神世界新聞


これまでに発行された神世界新聞

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神世界新聞 創刊号
(2009.8.1発行)
衰退の一途をたどる神世界が、なぜこの時期にこのようにバカげた新聞を発行したのかが謎だったが・・。どうやら神世界は再起を図る計画のようで、この新聞を使って以前の客に対する勧誘を再開させている。
神世界新聞 第2号
(2009.10.1発行)
2面に掲載された写真で、白い着物を着ているのがびっびとのW田M和。他のスタッフなどからは、「W田にはもう霊感はない」と囁かれていることを彼女は知っているのだろうか?
神世界新聞 第3号
(2009.12.1発行)
1面に掲載された「金龍御神体」には笑わせてもらった。教主・斉藤亨は文字を書かせても下手だが、画を描かせても小学生レベルであるようだ。神世界のことを全く知らない人にこの画を見せたところ、即座に発した言葉が、「ワッ、下手!」だった。
神世界新聞 第4号
(2010.1.1発行)
前号までは1面の千手観音図に、「教主が描いた・・」とウソのキャプションがつけられていたが、私の批判を受けて4号からはその文言は削除された。裁判で嘘つき体質が暴露されるのを警戒したのか? しかし今さら削除しても遅きに逸していると思うが。
神世界新聞 第5号
(2010.3.1発行)
(有)神世界や教主・斉藤亨などの代理人である、尾崎幸廣弁護士(菊水法律事務所)が神書に関する提灯記事を前号から書いている。書かれている内容は弁護士バッジの品位を低下させるものでしかない。
神世界新聞 第6号
(2010.5.1発行)
創刊号から前号までは1面左上に彼らが”御神体”とする千手観音図を掲載していたが、私の批判を受けて、「これはまずい」と思ったのか6号では千手観音図の掲載を取りやめ、教主が書いた「神」の文字に入れ替えられた。
神世界新聞 第7号
(2010.7.1発行)
第7号で目を引いたのは会主の名前が変わっている点だ。びびっと会主・和田美和の名前が「宮和」に変わっている(まさか誤植ではないだろう)。多くの側近に見放され、改名でもして気分を変えようとしたのか?(笑)。尾崎幸廣弁護士の神書紹介記事も笑える。尾崎弁護士はまともに神書を読んでいないことがバレバレだ。
神世界新聞 第8号
(2010.9.1発行)
第8号になってこれまでと大きく変わったのは、前号までは裏面全体に薄く印刷されていた千手観音像が無くなった点だ。私が先の記事にて、「同じ紙面に二種類の千手観音」と矛盾を指摘したことを受けて変更したようだ。宗教団体への移行を目指すらしいが、こんないい加減な団体に宗教団体の運営など不可能であることは明白だ。
神世界新聞 第9号
(2010.11.1発行)
第9号では、”神世界新聞は如何に霊験あらたかであるか”をことさら強調した記事が目立つ。自画自賛している人間を端から見ていると誠に滑稽千万にしか見えないものであるが、神世界幹部はそうした常識も持ち合わせいないのだろう。神世界の顧問弁護士のコラムはこの号でも”ぶっ飛んで”いる(笑)。
神世界新聞 第10号
(2011.1.1発行)
なんと第10号では、教主・斉藤亨が新たに教祖となり、斉藤亨の息子が二代目教主となることが宣言された。北朝鮮において、金正日(キム・ジョンイル)から三男の金正恩(キム・ジョンウン)へ権力の世襲が行われようとしているのと同じことが神世界の内部で進行しているようだ。
神世界新聞 第11号
(2011.3.1発行)
第11号が発行される約半月前に産経新聞が、「神世界・近く立件へ」と報じた件が早速記事になっている。
これまではかなり”ぶっ飛んでいた”尾崎弁護士の「私の一言」が、今回はなぜかまともなことを言ってるのも興味深い。
神世界新聞 第12号
(2011.5.1発行)
多数の神世界関係者が逮捕されたことで、神世界も新たな新聞発行は差し控えるかと思われたが、なんと性懲りもなく、逮捕後も新たな新聞を発行した。
逮捕・起訴した横浜地検関係者を愚弄する記事を平気で掲載しているが、裁判はこれからなのに、”ご愁傷様”なことである。
神世界新聞 第13号
(2011.7.1発行)
神世界関係者が次々と逮捕されていることから会員の目をそらすためか、「世界」や「海外」といった論調が増えている。裏面では、今回も前回同様、見当外れな検察批判を繰り返している。”奇跡話”は今回も花盛りだが、幹部の親族が次々と病気になっている現状ではそれも虚しい。
神世界新聞 第14号
(2011.9.1発行)
神世界教祖ら幹部4名に対して、組織犯罪処罰法違反(組織的詐欺)容疑で逮捕状が出され、教祖らは逮捕を逃れて逃亡中という、組織の存亡を決する時であるにも係わらず、神世界は予定通り新たな新聞を発行した。この神経は普通ではない。


神世界新聞 第15号
(2011.11.1発行)
教祖・斉藤亨は起訴され獄中の身でありながら、弁護士を通して冒頭の言葉を投稿してきた。11/9(水)に行われた民事訴訟の法廷で、神世界側は突然、「和解したい」という趣旨の発言を行い、自らの罪を認めたにも係わらず、11/1発行の第15号紙面では、「神世界は無実だ」という論調を続けている。
神世界被害者の新聞批判

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あのサイトに神世界新聞が

 2009年8月中旬、「神世界は新聞を発行したらしい」という話が私のところへ伝えられた。しかし具体的な資料などは何もなく、私としては、「こんな時期に神世界が新たな新聞を発行することなど考えられない」と思い、新聞発行の報告は以前に神世界が発行したチラシ類を見誤ったのではないかと思った。私が「こんな時期」と思った理由は下記5の「なぜこの時期に新聞発行?」に詳しく書いたが、現在の神世界は客が激減し、大半のサロンを閉店せざるを得ない状況となっており、新聞を発行するようなタイミングではないと思ったからだ。
 10月中旬になってから別の方からメールがあり、「以前に会主講話を公開したサイトに神世界新聞がアップされている」と教えてくれた。あの会主講話を公開した「御霊光はすばらしい」というHPはあれ以来更新される様子はなかったので私はしばらくあのページは見ていなかった。報告を受け、あわててあのサイトを見てみるとそこには神世界新聞がアップされていた。

 上記サイトにはサイト管理者の連絡先などは一切書かれておらず誰が運営しているか不明なので制作者等の了解を得てはいないが、そこからダウンロードさせてもらったのが下記の神世界新聞だ。「御霊光は素晴らしい」のサイトを作っている方がこの記事を見ておられたら、ぜひfujiyaまで連絡をいただきたい。その後、神世界新聞を持っているという人と連絡がつき、大きさなどを確認してもらったところ神世界新聞は上質紙にカラー印刷されており、大きさは273mm×405mmでA3用紙を少し小さくしたサイズとのことだ。インクジェットプリンターやレーザープリンターでパソコンから印刷したものではなく、専門業者の手で製版印刷がなされたと思われる仕上がりで、かなりの部数を作成したと思われるとのことだ。



神世界新聞創刊号(2009.8.1発行)、神世界新聞第2号(2009.10.1)を見て


1、新聞の概要
 ダウンロードした紙面をつぶさに観察してみた。神世界新聞は2009年8月1日に創刊号が発行され、2009年10月1日に第2号が発行されているので隔月で発行する予定のようだ。
 新聞の題字「神世界」は教主(斉藤亨)が書いたものだということが第2号の記事に書かれている。ある書道家が教主が書いた色紙やライセンスの文字を見て、「小学生が習字で『失敗した』と捨てる程度のもの」と酷評したことがあったが、神世界新聞の題字もその程度の文字であり、お世辞にも誉められるような文字ではない。普通なら新聞の題字に使えるようなものでは到底ないと思われるが、教主周囲の者は誰一人として「王様は裸だ」と言えない連中ばかりなのでこんな恥ずかしい文字が題字として使われることになったのだろう。
 創刊号の執筆者は教主(斉藤亨)、陽龍(日原易子)、会主(M入E実)の3名、第2号の執筆者は前記3名の他11名のスタッフや客と思われる者が創刊号を読んだ感想などを述べている。
 この新聞では神世界の実質的トップ・斉藤亨に対する呼称として「教主」という呼称が繰り返し使われている。神世界内部では数年前から教主という呼称が禁止され、「神書を書かれた方」と呼ぶように指導されてきたのだが、ここにきて再び「教主」という呼称が復活したようだ。お得意の”神様スピード”が復活したのだろう。
 裏面には神世界が御神体としている千手観音像がほぼ紙面一杯に薄色で印刷されており、その上に文章が印刷されている。ありがたみを増すためにこのような演出をしたのだろうが、御神体の上に文字を印刷するなど甚だしく神を冒涜する行為だ。神世界がやっていることは天皇陛下の写真の上に文字を印刷して出版したのと同じ行為だ。偽りの御神体であればこそ、こうした不謹慎なことが平気でできるのだろう。
 記事の内容は下記にて順次解説するが、一言で言えば”神世界は宗教団体だ”という論調であふれている。これまで散々、「神世界は宗教ではない。会社だ」と言って客の目を欺いてきたことなど太陽系のかなたへ忘れ去ったかのようだ。


2、あきらかな嘘
岡田茂吉が描いた千手観音像が
掲げられている神世界本部神殿
 神世界新聞には創刊号にも第2号にも千手観音像が誇らしげに載せてある。この千手観音像は神世界の御神体とされており、神世界本部(玉川)の神殿にも掲げられている。
 神世界新聞に掲載された千手観音像には、「教主が開教に当たり、全身全霊を込めて描かれた御神体である」ともっともらしい説明がつけられている。
 しかしこれが真っ赤な嘘であることはとっくにバレている。私は1年以上前に武装解除された千手観音と題してこの千手観音像は世界救世教教祖・岡田茂吉が描いたものであることを明らかにしている。このことはその後に公開した、盗作の中でも繰り返し説明している。
 まともな神経の持ち主であればすでにバレている嘘を再びこうして団体機関紙に載せたりするだろうか? 正常な判断力が少しでも残っていれば指摘された内容を検証し真偽を確かめようとするものだ。あの千手観音像の本当の作者が誰であるかはちょっと調べれば簡単に分かることだ。嘘と分かっていることを敢えて新聞に掲載したのは、この嘘がまだ通用する者を対象にして新聞発行が行われたことを意味している。この新聞が外部に出ることは想定しておらず、この新聞はまだ神世界を信じている者を対象に発行されたことが分かる。偽りの千手観音像のすぐ隣に「もっと大勢の人々に神様の啓示を伝えてゆきたいと思っています」というで教主の口上が掲載されているのはブラックユーモアかと思える内容だ。偽りの御神体に宿る神様の啓示など、何のありがたみもない。
 神世界はたくさんの嘘で塗り固められた団体だが、ここまで明白な嘘を平気で団体機関紙に掲載するのは常軌を逸している。巷ではオーストラリア産牛肉を国産牛肉と偽って販売するような食品偽装が相次いだが、この事例は「神世界の著作者偽装」として週刊誌に持ち込めばこれだけで記事になりそうだ。今回は神世界新聞という立派な証拠があるだけに週刊誌の記者も喜ぶだろう。神世界内部ではこれまでも同様の嘘がまかり通っていたが、今回は新聞という形で虚偽の内容が明文化されており、神世界の虚言体質を裏付ける格好の材料が得られたことになる。
神世界新聞トップの大ウソ説明
 神世界にとって最も重要である筈の”御神体(千手観音像)”に嘘がある以上、そこから発せられるとする御霊光などある筈もない。岡田茂吉が描いた千手観音像を「神世界教主が描いた」と偽り、客を誤信させる行為は法的に問題がないのか神世界側弁護士の見解が聞きたいものだ。
 普通の会社ならばここまで明白な嘘を公表しようとする動きがあれば誰かが止めるものだが、神世界にはブレーキをかける者が誰もいないようだ。ここの連中は教主が、「宇宙は地球を中心に回っている」と言えばきっとそれを鵜呑みにするのだろう。教主の周辺にたむろしている者達は正常な判断能力、間違いに対する批判精神など、人として当然持っていなければならない感覚を失っているようだ。そのような状態だからこそ御霊光などというものを信じ続けることができるのだ。


3、神世界の現状
 創刊号の冒頭、「神世界」の発行にあたってと題した文章の中で教主はこう述べている。

時節が到来して、いまここに神世界の方針をあまねく知って貰う必要があると判断し、本紙発行の運びとなったものです。今まで私が神様の啓示を教えとして伝える場合、ほんの数人の人々に伝え、浸透を図って参りましたが、これからは、神意に基づき、本紙を通し、「主」としてもっと大勢の人々に神様の啓示を伝えてゆきたいと思っています。

 教主は言葉の使い方を知らないようだ。「時節到来」というのは自らが努力した結果、取り巻く環境や外的要因が自身にとって良い方向に変化してきたときに使う言葉だ。教主は神世界を取り巻く環境を変えるために今日までどのような努力をしてきたのだ? その結果、神世界の環境、外的要因のどこが良い方向に変化したというのだ?
時節到来とは
蓮如上人御一代記聞書讃解第105条

聞書本文
時節到来といふ事、用心をもしてその上にて事の出来候ふを時節到来とはいふべし。無用心にて出来候ふを時節到来とはいはぬことなり。聴聞を心がけての上の宿善無宿善ともいふ事なり。ただ信心は聞くにきはまることなる由仰せの由に候。

現代語訳
『時節到来』と言う事は、事が成就するように心を砕いた上で得る結果についてのみ『時節到来』と言うべきだと考える。何も努力もせずにたまたま生じた結果について『時節到来』したとは言わないのである。仏法の信心についても、命がけの聴聞をした上で始めて宿善があったとか無かったと言うべきものである。信心は聴聞を重ねることによるしかないと言われる所以である。

  1. 霊感商法詐欺の疑いで警察の強制捜査を受け
  2. 客は激減し
  3. マスコミでは霊感商法と報じられ
  4. インターネット上では神世界の悪行が次々と暴露され
  5. 多くの被害者が返金請求を行い
  6. 神世界側が返金に応じないので損害賠償訴訟まで起こされ
  7. かつては全国各地に100店舗以上あったサロンはその大半が閉店せざるを得ない状態となり
  8. 神世界に関与したとして神奈川県警警視は解雇され
  9. 神世界に関与したとして北大准教授も解雇され
  10. 神世界取締役の家族は若くして癌で亡くなった

 これのどこが「時節到来」なのだ? これが御霊光をたっぷり浴びてきた結果なのか? 現在の神世界は満身創痍の状態であり、神世界に対しては逆風が吹きまくっている。神世界は今や崩壊寸前の状態であり時節到来とはほど遠い状態だ。病院で脳検査を受けた方がいいのではないか?
 教主は勝手に”時節が到来した”と判断したようだが、神世界の現状をどのように分析すればそのような結論に至るのか教えてほしいものだ。常識的に考えれば神世界を取り巻く現状は最悪の状態であり、神世界の問題点を改善することなく新聞など発行してみてもこうして批判の対象にされるか、古紙回収のゴミを増やすだけだ。
 文中、教主は「これからは本紙を通しもっと大勢の人々に神様の啓示を伝えてゆきたい」と抱負を述べているが、「時節が到来」と「大勢の人に・・」を現実的に翻訳すると、「神世界はこのままでは崩壊してしまう。なんとしても金を払ってくれる客がほしい。客集めに使うアイテム(新聞)を作ったので、これを使って客を集めてくれ。この時期を乗り切らないと神世界は潰れてしまう」ということだろう。
 教主が本当に、「時節が到来し、神世界の方針をあまねく知って貰う必要があると判断し、もっと大勢の人々に神様の啓示を伝えてゆきたい」と思ったのであれば隔月発行のこんな新聞では何の役にも立たない。教主自身が人々の前に姿を現し、自らの口で神世界の方針や神様の啓示を伝えるべきだ。かつてのオウム真理教・麻原彰晃(本名・松本智津夫)はマスコミを最大限に利用してオウムの宣伝をしていた。神世界教主もマスコミに堂々と顔を出してみろ。教主・斉藤亨が自ら顔を出さずして真の拡大などできる筈もない。自分のやっていることが正しいと確信するなら顔出しは何ら躊躇することはあるまい。


