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[3876] 旧信楽町有林汚職事件の裁判 投稿者:金色のROTAX 投稿日:2008/07/06(Sun) 20:06  

他の掲示板に既出のことですが、旧信楽町有林汚職事件についての裁判の進捗状況の記事がありました。
過去ログでも見れるように、引用します。


「元助役、起訴事実を認める (京都新聞 2008年7月4日(金))

旧信楽町有林汚職

滋賀県の旧信楽町(現・甲賀市)の町有林売却を巡る汚職事件で、第三者供賄と受託収賄の罪に問われた甲賀市信楽町畑、元信楽町助役服部純一郎被告(67)の初公判が4日、大津地裁(坪井祐子裁判官)であり、服部被告は「間違いありません」と、起訴事実を認めた。

冒頭陳述によると、町は1度、不動産会社への町有林の売却を断っており、検察側は「服部被告が、町長や議長らに『町有林は利用価値がない』などと進言し、売却が決定した」と指摘した。

起訴状によると、服部被告は2003年8月29日、町有林を、大津市の不動産会社に売却するよう便宜を図った謝礼として、親族の土地など(時価約5000万円)を、同社の関連会社に9000万円で購入させ、9月上旬に不動産会社社長(59)から現金1000万円を受け取った、とされる。 」


[3875] 神慈秀明会の明主様み教えに対する態度 投稿者:金色のROTAX 投稿日:2008/07/06(Sun) 20:03  

神慈秀明会の知人が、岡田茂吉師(秀明会の教祖 明主様)の教えに対する秀明会の態度について、疑問を呈するメールをくれたので、ここでのせます。
この人は、今、秀明会から距離を置いています。
本人の了解をとったので、ここで紹介します。


「私は岡田茂吉全集(明主様の御教えがすべて入っている全集)を幸いにも入手することができました。

私が秀明を離れる直前、この全集のことについてある世話人にきいたところ、

幹部のOK先生が「聖教書の100篇が実践できたら、他のも読んでいい」と言っていたそうです。

あなたは実践できてないのに読む資格はないと言いたかったのではないかと思います。

これだけ出回っていて見るなというのも酷な気はします。

おかしいなぁと思っても教団の中にいるとなぜかうまくごまかされてしまうということはよくあることです。

それは私が秀明を離れてから気づいたことです。

秀明に限りませんが、教団に長く在籍していると一生続けていくつもりでいる方も多いのではないかと思います。

私もそのつもりでした。

そして、秀明会の教義・活動内容が明主様の真実の御教えと違っている点が多いことを知った時、

私は、最初、秀明会をやめようとは思わず、秀明会の内部から、秀明会を何とか改革できないかと思いました。

でもそれは無理でした。

秀明会にとって、そういう人が秀明会に居られると困るのです。

ある支部の助教師さんも、内側から変えていこうと努力されたそうですが、

ある日支部に行ってみると誰からも無視されるようになっていたそうです。

昨日まで仲間だった人たちに・・・。

邪神扱いされて、追い出されたわけです。

同じように追い出された人や自分からやめた人はかなりの数いるのでしょう。

私が思うには、今も秀明会に残っている信者は、秀明会はとにかく正しいと盲目的に凝り固まった人たちとそういう人に誘われてしぶしぶ秀勉などに来る信者達とで大半を占めていると思われます。」

以上が知人のメールなのですが、これと関連する記事が某サイトにあったので、紹介させてください。このような内容です。



「100篇のみ教えも実行できてないでしょう。それ以上読んでも混乱するだけだ」と秀明会の教師が言った。

どうして100篇のみ教えしか読んだ事のない人が、それ以上読むと混乱する、と断言できるのでしょうか?

み教えが100あるから、やらなければいけない事も100ある、というような発想は戒律信仰の影響が強いのでしょう。

体験的にはみ教えを沢山読めば読むほど100篇は実行できるようになっていきます。

なぜなら明主様が仰った事の理解が深まり神髄がわかり、一つ二つの急所を押さえるだけでみ教えの100篇に書かれている事の多くが自然に出来てしまう、そんな智慧がいただけるからです。


「たくさんみ教えを読んでも頭デッカチになるだけで浄霊体験(いわゆる「超奇跡」か?)がないとダメだ」と秀明会の教師が言った。

これはこの先生が「み教えに基づくだけで奇蹟が起きる」という体験をした事がないということを表していると思うんです。

浄霊して相手の病気が治るような奇跡が起きる(または浄霊布教中に起きる奇跡)、そういう奇跡しか奇跡という物はないと考えているんですね。

確かに神慈秀明会ってそういうところでした。

世界救世教での活動をみていると、み教えに従っただけで状況が変わり、問題が解決し、幸福になる、ということが多発しています。

み教えに従うだけで日常生活に奇蹟があるんです。

問題が解決できないときはみ教えに照らして自分の間違ったところを探し、それを見つけて反省しただけであっという間に奇蹟が起こり、問題が解決するということも起こるなんてことがよくあります。

