Anti_cult掲示板
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[3881] M谷 投稿者:金沢 投稿日:2008/07/07(Mon) 23:11  

たしか、セルシオの運転手付きで集会所に来てた。

宗教団体は集金集団ですよ。末端は純粋でいい人が多いが、

上は、正義の仮面を被った悪人の集まりですね。それはS学会

もどこも同じですね。



[3880] M谷先生 投稿者:卑怯者 投稿日:2008/07/07(Mon) 22:45  

なおさん、ほんとうに鋭いご指摘ありがとうございます。
私には、まったくわかりません。
たしか、平成9年に追放されたと記憶していますが。
ぜひ、ご存知の方教えてください。


この理由がわからない背景について、ちょっと、私ごとを書くのをお許しください。

私の心境としては
平成4年の時は、先生方は安泰でいらして欲しかったのです。
一方、平成9年の時は、先生方は一人でもたくさん、はやくやめて、どこかへ消え去って欲しかったのです。

平成4年は、旧体制、だから、先生になられる方は、すべて、イエス・キリスト以上の方ばかりだと固く信じていました。
だから、M原先生の追放は、真光のお家騒動を思い出し、すごくショックでした。

平成9年は、新体制、今まで、秀明会がみ教えを隠していたことに、気づいた時です。この時は、今までの先生ではだめだと思っていた、
人がどんどん入れ替わらなければならないと思いました。ベルリンの壁を崩壊させなければと。
白状すれば、自分が幹部にのし上がって、今まで、自分を苦しめたリーダーに復讐がしたかった。

この当時は、小山弘子会長には、新時代のリーダとして、大きな期待をよせていました。

こうした中で、M谷先生の追放は、私にとっては嬉しい出来事でした。うれしければ、理由は気にならないのです。
H.T先生、K本元支部長のU辺先生など、理由は何でもいいから、みんな追放されてほしかった。
U辺先生が、一時期、一奉仕者に格下げになった時は、大喜びし、ふたたび先生に復帰された時、涙を流して悔しがりました。

このときは、のぼせ上がっていた私でした。

すみません、狂気的な長文で。しかし、これは正直な当時の私の心境です。なぜ、M原先生の時のように、追放理由を求めなかったを書きました。


[3879] 金色のROTAX様 いつもの通りすがり様 匿名様 卑怯者様 投稿者:なお 投稿日:2008/07/07(Mon) 13:17  

金色のROTAX様 いつもの通りすがり様 匿名様 卑怯者様

M原先生の件、知る限りの情報を教えて頂き誠に
ありがとうございました。私、個人の雑感ですが、
弘子さんを会長にしたいという会主様の思いが
あったのかもしれませんね。それにはM原先生が
目の上のたんこぶだった。だからM原先生を何とか追い出したい。
M原先生を追い出すという大前提のもと、
M原先生は、失敗の揚げ足をとられ、それを追放する理由に
つかわれてしまったのかもしれない・・・と思いました。悲しいかな
会側の術中にはめられてしまったわけですね。

度々の質問で大変申し訳ないのですが、
秀明紙にM谷先生という支部長をされていた上層部のようなお方が
度々で出ていらっしゃいますが、この方も追放されたときいたのですが、
本当でしょうか?もし本当だとしたらどのような理由でしょうか?


[3878] 3877の投稿者様 投稿者:金色のROTAX 投稿日:2008/07/07(Mon) 00:55  

了解していただき、ありがとうございます。
情報提供者との関係を良好にしないと、
今後何も話をしてくれなくなってしまうので、
こういう取り扱いをせざるをえないのです。
今後も、いろいろな情報の投稿を期待しております。
(細かい話も期待しています。)


[3877] Re:[3874] [3627]の根拠 投稿者:卑怯者 投稿日:2008/07/07(Mon) 00:23  

金色のROTAXさん

了解いたしました、ご説明ありがとうございます。
[3875]の記事、参考になります。


[3876] 旧信楽町有林汚職事件の裁判 投稿者:金色のROTAX 投稿日:2008/07/06(Sun) 20:06  

他の掲示板に既出のことですが、旧信楽町有林汚職事件についての裁判の進捗状況の記事がありました。
過去ログでも見れるように、引用します。


「元助役、起訴事実を認める (京都新聞 2008年7月4日(金))

旧信楽町有林汚職

滋賀県の旧信楽町(現・甲賀市)の町有林売却を巡る汚職事件で、第三者供賄と受託収賄の罪に問われた甲賀市信楽町畑、元信楽町助役服部純一郎被告(67)の初公判が4日、大津地裁(坪井祐子裁判官)であり、服部被告は「間違いありません」と、起訴事実を認めた。