4、隠蔽体質と新聞発行のミスマッチ
 神世界という団体は極めて閉鎖的で隠蔽体質の強い団体だ。神世界が閉鎖的団体となるのはこの団体のやっていることから考えれば当然のことだ。心の弱っている人、体が弱っている人の不安に取りつき、先祖の霊の祟りや健康不安を煽って金を巻き上げるような営業をしてきた者が正々堂々と人々の前に出てくることができないのは当然だ。
 神世界が一時期勢力を大きくすることができたのは”ターゲットの絞り込み”に成功したからだ。1,000円程度の”お試し価格”で客を拾い、その客が”有効なターゲットになり得るか”を見定め、「これは行ける!」と判断すると時間をかけて言葉巧みに神書、御霊光、高額祈願へと導き高額な金を巻き上げていくのが神世界の手口だ。客から「ここは宗教なの?」と尋ねられると「いいえ宗教ではありません。会社です」と言って客を安心させ騙し続けてきた。
 こうした”神世界流”の手口で客から金を巻き上げる商法を成功させるには、”マンツーマン”もしくはそれに近い形で客の囲い込み、そして取り込みを図ることが大切であり、大勢に広く呼びかけ、「文字」という証拠が残る「新聞」という媒体は神世界商法には合わないのだ。カルトの勧誘はコッソリと人目につかないようにして「人間関係」を巧みに使って個人の心を取り込むことによって成り立つ悪行だ。
 神世界は最盛期であってもサロンの看板を上げることもせず、一部のサロンが開設していたホームページも閉鎖させるなどして世間から隠れ閉鎖的な運営をしていたにも係わらすこれだけ大きな被害を出すだけの”実績”をあげることができたのはそうした個人勧誘が功を奏した結果だ。
 新聞を出せばそれを見るのは神世界に脳を汚染された人ばかりではない。普通の判断力を備えた人が神世界新聞を見れば、「なんだこれは!?」とそのぶっ飛んだ内容に唖然とし、その新聞を持っている者を奇異な目で見るだけだ。
 繰り返すが、神世界のような怪しげな営業内容を拡大させるには”新聞”という公の媒体はそぐわないのだ(神世界新聞が不特定多数を対象にしたものであればという前提であるが)。

 似たような事例としてオウム真理教が衆議院議員総選挙で大敗した例がある。オウム真理教も個人が個人を勧誘する活動によってどんどん組織を大きくして行ったが、それに勢いづいて1990年の第39回衆議院議員総選挙に麻原彰晃(本名・松本智津夫)や教団幹部ら25名が立候補した。しかし全員が法定得票数にすら達せず惨敗した。カルトは個人をターゲットにした勢力拡大では手腕を発揮できるがカルトのバカげた理論を世間に広く流布させることなどできないことを立証した出来事だった。
 2007年12月末の神奈川県警による強制捜査とそれに続くマスコミの神世界報道によって神世界の名前は日本中に知れ渡った。「神世界」という名称が人目につくことを恐れた神世界トップはあろうことか神世界本部(山梨県甲斐市玉川18)に設置してあった自社の看板、「21世紀は神世界」から「神世界」の文字を白く塗り潰してしまった。”自分たちは悪いことをしていない”という自信があるのなら自社の看板を塗り潰すようなバカなマネは絶対にしない。自らの手で自社の看板を塗り潰した神世界の行為は自らの有罪を公に認めたのと同じだ。
 このような自殺行為をしておきながら、その後社会に対する何らの説明もないまま今になって突然新聞を発行し、神世界の宣伝を始めるなどという行為は180度方向の違う行為だ。私は今回の新聞発行の真の目的がどこにあるのか、しばらく頭をひねった。
 そうこうするうちに各地から神世界はこの新聞を下記6のようにして”活用”しているという情報が入りだした。


5、なぜこの時期に新聞発行?
 多くの宗教団体が独自の新聞を発行している。世界救世教は「光明新聞」、神慈秀明会は「秀明」、創価学会は「聖教新聞」、浄土真宗本願寺派は「宗報」、浄土真宗大谷派は「同朋(dobo)」など各団体は信者の教宣活動を目的にした新聞を発行しており発行部数は数万部に及ぶものが多い。
 神世界新聞が神世界の最盛期に発行されたのであれば発行の目的はある程度理解できる。組織の勢いが上向きの時はつい調子に乗って、「うちの教団もかなり大きくなってきた。新聞でも出して更に拡大を図ろう」等と欲を出すことはあり得る。この組織の名称が「千手観音教会」から「あっとらんどFuji」に変わった2001年当時に簡単な会報を月刊で発行したり、びびっととうきょう予定表程度の会報を発行していた時期もあるが、こうした会報を発行していた時期はこの団体が”上昇気流に乗っていた”からこそ会報発行も可能であった。びびっとの予定表を見ると「のど自慢大会」のお知らせまで載っており、浮かれぶりが垣間見える。今では考えられないことだが当時は神世界関係のHPもいくつか作られていた(今は全て閉鎖されている)。

 現在(2009年10月)神世界が経営していた大半のサロンは閉店に追い込まれ、最盛期と比較すれば客は激減している。神世界がこのように凋落の道をたどったのは”自業自得”であるが、凋落に至った原因を何ら改善することなしに新聞を発行したところで何の役にも立たないことは明らかだ。これまで一切の説明責任を果たさず沈黙を続けてきた”怪しげな団体・神世界”が発行した新聞など誰にも相手にされないことは分かりきったことだ。神世界関係者であっても神世界の現状を正しく認識していれば新聞を発行しただけで崩壊しかけている神世界を立て直すことなど到底できないことは分かるはずだ(神世界に酔い、盲目状態となっていれば別だが)。
 普通に考えると神世界がこの時期に新聞発行をした意味がなんとも理解しがたいのだが、新聞発行後の神世界側の動きを見てみると徐々に新聞発行の目的が見えてきた。


6、新聞発行の真の目的
 すでにこの神世界新聞を見せられて神世界への勧誘を受けたという報告が数件寄せられている。

証言1
 葛飾区在住のAさんは、前の会社で一緒に仕事をしていたBと偶然出会って話をしていた。そのうちBはカバンの中から神世界新聞を取り出し、「とうとう新聞を出すことにもなったから話すんだけど・・・」と言ってAに神世界の説明を始めた。話を聞いているうちにAさんはBが全ての出来事を「神様のおかげ」と捉えていることに異様な雰囲気を感じ、「危険」も感じたAさんは適当に話をはぐらかして早々にBと分かれた。
証言2
 サロンに疑問を感じ、しばらくサロンから遠ざかっていた港区のCさんところへ9月上旬、神世界関係者から電話があり、「とても大切な見てもらいたいものがあるのでサロンに来てほしい」と言われた。しかしCさんはすでに神世界に疑問を感じていたので誘いを断った。
証言3
 Cさんと同じようにサロンから遠ざかっていた千葉のDさんにもスタッフから巧みな誘いの電話があり、Dさんはサロンに出向いてしまった。すると案の定、神世界新聞を渡され、これからも続けてサロンに通うように説得された。その際、Dさんに対しスタッフは「訴訟の部分は外に出さないように注意してほしい」と言った。

弾丸報告書(新規用、リピーター用)
火の玉隊活動報告書
 教主が、「もっと大勢の人々に神様の啓示を伝えてゆきたい」と言ったところで、この新聞を一般家庭にポスティングしたり街頭で無差別に配布して神世界の布教を図るのは100%不可能だ。どんなに厚かましい神世界関係者でもそこまでバカな行動に走ることはないだろう。
 一連の動きから推測すると神世界新聞は「新聞」とは言っても外部の不特定多数の人に向けて神世界の宣伝をしたり、神世界の考えを広報しようというものではなく、この新聞はかつて神世界に通っていた人達を再び神世界に呼び戻す道具に使われたり、個人的に神世界への勧誘をする際の布教グッズとして使うことをもくろんでいる。
 かつて神世界には「弾丸」「火の玉隊」と呼ばれる勧誘部隊が存在した。この神世界新聞は現在残っているスタッフや客にこの新聞を布教グッズとして持たせ、全員を「弾丸」や「火の玉隊」として世に放とうと画策したものだろう。そのため、報道で神世界事件のことを知っている人を説得する材料として「法律解説・宗教活動がなぜ?」と題して警察の捜査や裁判に関する言い訳に紙面の多くを割いている。
 10月上旬に大手マスコミの記者が神世界関係施設を訪れ、「神世界のことを詳しく知りたいので資料があればいただきたい」と申し出たが対応した神世界関係者は記者に神世界新聞を渡すことはなかった。教主が述べている「これからは、神意に基づき、本紙を通し、『主』としてもっと大勢の人々に神様の啓示を伝えてゆきたい」という言葉が本当で、この新聞を使って広く外部に向かって広報活動をする目的があれば率先してマスコミ関係者にも新聞を渡す筈だ。そうしなかったのはこの新聞はやはり内部で密かに使用することを目的にしたものだからだ。

 神世界が神世界新聞を発行した目的は、「信者」(現存するスタッフや客)を鼓舞し、この新聞を使って客集めに信者を駆り立てようとする神世界トップの大きな思惑がある。上記証言1〜3に見られるように、すでにこの新聞を使った勧誘活動が各地で活発化していることからもそれは明らかだ。
 神世界は2007年12月末の神奈川県警による強制捜査後、表だった営業を休止し新規の客を勧誘することをは中止していたが、2009年8月1日、この新聞発行を契機に方針を転換させ、社会に対して挑戦状を突きつけた。

神世界は営業活動を再開させた



7、弁護士の責任
 神世界新聞には、「法律解説・宗教活動がなぜ?」と題した記事が大きな面積を占めて掲載されている。この記事は創刊号にも第2号にも掲載されており今後も連載されるようだ。他の記事よりもやや大きなポイントの活字を使い読みやすいように配慮されており、この新聞を発行したもう一つの目的はこの記事を信者に読ませることにあったのではないかとも思われる。
 記事は神奈川県警が神世界に対して強制捜査を行ったことへの疑問に始まり、宗教活動に警察が詐欺の容疑をかけるのは筋違いだという内容が、一問一答形式で書かれている。回答者が弁護士であるといいながら回答している弁護士の氏名は一切書かれていない。

 表題が、「宗教活動がなぜ?」となっていることにまず驚かされる。大多数の神世界被害者は「宗教活動」という言葉が唐突に現れ、何のためらいもなく宗教という言葉が繰り返し使われていることに驚くのではないだろうか。
 私は約200名以上の神世界被害者から話を聞いているが、大多数の被害者が口を揃えていうのは、被害者が神世界に通っていたとき、「ここは宗教なのでは?」という疑問を抱き、スタッフや先生と呼ばれる者に、「ここは宗教なのですか?」と尋ねたとき、決まって彼ら(彼女ら)神世界関係者は、「ここは宗教ではない。会社です」と答えていたと証言している。被害者は口を揃えて、「神世界が宗教だと分かっていたらあんなところに通いはしなかった」と言っている。

 被害者は神世界が宗教ではないという言葉を信じて通い続けていた。オウム真理教事件後、市民の宗教やカルトに対する警戒心は高まっており、ここが宗教だと分かっていたら大多数の客は通うことはなかった。神世界被害の根本には神世界が繰り返し客に言っていた、「宗教ではない」という言葉が大きなウエイトを占めていることを忘れてはならない。神世界側は市民の宗教に対する警戒心を察知していたからこそ宗教色を隠し、サロンデトックスなど、女性に警戒されない名称を盛んに用いて営業してきた事実がある。

 回答者である弁護士は神書は読んでいるのか? 神書の232ページ、「信仰は不必要」の項にはこう書かれている。

信仰とは信じて尊び心の支えにしたり生きる基準にする事で、簡単にいえば最も強く信じる事であるから最も危険である。「信じる」とは信じる必要があり信じなければ成り立たないから、信じる対象が不安定・不完全・当てにならない・あやふや・実体がわからない事を意味している。もし確実であれば信じる必要がないから信仰も不必要なのである。
(中略)
しかし現実には主な世界的大宗教のユダヤ教・キリスト教・仏教においては数千年も活動しているし、全世界では無数の宗教が活動しているのに病気と貧乏と闘争は大昔から今に至るまで継続していて、世界中のどこにも永遠の幸福者の国や地域が存在しない事実は、今までの宗教の教えが全部間違いで人類の幸福実現には無力だった事を証明している。
したがって本物の神様が地上に出現して人類の幸福を実現した時には、全世界のすべての宗教は全く不必要な存在となって完全消滅するのである。


 神書では現存する宗教や信仰を全否定しているんだぞ? 神世界は宗教や信仰とは全く違い、「神様との取引」で客は利益を得ることができると説明してきた。神様との取引には客が金を出すことが最重要であり、そうすることによって幸福が実現すると繰り返し述べている。「神様に金を払えば幸福が得られる」などという宗教が存在するはずもなく、神世界が宗教とは無縁のものであることは明白だ。
 それにも係わらず神世界新聞紙上で弁護士が回答している下記の内容はなんだ? 人をバカにしているのか?

 要するに、宗教行為は、宗教的確信に基づく限り、詐欺とは無関係なのです。(神世界新聞創刊号「宗教活動がなぜ?」問2への弁護士回答)

 こんな回答で神世界の擁護ができるとでも思っているのか? 一連の回答をしている弁護士は神世界がどのような手口で客から金を巻き上げてきたのか分かっているのか?  これまで神世界が客に対して神世界は宗教であることを明らかにした上で営業活動をしてきたのであれば「宗教行為は・・」という弁護士の回答も少しは役立つかもしれないが、客は「神世界は宗教ではない」という言葉を信じて金を出してきたのだから宗教行為は云々という講釈は的外れだ。信仰や宗教を完全否定している神世界関係者に宗教的確信などあろうはずもない。
 神世界がこのような新聞を発行し、弁護士を紙面に登場させて宗教行為は詐欺の対象にならないとする論陣を張ろうとしているのは警察や被害者の追及をかわすために宗教へ逃げ込み、保身を図ろうとしているだけだ。

 神世界が雇ってきた弁護士はこれまで何人もが途中で解任されている。それは神世界が行ってきたことを知れば知るほど神世界の行為は弁護に値せず、被害者を救済すべきだという見解に弁護士がたどり着くからだ。神世界側にその意見を出した途端に神世界は弁護士を解任したのだろう。
 企業側弁護士として神世界から金をもらっている以上は神世界の弁護をせねばならないのは分かるが、弁護士としての気概と法を守るという弁護士の本分を忘れないでほしい。
 神世界のために多くの女性が人生を狂わされてきた事実から神世界側弁護士は目をそらしてはならない。神世界は短期間に数百万円、中には1,000万円を超える金を多くの女性に支払わせ、被害者が受けた経済的、精神的損害は甚大なものがある。神世界のために生活が破綻し、友人からも家族からも見放され、社会的にも孤立している多くの被害者がいることを忘れてはならない。
 こうした被害を与え続けてきた神世界という団体を依頼人だからという理由で弁護士が全面的に擁護するのは間違いだ。このような団体が今後も存続すれば新たな被害者が発生することは目に見えている。それは結果的には弁護士が霊感商法に手を貸したのと同じことだ。次に被害に遭うのは弁護士の家族かもしれない。神世界側弁護士は、あなたの娘さんやあなたの奥さんが神世界に嵌っても「宗教行為は詐欺とは無関係」と言って安閑としていられるのか?
 宗教と霊感商法は全く別次元のものだ。神世界側弁護士として為すべきことは、神世界が行ってきたことを精査し、神世界に然るべき社会的責任を取らせた上でこの企業の解散手続に手を貸すことが企業側弁護士の責務ではないのか。

(2009.10.20)







(下記は、2010.1.28更新)

神世界新聞 第3号(2009.12.1発行)を見て

 神世界新聞は第2号までが発行された段階でこのサイトでもその内容を紹介した。当サイトで神世界新聞の陳腐さについて散々酷評したので、神世界側も恥ずかしくなって第3号の発行は見合わせるかと思っていたが、なんと性懲りもなく第3号を発行したようだ(下記)。いつの間にか前回と同じく、「御霊光はすばらしい」というHPに第3号がアップされていた。
 第3号の内容は相変わらずバカバカしい内容でしかないが、特筆すべき点が一つある。それは弁護士が実名で神書について感想を述べている点だ。

