と意思です。

それでは長々と長文乱文失礼しました。
今も同じ様に悩み苦しまれている被害者の方々に、そして新興宗教の収入源として便利な使用人と化している信者の方々に、本来持っていた心と体の自由が取り戻されることを、実りのある幸せな将来が来ることを、ルサンチマンな思いを抱く弱い私の、だからこそ神が必要であろう私の、私の中の私だけの神に祈ります。
「信教の自由」は「宗教を信じない事」を「無宗教」をも保障するものであるはずと信じて止みません。



[4584] 老人のつぶやき 求道編 投稿者:離脱関係者 投稿日:2010/12/11(Sat) 15:21  

私は、この秀明会に明主様信仰なんて無い事は、お陰さまですぐ解りました。後からネットでもいろんな情報が出て来て確信に変わり、自分の半生を振り返り、後悔と自責の念に押しつぶされそうになりました。
私達夫婦から始まって、入信した方は、1万人を超えておりましたので、なんという罪を犯したのかと愕然となりました。それで、なんとか説得しよう、会を辞めてもらおうと思い、少なからず努力しましたが、会の人達から狂人の様に扱われるだけで、いっこうに前にすすみません。
もうつける薬はないなと、申し訳ないですが思いました。動かぬ証拠がこんなに沢山あっても会をやめない人は、頭の構造がどうか成ってるとしか思えませんでした。

ただ、私は数々の奇跡を見せてくれた、起こしてくれた明主様が、明主様一筋に生きて来た我々夫婦にこんな結末を用意されてる筈が無い、死ぬとしてもなんらかの光明が差した状態が有る筈だと、用意周到で、推理小説でいうと伏線をよくお使いになる明主様からすると、おかしいなと思ったのです。
もう一つ最初のほころびは、御在生当時「私は90まで生きるよ。」と仰られていたのに73歳で御帰天された事。

私は、明主様の事を考える様になりました。幸い、景仰や信仰雑話はありましたので、読みふける様になりました。やはり、彼は「力のない者は、来世の救いなんて言う」的な事を言っています。つまりもう、私以上の神はいないから、とも仰っておられたにしては、お粗末な結末が多いのです。

私は、信者さんの最期を、親しい信者さん達が亡くなる度に見てきました。信者の最期は「本当に力のある、正しい神」の信者、「絶対の救い主」の信者にしては、お粗末な結末が多すぎるのです。葬式すら出来ない人、花もなく、祭壇もなく、ただ棺が家においてあるだけの、縁ある信者さんの最期を見る度に、「毛筋一本くるいがない」、「一厘の狂いもない」にしては、お粗末だと思えるのです。

そして私は、ふるいに掛けられて、救われない側にまわったから、私たちはこういう最期を迎えるのか、とも一時期考えましたが、彼は、そんなにも不自由な男では、無いのです。もっと大きくて大乗な男だと、自分で話されています。

私は、明主様が本当に解らなくなりました。そこで、明主様のお言葉だけでは、明主様は解らないと思い、それこそ精神世界の本から、神と名のつく本、ありとあらゆる本を読みました。
気が付くと、15年の月日が流れておりました。わたしが、人間岡田茂吉を気の毒な人だと思い、かれの呪縛から完全に解き放たれるまでに。


ここからは、わたしの拙い勉強の結果、抱いた感想です。まさに一老人のつぶやきです。人はそれぞれ違います。違ってていいのです。同じ物を見て同じに思う必要はなく。こうだからこう思えと言う時、もうすでに歪み初めています。心を中庸に保ち、この人はこう思うんだ。でいいのです。

この世は、奇跡にあふれてたんだ。と私は気付きました。
病気が治った?有る筈のないものが出て来た?過去を言い当てた?叶えて欲しい願いがかなった?・・・etc
で、それが何か?としか感じないのです。そうだとして何故献金しなくちゃいけないの?
今、生きてる事の奇跡に比べたら、なんてこと無いことばかり。これは極論ですが。
マーフィーの法則、引き寄せ、シークレット、潜在意識の活用、ありがとうで癌が治った・・、枚挙にいとまがないのです。
岡田さんが起こした奇跡なんざ珍しくもなんともない、と感じたのです。
金粉が出て来た?物が動いた?それこそだから何?それがどうした?としか思えないのです。