これは明主様が常にお働きになり、み教えを信者一人一人の魂に定着させようとしておられるからでしょう。

そういうことが今の神慈秀明会にはほとんど無いんです。もっと変われるといいのですけどね。

http://izumo.cool.ne.jp/shuken/katsudou/200303hakone.html


[3874] [3627]の根拠 投稿者:金色のROTAX 投稿日:2008/07/06(Sun) 19:53  

[3627]の出所というはなしですが、
本部職員の人(教師ではない。助教師かルビー)が、ある拠点の助教師に話しをして、その助教師から私が話を聞きました。
私に教えてくれた人に、情報元の人のイニシャルなどを掲示板に書いていいか、メールで聞いたら、
自粛してくれと言われました。
以上のような次第で、細かい話はできません。
いずれにしても、取材源の秘匿の観点から、詳細は書きません。どうか、御了承ください。
この点については、これ以上のコメントはしません。
(3869などを投稿された方からの宮原先生についての細かい情報は大変参考になりました。大変感謝しております。ご期待に沿える回答ができず、すいませんでした。)

取材源の秘匿について(ウィキペディアの「報道の自由」より)

取材の自由と関連して取材源秘匿の権利があげられることがある。これは情報提供者に関する情報、あるいは得た情報そのものの開示を強制されれば、報道機関と情報提供者との信頼関係が崩れて正確な情報を得られなくなる恐れがあるためである。この権利がどこまで保障されるかについても議論がある。
(中略)
[編集] 問題となった事件
取材源秘匿との関連では、米国の企業が所得隠しを行っていたとされる複数社の報道に対しNHKや読売新聞、共同通信の記者に対して取材源の開示を要求した訴訟のケースでは2006年3月14日の東京地裁判決が読売の報道について取材源を秘匿すべき事情は認められないと判断した一方、NHKの報道については2005年10月11日の新潟地裁・2006年3月17日の東京高裁判決は取材源の秘匿を認め、同年10月3日最高裁判所決定で確定した。

なお、刑事事件については、民訴法とは異なり証言拒絶ができるとされる職業が限定列挙であり、報道関係者は含まれていないので、取材源の秘匿を理由に証言拒絶ができないこととなっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%96%E6%9D%90%E6%BA%90%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%8C%BF


[3873] [3627]の根拠、その他雑感 投稿者:卑怯者 投稿日:2008/07/06(Sun) 18:41  

[3627]の出所は、どこ?、あるいはだれ?なのでしょうか?
私は、伏字を使っていても、ある程度のことは分かります。たとえば、脱税事件にからんでいる○田氏が誰のことかも分かります。そんなのでもいいので、○○支部(これもイニシャルでもかまいません)の○○氏からというように出所を教えていただきたいものです。

また、うわさが飛び交うのは、秀明会の特徴ですが、いづのめ教団でも京都救世会館では、すごい噂の嵐でしたよ。(今は、私は京都を離れています)
邪神という言葉は、救世教でも教えられているわけですから、これを濫用する習慣が知らず知らずのうちに身についているのかも知れませんね。
あと、私としては認めたくないところなのですが、明主様の法による支配を嫌うというニュアンスのお言葉が、逆に、上層部の不明朗、隠蔽体質を助長してしまったのかも知れません。

だから、M原先生の失脚も、いづのめ教団での平成18年の解任劇でも(こちらは失脚した側も堂々と参拝していますが)、暗黒裁判のような秘密がただようわけですね。


[3872] Re:[3871] [3870] M原先生 投稿者:卑怯者 投稿日:2008/07/06(Sun) 17:02  

匿名さん、いつもの通りすがりさんありがとうございます。

M原先生の件は、今年の1月ごろ、[3620]以降のスレッドでも話題になっていたのですね。また、いちいち、昔書かれたコメントを自分のところに残さなくても、過去ログに残っている事もわかりました、失礼しました。


とにかく、NO2だった人のその後も、はっきりとしたことは分からず、いろんなデマが飛び交うのが、神慈秀明会の体質ですね。(ある意味、明主様ご在世中のメシヤ教以来、どこの教団でもそうなのかも知れませんが。)

[3623]あたりを見ると、香港のご神前については、M原先生のミスである可能性も高いですね。私は、主観的に、H.T先生、O.K先生よりは、M原先生の方が好感がもてるので、その主観でコメントしていたかもしれません。