神世界新聞第3号(2009.12.1発行)

神世界新聞第3号に掲載された、尾崎幸廣弁護士の神書評

 神書を読んでまず感じるのは、偽善的な要素が全くなく、率直明朗ということである。古事記の読後感に似ている。神世界の活動に批判的な人は、その内容が不合理だとか非科学的だとか盛んに攻撃するが、そのようなことを言えば、聖書もコーランも仏典も科学的には証明できない内容に満ちているのであり、現代の科学を越えたところに宗教が成立するのである。
 神書は、無理な修行や実行不可能な戒律を不必要とし、ただ、御霊光により、健康、財産、人間関係が好転するのを体験することを勧めている。もし、効果がないと思ったら止めればよいとし、執拗なところがない。聖書を読むたびに我が身の至らなさを感じて気持ちが暗くなるのとは対照的である。
 以上が大まかな内容であるが、次号以下でさらに紹介していきたい。



 日本には「言論の自由」があるのだから、例え弁護士であろうとも思ったことを述べるのは許される行為なのだろうが、現実にこれだけ多くの神世界被害者が存在することを知りながらそれでも敢えてこうした発言をする弁護士がいることには驚きを禁じ得ない。

 尾崎幸廣弁護士(菊水法律事務所)は弁護士になる前は約30年間検事を務めてきた。検事在職中は公安調査庁に属していた時期もあり、緒方重威公安調査庁長官(1993年当時)の下で審理課長を務めていたこともある。
 周知の通り、緒方重威は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の売却を巡り、詐欺罪で起訴され現在公判中の人物だ。緒方重威は東京都内に所有する不動産を神世界に賃貸し、月数百万円に上る賃料を得ていた。

 尾崎幸廣弁護士がどのような人物かネットで検索してみるとたくさんの情報が得られる。下記は平成20年1月25日号の「國民新聞」第19131号に「年頭所感」として尾崎氏が書いている文章だ。

「國民新聞」第19131号に掲載された尾崎氏の「年頭所感」
法曹界での千早城目指す(弁護士・尾崎幸廣)

平成二十年が天皇国日本にとって、少しでも良い年になりますように。
三十年間の検事生活を終え、弁護士となって一年が経った。検事という職業は一口に言えば、生活のための職業でしかなかった。若いころは、日本がいつかまともな国になったときに、思想検事としてゾルゲや尾崎秀実のようなスパイ、思想犯と闘いたいと思っていた。しかし、その夢はついに実現しなかった。
本多勝一や大江健三郎のような戦後日本の醜悪さを体現する人物が未だに大手を振っている。本来ならば、これらの反日日本人は今の刑法でも、死者に対する名誉棄損で起訴されて当然である。
しかし、現状で検事にそれを求めるのは、幕末の旗本侍に黒船攻撃を求めるに等しい。役人や利権政治家に祖国再生の望みを託しても無駄である。あとは草莽崛起を待つしかない。
嬉しいことに、その兆しは少しずつではあるが、感じられるようになっている。私は思想検事にはなれなかったが、思想弁護士にはなりたい。
梅ヶ丘駅前の十坪足らずの事務所に菊水法律事務所と名付けた。法曹の世界での千早赤坂城を目指している。皇室と祖国のため少しでもお役に立つことが今年の、いや今後終生の念願である。



 上記を読んだだけでも尾崎氏の人間像が概略お分かりいただけると思うが、更に詳しく尾崎氏について知りたい方は下記の動画(約1時間20分)を参照していただくと尾崎氏の人物像が見えてくる。

http://circle.zoome.jp/matarihosyu/media/1627

なお上記動画は、「日本文化チャンネル桜(スカパー!217ch)で放送した内容だ。「日本文化チャンネル桜」がどのような性格の番組であるかは動画の冒頭を見ただけですぐに分かる。




(下記は、2010.2.10更新)

神世界新聞 第4号(2010.1.1発行)を見て

 神世界新聞は第1号から第3号までは隔月に発行されていたが、第4号は前号発行から1カ月後の2010年1月1日付けで発行されていた。

神世界新聞第4号(2010.1.1発行)


1、コソコソと修正
 神世界新聞第4号の内容はこれまでのものと大差なく、相変わらず荒唐無稽な内容でしかないが1〜3号とは違っている点もある。それは1面左上に毎回掲載されている千手観音図の説明文だ。1〜3号までは、「教主様が開祖にあたり、全身全霊を込めて描かれた御神体である」とキャプションがつけられていたが第4号ではそのキャプションは削除されている。
 これは私が、「あきらかな嘘」と題してこの千手観音図は世界救世教教祖・岡田茂吉が描いたものであるとこの記事中で指摘したことを受けて、あまりにもバレバレの嘘はまずいと思って変更したのだろう。
 神世界の連中は厚顔無恥な新聞を出し続けているが、批判されると慌てて態度を豹変させる小心者でもあるようだ。

 なお、この千手観音図の出所に関する詳しい内容は「盗作」で詳しく解説している。
 武装解除された千手観音の記事で紹介した、「武器を持たない千手観音図」は最近は登場しないようだが、これは千手観音図の作者である世界救世教教祖・岡田茂吉が没してから50年以上経過し、オリジナルの千手観音図の著作権が切れたため、神世界の連中はオリジナルの千手観音図を「勝手に」使用しても良いと勘違いをしているためだ。
 神世界には「有能な」(笑)弁護士がついていながら、「著作者人格権」については無知であるようで、「著作権」は没後50年で切れるが、「著作者人格権」は永久に消えない。
 「著作者人格権」というのは、作者の死後何十年経っても、その作品を使用する時は誰が作ったものであるかをどこかに表示しなければならないというものだ(著作権法60条)。
 岡田茂吉が没してから50年以上経過し著作権が切れたからといって、これを「自分が描いた」と嘘をつき、岡田茂吉の落款(サイン)である「自観」を勝手に書き換える行為は著作者人格権を侵害する行為だ。
 このような法律的問題点を突くまでもなく、他人の作品を、「教主が描いた」などと虚言を呈する行為がいかに卑しい行為であるかはいうまでもない。



2、教主からの挑戦状
 もう一つの特徴は教主の発言にこれまでとは違った挑戦的な発言が見られる点だ。
 第4号の冒頭に、”奇跡の現象”今年から顕著にと題した教主の発言(下記枠内)が載っているが、この中で教主は、「拡大」や「浸透」、「包括」、「加速」などの言葉を多用し、今年は神世界が拡大すると嘯(うそぶ)いている。
 教主のこうした挑戦的(誇大妄想的)な発言は神書にも満載であるが、いまこの時期に発行した新聞で敢えて神世界拡大を宣言したのは警察や弁護団、被害者に対する宣戦布告なのだろう。とは言ってもこんなバカげた新聞の記事を警察も弁護団もまともに取り上げることはないであろうが。

 それにしても教主の日本語はおかしい。ひょっとすると教主は日本人ではないのかと思わせるほどだ。
 教主は神世界新聞第4号の中で、「神世界は、宗教を超越した宗教であり、そうなると宗教という境界線や分類を飛び出していく事になり・・」と書いている。「宗教を超越した宗教」などというバカげた日本語があるか? 「宗教を超越した別次元のもの」ということを言いたかったのだろうが、「宗教を超越した」と言っておきながら超越したはずの「宗教」に再び舞い戻ってきたのでは全く超越などしていないではないか。
 これは現在行われている損害賠償訴訟で、「宗教ではない」という発言がやり玉に上がっているため、「神世界は普通の宗教ではない」とする防御線を張っておきたいのだろうが、こんな稚拙な日本語能力では到底勝ち目はない。


神世界新聞第4号の冒頭記事として掲載された教主の年頭挨拶
”奇跡の現象”今年から顕著に (教主)

 神世界は、宗教を超越した宗教であり、そうなると宗教という境界線や分類を飛び出していく事になり、これが御霊光の拡大や浸透に比例して、時の経過とともに宗教の枠を超え続けるのです。
 この現象は、だんだん速度を増していきます。その結果、政治や経済や教育や文化は勿論、ありとあらゆる方向に御霊光は浸透し続けて、あらゆる分野を包含していくのです。
 しかし、この現象は人智や人間力や人為的なものではなく、奇跡という神様の力を見たり開いたり体験する事によるもので、自然にそのようになっていくとしか表現できないのです。ですから、教線拡大のために、特別に布教をする必要はありません。人から人に口伝えに拡大していきます。
 この速度もだんだん増して、奇跡の現れ方も加速され、今年から特に顕著になるのです。




3、尾崎幸廣弁護士の神書解説
 神世界新聞第4号では前回に引き続き、弁護士の尾崎幸廣が神書に対する提灯記事を書いている(下記枠内)。
 尾崎弁護士もせっかく弁護士として記名記事を書くのだから、もう少し格調高く説得力のある記事を書いてほしいものだ。弁護士としてクライアントの利益を守る立場に立たねばならないのは分かるが、神書のバカげた内容をそのまま肯定するようでは今後の弁護士としての活動にも悪影響が出るのではないかと他人事ながら心配になる。
 尾崎弁護士の文章中、「共同募金箱にお金を入れる人は、自己の生活を犠牲にしない程度のお金を入れるのである」という部分には激しい怒りを感じた。生活を犠牲にさせ、被害者からあり金を搾り取ったのは誰なのだ?
 尾崎弁護士には神世界に数百万円、中には1000万円を超える金を騙し取られ、家族、夫、友人を失い、生活を破綻させた神世界被害者が全く見えていないのか? 神世界が被害者から奪い取った金は共同募金箱に入れる程度の金だったとでも言いたいのか?

 尾崎弁護士は、「まじめな気持ちで御霊光を体験すれば、必ずその効用が実感できると(神書は)説いている」と述べているが、では尾崎弁護士はその御霊光とやらを実感し、その効用を証明できるのか? 「弁護士」という肩書きで文章を書く際は、自分自身がそれを確認し、納得していなければ第三者に対して肯定的な意見を述べるのは差し控えるべきではないのか。「実感できると説いている」とすることで、「神書にはそう書いてあると解説しただけだ」と逃げるつもりかもしれないが、あなたには弁護士としての良心は微塵も残っていないのか?

 私がなぜこのような活動を続けているか神世界幹部もが理解できないようだが、尾崎弁護士もそれは同じなのだろう。
 神世界の斉藤亨は、「困っている人がいるから手を貸す」という人間として当然の行為が理解できないようだが、尾崎弁護士も見返りのない行為に人が手を貸す行為は理解不能であるようだ。
 神世界事件とは何の関係もない私がこうして神世界批判サイトを作り、被害者や弁護団、警察、マスコミなどと連携して神世界事件を解明しようとしている行為は、尾崎弁護士に言わせれば、「そもそもそんな人が現に、この世に存在するかは疑問である」ということになるのだろう。
 神世界はこれまで何人もの弁護士を取り替えてきたが、斉藤亨と考えを同じくする尾崎弁護士を得たことで、”勇気百倍”になっているのだろう。「同じ穴の狢(むじな)」という格言がぴったりする光景だ。


神世界新聞第4号に、「神書解説」として掲載された弁護士の解説
神書は超宗教 (弁護士・尾崎幸廣)

 神書は、これまでの宗教が「世のため人のために尽くせ」とか、「他人を助けるために自分を犠牲にせよ」などと敢えているのを強く批判している。
 なぜ世のため人のため尽くしてはいけないかの理由は、人は尽くしても見返りがないと不快になったり、不満が生じて不幸になるからであるという。何の見返りもなく他人に尽くし、不平不満を感じない人が仮にいたならば、その人に対しては、この理論は通用しないことになるが、そもそもそんな人が現に、この世に存在するかは疑問である。小説や芝居では、そんな人が出てくるが、少なくとも私は出会ったことはない。共同募金箱にお金を入れる人は、自己の生活を犠牲にしない程度のお金を入れるのである。
 神書は、このようにこれまでの宗教を偽善的として批判するが、特定の宗教を名指しで弾劾するようなことは一切ない。どのような宗教の信者であれ、また、無宗教の人であれ、まじめな気持ちで御霊光を体験すれば、必ずその効用が実感できると説いている。この点が他の宗教書には見られない神書の特徴であり、教えへの帰依を要求するこれまでの宗教を超え、次元の異なる宗教であるという謂われである。




2009年5月頃に行われていた工事
4、金龍水で一儲け?
 神世界新聞第4号には、2009年5月24日にヒーリグサロン告発掲示板に投稿(過去ログ4の[6301])があったえんとらんすアカサカ(竜王)で行われていたボーリング作業の「答え」が載っている。
 右記の写真のように櫓(やぐら)を立てて地中深くボーリング作業を行っていたのは温泉を掘り当てようとしていたのではなく、井戸を掘っていたようだ。
 その井戸が2009年暮れに完成し井戸水が出るようになったようで、これに金龍水という名前を付けてありがたがって飲んでいるらしい。自分の敷地内に井戸を掘って水を飲むのは勝手だが、記事の内容からすると、そのうちこの水をもっともらしい容器に入れて法外な値で信者に売りつけるのではないかと危惧される。
 なにしろ神世界はこれまでも市販のミネラルウオーターを市価の数十倍から百倍の高値で売っていた”実績”があるのだから、その可能性は十分ある。
 今後、アカサカの井戸水にはさぞかし多くの”奇跡”が創作されるのだろう。それは神慈秀明会の「奇跡の水」の再現となるのだろう。



5、神奈川県警への挑戦状
 神世界新聞第4号には、神奈川県警に対する挑発とも受け取れる文面があるのには少々驚いた。「宗教活動がなぜ?」と題した記事の末尾に次のような内容が書かれている。

 何故、今回、報道機関が悪感商法などというレッテル張りをしたのか理解に苦しみますが、神奈川県警の一部捜査員が世間を煽るため、偏見に基づいて、敢えて行った世論操作か、あるいは甚だ軽率な勇み足のいずれかだと言われても、仕方ないと思われます。

 この文章では神世界側は神世界に対する神奈川県警の強制捜査を次のように位置づけている。

1、神奈川県警の捜査員が世間を煽るために行った。
2、神奈川県警が偏見に基づいて敢えて行った世論操作。
3、神奈川県警の甚だ軽率な勇み足


 神奈川県警をここまで侮辱、嘲笑し、こけにすることがどのような結果を招くか予測できないのは愚かだ。調子に乗りすぎた者には大きなしっぺ返しが待っているだろう。

 多くの神世界被害者が損害賠償訴訟を提訴している中で、このような新聞を出し続ける神世界の姿勢は大いに批判されるべきことだが、反面、新聞に書かれた記事を通して彼らがいま何を考えているのかを伺い知ることができる側面もある。しかし記事のどこまでが本音で、どこからが虚栄かを十分吟味してかかる必要がある。





(下記は、2010.3.20更新)

神世界新聞 第5号(2010.3.1発行)を見て

神世界新聞第5号(2010.3.1発行)
 神世界新聞の第5号が2010年3月1日付けで発行されていた。原本は、これまでと同じ「御霊光はすばらしい」というHPで公開されている。
 1面の内容にはこれと言った目新しさはなく、相変わらずバカバカしい内容の羅列に過ぎない。前号から削除された千手観音図の嘘キャプション(教主が描いた・・)は今回も削除されたままだが、削除したことに関する説明は全くない。都合の悪いことには一切触れないのが彼らのやり方であることを如実に表している。
 1面の内容について敢えて言及するとすれば、尾崎幸廣弁護士書が書いている「神書紹介」という提灯記事の内容だ。
 記事の中で尾崎氏はマハトマ・ガンジーの言葉を引用する形で「病院は罪悪の根源だ」と述べている。このように言い切る以上は、尾崎氏は、病院で健康診断を受けたり、病気の治療を受けたりは一切していないのだろう(笑)。尾崎氏も年齢的には病院の世話になることが多くなる年代だけに、尾崎氏が病院に行く際には変装でもして行くのだろうか。ご愁傷様なことである。
 同じマハトマ・ガンジーの言葉を引用するのであれば、「サタンの成功が最大のものとなるのは、その口に神の名をのせて現れるときである」という言葉が神世界には最もふさわしい。
 「私は神様の媒体そのものであり、神様と一体となって使命を遂行しているから、人間的な考えは全くない」(神書P50・神様に任せよ)等と自画自賛を繰り返す教主・斉藤亨の姿をガンジーが見れば、「斉藤亨こそサタンだ!」と言うだろう。
 なお、尾崎弁護士の文章中、「私は痛く感銘した」とあるが、「痛く」は間違いだ。この場合は、「甚く感銘した」が正しい。新聞として人の目に触れる文章を出す以上は、例え執筆者が誤った原稿を書いた場合でも校正者がきちんと修正して出すべきだ。