それよりも、太陽があって、水があって、空気があって、種をまいたら草木が生えて、農家の人がお米作ってくれて、漁師さんは魚を取ってくれて、三度三度、ご飯が食べられる。パソコンがあって、知らない人とこうやってコミュニケーションが取れる。学校があって、警察の人がいて、ビルを作る人がいて、電車やバスがあって好きな所に行ける、車を売ってる人がいて、炬燵やストーブがあって、あったかいお布団で毎日眠れる。これが奇跡なんだって感じたのです。

最初、「農家の人は凄いなぁー。明主様以上の奇跡を起こしてるよ。日本国民全部、コメ食わしてるんだから」なんて思ったのですが、ある時、「パン屋のおばちゃんがいるから、この子達は毎朝パン食べられるんだなぁ」と思った時、パン屋のおばちゃんも神様の働きしてんだなぁ、なんて考えた時、突然とめどなく涙があふれました。

違う、生きとし生けるもの、全てが神なんだ、私ですら神なんだ、人はそれぞれが、今を一所懸命生きようとした時に、もう神に近づくんだ。
生活そのものが修行なんだ、信仰なんだ。
自分の外側に神様なんていないんだ。

毎日これでいいのかと自問自答して、明日からどうしようと思いながら、なんとか働いて子供にご飯食べさせて、仕事場で理不尽な事を言われて、笑顔で答え、どんなにつらくても朝起きて仕事に行って、働いて世の中のお役にたって、尊いお金を貰って、子供達や、自分や、愛する物のために、またお金を使う。
これが、最も尊い修行なんだ。

生活の心配をした事も無く、泣きながら歯を食いしばった事もない、お前ら宗教の教祖らが、「さぁ、世界の平和を祈りましょう。」なんて、ちゃんちゃらおかしいって言うんだ。お前らに教えて貰う事なんて一つもない!!

たくさん本を読んだ中で、新興宗教系の教祖が書いた本は、全くだめでした。私の体が受け付けませんでした。
もうだめだと落ち込んだ時、掃除の本は私を救ってくれました。運命を変える掃除なんたらは、私にとっては結構いい本でした。
個人的な感想ですが、自殺する前に、掃除を初めてそれで救われた人もいるだろうな、と感じました。

斎藤一人さんの本も、かなり面白くて、ためになりました。
生きがいの創造系の本も、ハマってしまいました。
瀬戸内寂聴さんの本もわかりやすくて面白いと感じました。
伊勢白山道さんの本は、うなりました。私の感じた一つ一つの点が、線としてつながりました。

それぞれその作者が出している現在までの、著作物全て読みました。
でも、全てをコピーするのは、この世に生れてきた、私の学びではないなと感じます。私は私として、この世で私にしか出来ない修行をするために、とても素敵なこの地球に、出て来たのだと、考えるのでは無く、感じるのです。

生きてる内に、信慈醜名会からの呪縛を逃れられた事、岡田茂吉からの呪縛も逃れられた事、非常に有り難く思っています。


まだ信者を続けている方へ、
気が付いていて、それでも続けている人、もう辞めた方がいいよ。悪に加担してる事になるよ。認めるのは哀しいし、とてもツライけどね、辞めにくい事情も分かるよ。
でも辞めな。勇気をもって辞めな。世界は広いよ。
秀明の中での評価なんて、鼻くそ程にも思わないよ。そこから出たら分かるよ、本当に心から離れて良かったと感じるよ。

元旦祭行く暇があったら、家族で紅白見ようよ、「なんだ曙よえーな」とか、炬燵で酒飲みながら、たわいない事言って、家族で過ごそうよ。
そのバス代で、嫁さんになんか買ってやんな。これが幸せだって分かるよ。誰だっていいよ、自分の愛する人に買ってやんな。それこそ自分になんか買ってやんな。お洒落して、町内会の集まりに行こうよ。自分の住んでる町や、公園一緒に掃除してみな、楽しいよ。春になったら釣りを始めてもいい。

人生で少しでも興味があった事やってみな。秀明やめたら、分かるよ。人生って楽しいよ。桃一つで世界一周出来るんだよ。どんな趣味でも、秀明ほどお金かかんないから、いつからだって遅くないから、子供の本当の笑顔が分かるよ、孫だって喜ばすの簡単だよ。

外から見てたら気の毒でしょうがないんだよ。中の事、僕はだいぶしってるからね。もし明日死ぬってなってても、今日辞めな。本当にそう思うんだよ。
行かなくなるだけでいいんだよ。宣言なんてしなくていい。
簡単だろ。