[3627]をみると、小山荘吉氏の死後、M原先生と広島支部長による、自己放棄体制の撤廃の主張が通っていれば、どんなに良かっただろうと悔やまれてなりません。ここでは、彼らも信者の幸福を考えていないと批判していますが、これは厳しすぎると思います。
救世教だって、上の人達が信者の幸福を考えて発言しているケースはごく稀だと思います。組織の将来を考えて常識路線を主張するのは、立派なことだと思います。


だから、京都支部は、目標達成率が他支部に比べて悪かったのですかね?学生は学校にきちんと行かないといけないと新年座談会で主張してくださったのも宮原先生ですね。


[3871] Re:[3870] [3869]M原先生 投稿者:いつもの通りすがり 投稿日:2008/07/06(Sun) 01:27  

> > M原先生は、この件で、秀明を相手に訴訟を起こされているという話を聞いたことがありますが、本当でしょうか?
> > もし本当なら、今どうなっているのでしょうか?
> はっきりとしたことが分からないのですが、裁判はM原先生方が勝ったと聞いています。

私が聞いているのは、この訴訟とは出入り禁止という措置の撤回の訴訟であり、宗教法人が1信者を出入り禁止に出来る物ではないということで、それについてはM原さんが勝ったという事です。




[3870] Re:[3869]M原先生 投稿者:匿名 投稿日:2008/07/05(Sat) 17:42  

> M原先生は、この件で、秀明を相手に訴訟を起こされているという話を聞いたことがありますが、本当でしょうか?
> もし本当なら、今どうなっているのでしょうか?
はっきりとしたことが分からないのですが、裁判はM原先生方が勝ったと聞いています。
M原先生は、今、どちらかの神社で神官をされていると聞いています


[3869] Re:[3868] [3867] [3866] M原先生 投稿者:卑怯者 投稿日:2008/07/05(Sat) 16:49  

匿名さん

詳しいご説明ありがとうございます。

> これはS水○○さんの事だと思います。小山家会主の親戚関係者の介入に反対された事がM原先生の解任を決定づけた
> S水○○さんは英二と同じく無信者で、本来はM原先生が会を小山一族経済横領社会から守ったといった考えをもつ人も多くいました

そう、このS水さんのことです。

> 小山家絶対の北朝鮮社会の中でこの事は決定的解任に至った
> 小山家に逆らったーそのことでどんなに力量ある会長代務先生も一瞬にして終わりです

小山家に異を唱える者は破滅する。
秀明にも権力争いがあったんだということを考えざるを得ない事件でした。
当時は「秀明ファミリー」といって、信者たちは家族のようになりなさい、と言われていました。
平成元年の黄島神殿竣工祭には、会主様、弘子先生、M原先生(会長代務)が、
手をつないで「神苑大建設」の歌を歌ったと聞いています。
平成4年秋のM原先生追放は、これが、単なるパフォーマンスに過ぎないことを象徴するような事件でした。

> 2、の美術館の土地問題の着服は、S水氏が着服されていて宮原先生が反対されたと聞いていましたが、どちらが本当かわかりません。

本当に分かりません。秀明を辞めて、ジェイヒーリングに移った京都支部出身のY口さんは、完全な小山家批判派でしたが、
ことM原事件については「M原先生が着服」と言っていました。
しかし、「実は、着服していたのはS水氏だ」といううわさも聞いたことがあります。


> あれ程の方を一瞬にして失脚させるのも、スターリンの冷酷さ感じます。

前にも書きましたが、M原先生が失脚の時、M原先生だけでなく、その奥さん、娘さん、全て出入り禁止になりました。
平成4年の夏、あたかも失脚直前に、M原先生のお嬢さんが貴島の練成会に参加していました。
そのとき、みんなの住所が記載された名簿を配られました。
(当時は、今のように個人情報がうるさくなかったのですね)

私は京都支部の信者ではなく、T中支部の信者でしたが、平成5年の1月頃、この失脚劇に納得のいかなかった私は、こっそり、M原先生の家の近くに行き、
近くのアパートの上階から、先生の家の動向を見張っていたことがあります。

今度の会長先生の家のようなお城ではなく、30坪ほどの質素な家でした。
(といっても、新築で、会長代務になってとうとう家を持てたかといった感じです。秀明一般からすれば贅沢に思えますが)

今度の会長先生の意味不明な大邸宅のことを考えると、いかに悪が栄える秀明かと思わずにはいられません。

また、M原先生は、突然失脚でクビになったのではなくて、一時、神事行事のトップの役に降格というクッションがありました。
そのあと、香港神殿の竣工の失敗の原因は、M原先生だということになったと記憶しています。
「会主様のご慈悲で、悪い事をしたM原先生にもチャンスをいただいた」と言われ、それで竣工に失敗した。
これって、わざと、本部のサクラになっていた誰かが、失敗するように仕組んだとはいえないでしょうか。
遠くの香港のご神前の状態って、日本の先生が細かいところまできちんと把握できるのでしょうか?
本部のサクラが嘘の報告をして、わざとM原先生に失敗させた。
そして、こんな誠のない先生を神事行事に残した会主様の慈悲と、
そのご恩をアダで返したM原先生の愚かさを強調するために、このストーリーを仕組んだとすれば、こんなおそろしいことはない。