 2面上部に掲載された、”奇跡話”の数々を見ていると、かって私の妻が嵌っていた神慈秀明会で盛んに用いられていた”おかげ話のシャワー”を彷彿とさせる。こうした奇跡話のシャワーはカルトが好んで使う典型的手法だ。
 神世界新聞第5号のおかげ話に登場している人物の氏名や、掲載された写真に写っている人物は私もよく知っている者が数名おり、彼女等がカルトの手先として都合よく使われている姿が痛々しい。
 神世界のサロンで奇跡話を書かされた人の中には、「もっと感動的に」と注文をつけられ、大げさな話に修正させられた事例も報告されている。「鼻血が出た」と、ある先生に話をしたら、先生はその話を別の客に伝えた際に、「○○さんはこないだ洗面器いっぱい鼻血がでたのよ!」という、とんでもなくオーバーな内容に修飾されて伝えられ、ただ単に鼻血を出しただけだった本人が仰天したという事例も報告されている。「みんなで作ろう神世界マニュアル」の13番目では、「拡大をする為には犯罪にならなければ何をしてもいい。奇跡体験は嘘でもいいんです」と言われていたという報告もされている。
 御霊光の効果をもっともらしく見せるために、針小棒大に話を作り替え、「奇跡」を大量生産しているのが神世界だ。
 信者達のバカげたおかげ話を羅列するより、教主・斉藤亨自らが顔出しで自分の奇跡話でも語った方がよほど説得力がある筈だが、斉藤亨の子供や彼の親族に起こった数々の悲劇を考えれば、御霊光に何ら奇跡を起こす力など存在しないことが明かであるだけに恥ずかしくて登場できないのだろう。

 2面下部にはいつもの、〈法律解説〉宗教活動がなぜ?一問一答と題した言い訳記事が掲載されている。
 前回は神奈川県警を標的に書いていたが、今回は被害対策弁護団を標的にした内容が書かれている。損害賠償訴訟が進展しないのは被害対策弁護団に問題があるように書いているが、これまでの口頭弁論を傍聴してきた者が見れば、それが全く逆であることは明白だ。のらりくらりと引き延ばしを図ってきたのは神世界側代理人ではないか。
 神世界側は、”被害対策弁護団はマスコミを利用している”、”民事訴訟を有利にするために警察権力を利用している”と批判にならない批判を展開しているが、マスコミも警察も、神世界のやっていることはどう見ても霊感商法であり、社会的にこのようなものがはびこることを許してはならないという思いがあるから神世界を糾弾する報道や捜査をしているのだ。正に、”火のないところに煙は立たない”のであり、己のやっていることを棚に上げ、全くもって反省の色が見えない神世界という団体は、完全に息の根を止める必要がある。今回の一問一答の全文(下記)は、私から被害対策弁護団に送っておいた。被害対策弁護団もこれを見れば神世界に対する闘志が倍増することだろう。
 一問一答の文章中には、「筈だ」、「筈である」、「思われる」、「一般的だ」などの用語が多用されており、この文章が如何に論拠が乏しく説得力に欠けるものであるかが分かる。
 参考までに神世界新聞第5号の一問一答を下記に掲載する。


神世界新聞第5号(平成22年3月1日発行)〈法律解説〉宗教活動がなぜ?一問一答

問1
 最近、「被害対策弁護団」なる弁護士グループが、新たに刑事告訴する方針を固めたとの報道がありましたが、今頃、何故、このような動きに出たのでしょうか。

答1
一言でいえば、「被害対策弁護団」と称する紀藤弁護士らのグループの焦りの現れだと思われます。
この弁護士グループは、平成21年5月29日付で民事訴訟を提起し、同年12月25日付で追加提訴したわけですが、これらがいずれも、その都度マスコミによって報道されているように、この弁護士グループは、何かといえばマスコミを利用しようとしますし、民事訴訟を有利にするために、敢えて警察権力をも利用しようとするのです。
 このようなパフォーマンスをよくする割には、民事訴訟の訴状の内容がお粗末で、主張に具体性を欠くため、一向に訴訟が進行しないことから、裁判所は、再三、具体的な主張を行うよう求めているのですが、紀藤弁護士は、前回の弁論期日において、愚かにも、「警察の捜査による解明をまって明らかにしたい」などと、何ら理論的な裏付けもないまま提訴に及んだばかりか、民事訴訟に警察力を利用するという禁じ手を使おうとしていることを敢えて表明しているのです。
 しかしながら、この欄で繰り返し述べているように、今回の告訴の受理と捜索差押え等は、通常ではあり得ない無理筋の捜査であり、それ故に行き詰まりの様相を呈しているわけですが、そのため、この弁護士グループは、民事訴訟の追行上の手詰まり感から焦りの色を濃くし、これを打開し、民事訴訟を有利に展開させようとの意図に加え、依頼者らに対しても、ちゃんと仕事をしていると思わせる狙いから、今回の告訴騒ぎに及んだもので、このような意図のもとにマスコミ利用というパフォーマンスに出たのだと思われます。

問2
 このような告訴は、受理されるものなのでしょうか。

答2
 本紙第2号において、「(捜索差押えの契機になった)告訴の受理そのものが差し控えられるべきだった。」旨述べ、第3号において、「告訴をする人の中には、民事的なトラブルを有利に解決する目的などの不純な動機で告訴する人がないわけではないので、警察も告訴を受理するか否か慎重に検討するのが常であり、実務的には、ほとんど不受理とされるのが実体と言っても過言ではありません」旨述べたとおり、告訴は本来、告訴人の一方的な言い分なので、捜査機関もこれを受理するか否か、慎重に対応するのが一般的です。
 以前の告訴は、神奈川県警独自の必要性から、敢えて受理した一面もあったと思われますが、その後の捜査で、皆さんの信仰心が本物であることから、犯罪性は存しないことが判明した筈であり、また、今回の追加告訴の動きに対しては、既に神奈川県警独自の必要性はなくなっておりますし、被害対策弁護団なる弁護士グループの不純な動機も白日の下に明らかとなった訳ですから、事ここに至っては、神奈川県警も民事不介入の原則に立ち返り、被害対策弁護団なる弁護士グループの魂胆に振り回されることは回避する筈ですから、これを正式受理することは躊躇する筈だと思われます。
(以下、次号)





(下記は、2010.5.7更新)

神世界新聞 第6号(2010.5.1発行)を見て

神世界新聞第6号(2010.5.1発行)

 神世界新聞の第6号が2010年5月1日付けで発行されていた。原本は、これまでと同じく、「御霊光はすばらしい」というHPで公開されている。
 第6号で大きく変わった点はこれまで1面左上に掲載されていた千手観音図の掲載を取りやめた点だ。この千手観音図については私が再三その欺瞞性を指摘していたものだが、岡田茂吉が描いた千手観音図を「教主が描いた」などと虚言を呈したり、著作者人格権を無視した掲載を続けることが裁判に不利になると彼らも判断したのかもしれない。それにしても私の指摘をよく受け入れてくれることには感心する(笑)。
 神世界新聞に掲載された千手観音図が二種類あることを指摘していただいた方があり、私も言われて初めて気づいた。それについては、「同じ紙面に二種類の千手観音」に別途掲載した。

 第6号でのもう一つの着目点は冒頭に掲載された教主の言葉だ。教主は、「神示は、発表できる事と出来ない神秘があります。その中で今、神意は各グループ独自の活動を神世界に統一することなのです。主宰神の御座所である神世界にすべての人々と団体が入り、神世界をひとつに進化発展するのです」と述べている。
 これが何を意味するものであるか、その真意は不明だが、文面通りに受けとめれば、びびっとやえんとらんす、みろく、その他分社化した小さな系列会社を神世界に統合整理しようとしているようにも受け取れる。各社とも大幅に客が減り、スタッフの給料を支払うのも大変な状態になっているので、それらを統合整理し経費削減を図ろうとしているのかもしれないので、スタッフや先生は人員整理の対象にされないように今のうちから十分ゴマを擂(す)っておく方がいいかもしれない。

 もう一つの読み方は観音会との関係を整理しようとしているようにも受け取れる。観音会は神世界の前身であり、斉藤亨の父親が昔からやっている団体だが、神世界各サロンの暴走に対して観音会が色々と口出しをしたり、神世界幹部が大挙して観音会に移籍した動きがある。このままでは神世界は観音会に勢力を奪われてしまうと危機感を抱いた斉藤亨は巻き返しを図るために各社を神世界に統合し結束を高めようとしている可能性もある。
 2面下部の「一問一答」にはそれを受けたかのように、神世界が複数の会社組織である点に無理があると述べ、更に、「宗教団体が莫大な資金を集めても、誰も霊感商法とは言わない」とまで述べていることから推測すると、神世界は系列会社を神世界に統合し宗教法人にしようとしているのかもしれない。
 今後の神世界内部の動きに注目していく必要がある。


 第6号にも尾崎幸廣弁護士が「神書紹介」の記事を寄稿している。今回は「本当の信心」と題して書いているが、その中で尾崎氏は、「神世界の人たちとの交際を通じて、私がはっきり言えることは、神世界は茶番でも「かのように」でもなく、本心からの信心によって成り立っているということである。神書が教主の懸命の努力によって誠心を込めて成ったことは、この疑り深い私にも信じることが出来る」と述べている。
 尾崎氏が神世界に傾注するのは個人の勝手であるが、多くの被害者から多額の金を奪い、被害対策弁護団が作られ、損害賠償訴訟の被告になっている神世界という団体を擁護する発言を尾崎氏が繰り返していることに驚きを禁じ得ない。神世界について何もしらない者が発言しているのならともかく、弁護士として一定の見識をもった者がこのような発言をする真意はどこにあるのだろうか。今後、裁判所が原告勝訴の裁定を下した場合、尾崎氏は自分の発言に対する責任をどのように取るつもりなのか。

 北海道大学大学院教授の櫻井義秀氏は、氏の著作である「霊と金」の中で、「(神世界に)数百万円の代価を支払わせるようなサービスを受けた顧客はいない。民法709条により被害者は損害賠償を受ける権利を有する。(62ページ)」、「(神世界は)十分に問題がある団体だといえるのではないか。ヒーリング・サロンの宗教紛いの商行為に、違法判決や行政処分が下されるまでは問題なしとする、という形式論にはほとんど意味はない。(63ページ)」と述べている。
 櫻井氏は「霊と金」を執筆するに当たり、神書を読み、多くの関係者から事情聴取もした上でこうした結論を導き出している。
 神世界についてきちんとした調査、研究をすれば、櫻井氏が述べている結論に至るのが普通であると思われるが、尾崎氏はそうではないようだ。





(下記は、2010.7.29更新)

神世界新聞 第7号(2010.7.1発行)を見て

神世界新聞第7号(2010.7.1発行)
 これまでの経過からすれば、神世界新聞の第7号は、2010年7月1日付けで発行されている筈だが、7/27になっても、いつもの「御霊光はすばらしい」というHPには公開されていなかった。神世界側もあまりのバカバカしさに新聞発行を中止したのかと思っていたら、7/28になってやっとアップされた。発行の日付けは7/1となっているので、予定通り発行されていたようで、掲載が遅れたのはこのHPを運用している者の都合だったのだろう。「御霊光は素晴らしい」の作者には私から呼びかけをしているが、未だに連絡はない。
 神世界新聞第7号の内容はいつも通り陳腐なもので、このようにバカげた新聞を作り続ける神経は全くもって理解できないが、批判材料としては使える。
 第7号1面で目を引くのは、びびっと会主・和田美和の改名だ。和田はこれまで「美和」という本名を名乗ってきたが、第7号では「宮和」となっている。和田は数年間、「箕和」と名乗っていたこともあるが、ここに来て再度「宮和」と改名したのは、よほど良くないことがあったのだろう。例えば側近が集団で離脱するなど・・。

 第7号で最も傑作なのは、尾崎幸廣弁護士が書いている「神書紹介」の記事だ。今回は「人間関係について」と題したものを載せているが、そこで尾崎弁護士が述べている内容は神書の記述とは全く違っている。
 尾崎弁護士は、「(神書は)人間関係、その中でもその中核にある家庭の円満を非常に価値の高いものとしている」と述べているが、これは尾崎弁護士が実際には神書などろくに読んでいないことを暴露したものに外ならない。
 尾崎弁護士のために神書の内容を少し紹介すると、神書では、

などと、親子や家族であっても理解したり、信じたりすることはできないものであり、自分の利益にならないと判断した場合は迅速に家族関係を解消するのが最適と述べている。これを真に受けて、離婚したり、親子関係が断絶したり、兄弟姉妹が離散した被害者がどれだけの数になるか尾崎弁護士は知っているのか? 「(神書は)家庭の円満を非常に価値の高いものとしている」という尾崎弁護士の主張は的外れも甚だしい。釈迦やキリストの教えに対する批判も一面的で誤ったものである。弁護士として依頼者の弁護に当たるのであれば、もう少しクライアントについて正しい認識を持つべきであるし、発言はもっと慎重であるべきだ。

神世界新聞第7号に掲載された尾崎弁護士の記事

神書紹介 「人間関係について」

 神書が重視するのは、健康、財産とともに人間関係である。これらは幸福の三要素であると言う。
まことに率直平明であり当然のことと思われるが、意外にもこれまでの大宗教はこのことを認めないのである。健康には冷淡であるばかりか、時には健康を害するような荒修業を要求するし、財産は無視するか軽蔑するのが大宗教の基本姿勢である。
特に人間関係については全く尊重しない。釈迦は自分の子供を桎梏〈手かせ足かせ〉と感じ、キリストに至っては、「私は平和をもたらすどころか、家庭に内輪割れをさせるために来た」などと揚言している。
 宗教に起因して家庭不和に陥る例は実に多いのであるが、その理由は、人間本来の素朴な感情を低次元のものとし、神への帰依を高級なものとする既存宗教の考え方にある。  この点、神書は人間関係、その中でもその中核にある家庭の円満を非常に価値の高いものとしている。このことが家族を通じて神世界の教えが広まっている理由であろう。

(弁護士 尾崎幸廣)


 裏面上部に掲載された、「奇跡話」(本人がそう思い込んでいるだけだが)を読むと、この人たちは人間の自然治癒力に対する知識が全くないようだ。人間の体には「免疫力」という素晴らしい能力が備わっており、体内に入った細菌やウィルス、また体内で発生したガン細胞などの異物から身を守ってくれるようになっている。言葉を変えると、人間は自分の体の中に「名医」を生まれながらにして持っているようなものだ。この免疫力は自律神経の働きと密接な係わりを持っており、本人の意思によっても免疫力は大きく変化する。「病は気から」などと言われるのは、ある意味では正しい。
 紙面に登場している者達は、こうした知識が皆無であるため、ちょっとでも病状が良い方向に変化すると、「御霊光のおかげ」と思い込んでしまい、「御礼」の餌食になっているのが痛ましい。

 裏面下部の「法律解説・宗教活動がなぜ」と題する記事は前号からの続きであるが、これを読むと、神世界は組織を統合し、宗教団体として活動することをもくろんでいるようだ。
 日本全国にいる多数の被害者を放置したまま、一体何を目標にして宗教活動を行うつもりなのだろうか。組織体制を改め、再出発するのであれば、その前になすべきことがあるはずだ。責任者が公の場で全ての過ちを認め、被害者に対する謝罪と返金を行い、法の裁きを受けた上で再出発するのであればまだしも、過去の行為にほうかむりをしたままの再出発などあり得ないことだ。







(下記は、2010.10.19更新)

神世界新聞 第8号(2010.9.1発行)を見て

神世界新聞第8号(2010.9.1発行)
 これまで神世界新聞が公開されていた、「御霊光はすばらしい」というHPが行方不明になり、制作者に何らかの心境の変化があったのかと「心配」したが、掲示板で行方を捜していたところ、ある方からメールで連絡があり、あのHPが新たなURLで再開されていることが分かった。早速アクセスしてみると、以前とほとんど同じスタイルでHPが再開されており、第8号の神世界新聞もアップされていた。「御霊光はすばらしい」の新たなURLは、http://goreikou.youpage.jp/である。