現会長へ
ひろ子ちゃん、もう辞めなさい。あんたそんな子じゃないの知ってるよ。神戸で英語の先生する時だって、遠慮してたあんただから、気が弱いのも分かるよ。
でもね、死んだ方が、世の為人の為になるような人に成っちゃいけないよ。まだあんた生きてるから間に合うよ。
新体制っても、矛盾だらけだろ。そんなに良い会なら、それを人に知らせようよ。30年かけて、自然消滅させる気かい?生きてるうちに改心しようよ。もう言いわけ出来ないよ。もう見苦しいよ。体裁ももう調わないよ。もう小山一族が、何世代も食べて行けるだけ、貯まっただろ?あんたがこの後どうなるか、想像しただけで恐ろしいよ。


ここまで読んでくれた、全ての方へ。
これは、父の語る事を、長男の私が代筆しました。
途中で完全に口調が変わってしまってるのも、その場の彼の雰囲気を忠実に再現したつもりです。過去から逃げずに久しぶりに親子で思いだし、時に泣き、時に笑いながら貴重な時を過ごせました。私達親子の思い出の昇華にもなりました。
この場を提供して下さっているfujiya様に感謝いたします。

最初思いだすのも嫌がっていたが、これで一人でも救われるならと応じてくれた父と、これを読んでくれた全ての人に感謝します。みなさんの魂の解放を心より祈ります。


[4583] 老人のつぶやき 気付き編 投稿者:離脱関係者 投稿日:2010/12/11(Sat) 03:20  

私は、離脱前からの信者で御座います。
家内は資格者、私は助教師で御座いました。
離脱の時、私は醜名協会代表世話人で御座いました。
自宅に、k山壮吉会長が来られて、「○○さん、なんとか醜名協会を頼む」と言われたので、それが嬉しく、信者を説得して廻り、まとめ上げたのを自負しておりました。
程なく離脱となり、離脱認証感謝特別号には、壮吉会長と共に座談会に出てる写真が出ております。
秀明紙3号では、感謝報告を夫婦でしています。飛天への投稿記事は、「プロの救い○」という内容で御座います。
京都本部建設の際は、当時1級建築士であった事もあり、建設委員長の大役もさせて頂きました。その後、神戸支部等各支部の建設委員長も歴任させて頂きました。

以下、わたしの体験です。少し長くなりますが、御容赦下さい。
私たち夫婦は、本当に明主様が好きで御座いました。
子供が出来ない私たち夫婦に、子供が出来た事をきっかけに
神恩感謝の活動を、生涯させて頂こうと心に誓い、信仰に邁進させて頂いたので御座います。
家内は、産婆科の看護婦で御座いましたので、自分の子宮が、どうの様な状態であるのか、何故子供が出来ないか、熟知しておりました。それで子供を授けて下さったのは、間違いなく奇跡だと、家内も申しますし、懇意にさせて頂いた御医者様も、ありえない事だと仰いますので、これは大変な事だと考えたので御座います。

入信するまでの私たちは、昭和の復興時期で、私は1級建築士でありましたので、平均よりは、沢山お給料を頂いておりましたが、家内は、当時としては高学歴な女と申しましょうか、看護師だけでなく、産婆の免許もあり、大きな病院で、もう婦長になろうかと、しておりましたので、私が25万円もらって来ても、彼女は40万以上稼いでおりましたので敵いません。ボーナスにしても、わたしが75万と喜んでいても、彼女は手取りで100万を超えており、嫌な女だと思っておりました。二人とも働きもので、子供もいません、いつのまにか、沢山の貯蓄が出来て居りました。

信仰生活に入っても、何年も働かずとも食べて行けるだけの貯蓄が御座いましたので、罪の深い職業だと言われた事もあり、彼女も看護師をやめ、私も本部での仕事が忙しく、建築の仕事をやめて、夫婦で御用させて頂いておりました。