冒頭陳述によると、町は1度、不動産会社への町有林の売却を断っており、検察側は「服部被告が、町長や議長らに『町有林は利用価値がない』などと進言し、売却が決定した」と指摘した。

起訴状によると、服部被告は2003年8月29日、町有林を、大津市の不動産会社に売却するよう便宜を図った謝礼として、親族の土地など(時価約5000万円)を、同社の関連会社に9000万円で購入させ、9月上旬に不動産会社社長(59)から現金1000万円を受け取った、とされる。 」


[3875] 神慈秀明会の明主様み教えに対する態度 投稿者:金色のROTAX 投稿日:2008/07/06(Sun) 20:03  

神慈秀明会の知人が、岡田茂吉師(秀明会の教祖 明主様)の教えに対する秀明会の態度について、疑問を呈するメールをくれたので、ここでのせます。
この人は、今、秀明会から距離を置いています。
本人の了解をとったので、ここで紹介します。


「私は岡田茂吉全集(明主様の御教えがすべて入っている全集)を幸いにも入手することができました。

私が秀明を離れる直前、この全集のことについてある世話人にきいたところ、

幹部のOK先生が「聖教書の100篇が実践できたら、他のも読んでいい」と言っていたそうです。

あなたは実践できてないのに読む資格はないと言いたかったのではないかと思います。

これだけ出回っていて見るなというのも酷な気はします。

おかしいなぁと思っても教団の中にいるとなぜかうまくごまかされてしまうということはよくあることです。

それは私が秀明を離れてから気づいたことです。

秀明に限りませんが、教団に長く在籍していると一生続けていくつもりでいる方も多いのではないかと思います。

私もそのつもりでした。

そして、秀明会の教義・活動内容が明主様の真実の御教えと違っている点が多いことを知った時、

私は、最初、秀明会をやめようとは思わず、秀明会の内部から、秀明会を何とか改革できないかと思いました。

でもそれは無理でした。

秀明会にとって、そういう人が秀明会に居られると困るのです。

ある支部の助教師さんも、内側から変えていこうと努力されたそうですが、

ある日支部に行ってみると誰からも無視されるようになっていたそうです。

昨日まで仲間だった人たちに・・・。

邪神扱いされて、追い出されたわけです。

同じように追い出された人や自分からやめた人はかなりの数いるのでしょう。

私が思うには、今も秀明会に残っている信者は、秀明会はとにかく正しいと盲目的に凝り固まった人たちとそういう人に誘われてしぶしぶ秀勉などに来る信者達とで大半を占めていると思われます。」

以上が知人のメールなのですが、これと関連する記事が某サイトにあったので、紹介させてください。このような内容です。



「100篇のみ教えも実行できてないでしょう。それ以上読んでも混乱するだけだ」と秀明会の教師が言った。

どうして100篇のみ教えしか読んだ事のない人が、それ以上読むと混乱する、と断言できるのでしょうか?

み教えが100あるから、やらなければいけない事も100ある、というような発想は戒律信仰の影響が強いのでしょう。

体験的にはみ教えを沢山読めば読むほど100篇は実行できるようになっていきます。

なぜなら明主様が仰った事の理解が深まり神髄がわかり、一つ二つの急所を押さえるだけでみ教えの100篇に書かれている事の多くが自然に出来てしまう、そんな智慧がいただけるからです。


「たくさんみ教えを読んでも頭デッカチになるだけで浄霊体験(いわゆる「超奇跡」か?)がないとダメだ」と秀明会の教師が言った。

これはこの先生が「み教えに基づくだけで奇蹟が起きる」という体験をした事がないということを表していると思うんです。

浄霊して相手の病気が治るような奇跡が起きる(または浄霊布教中に起きる奇跡)、そういう奇跡しか奇跡という物はないと考えているんですね。

確かに神慈秀明会ってそういうところでした。

世界救世教での活動をみていると、み教えに従っただけで状況が変わり、問題が解決し、幸福になる、ということが多発しています。

み教えに従うだけで日常生活に奇蹟があるんです。

問題が解決できないときはみ教えに照らして自分の間違ったところを探し、それを見つけて反省しただけであっという間に奇蹟が起こり、問題が解決するということも起こるなんてことがよくあります。