■消えた千手観音図
 2010年9月1日付けで発行された神世界新聞第8号で、前号までと最も大きく変わった点は、1号から7号まで裏面全体に薄色で印刷されていた千手観音図の掲載を止めた点だ。あのような図柄を紙面全体に刷り込むことは本文を読みにくくするだけでしかなかったし、もし仮にあの千手観音図が宗教的価値の高い御神体であった場合、御神体の上に無粋な文字を刷り込む行為は御神体に対する冒涜であった。もっとも、あの観音図は岡田茂吉が描いた物を勝手に改変したまがい物であり、宗教的価値はゼロでしかなかった。千手観音図に宗教的価値などないことを新聞作成者もよく分かっていたのであのような行為も平気で行っていたのだろう。
 この件については、「同じ紙面に二種類の千手観音」と題した指摘記事を私が公開したので、鉄面皮な彼らも変更せざるを得なくなったのだろう。


せっかくなのでもっときれいな飛行機雲の写真を用意した。左の写真は神世界新聞第8号に掲載されたもの。右は飛行機雲写真館で公開されている飛行機雲の写真。
 裏面上段に掲載された”奇跡話”は、いつも通りの取るに足らないバカげた内容でしかないが、その中でも「一枚の写真から」と題して右記の写真入りで紹介されている記事は大いに笑わせてもらえた。この雲の写真はどう見ても飛行機雲でしかなく、飛行機雲ができるのは高度約1万メートル前後の高空なので、「雲もバスと同じ方向に同じスピードで動いていくのです」というのは、「月が私についてくる」と錯覚するのと同じ現象だ。
 ある母親が自分の4歳になる娘に、「どうしてお月様はついてくるの?」と聞かれ、逆に母親が、「なんでだろうね?」と娘に質問を返したところ、「私が可愛いからついてくるんだ!」と4歳の娘は一人で納得していたという話がネット上にあったが、神世界新聞に雲の記事を投稿した者の知能程度もこの4歳児とたいして変わらないようだ。4歳児の勘違いはかわいいが、いい歳をした大人の間違いは見苦しいだけだ。
 こんな稚拙な内容の記事しか掲載するものがなかったということは、神世界新聞読者層のお粗末さがよく表れているのと同時に、新聞にこんな恥ずかしい内容の記事を掲載することに対して神世界内部で誰一人としてブレーキをかける者がいなかったという事実は、この新聞の編集がごく少数の神世界幹部によって行われていることを物語っている。
 他の”奇跡話”も単なる思い込みや錯覚を針小棒大に書いているだけでしかなく、奇跡とはほど遠いものでしかない。
 なお、参考に掲載させていただいた飛行機雲の写真は、飛行機雲写真館のものを使わせていただいた。同サイトにはきれいな飛行機雲の写真が多数掲載されているので是非ご覧いただきたい。


■「法律解説・宗教活動がなぜ?」に関する考察
 裏面下段に掲載された、「法律解説・宗教活動がなぜ?」の内容は、いつものことではあるが、今回の内容も神世界にとってきわめて都合のよい内容や虚偽に満ちあふれている。ピンク色の文字は神世界新聞に掲載された本文、黒色の文字はそれに対する私の論評だ。

●社会との軋轢
 質問者は回答者である弁護士(尾崎氏と思われる)に対して、
 前号で、教主様は、「神世界の主宰神を中心とする神業は、渦を巻きながらこれからさらに急速に拡大します」と述べておられます。
 ますます、社会との軋轢を回避する対策が必要と考えられますので、前回に続いてご助言をお願い致します。
と述べている。
 質問者は、回避しなければならない「社会との軋轢」が存在することは認めている訳だ。神世界が本当にすばらしいものであるならば、なぜ社会との軋轢など生じるのだ?社会との軋轢が生じたのは、神世界が行ってきたことが反社会的な行為であったためであり、事件によって生じた社会との軋轢を取り除くには、自ら行ってきた誤った行為の清算を行う以外に方法はない。
 間違いを犯したときには素直に反省し、迷惑をかけた人達に謝罪し、被害を与えた人達に弁済をすることが社会の常識だ。神世界が社会との間に軋轢があるのは、自らが行った行為に対する反省も謝罪も弁済もしていないからだ。常識を持った人間が当然行うべき行為を行っていない神世界が社会に受け入れられることはない。

●「誤解」という認識
 これまで述べたように、神世界グループにおいて御神業を展開する組織が有限会社とされ、かつ、複数の有限会社がそれぞれ独立して独自に御神業を展開している実体が社会的な誤解を招き、誤った霊感商法批判に繋がったのだと思われます。
 しかし、警察による捜査が終結段階に近づき、御神業が霊感商法であるという誤解も消えつつあります。

 どこが「社会的な誤解」なのだ?神世界に多額の金を出させられ、時間を奪われ、生活が破綻し、家族関係を破壊された多くの被害者がいる。神世界の言葉巧みな誘導によって正常な判断力を奪われ、多額の金を出してしまった客や、神世界スタッフとして働いていた人達も、時間の経過とともに次々と神世界の真実に気づき、勇気を出して神世界に対する損害賠償訴訟を起こしたり、神世界を刑事告訴しているのが現実だ。
 神世界の実態を知らない人が神世界を批判しているのではなく、客として、スタッフとして、責任者として神世界に深く係わっていた人達が声を揃えて神世界はインチキだと訴えているのだ。神世界の経営に加担した北大准教授は職場を追われ、神世界に情報を流していた警察官は解雇されている。神世界がやってきたことには多くの違法性があるからこそ、社会的に糾弾されているのだ。神世界とは何の関係もない私がこうして神世界を糾弾しているのは、このような団体を放置しておくことは社会的に許されないという強い思いからだ。神世界に対する社会的批判は的を射たものであり、決して誤解などではない。「火のないところに煙は立たない」ものだ。
 神世界関係者は、神世界という閉鎖集団の中でのみ大きなことを言っているのではなく、公の場で正々堂々と私に反論してみろ。神世界としてのきちんとした言い分を掲示板に投稿してきた場合は全文をそのまま掲載することを約束しよう。

●「諸般の事情」とは
 そもそも神世界は、諸般の事情により宗教法人格が取得できなかったため、宗教法人格を取得できるまでの間、便宜的に有限会社方式を採用したものであり、それも、税理士の助言を得てきちんと税金を納め、社会の一員として責任を果たすためだというものですから、決して非難されるべきものではないと理解しております。
 2002年3月に神世界を立ち上げたとき、その直前までは宗教法人にする予定で作業が行われていたが、当時は1995年に発生したオウム事件によって新興宗教に対する人々の警戒心が非常に強く、神世界を宗教法人にしたのでは人を集めることは難しいと判断した。
 また宗教法人にすると、法人が得た金を個人が勝手に使うことができないということが税理士の助言で分かり、申請直前になって有限会社として申請することに変更された。
 「宗教法人格が取得できなかったため、宗教法人格を取得できるまでの間、便宜的に有限会社方式を採用した」というのは事実ではない。宗教団体の正体を隠すために有限会社にしただけだ。

●「宗教活動の推進に資すべき浄財」で豪勢な暮らし
 ただそのために、本来は宗教組織・団体の維持発展、宗教活動の推進に資すべき浄財が、営利活動による収益とみなされ、うち相当額は税金として国庫に納付され、残余は有限会社に帰属するという矛盾が生じているのです。
 この文章をそのまま受けとめると、神世界が得た利益は税金と有限会社・神世界に帰属しており、斉藤亨など神世界幹部には渡っていないのかのように書かれている。しかし世田谷区砧(きぬた)の斉藤亨邸内部や会主と呼ばれる連中の豪勢な暮らし振りを知っている者から見れば、客からせしめた金の大半は斉藤亨を筆頭とする神世界幹部が独占していたことは明白だ。
 警察の家宅捜索によって神世界幹部の自宅金庫からは金の延べ棒が発見されたことも報じられている。
 「ここは宗教ではないのか?」という客からの度重なる質問に対して、ことごとく「宗教ではない、会社です」と答えておきながら、今になって「宗教活動の推進」等と言葉を翻すのは極めて卑怯だ。

●「宗教的確信」とは
 このような矛盾が社会的な誤解を招来し、ひいては、このまま放置したのでは会員・信者の宗教的確信を揺るがしかねないと思われるので、御神業の拡大のためには早急に改善されるべきものと考えられます。
 「神世界を有限会社としてこのまま放置したのでは、信者の宗教的確信を揺るがしかねない」と言っているが、神世界発足後つい最近まで「ここは宗教ではない、会社です」と言い続け客を騙してきたことをどのように捉えているのだ?私が行ったアンケートでも、大多数の者が「神世界が宗教であることが分かっていたら係わらなかった」と答えている。神世界自身も若い女性客を増やすためには宗教性を隠し、「ヒーリングサロン」や「デトックス」など、軽いノリで客を集めることに専念してきた。「宗教ではない」をうたい文句にして集めてきた客に宗教的確信などあろう筈もない。神世界新聞を読んだ現役客の中には、神世界のあまりの豹変ぶりに愛想をつかし神世界を離れる者も出てきている。
 神世界の神に本当に力があるのならば、有限会社か宗教法人かという器などと関係なく御神業とやらは拡大する筈だ。拡大どころか青息吐息の状態に落ちぶれた神世界の実態を見れば、神世界の神には何の力もないことは明白だ。

●「宗教組織・団体」として組織拡大できるのか?
 このような観点から、前回、「宗教的理念を同一にし、純粋に宗教的・精神的な紐帯で結ばれた宗教組織・団体としての御世界のもとに一体として御神業を展開する」というように述べられたのですか?

 そうです。 もともと御神業は、神世界を実現するという目的が一つのものであり、これからは有限会社ではなく、非営利組織・団体である宗教組織・団体として御神業を展開し、ちゃんとした実績を重ねた上で、実体に即して宗教法人格を取得すべきなのです。

 回答している弁護士は神世界がどうなろうと知ったことではないのでどんな無責任な発言も平気だ。神世界がこの先、宗教団体として組織の拡大が可能だという判断は一体どこをどうひねれば出てくるのか? 神世界がある程度の規模にまで組織を拡大できたのは、「宗教ではない」という言葉を信じた人が多かった結果だ。この団体が宗教団体だと分かっていたら大多数の客は神世界に寄りつかなかった。宗教色を隠し、ヒーリングやデトックスなどの名称を用いてきたからこそ多くの客を集めることができたのだ。散々人々を騙し、事件が発覚すると自社の看板を塗り潰し、正式な記者会見にも一切応じず、常にコソコソと逃げ回ってきた神世界が、「宗教団体」として再生できる道が残されているなどと本気で思う者は誰一人としていない。
 こんな団体がこの先、「ちゃんとした実績」など作れる筈のないことは社会的常識をわきまえた弁護士なら当然わかりきったことである筈だ。提灯(ちょうちん)持ちの発言によって日銭を稼ぐのは、落ちぶれた弁護士のすることだ。

●コバンザメ商法
 これまで、御神業の主体だった各有限会社は、どのようになりますか。

 宗教の核心は、心や魂の救済、人間の精神を豊かにし、幸福を追求することにありますから、これらを実現しょうとする、いわばソフト面の活動である御神業の主体は、宗教組織・団体としての神世界に移りますが、それ以外の物販部門や広報部門など社会的、経済的な、いわばハード面の活動は、活動内容と効率性の面から有限会社が担っても差し支えないと思われます。
 従って、ハード面においては有限会社は、財産管理などの、御神業を側面から支える活動に従事し、蓄積した資産も宗教組織としての神世界のソフト面の活動に資するように活用すべきではないかと考えております。

 宗教法人・神慈秀明会という団体がある。神慈秀明会は神世界と同じく世界救世教をルーツとした団体だが、この団体もカルト性が高く、多くの被害者を生んできた団体だ。  神慈秀明会は「豊和商事」という会社も傘下に持っており、神慈秀明会が信者に売っている本や各種宗教グッズの販売を一手に引き受けている。神慈秀明会が運営しているMIHO美術館内にあるレストランもこの豊和商事が運営している。
 神慈秀明会にコバンザメのようにぴったり寄り添い、利益を吸い上げているのが豊和商事であり、当然のことながら豊和商事は神慈秀明会会長の親族が運営している。
 神世界も「宗教法人・神世界」となった暁には、「株式会社・斎藤」などの会社を設立し、利益誘導にいそしむ目論見(もくろみ)だろう。しかしこのような問題の多い団体が宗教法人格を得られる可能性は極めて低い。もし仮に神世界が宗教法人の申請をした時には、監督官庁に私が持っているあらゆる情報を提供し、神世界の宗教法人格取得を全力で阻止する。


■尾崎弁護士の記事
 この号でも尾崎幸廣弁護士の神書に関する記事が掲載されている。相変わらずの内容でしかないが、尾崎氏の文章中に、「神世界の周囲に信者ではない人達も大勢が集い支持するという効果を生みだしている」という下りがある。これは一体何を言いたいのだろう?「神世界の周囲」とは全くもって意味不明だ。「信者でない人達もいた」というのは、「信者もいたし、信者ではない人もいた」という意味になる。神世界に「客」や「スタッフ」は存在したが「信者」がいたという認識は甚だ現実離れした認識だ。「宗教ではない、会社です」と言ってきたのに信者などいる筈もないではないか。
 「客」や「スタッフ」は信者ではないのだから今でも通っている者は必然的に「信者ではない人達」になることは当たり前だ。
 「弁護団の中には従来からの信者は一人もいない」を読解すれば、「従来からの信者はいないが新たに信者になった弁護士はいる」ということなのか? 神世界側弁護士の中にそのような者がいるとすれば、それが誰であるかは明白だ(笑)。
 「貴重な助言をしてくれる知識人にも信者ではない人達がいる」というのも意味不明だ。常識をわきまえた知識人であれば、「神世界はもういい加減バカなことはやめろ」と助言することだろう。尾崎氏は神世界が多くの被害者を出した事実をどのように捉えているのか。
 「難解なところも多いが、苦しんで理解しようと努力するよりも、実際に御霊光を受け、その効果を実感する方が良い」に至っては、到底弁護士の発言とは思えないものだ。弁護士というのは、例え難解な内容であろうともそれをつぶさに検証し、真実を解明しようと努力するのが弁護士本来の姿勢だ。思考停止を推奨するような発言をする弁護士がいることは、弁護士の品位を汚すだけだ。

神世界新聞第8号に掲載された尾崎弁護士の記事

神書紹介 「包容力について」

(前略)
 その一つの表れとして、他宗教の信者がその信仰を維持しながら御霊光を受けることを何らとがめず、むしろ奨励している。まことに、神書の内容は自信に溢れ余裕がある。
 このような態度は、神世界の周囲に信者ではない人達も大勢が集い支持するという効果を生みだしている。弁護団の中には従来からの信者は一人もいないし、貴重な助言をしてくれる知識人にも信者ではない人達がいる。
 神書はこのように包容力に富んでいる。難解なところも多いが、苦しんで理解しようと努力するよりも、実際に御霊光を受け、その効果を実感する方が良いと言うのが神書の勧めである。

(弁護士 尾崎幸廣)


■えんとらんすの経営者はどこに行った?
 神世界新聞に毎回登場する神世界幹部は、教主、日原、和田、宮入の4名だけで、えんとらんすアカサカの経営者夫妻は全く登場しない。竜王のえんとらんすアカサカは今でも客の出入りがあり、月例の祭典も行われ、活動を続けている。それにも係わらず、淺原夫妻が紙面に登場しないのはなぜなのか? 和田、宮入の両会主は繰り返し登場しているのに佐野会主は全く登場しない理由は何か? 事件発覚時にはあれだけマスコミに顔を出し、神世界の”客寄せパンダ”に利用したE2の杉本はなぜ神世界新聞に登場しないのだ?
 近々、○○されそうな者は紙面に登場させない方針なのか?