当時の御神体は、床の間の無いご家庭に、御俸歳する時は、何もなくむき出しで、壁に引っ掛けるだけで御座いました。救世教時代より、何かが当たっただけでお詫びに成る事が、やけに多く、頂き直す際の条件も、とても厳しくなっており、信者の方はとても困っておいででした。
私は、大工の経験も、家具屋の経験も御座いましたので、大きな箱状の神棚を作りました。最初はカーテンで開け閉めする物を作り、信者さんに提供した所、大変喜ばれました。そして、あまりにも希望者が沢山おりましたので、材料代を頂き、ほんの少しだけ製作費も頂けました。昼は、建築委員長の仕事で忙しく、当然御手当も無い状態で御座いました、子供が出来て、何かと入り用になりますし、貯蓄だけで生活するのも不安で、かといって就職する事も本部の事情で出来ませんので、その神棚を、朝早く起きたり、たまには寝ないで製作し、それでも大変信者の方は喜びますし、順番待ちが出来る程で御座いました。明主様は、信仰しながら生活する糧を与えて下さった、と感謝しておりました。

ところが、神棚の製作は、本部でする、飽和商事というのを作るから、一切今後そのような事は、してはならない。と下知を受け、「この様にしても、御無礼になりませんかとお伺いをし、許可を頂いておりますし、なにより信者さんも喜んでおりますが、何故でしょうか」とお伺いしました所、全国で統一してなんたらと、一向に要を得ないお返事で、でもわかりましたと、一切手を引きました。
ただ出来上がった物は、私の作ったものと全く変わらない物、イヤ少し粗悪な物で御座いました。ただ料金は、5倍の値段になっておりました。その時はあー神様のする事は解らない位の気持ちで居りました。
 
その後、離脱前からの私共夫婦の夢、大阪に支部を作って、この教えの素晴らしさを広めたいと思い、残ったお金を振り絞って、大阪に本部直結の集会所をお許し頂きました。
成績が上がると、出張所に、そして大阪支部という名前に出来ると、これから誠を尽くして頑張ろうと夫婦で誓いあって喜んでおりました。
先輩方にも、とても喜んで頂けると思っておりました所、数人の支部長から、信仰者とは思えないお言葉を頂きました。
勿論、○○さんおめでとう、これから一緒に頑張ろうと仰ってくれる支部長先生もおられました。
私たち夫婦は、何で怒ってるのかなぁと、話合ったので御座いました。しかしそれは、すぐに解りました。
 小さいとはいえ、拠点の長になりましたので、行事ごとにお金が動くのですが。。信者数と参拝者数だけで、数字はほぼ確定して来ます。ところが、私たち集会所で、参拝数はこれで、この数字になるのに、その他の支部で、どうみてもおかしな経理をしてるとしか思えない数字が出てくるのです。「お父さん、おかしいね。」と家内も良く申しておりました。

信楽町に本部がきまり、建築開始前に、時々、バスでの参拝が始まりました。バスでの参拝はおかしな事だらけでした。
1日貸し切り料金と高速代と寸志をつつんだとしても、何円かかるかは、すぐ出て来ます。神戸や大阪から、滋賀までですから、バス1台で高速料金分の数千円しか変わりません。なのに、一人当たり数千円も多く集めるのです。私たちの集会所が、安い設定すると迷惑だと言わんばかりのお叱りを受けたり、あからさまな批判、中傷も受けました。
その時、私たち夫婦が、集会所を作った時、もの凄く嫌な対応をされた理由が分かりました。

家内は、悪い方に合わせる必要は無い、堂々としていこうと、すべての経理にを適正に報告しておりました。
きっと他の支部長から、煙たがられてたのだと思います。あからさまな批判と言いがかりに、とうとう家内は、それは支部長先生方がおかしいと、かみついてしまいました。決定的な証拠をつかんでいた家内は、どちらが正しいか、判断してもらうと会長の所にまで、詰め寄りました。