この事件で弘子先生の会長就任が決まり、小山家世襲が確立されたという意味でも、M原先生事件は重大事件だったような気がします。

M原先生は、この件で、秀明を相手に訴訟を起こされているという話を聞いたことがありますが、本当でしょうか?
もし本当なら、今どうなっているのでしょうか?


[3868] Re:[3867] [3866] M原先生 投稿者:匿名 投稿日:2008/07/04(Fri) 16:00  

> > M原先生って飛天によく出てくる方ですよね?
>
> そうです。
>
> > どのような理由で、失脚なさったのでしょうか?
>
> 私も、ご存知の方に教えていただきたいです。
>
> 平成4年の秋でした。
> いろいろなうわさが飛び交いました。
>
> 1.F井先生と親戚関係にある人の、相談役就任に反対されたこと

これはS水○○さんの事だと思います。小山家会主の親戚関係者の介入に反対された事がM原先生の解任を決定づけた
S水○○さんは英二と同じく無信者で、本来はM原先生が会を小山一族経済横領社会から守ったといった考えをもつ人も多くいました

小山家絶対の北朝鮮社会の中でこの事は決定的解任に至った
小山家に逆らったーそのことでどんなに力量ある会長代務先生も一瞬にして終わりです

> 2.美術館の土地問題で、やくざがらみの土地があり、M原先生がその土地に関連して、着服していた。
> 3.香港の殿建設の際、ご神前のどこかの高さを間違えて、竣工を遅らせた。
> 4.M原先生の考案した神苑グループは明主様のみ教えにない
>
2,3,4,は、資格者なら皆しているようなことです。
解任したことを信者に対し正当化する為に、今まであったことを暴露しただけです。
信者でも資格者でも辞めた人は邪神だと信者に思わせなければならないのですから、M原先生ほどの人を解任させたことを正当化するために、ありとあらゆる事をいいだしたのです。事実もあればそうでないこともでっちあげる。
この場合でっちあげも本部自らつくるくらいです。
[離脱劇と同じ手口です。この手口で上の人の犠牲になった人を多くみてきました]

着服などは、常にあります。現在資格者同志隠しあって顔をあわせては微笑みあっている状態。
うるさい会主もいなくなってなお更、増殖しています

2、の美術館の土地問題の着服は、S水氏が着服されていてM原先生が反対されたと聞いていましたが、どちらが本当かわかりません。
S水氏が美術館の土地問題の橋渡しをしていたと秀明紙にもありますから清水氏が着服したと考えるのが普通です

S水氏が着服していることを信者に訴えだしたM原先生を口封じも含めて辞めさせた
そんなふうに聞いています

如何に嘘でなりたっているか実感します
あれ程の方を一瞬にして失脚させるのも、スターリンの冷酷さ感じます。


[3867] Re:[3866] M原先生 投稿者:卑怯者 投稿日:2008/07/03(Thu) 20:04  

すみません、書きたいあまり、はじめましてのごあいさつを忘れておりました。(といいますか、以前別の名前で投稿してしまったかもしれません、今後は、この名前で投稿いたします)

なおさん、はじめまして。


> M原先生って飛天によく出てくる方ですよね?

そうです。

> どのような理由で、失脚なさったのでしょうか?

私も、ご存知の方に教えていただきたいです。

平成4年の秋でした。
いろいろなうわさが飛び交いました。

1.F井先生と親戚関係にある人の、相談役就任に反対されたこと
2.美術館の土地問題で、やくざがらみの土地があり、M原先生がその土地に関連して、着服していた。
3.香港の神殿建設の際、ご神前のどこかの高さを間違えて、竣工を遅らせた。
4.M原先生の考案した神苑グループは明主様のみ教えにない

こんな風に、いろいろ言われた末、M原先生は失脚。
会主様が平成5年の新年祭で「M原」と呼び捨てした。

平成6年の離脱劇では、M原先生の名前が跡形もなく消えた。

分かっているのは、これくらいです。
会長代務が、一気に今までの間違いを糾弾される、まるで、スターリン時代のソ連ですね、下手に擁護することは許されない(それでも、あれだけの先生ですから、失脚後も、リーダーなどが、時にはM原先生の話を良い意味で引き合いに出すこともありましたが、ごく稀でした)

もっと正確な情報をご存知の方はいると思います。
よかったら教えてください。



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