(下記は、2010.11.19更新)

神世界新聞 第9号(2010.11.1発行)を見て

神世界新聞第9号(2010.11.1発行)
 神世界新聞第9号がいつもの、「御霊光はすばらしい」というサイトに公開されていた。
 第9号の記事はこれまでとほぼ同じような内容の繰り返しで、特に目新しいものはない。強いて特徴を上げるとすれば、第9号ではこれまで以上に「神世界新聞はいかに霊験あらたかなものであるか」を自画自賛した記事が多くなっている点が目につく。誰も評価してくれないので自画自賛するしかないのだろう(笑)。
 もし仮に神世界がもう少しまともな宗教であれば、こうした機関紙には、自分たちが信ずる教えを広く社会に浸透させるために客(信者)は何をしなければならないか等、自分達と社会との関わり方について説くのが一般的だ。しかし神世界新聞にはそうした、”外部に目を向けた活動”を推し進めるための記事は皆無であり、現在の神世界新聞は、囲い込んだ客(信者)の目を神世界に釘付けにすることに躍起になっている姿勢が強くうかがえる。神世界は警察や被害者及び弁護団を敵視し、客(信者)には”奇跡のシャワー”を浴びせ続けている。こうした神世界の姿はオウム真理教が末期に見せた症状を彷彿とさせるものがあり、カルト特有の危険性を感ずる。
 神世界新聞に掲載された記事の端々から見えてくるものは、神世界が如何に世間と乖離した団体であるかという怪しさばかりであり、このような新聞を発行し続けることは自らの首を絞める愚かな行為でしかないのだが、そうした客観的判断ができないのが神世界幹部なのだろう。
 このように陳腐な新聞の内容についていちいち論評するのもバカバカしいことだが、このまま放置しておいて神世界の実態を知らない人が誤った判断をしても危険なので、第9号の記事の中から問題点を数点を取り上げて指摘してみよう。


■冒頭の3名
 第9号でも1面に登場しているのは日原、宮入、和田の3名であり、これまでと同様だ。えんとらんすやE2の経営者は創刊号から第9号まで一度も登場していない。えんとらんすが活動を続けていることは紙面でも紹介しているのだからえんとらんす経営者も一言ぐらいは発言があってもよさそうなものだが彼らは全く紙面に登場してこない。  神世界事件が発覚した当時、大勢の記者を集めてケーキまで配り、”クリスマス会見”を行ったE2の杉本も神世界新聞の紙面には一度も登場していない。杉本は損害賠償訴訟の口頭弁論にも出廷しておらず(第1回から第3回口頭弁論までは杉本は代理人を立てていなかったので本人が出廷する必要があった)、どこに雲隠れしているのだ?
 コソコソしているのは疾しいところがあるからだろうが、内容がないとはいえ、神世界の上記3名の経営者は紙面で意見を述べているのだから、えんとらんす経営者やE2経営者も一言ぐらいは意見を述べるべきだ。神世界がやっていることに整合性がないのは今に始まったことではないが、読者(信者)もたまには他の者の意見も聞いてみたいだろうから次号ではぜひ新たな経営者の声を聞かせてもらいたいものだ。
 第9号での上記3名の記事は申し合わせたかのように、「神世界新聞から御霊光が・・」といった内容の記事を載せているのが笑える。編集会議でそのような方針が申し合わされたのだろうか?
 日原は一面に掲載された「神」の文字のことを書いているが、あの場所の写真が現在の「神」になる前は岡田茂吉が描いた千手観音像だったことには一言も触れていない。宗教を標榜する団体が御神体を変更したのであればそれに対して然るべき説明があるのが普通であろうが、変更した理由があまりにも恥ずかしい理由なので沈黙しているのだろうか? 1〜7号までは裏面全面に薄く印刷されていた”武装解除された千手観音像”の絵は今回も印刷されていないが、その件についても一切の説明はない。都合の悪いことには一切触れないのが神世界流なのだろう。
 和田は御霊光のおかげでどこかの子供が良い方向に変化した話を書いているが、和田は我が子の実態を見れば、御霊光をたっぷり浴びている筈の我が子が期待した通りには全くなっていないことに大きな途惑いを感じていることだろう。あるいは「知らぬは親ばかりなり」なのだろうか?


■「神書紹介」から「私の一言」に格下げ
 神世界の顧問弁護士である尾崎幸廣弁護士はこれまで毎回、「神書紹介」と題する囲み記事を書いていたが、今回は表題が「神書紹介」から「私の一言」に変わっている。これまで尾崎氏が書いていた神書紹介もピント外れの感が強かったが、今回の内容は全くもってどうでもいいようなものでしかなく、さすがに編集者もこの文章に「神書紹介」との表題は付けることができなかったのだろう。
 尾崎氏が活け作りが苦手なのは個人の勝手であるが、弁護士ともあろう者が、「生き物を生きたまま丸呑みするような食べ方をすれば、その生き物の怨みが怨霊化してマイナス化現象が発生し、胃癌などの原因になり得る」とか、(生きたまま調理したものを食べるような人には)祟りが生じても当然と私は思う」などの意見を述べることは、弁護士という職業の品格を貶めるばかりだ。
 尾崎氏は弁護士になる前は30年間検事をしており、退職時は検事正だったというのだから、検事の常識とはこの程度のものなのかと呆れてしまう。
 中国漁船が海上保安庁の巡視艇に衝突した事件に関して尾崎氏が「元検事正」として平成22年10月25日の国民新聞に投稿した記事を読むと、尾崎氏は中国人を平気で○○人と呼称している。○○人という呼称が差別用語であるか否かは諸説あるが、弁護士バッチを付けた者が安易にこのような言葉を使うのはいかがなものかと思う。
 また尾崎氏はこの記事の中で大阪地検特捜部の前田元検事が証拠を改ざんした事件についても言及しているが、尾崎氏は事件を内部告発した検事を「悪者」扱いしている。その論法たるやこれが正義を貫く立場にいた元検事の発言かと目を疑う。その中で尾崎氏は内部告発した検事の行為を「五斗米にを曲げた」と揶揄しているが、それを言うなら「五斗米の為にを曲げた」が正しい。「五斗米の為に腰を折る ( ごとべいのためにこしをおる)」というのは僅かな金のために権力にへつらうことを言うが、神世界のような怪しげな団体の為にちょうちん記事を書く行為こそが「五斗米の為に腰を折る」行為だ。
 尾崎氏の人となりが明らかになるにつれ、この弁護士を顧問弁護士として雇った神世界と尾崎氏は誠に”お似合い”であると頷ける。


■周囲の人への感謝を忘れた愚か者
 裏面上段の記事は今回も”奇跡話”のオンパレードだ。強制捜査前にもサロン内には多数の”奇跡話”をプリントしたものが置かれていたが、後になってそれらの文章を書かされた者が証言したところでは、”他の人が見たときに感動をおぼえる内容になるまで何度も書き直しを命じられた”と述べている。カルトの”奇跡話創作方法”は手口が共通しており、些細な出来事がとんでもない奇跡話に化ける例は枚挙にいとまがない。神世界の奇跡話も、「鼻血がなかなか止まらなかった」というだけの話が、「鼻血が洗面器一杯でた」という針小棒大な内容に”創作”され、鼻血を出した当人が驚愕した例もある。洗面器一杯分も出血すれば出血多量で死亡する。奇跡話のこうした裏事情を知っている私としては、神世界新聞に書かれた奇跡話の記事が100%本人の意志で事実に基づいて書かれたとは思えない部分も多々あるが、そうした疑問はここでは置いておこう。
 今回の7点の”奇跡話”を読んで私が感じたのは、書かれているような病状改善は人間の自然治癒力から考えれば何ら不思議なことではなく、当然起こりうることだと感じた。人間の体の状態は心と密接につながっており、難聴の多くは心因性である場合も多い。北海道の女性の軽難聴が回復したのは、理解のある夫と結婚することができ、生活が安定したことで心が楽になり、それが難聴の症状改善に大きく役だった可能性がある。心理的安定が病状改善につながったとする改善例は多数報告されており、この女性が本当に感謝しなければならないのは、自分を優しく見守ってくれている家族に対してである。病状が改善した背景には、医師による治療が徐々に効果を上げてきた可能性も十分考えられる。自分を取り巻く家族や病院関係者の尽力に対する感謝を忘れ、病状が改善したのは神様のおかげと思い込んでいるのは滑稽かつ愚かなことである。


■「宗教行為がなぜ」
 神世界新聞の裏面下部には、毎回「宗教行為がなぜ?」と題した記事を掲載しているが、この表題自体がきわめて大きな欺瞞である。神世界に多くの被害者が騙されてきた背景には「ここは宗教ではない。会社です」という言葉がある。客を勧誘する際には「ヒーリングサロン」や「デトックス」などと称し、宗教色を隠して客に近づき、ある程度客がなじんでくると「霊」や「先祖」の話を持ち出した上で不安を煽り高額な金を出させてきたのが神世界商法だ。神世界の祭典に出席し、御神体に向かって深々と平伏させられたことで疑問を深めた客が「ここは宗教か?」と尋ねても、神世界関係者は平然として「ここは宗教ではない。会社です」と虚偽の説明を続けてきた事実がある。
 それにも係わらず、事件が公然化し、裁判が始まった途端にこれまでの発言を180度翻し「神世界は宗教だ」と言い始めた。
 ここまで平然と嘘をつく人間に私はこれまで会ったことがない。神世界がやってきたことへの責任追及をかわす目的で宗教の壁の中へ逃げ込もうとしているのだろうが、そのような嘘を平然とつくことに良心の呵責は感じないのか? 自分の子供にどう説明するのだ? 「嘘つきは泥棒の始まり」と子供に教えておきながら、親が大嘘をついている姿を子供が見たとき、子供が悲しむとは思わないのか?


■国語の勉強をし直せ
 私は国語の教師ではないが、日本語の極端な間違った使い方を放置できるほど寛容でもない。神世界新聞第9号裏面の「法律解説・宗教活動がなぜ?」と題した記事の中に、「石の上にも3年という言葉がありますが・・」という書き出しの質問文が掲載されている。この書き出しに続く文章を読んでいくと、そこに書かれている内容は、どう考えても最初に「石の上にも3年」という文言を述べるような内容ではない。「石の上にも3年」というのは、「冷たい石でも3年座り続けていれば温まってくるものだ」という意味があり、そこから転じて、「しんぼう強くがんばれば、やがて報われるものだ」という人生訓を述べた言葉だ。この言葉は辛い環境下にあっても自分に課せられた課題を果たすべく頑張り続けることの大切さを教える言葉であり、何も努力しないで3年間漫然と待っているような者に使う言葉ではない。
 被害者はこの3年間、辛抱強く神世界関係者が逮捕される日が来ることを待ち望み、捜査協力や損害賠償訴訟提訴、神世界に係わったことで失った職や信用を回復させるために大変な努力をしてきた。神世界関係者はこの3年間何を辛抱し、どのような環境改善に向けた努力をしてきたのだ? 神世界関係者は、「早くほとぼりが冷めて再び以前のような荒稼ぎができる日が来てほしい」と願ってきただけでしかなく、あれだけ多くの被害者を出しておきながら何ら社会的責任を果たす努力をしていない。自堕落な神世界にこの諺を使う資格はない。
 更に言えば、「石の上にも3年」というのは、人間として真っ当な道を目指すときに使う言葉であり、被害者を出すような非人間的行為の復活を願うときに使う言葉では更々ない。
 諺を使うのであれば、その意味をきちんと調べた上で正しく使わねば常識を疑われるだけだ。神世界関係者に常識を期待することが間違いだと笑われるかもしれないが敢えて苦言を呈しておく。


■宗教法人・神世界
 神世界新聞には「宗教行為がなぜ?」などというふざけた表題の記事を毎回掲載し、神世界がやってきた行為は宗教行為だが、有限会社という形態をとってきたために霊感商法という”誤解を受けた”などと抗弁している。
 このシリーズで彼らは今後の対策として、神世界の宗教行為を行う部門は宗教団体として再構築し、宗教活動にともなう現業部門では会社組織を残した形態に移行しようとしているようなことを述べている。
 このような発言は神世界がやってきたことは宗教行為だと装うためのポーズに過ぎないと思われるが、百歩譲って神世界が「正式に」宗教団体としてやっていけるものかを考えてみたい。
 神世界関係者は、また以前のような荒稼ぎができる日が来ることを首を長くして待っているのかもしれないが、神世界の手口は警察の捜査によってすでに暴かれており、今後神世界が以前のような荒稼ぎができる可能性は全くない。もし神世界が以前のような犯罪行為を再び行えば、警察は新たな証拠が得られたと喜んで関係者を検挙するだろう。警察に犯罪者集団として目をつけられた神世界が再び甘い汁を吸える可能性は全くない。
 霊感商法を行ったとして警察の強制捜査を受けた怪しげな団体が、有限会社から宗教団体へと変身の術を講じてみたところで信者を獲得できる見込みなどありはしない。もし単純に”宗教団体になれば神世界は元のような「活気」を取り戻すことができる”と思っている者がいるとしたら、それは相当脳が侵されている証拠だ。神世界のように怪しげな団体が新たな宗教団体をでっち上げたところで何一つとして人を引きつける魅力などなく、信者が集まることなどあり得ないのは自明の理だ。神世界本部に設置されていた、「21世紀は神世界」の看板を塗り潰した行為が象徴しているように神世界は消滅への道を歩んでおり、「宗教法人・神世界」は絵に描いた餅でしかない。





(下記は、2011.01.09更新)

神世界新聞 第10号(2011.01.01発行)を見て

神世界新聞第10号(2011.01.01発行)
映画「教祖誕生」予告編


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 ビートたけしが書いた、「教祖誕生」という小説がある。1993年には映画化もされたのでご覧になった方もおられるのではないだろうか。ビートたけしの「教祖誕生」は、インチキ新興宗教の内幕を面白おかしく表現するとともに霊感商法を痛烈に批判したものだが、この小説の内容を地で行くようなことが神世界で起こった。

■教祖誕生
 平成23年1月1日付けで発行された神世界新聞第10号がいつもの、「御霊光はすばらしい」というサイトに公開されていた。第10号のトップ記事は、「御啓示によって私の子が二代目教主になります。私は教祖になります。」という内容で、これまで神世界教主であった斉藤亨が新たに「教祖」となり、斉藤亨の子供が「二代目教主」になったことが書かれていた。
 ”二代目教主”に祭り上げられた子供の祖母に当たる神世界代表・日原易子も同じ紙面でこの件について次のように述べている。
 神世界9年(平成23年)1月1日をもちまして、神世界教主様が教祖様になられ、教主様御子息が第二代教主様に就かれます。教祖様は神世界実現における最高の立場において救世を行って下さいます。第二代教主様は理想世界実現の天命を持ち、この世に命を授かりました。創造者の分御魂となり、やがて永遠の幸福世界を実現されます。
 常識のある祖母であれば、かわいい孫が神世界のような怪しげな団体に利用されることには断固反対するのが普通であろうが、平気でこのような提灯記事を書いているところをみると、この祖母には孫を守る気持ちは更々ないようだ。

 斉藤亨には5人の子供がいるが、その内3人はいわゆる”連れ子”であり斉藤亨の実子ではない。自分の後を継がせるのは、実子である可能性が高いが、実子の2名は平成15年生まれと平成18年生まれであり、現在(平成23年1月)の年齢は7歳と4歳でしかない。
 斉藤亨が教祖となり、息子を二代目教主に据えた真の狙いは裁判対策であろうが、二代目神世界教主の座を勝手に押しつけられた子供の将来を思うと不憫である。
 どんな子供にも一人の人間として人格があり、人権がある。自分の子供だからと言って子供の将来を親が勝手に決めてよいものではない。社会的に大きな問題となった神世界事件はいまだ何一つとして解決していない。このような状況下で、何のためらいもなく年端もいかない我が子を神世界教主の座に据えることができる親や祖母の神経は、私には到底理解できない。

■裁判対策としての教祖誕生
 事件が明らかになるまでの神世界は、宗教色を隠すために、「ヒーリングサロン」や「デトックス」などの名称を用い、客から「ここは宗教なのか?」と聞かれたら、必ず、「ここは宗教ではない。会社です」と回答して客を騙し続けてきた。
 これまでの神世界には「教主」や「会主」などの肩書きはあったが、宗教色が極めて濃厚な「教祖」は存在していなかった。「教祖」がいたのでは神世界の実態が宗教であることは一目瞭然になってしまい、大半の客は逃げてしまうことを彼ら自身が一番よく知っていたので、「教祖」を設けることはできなかった。
 宗教色を隠して営業を続けてきた彼らの狙いは当たり、多くの女性が「宗教ではない」という言葉を信じてその毒牙にかかってきた。神世界による被害がこれだけ大きなものになった最大の理由は、神世界の巧みな「宗教隠し」にあった。