今思えば、小山家が信者の方の献金を、自由に使っているのを見て、幹部の方も自分の出来る幅で、好きな事をするという、簡単な構図なのですが、私たち夫婦は、何故か小山家は、お金を好きに使っていいが、各支部長はダメという不思議な、しかし確信に近い変な思いがあったのです。そもそも小山家も献金を自由に使って良い筈が無いのですが、、、
つまり、チンピラがやった悪事を、その組織のお親分に言いつけるという愚の骨頂をしておりました。
「お父さん、これで不正もなくなるよ。よかったね」家内は、満足気に話して居りました。
結果は、何故か私たちの集会所がお取りつぶしになりました。そして私は、本部での仕事もなくなり、家内は九州に飛ばされました。家内と共に、会主会長の所まで行きましたが、この県には、拠点が一つもないのです。○○さん、なんとかお願いします。そこをゼロから開拓出来るのは○○さんだけなので、こんな人事をさせて貰った。と説明を受けました。
何故か、その言葉で「解りました。」と引き受けたのです。
「明主様は、もう少し苦労をしなさいと言ってるかもね。」と家内も申しますし、これも縁だからと、家内は九州に行きました。
その頃貯蓄もとっくに底をつき、借金生活をしておりましたので、私は一線を退き、仕事をさせて頂くと、申しました所、それ見た事かと、この人は、そもそも邪神だと、好きな事を、支部長や幹部から罵られました。
ただ働かないともうお米も貸してもらえない状況にまで、なっていましたし、九州から本部までの往復で、少ないお手当も、どう計算しても赤字になります。
そして不正なんて絶対出来ない夫婦でしたので、私はその時、一線を退き働きました。今思えば、もの凄い幸運でした。
家内は、遠い布教地で、その時はこれが最高の人助けだと信じて、本当はもの凄い罪な事をしていただけですが、頑張りました。
10年の月日が流れた頃、家内は急性緑内障という病気で、目が見えなくなりました。そうすると、もう来なくていいと秀明会から、下知を受けました。本当に物でも捨てるかのように。

家内は、「私はもう布教も出来ません、秀勉のお役にもたてません。だけど私は、浄霊が出来ます。支部の片隅で、浄霊当番させて頂きます。」と必死に申し出たのですが、他の信者が動揺するから、支部にあまり姿を見せるなと言われました。
そこから支部長達からの、凄い攻撃がはじまりました。
目が見えないのは、地獄の霊層界。それが証明された。とか御用はお許し、あの人はそもそもで始まって、ありとあらゆる事を言われました。
しかし、幾度となく奇跡を、その手で起こして来た家内は、「明主様と私の間には、誰もいない、私は明主様に恥じる事は、何もしていない。胸を張って参拝する。」と、本部には参拝しておりました。家内は目が見えないので、誰かが連れて参拝するのですが、もう本部にも来るとも言うような、露骨な嫌がらせをします。

電気自動車も、健康な幹部が乗り、目が見えない家内は乗せて貰えません。「私は、足は丈夫だから、いいの」とそして手を引く長男にも、「笑顔で胸を張ってあるこう、私は、恥じる事何もしてないよ」と気丈にも、頑張って居りました。

ある時気が強い家内が泣いておりますので、どうしたか聞いた所、資格者用のクロークは、男子クロークの奥にあり、長男に荷物を取りに行かせたら、中からH本先生の罵声が聞こえて来た。

「なんやのんあんた気色悪い!!出て行きなさい!!」。

「母は目が見えません。ガウンを掛けたらすぐに出て行きますので」と長男が答えると、「そんな人は、もう参拝のお許しがないのや。もう来なくてもいいのや!!みんなが迷惑や」と言われたと、自分が言われるより辛かったと。

「お父さん、ここは人の幸せを祈る所じゃないね」と気丈な家内がつぶやきました。本部にも、大きなお祭りしか行かなくなりました。

そして何年かして家内はクモ膜下出血で死にました。

私はこれは、おかしいぞと泣きながら思いました。
私は、この秀明会に、明主様信仰なんて無い事は、お陰さまですぐ解りました。世界救世教が小山救世教になっただけだと。もうそんな事は、どうでもいいと、これで解らんかったらめでたいにも程がある。もう狂人に近いと。

ただどうしても納得が出来ないのは、明主様が、本当に力のある正しい神様なら、こんな結果は作らない筈、だって彼は全知全能の創造神だから、こんな結果で、誰も信仰心深まらないし、地上天国建設のマイナスになろうともプラスにはならない、明主様はそんな非効率的な事はしない。

だけど、私達夫婦は、目の前で奇跡を見て来たし、何より自分の手で何回も、奇跡を起こして来た。最初、明主様はお働き頂いてた筈だ、明主様、私達はあなたに恥じる事は、何もしてないよ、あなた「私は、本当に力のある神だから、現世で奇跡を出すよ」「子子孫孫まで、救ってやるよ」と言ってたよな。

でも、御在生当時「私は90まで生きるよ」と言ってたのに、73位で死んだよな、ふるいの効果を狙ったのかと、その時思ったが、あまりにも準備不足で、神計らいとは思えない。 

そして、私の求道生活が始まったのです。

以上、父高齢にて、パソコン画面を見続ける事が出来ないので、長男代筆です。求道編に続きます。


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