これは明主様が常にお働きになり、み教えを信者一人一人の魂に定着させようとしておられるからでしょう。

そういうことが今の神慈秀明会にはほとんど無いんです。もっと変われるといいのですけどね。

http://izumo.cool.ne.jp/shuken/katsudou/200303hakone.html


[3874] [3627]の根拠 投稿者:金色のROTAX 投稿日:2008/07/06(Sun) 19:53  

[3627]の出所というはなしですが、
本部職員の人(教師ではない。助教師かルビー)が、ある拠点の助教師に話しをして、その助教師から私が話を聞きました。
私に教えてくれた人に、情報元の人のイニシャルなどを掲示板に書いていいか、メールで聞いたら、
自粛してくれと言われました。
以上のような次第で、細かい話はできません。
いずれにしても、取材源の秘匿の観点から、詳細は書きません。どうか、御了承ください。
この点については、これ以上のコメントはしません。
(3869などを投稿された方からの宮原先生についての細かい情報は大変参考になりました。大変感謝しております。ご期待に沿える回答ができず、すいませんでした。)

取材源の秘匿について(ウィキペディアの「報道の自由」より)

取材の自由と関連して取材源秘匿の権利があげられることがある。これは情報提供者に関する情報、あるいは得た情報そのものの開示を強制されれば、報道機関と情報提供者との信頼関係が崩れて正確な情報を得られなくなる恐れがあるためである。この権利がどこまで保障されるかについても議論がある。
(中略)
[編集] 問題となった事件
取材源秘匿との関連では、米国の企業が所得隠しを行っていたとされる複数社の報道に対しNHKや読売新聞、共同通信の記者に対して取材源の開示を要求した訴訟のケースでは2006年3月14日の東京地裁判決が読売の報道について取材源を秘匿すべき事情は認められないと判断した一方、NHKの報道については2005年10月11日の新潟地裁・2006年3月17日の東京高裁判決は取材源の秘匿を認め、同年10月3日最高裁判所決定で確定した。

なお、刑事事件については、民訴法とは異なり証言拒絶ができるとされる職業が限定列挙であり、報道関係者は含まれていないので、取材源の秘匿を理由に証言拒絶ができないこととなっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%96%E6%9D%90%E6%BA%90%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%8C%BF


[3873] [3627]の根拠、その他雑感 投稿者:卑怯者 投稿日:2008/07/06(Sun) 18:41  

[3627]の出所は、どこ?、あるいはだれ?なのでしょうか?
私は、伏字を使っていても、ある程度のことは分かります。たとえば、脱税事件にからんでいる○田氏が誰のことかも分かります。そんなのでもいいので、○○支部(これもイニシャルでもかまいません)の○○氏からというように出所を教えていただきたいものです。

また、うわさが飛び交うのは、秀明会の特徴ですが、いづのめ教団でも京都救世会館では、すごい噂の嵐でしたよ。(今は、私は京都を離れています)
邪神という言葉は、救世教でも教えられているわけですから、これを濫用する習慣が知らず知らずのうちに身についているのかも知れませんね。
あと、私としては認めたくないところなのですが、明主様の法による支配を嫌うというニュアンスのお言葉が、逆に、上層部の不明朗、隠蔽体質を助長してしまったのかも知れません。

だから、M原先生の失脚も、いづのめ教団での平成18年の解任劇でも(こちらは失脚した側も堂々と参拝していますが)、暗黒裁判のような秘密がただようわけですね。


[3872] Re:[3871] [3870] M原先生 投稿者:卑怯者 投稿日:2008/07/06(Sun) 17:02  

匿名さん、いつもの通りすがりさんありがとうございます。

M原先生の件は、今年の1月ごろ、[3620]以降のスレッドでも話題になっていたのですね。また、いちいち、昔書かれたコメントを自分のところに残さなくても、過去ログに残っている事もわかりました、失礼しました。


とにかく、NO2だった人のその後も、はっきりとしたことは分からず、いろんなデマが飛び交うのが、神慈秀明会の体質ですね。(ある意味、明主様ご在世中のメシヤ教以来、どこの教団でもそうなのかも知れませんが。)

[3623]あたりを見ると、香港のご神前については、M原先生のミスである可能性も高いですね。私は、主観的に、H.T先生、O.K先生よりは、M原先生の方が好感がもてるので、その主観でコメントしていたかもしれません。


[3627]をみると、小山荘吉氏の死後、M原先生と広島支部長による、自己放棄体制の撤廃の主張が通っていれば、どんなに良かっただろうと悔やまれてなりません。ここでは、彼らも信者の幸福を考えていないと批判していますが、これは厳しすぎると思います。
救世教だって、上の人達が信者の幸福を考えて発言しているケースはごく稀だと思います。組織の将来を考えて常識路線を主張するのは、立派なことだと思います。


だから、京都支部は、目標達成率が他支部に比べて悪かったのですかね?学生は学校にきちんと行かないといけないと新年座談会で主張してくださったのも宮原先生ですね。


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