 2007年12月に神世界が警察の強制捜査を受けたのをきっかけにして、マスコミはこぞって神世界の実態をテレビ、新聞、週刊誌などで報道した。神世界商法の内情が暴露され、多くの被害者が雪崩のような勢いで神世界を離れ、警察へ被害届けを出し、弁護士が開催した「霊感商法110番」には多数の神世界被害者からの電話が殺到した。
 被害者は弁護団を通して神世界側に返金請求を行い交渉を重ねたが、神世界側の対応が極めて不誠実であったことから、2009年5月25日、東京地裁に(有)神世界等に対する損害賠償訴訟の訴状を提出し受理された。

 裁判が始まってみると、被告・神世界側代理人の口から出てきたのは、これまでの神世界の主張とは180度違った、「神世界は宗教だ。宗教行為を裁判で争うのはお門違いだ」と言った論調だった。神世界側は神世界新聞の中でも「宗教行為がなぜ?」と題して「神世界は宗教だ」との意見を盛んに述べており、損害賠償訴訟を宗教論争にすり替えて切り抜けようとしていることが明白となった。
 第9回口頭弁論(2010.9.15)に於いて、裁判所は平成23年秋には審議を終結し、平成24年早々には判決を出す予定であることが明らかになった。
 こうした裁判所の意向をにらんで今回出された「教祖宣言」は、「審議終了までに、神世界は宗教であるということを裁判所に強力にアピールしよう」として打ち出された神世界側の作戦の一つであろう。
 このような茶番劇によって裁判が有利に進むと思い込んでいる連中の思考は、”あさはら”ではなかった、”あさはか”なことである。

 神世界の実態は宗教とは全く関係なく、ただ単に金を集める目的で作られた組織でしかないことは被害実態を見れば明らかなことだ。東京地裁で原告全面勝訴の判決が出される日はそう遠くないものと思っている。
 裁判所関係者は自分が担当する事件に関するHPは閲覧しないのだろうか? もし東京地裁民事第50部関係者がこのHPを閲覧することがあれば、ぜひ事件の真相を探る手がかりとして当HPをご覧いただきたい。

■「私の一言」は裏面に
 今回も尾崎幸廣弁護士の、「私の一言」が掲載されているが、余りにもつまらない内容であるためか、これまでは第一面に掲載されていた尾崎氏の記事はとうとう第二面(裏面)に追いやられてしまった。なるほどこの内容では編集者が裏面にまわしたくなったのも無理からぬことで、私がその内容について論評するのもバカバカしいことなので、今回は無視させていただく。こんな内容では次号では掲載中止になるかも・・?

■中学教師の問題発言
 毎度のことながら、裏面には複数の”奇跡ばなし”が掲載されている。その内容はどれもこれも取るに足らないような内容でしかなく、本人の勝手な思い込みを羅列しただけのものだが、その中に掲載された沖縄県の中学教師の発言は問題視すべき内容だ。来間加津美という教師は、「神書の内容を生徒に伝えていこうという気持ちが湧いてきて」と述べている。紙面に書かれた内容からは具体的内容までは見えてこないが、「神書の内容を生徒に伝えよう」とする気持ちを持って学級運営をしている教師がいる事実を保護者が知れば大きな問題になるだろう。私は沖縄県教育委員会に対して事実関係を調査するように申し入れた依頼文を送付した(依頼文の写し)

■仕立て上げられた被害者?
 第10号での「宗教行為がなぜ?」はこれまで通り、極めて自分勝手な言い分を述べているに過ぎないが、余りにも事実とは違う内容に、これを書いた某弁護士の良識を疑う。それは、「本件についても紀藤弁護士一派は被害者なるものを仕立て上げ・・」という部分だ。彼らの言い分では、「神世界被害者なるものは実際には存在しない。神世界被害者というのは紀藤弁護士一派が仕立て上げたものだ」ということになるようだ。被害者の皆さんはこれを見てどう思われるだろうか。皆さんは紀藤弁護士一派から”仕立て上げられて”神世界被害者になったのだそうです。





(下記は、2011.03.09更新)

神世界新聞 第11号(2011.03.01発行)を見て

神世界新聞第11号(2011.03.01発行)
 平成23年2月11日(金)の産経新聞朝刊に、「神世界・近く立件へ」という記事が掲載された。しかし他の新聞社やテレビ局からはそうした報道は一切なかった。神世界事件に関する捜査は続行中であり、立件があっても別段おかしくはないが、2/11時点では、私のところにもそのような情報は入っていなかった。産経新聞社がどこから得た情報に基づいてあのような記事を出したのか不明だ。
 しかし、あの記事を見た神世界関係者はさぞかし慌てたことだろう。産経の記事を読みながら不安な表情で額を寄せ合っている神世界関係者の姿を想像するのは、なかなか愉快である。あの産経の記事によって神世界関係者は、「心の準備」ができたので、いつ”本番”が来ても慌てることなく対処できることだろう(笑)

 産経の記事が出てから約半月後、平成23年3月1日付けで発行された神世界新聞第11号では、早速その件が第二面下段の「法律解説・宗教活動がなぜ?」で取り上げられている。この欄で解説を述べている神世界側弁護士によると、2/11の産経の記事は、「産経新聞の記者が、正確な知識もないまま、それこそイメージ先行で書き上げた結果、このような曖昧で実体のないセンセーショナルな見出しと記事になったのだと思われます」と述べている。更に「産経新聞の”神世界・近く立件へ”なる見出しは、何で今更、という感を拭えない、いい加減なものです」とも述べている。
 「いい加減なもの」と揶揄される産経の記事は3/2(水)にもあった。産経新聞は大学入試で受験生がYahoo知恵袋に試験問題を投稿してカンニングをした件でも、「都内2高校生が関与。1人は外で中継。京都府警ほぼ特定」等と、事実とは全く違った記事を出した。この記事については、後日誤報であったことが判明し、産経新聞は訂正・謝罪している(歯切れの悪い謝罪記事だったが)。あの記事は携帯電話の契約者が判明したという情報と2ちゃんねるなどネット上に書き込まれた「東京の2高校生」の情報を結び付けて記事にしたらしい。京都府警幹部が「あほか、どうなっても知らんぞ」と否定したにもかかわらず担当デスクと編集長が「特ダネや!」と舞い上がって紙面化したとの話も伝えられている。産経新聞を読むときは眉に唾をつけてから読んだ方がよさそうだ。


■一面の記事
 神世界新聞第11号一面の記事を一通り読んでみたが、はっきり言って「つまらない」。なぜつまらないかと言うと、実体のない、独りよがりの思い込みしか書いてないからだ。私がこうした発言をすると、「精神世界のことを論じているのだから実体がないのは当たり前だ」と反論されるかもしれないが、それは違う。目に見えない精神世界のことだからこそ、第三者が読んだ時に少しでも理解されるように丁寧かつ慎重な説明がなされるべきなのだ。
 神世界新聞に書かれていることは、いかに我らが神様は崇高かつ霊験あらたかであるかを強調した内容になっているが、それは信じている者にのみ通用する内容であり、一般的に理解される内容ではない。
 神世界が本気で宗教団体としてやっていくつもりがあるのなら、如何にして教義を広げていくかを考えるべきだ。神書に書かれていることは理解するものではなく、無批判に信じるだけでよいとする主張は極めてカルト的であり、多くの人に受け入れられるものではない。世の中の大多数の人間は、すでに神世界に飲み込まれてしまい視野狭窄に陥った哀れな人間とは違う。

 「すべて予定通り」と題して日原易子が書いている内容は”後出しジャンケン”でしかない。最盛期と比較して大幅に規模を縮小せざるを得ない状態となった神世界の実態を見れば、到底これが「予定通り」とは誰も思わない。それともこのような凋落の道をたどることも予め予定されていたことだったのか?
 宮入英實は神様の奇跡によって救われた話を書いているが、本当に御霊光に奇跡を起こす力があるのなら、御霊光に非常に近い位置にいた神世界関係者の親族が38才の若さで急逝した事実をどのように説明するのか。更に言えば、教祖の子供にはなぜ御霊光の力が及ばないのか(こう書いても意味が分からない神世界関係者の方が多いであろうが)。

 人間には持って生まれた自然治癒力があり、大抵の病気は自然に回復することが知られている。私自身もこれまでそうした経験を何度もしてきたし、私の友人も、くも膜下出血で倒れ、一時は再起不能かと思われたが手術後、奇跡的な回復力を見せ、現在では現職復帰を果たし何の障害もなく活躍している。
 神世界新聞に書かれているような、”神世界が奇跡と呼ぶもの”は世間では日常茶飯事に起きていることに過ぎない。人間がこの世に生を受け、生きていること自体が大きな奇跡であることの認識がないから些細なことを奇跡だと騒ぎ立てることになる。神世界関係者は当たり前のことを勝手に”御霊光のおかげ”と吹聴しているに過ぎない。視野狭窄の極みが神世界新聞にはあふれていると言える。
 病気が回復した事例など、都合のよい事例は大々的に脚光を浴びせて針小棒大に騒ぎ立て、親族が亡くなった事例など、都合の悪い事例はひた隠しにするのが神世界流だ。世間ではそういうのをご都合主義という。神世界新聞にあふれているのは上記視野狭窄と自分たちに都合のよいことだけを吹聴するご都合主義の記事ばかりだ。このような恥ずかしい内容の新聞を出し続け、自らの団体がどれだけ世間の常識からかけ離れた存在であるかをアピールし続けるのは自殺行為でしかなく、それに気づかないのは誠に哀れである。

 神世界は、強制捜査前までは「ここは宗教ではない。会社です」と言い続けてきたが、損害賠償訴訟が始まった途端に、「神世界は宗教だ」と態度を180度豹変させた。これは、”宗教の問題は裁判にはなじまない”として逃げるつもりなのだろうが、そのように都合のよい解釈がまかり通るほど世間や裁判所は甘くない。百歩譲って、「過去にはそのように言ってきたが、これからは神世界は宗教団体になるのだ」と言うのであれば、まだ理解はできる。ただし、その場合でも過去の清算をきちんと行った上で宗教団体への移行を行うべきであり、過去の清算もまともにできないような者が宗教団体を名乗るなど厚かましいにも程がある。
 神世界が宗教団体を装えば装うほど宗教団体らしからぬ面が多々露呈してくる。思いつきとその場しのぎの方策で自転車操業してきたのが神世界だ。付け焼き刃はすぐに刃が欠ける。もうそろそろバカげた宗教ごっこは止めて、年貢の納め時が来ていることを悟るべきなのではないか。


■二面の記事
 二面(裏面)上段に書かれているのは、いつもながらの”奇跡話”の羅列だ。これらの”奇跡話”は、今なお神世界に通っている者達は如何に視野狭窄と医学知識不足に陥った者ばかりであるかを晒すだけのものでしかない。編集者によって内容が脚色され、客達が語った話を針小棒大な内容にして掲載しているのかもしれないが、もしそうではなく、投稿した者が本当にこの通りの内容を述べたのだとしたら、投稿者は直ちに精神科の医師に診てもらった方がいい。本当にこのように思い込んでいるとすれば、本人とその家族を不幸にするだけだ。
 こうした奇跡話のオンパレードはどこのカルトでも見られることだが、こうした現象を見せつけられる度にカルト被害が日本中に蔓延していることを思い知らされる。

 二面の記事で興味深いのは尾崎幸廣弁護士の投稿記事だ。私はこれまで神世界新聞に尾崎氏が投稿した記事を酷評してきたが、今回の尾崎氏の投稿はこれまでとは違い、かなりまともな事を言っているので驚いた。
 「悪に立ち向かう」と題して書かれた今回の記事(下記枠内)は、あたかも神世界被害者に、「泣き寝入りするな。戦えば悪(神世界)は退散する。被害者は強くなって神世界と戦うことが大切だ。諦めてしまい、戦いを止めることは結果的に悪(神世界)の味方をすることになる」と言っているように見える。
 この尾崎氏の文章に近い内容は神書の184ページにも書かれている。「ならぬ堪忍」はするなという項がそれだ。私の「神書批判」の中でも、この項だけはプラス評価をしている。
 神書の「ならぬ堪忍」に感化されて尾崎氏はこのような文章を書いたのか、それとも、つい本音が出てしまったのだろうか。尾崎氏のこの文章が教祖の逆鱗に触れ、神世界顧問弁護士の職を解雇されそうになったときは、「神書の184ページに書いてあることを述べただけです」と言い訳をすれば、「それなら仕方がない」として首がつながるかもしれない。他人事ながら少し心配になったので私からのアドバイスだ(笑)


神世界新聞第11号に掲載された尾崎弁護士の記事

私の一言 「悪に立ち向かう」
 戦後の我が国で特徴的なことは、悪に対する無気力な負け犬意識である。理不尽なことをされても、いつかは相手も自分の非に気付いてくれるだろうと自らを慰めて泣き寝入りする。しかし、相手はかさにかかってますます攻撃を強める。個人間でも国家間でもその繰り返しで今日まで来た。
 社会問題になっているいじめもその一つで、いじめる者が悪いのは当然であるが、いじめられる方にも問題がある。どうして抵抗しないのか。戦えばほとんどの場合相手は退散する。戦う気迫を示すだけでいじめは止む。それなのに忍耐するからますますひどい状態になるのである。
 善人は強くならなければならない。悪に屈するならば結果的には悪の味方をすることになる。私は、検事時代、気弱な善人が悪に屈し不幸な日に遭う事件を多数見てきた。悪を処罰しても不幸が完全に回復することはあり得ない。邪悪な意図に基づく攻撃には決して妥協せずに断固対決しなければならない。それが善人の務めである。

(弁護士 尾崎幸廣)




神書P184、「ならぬ堪忍」はするな
 昔から「ならぬ堪忍するが堪忍」といって、とにかく我慢・忍耐という教育を根本とし美徳としたがこれは征服者の奴隷に対する教育なのである。  理不尽な事により自分の生命や財産を侵害されても「堪忍しろ」「我慢しろ」というのは、「何に対しても無抵抗でいろ」という事であり、結果的にはマイナスの要素を作ってしまう事になる。したがって苦しむ事自体がマイナスであるため、理不尽な事に対しては決して泣き寝入りや忍耐・堪忍・我慢をしてはいけないのである。苦しんでいる者や弱い者が悪い人間という事になってしまうので、神様の御霊光により自分自身の運を良くして幸福であれば堪忍の必要がなくなるから、良い人であり善人という結果になる訳である。






(下記は、2011.05.19更新)

神世界新聞 第12号(2011.05.01発行)を見て

神世界新聞第12号(2011.05.01発行)
 神世界事件は、2011年3月10日(木)、大きな節目を迎えた。3月10日から始まった神世界関係者の逮捕は、これまで延べ11名の神世界関係者が逮捕され、元E2経営者の杉本明枝は3度にわたって起訴された。捜査はその後も続けられており、他の系列サロン関係者が逮捕される日も、それほど遠くなさそうだ。
 こうした、”お家の一大事”を迎えた神世界が、5/1に発行予定の新聞を予定通り発行するか否かに、私は大きな関心を持っていた。しかし、いつまで経っても、いつもの「御霊光はすばらしい」のHPに新たな新聞はアップされなかった。
 他のルートからも神世界新聞第12号発行の情報はなく、多数の関係者が逮捕された事態を受け、あの厚かましい神世界も今回ばかりは恥ずかしくなって新聞発行を取りやめたのかと私は考えた。
 もう一つの可能性は、3月11日に発生した東日本大震災によって、「御霊光は素晴らしい」のサイト主宰者が被災し、HPの更新が不可能になったのかもしれないとも考えられた。実は大きな被害があった仙台には、営業を続けている神世界の”隠れサロン”があった。  あるいは、「御霊光はすばらしい」のサイト主宰者が”目覚め”、サイトの更新をする意欲を失ったのかもしれないとも考えた。
 何とか確認したいと思い、掲示板に5/1号(第12号)の新聞発行に関する情報提供を呼びかけたところ、ある方から、「第12号の新聞は発行されていますよ」と連絡があった。なんと私の予測に反して、この期に及んでも、まだ神世界新聞は発行されていたのだ。情報を提供してくれた方にお願いしたところ、携帯電話のカメラで撮影した紙面の画像を送っていただくことができた。携帯電話のカメラなので画質はあまりよくないが、文字を読み取ることは可能だった。

2011年6月15日追記。その後、6月中旬に「御霊光はすばらしい」のページを確認すると、第12号の新聞がアップされていたので、改めてそちらから紙面をダウンロードさせてもらった。

■検察批判
 神世界新聞・第12号の内容は、全体としてはいつものつまらない内容の繰り返しになっている部分が多いが、逮捕を受けた直後だけに、「信義に悖る違法・不法な権力の行使」と題して、今回の神世界関係者逮捕に言及している部分には大いに興味をひかれた。まず最初にその部分を文字起こししたのでご覧いただきたい。

【神世界新聞第12号(2011年5月1日発行)裏面の記事】

信義に悖る違法・不法な権力の行使

 周知のとおり、神奈川県警と横浜地検が関係者を詐欺により逮捕勾留し、起訴しました。一連の事態をどのように理解すればいいのでしょうか。弁護士の先生にお尋ねしました。

 今回の事態は、横浜地検の現特別刑事部長(以下、「現特別刑事部長」といいます。)と主任検事が主導して展開し、経験の浅い未熟な応援検事が追随したと言われていますが一言で言えば、検事の質の低下、劣化が今回の事態を招いたものと言えます。
 検事の質の低下や劣化は、昨年、世の中を騒がせた大阪地検の村木事件における証拠ねつ造事件に典型的に現れていますが、要は、警察の捜査をチェックし、事案の真相を解明するという検察の本分を忘れ、個人的な功名心や出世欲に駆られて事案の実体を見誤り、平然と恣意的に権力を行使するものがいるとことであって、現特別刑事部長主任検事も大阪地検の証拠ねつ造検事らと同じレベルと考えざるを得ません。
 昨年3月に転出した横浜地検の前特別刑事部長(以下、「前特別刑事部長」といいます。)は、一連の事件が、いずれも同一の神様を信ずる者同士の間で、従って、行為者は信ずるままに発言し、相手方も同様の認識のもとにこれを受け入れているのですから、騙したとか騙されたという関係にならない宗教行為として行われたものであることから詐欺罪は成立しないこと、捜査の端緒は紀藤弁護士一派が民事事件を有利にするために行った不純な動機に基づく告訴であることなどの事情が認められるとして、在宅の告訴事件として送付させ、不起訴とする方針に決定し、その旨弁護士に明言した上、関係者の事情聴取に協力するように要請し、弁護人もこの約束を信じて、関係者を出頭させて事情聴取に応じ、また、神奈川県警も告訴事実に直結する証拠品以外は全て還付しているのです。
 これらの点について、現特別刑事部長らは、前特別刑事部長から引き継ぎを受けているにもかかわらず、敢えてこれを無視し、弁護人との約束を反故にしたばかりか、卑劣にも犯罪にならない事案で逮捕勾留の上、起訴してしまったのです。
 これは、たまたま神奈川県警の現職の警視がかかわっていると言うことでマスコミが大きく取り上げたため、現特別刑事部長や主任検事は、いかにも大事件だと錯覚し、これを起訴して手柄を上げようなどと言う功名心や出世欲に駆られ、恣意的に権力を行使したとしか考えられないものです。
 これでは、不当に逮捕勾留や起訴された関係者が気の毒でなりません。
 逮捕勾留された関係者の中には、担当の検事に対し、前特別刑事部長弁護人との約束を持ち出して詰った者もいるそうですが、驚いたことに、担当検事は、「死んじゃったからね。死人に口なしで、証拠がないからね。」などとうそぶいていたとのことです。
 確かに、前特別刑事部長は転出先で急死したようですが、現特別刑事部長や主任検事らは、功名心や出世欲に駆られ、前任者の死を冒涜し、法曹としてあるまじき信義に悖る違法・不法は権力行使を敢えて行っているのであって、法的責任は免れないと思われます。
 ちなみに、弁護人の手元には、前特別刑事部長との約束を裏付ける確実な資料が存在すると聞いておりますので、現特別刑事部長や主任検事らに対する法的責任の追及は、是非とも検討されるべきだと思われます。
 いずれにしても、弁護団は、公判で主任検事の浅薄な事実認識と違法捜査が白日の下に晒され、事案の真相が明らかとなって無罪が言い渡されるものと確信しているとのことです。

以上


 「開いた口が塞がらない」とは、こういうことを言うのだろう。神世界側には、関係者が逮捕された事実を真摯に受けとめようとする姿勢は微塵も見られず、「横浜地検が神世界関係者を起訴したのは、現横浜地検特別刑事部長らの個人的な功名心や出世欲に駆られた行為だ」とする、見当違いな検察批判によって言い逃れようとしている。
 文章中に出てくる、「前特別刑事部長」とは、2010年4月1日に横浜地検から広島地検に異動になったK見氏のことを指している。K見氏は、異動になった直後の2010年4月21日に急逝した。K見氏の後任として2010年4月1日から横浜地検特別刑事部長になったのがK澤氏だ。「現特別刑事部長」とはK澤氏のことを指している。
 神世界新聞第12号の記事では、あたかもK見氏と神世界側弁護士との間に「密約」があったかのごとく書き立てているが、その行為こそが、正に「死人に口なし」を地で行く行為であり、死者を冒涜する行為だ。
 検察による捜査がまだ十分に行われていない段階で、「前特別刑事部長」が被告側弁護士と密約を交わすような事実があったとすれば、それこそ検察の重大な不祥事であり、非常に大きな問題だ。K見氏の名誉のために敢えて言及するが、K見氏はそのような卑劣なことをする人物ではない。
 関係者が逮捕されるまでの神世界新聞では、検察が「不起訴」と判断した場合であっても、検察審査会によって「起訴相当」とされることを危惧する内容は書かれていたが、検察の判断そのものにクレームをつける論調には全くなっていなかった。ところが検察が神世界関係者を起訴した途端に検察批判に転じるのは、あまりにも身勝手としか言いようがなく、わがまま放題の子供ならいざ知らず、大の大人が取る態度ではない。
 本来であれば、多数の神世界関係者が逮捕された段階で神世界は、”謝罪”しなければならず、現在は更に進んで「起訴」されているのだ。日本に於ける刑事裁判の有罪率は99%だ。検察は確実に有罪にできる事案でなければ起訴はしない。こともあろうに神世界側弁護士は、村木さんの事件まで引き合いに出して検察批判を繰り広げているが、神世界事件と村木さんの事件は、事件の土台が根本的に違う。村木さんの事件は検察主導で進められた事件だが、神世界事件は多くの被害者が神世界を告訴している事件だ。神世界事件は、村木さんの事件のように検察が犯罪をねつ造する必要など全くなく、神世界事件には現実にたくさんの神世界被害者がいるのだ。神世界側弁護士の主張に常に欠けているのは、批判や攻撃の対象が警察や検察、原告側弁護士にばかり向けられ、「神世界被害者の存在」を全く忘れている点だ。神世界被害者の存在を認めてしまうと、それは暗に神世界の犯罪があったことを認めることになるので、敢えて「被害者の存在」から目を背けているのだろうが、そうした態度は、「卑劣」以外の何ものでもない。
 「横浜地検が神世界関係者を起訴したのは、現横浜地検特別刑事部長らの個人的な功名心や出世欲に駆られた行為だ」とする神世界新聞第12号に書かれた、”ご意見”は、折角なので私から横浜地検に送付して今後の参考にしていただく。これを見た横浜地検関係者は、さぞかし”闘志”を新たにすることだろう。



■編集後記執筆者は神書を読んでいない?
 神世界新聞第12号の編集後記は、”驚くべき内容”が書かれている。普通に読めば何でもないように見えるが、「神書」をよく読んでいる者がこの編集後記を見れば、その異常さに、”目まい”がするのではないだろうか。
 編集後記の冒頭には、「3月11日(金)に発生した、東北地方太平洋沖地震により被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。」と書かれている。”普通の人が普通”に見れば、何でもない文章であるが、これは”神書の教え”には真っ向から反するものだ。神書には、「自然界においては結果がすべてであるから、結果が悪ければ動機や原因や過程も悪く、それに関係するすべての人間も悪いと判断するのが当然で正常な判断である。したがって苦しむ人間が悪いのであり、不幸なほど悪人なのである。」(神書P193、「苦しむ人間が悪い」)と書かれている。”神書流”に今回の大震災を見れば、被災した人は”悪人”なのだ。それにも係わらず、今回の編集後記では、神書の内容を忘れたかのように、「被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます」などと、”人並み”のことを述べている。神書では、被災者は悪人なのであり、「心よりお見舞い申しあげる」対象などではないのである。この編集後記を書いた者は誰なのだ? 執筆者は神書の教えに真っ向から刃向かうことを書いていることに気づいているのか?

 次の部分も神世界の教えとは食い違っている。「かろうじて生き残った被災者の中には、言葉では言い尽くせない奇跡があったという。」
 神世界の教えでは、奇跡は「神との取り引き」によって得られるものとされている。”かろうじて生き残った被災者”は全員が神世界信奉者だったのか?いくら何でもそこまで厚かましいことは言わないだろう。”言葉で言い尽くせない奇跡”を得た者は、どのような神との取り引きの結果、その奇跡が得られたのだ? この編集後記に書かれた「かろうじて生き残った被災者の中には、言葉では言い尽くせない奇跡があったという。」という言葉は、神世界の神などと取り引きをしなくても奇跡は得られると言っているのと同じだ。つまり、この編集後記を書いた者は、神世界の神を貶める内容を書いているのだ。私から指摘されて自分が書いた内容の誤りに気づき、今ごろ青くなっても、もう遅い。もうすぐ神世界の神から罰が下されることだろう(笑)
 「明日への希望に向け、みんなで頑張ろうではありませんか。」この言葉も、普通の者が述べたのであれば何ら問題はないが、神世界の者が言う言葉ではない。神書には、「たとえ無償で何も相手から求めなくても、相手に対する「気の毒でかわいそうだ」という見下した無礼な感情からであっても一方的な押し売りで相手が迷惑がっていても、自己満足のための趣味や道楽であっても、やさしさ・思いやり・親切・愛である限りはプラスは生み出さないし永遠の幸福は決して実現しない。」(神書P177、「やさしさ・思いやり・親切・愛ではない」)と書かれている。「明日への希望に向け、みんなで頑張ろうではありませんか。」という、”やさしさ・思いやり・親切・愛”は神世界では”御法度”なのである。これを書いた者は、神書をちゃんと読んでいないからこのように間違ったことを書くことになるのだ。そんなことでは神世界新聞の編集後記を書く資格はない。私の方がよく神書を読んでいるようなので、次号の編集後記は私(fujiya)に書かせた方がいいように思うが、どうだろう?(笑)

【神世界新聞第12号(2011年5月1日発行)の編集後記】

編集後記
 3月11日(金)に発生した、東北地方太平洋沖地震により被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
◆千年に一度といわれる地震・津波、それに火災に見舞われた自然災害。次々に明らかにされる惨状には言葉もない。目の前で肉親が、友人が、隣人が、我が家が津波にさらわれた。かろうじて生き残った被災者の中には、言葉では言い尽くせない奇跡があったという。
◆加えて福島第一原子力発電所事故が引き起こした複合危機は、国内だけでなく、国際的な問題に発展している。正に国家存亡の危機に直面している。
◆ようやく被災から復興へ!日本人の力を信じ、神の力・奇跡を信じ、明日への希望に向け、みんなで頑張ろうではありませんか。




■神世界は、”弾圧”する値打ちなど全くない
 今回、尾崎弁護士が書いている「私の一言」は、「宗教に対する弾圧」だ。ひょっとして尾崎氏は神世界が権力から、”弾圧”されるようなメジャーな団体だと本気で思っているのだろうか? もしそうであれば、笑止千万(しょうしせんばん)なことだ。
 かって、時の権力が一部の宗教を弾圧したのは、その宗教が多くの民衆の支持を受け、時の権力者の立場を脅かすような存在になったとき、権力者が力でその宗教をねじ伏せたのが宗教弾圧だ。弾圧を受けた宗教は、それなりに社会に対する影響力があったからこそ、そうした不当な扱いを受けたのであり、神世界のように、「宗教的に無名」で、「大衆の支持を全く受けていない」団体が、宗教的弾圧など受ける筈もない。それにも係わらず、現在行われている警察・検察による神世界関係者の逮捕を、「宗教的弾圧だ」と捉えるならば、それは正常な判断の域を超えており、”一種の宗教的妄想”と言えるものだ。一度、精神科の医師に診てもらった方が良いのではないか。
 時代背景が今とは全く違う時代に行われた宗教弾圧を引き合いに出して論ずるのも、甚だ見当違いのそしりを免れない。現代の日本では、日本国憲法によって信教の自由、結社の自由、言論の自由が保障されており、大量殺人事件を起こしたオウム真理教ですら解散させることはできなかったのである。
 オウム真理教に対して警察の捜査が行われたのは、オウム真理教が犯罪行為を行ったからであり、いま神世界に対して警察・検察が行動を起こしているのも、神世界が犯罪行為を行ったから捜査をしているだけだ。「宗教的意味合い」など全くない。織田信長や大本教など、メジャーな人物や団体を神世界と並列に並べて論ずることも、それ自体がナンセンスであり、織田信長もさぞかし迷惑していることだろう。大本教も、”世界救世教崩れ”の神世界が詐欺事件で警察の捜査を受けるような事態となったことには大変苦々しく思っていることだろう。
 「考えが不合理だからということで権力が介入することは許してはならない」と大見得を切って粋がっているが、誰一人としてそのような観点から神世界事件を見ている者はいない。神世界は現実に客から多額の金を巻き上げてきた”事件性”があるから捜査対象になっているだけだ。
 「信者同士の行為を外部が裁くことは明らかに越権である。」というのも、法を守る弁護士の発言ではない。神世界事件は神世界によって被害を受けた客が神世界を告訴しているのだ。その告訴に基づいて警察が捜査を行い、法に違反する行為があれば関係者を検挙し、検察が起訴相当と認めれば被疑者を起訴し、法廷で裁くことは法治国家であれば当然行われる正当な手続きだ。告訴されているにも係わらず、捜査機関が捜査をしないようなことがあれば、その方が問題だ。それを、「外部が裁くのは越権だ」などと発言することは、この国の司法制度を否定する発言であり、弁護士バッチを付けた者が述べる言葉とは到底思えない。

【神世界新聞第12号(2011年5月1日発行)「私の一言(弁護士 尾崎幸廣)」】

私の一言 宗教に対する弾圧

 宗教の中で、他の宗教や時の政治権力から弾圧を受けずに発展してきたものはほとんど無い。一神教の宗教間においては、必然的に争わざるを得ないだろうが、我が国の仏教や神道は神とか仏とか表現はとにかく、神聖な存在を多数認めるから、争いがあっても陰惨な状況までには至らなかった。
 しかし、政治権力による弾圧は、織田信長の比叡山焼き討ちや戦前の大本教本殿爆破のように過酷な事例を多数挙げることができる。発展する宗教が権力に嫌われることは一つの宿命とも言えるだろう。
 信長のように、政治権力の側に確固たる信念がある場合、その評価は後世に待つことになるが、何の確固たる考えもなく、ただ、考えが不合理だからということで権力が介入することは許してはならない。宗教の教義には多かれ少なかれ科学では解明できず、常識では理解できない点がある。「不合理なる故に我は信ず」という言葉がある。それが宗教である。信者同士の行為を外部が裁くことは明らかに越権である。

(弁護士 尾崎幸廣)






(下記は、2011.07.18更新)

神世界新聞 第13号(2011.07.01発行)を見て

神世界新聞第13号(2011.07.01発行)

 政治の世界では、野党、与党から浴びせかけられる”首相退陣”の大合唱をよそに、菅総理はしぶとく政権にしがみつき、政権末期にきて意外な粘り強さを見せている(2011.7.18現在)。神世界も幹部が多数逮捕され、末期的状況になっているが、今なお新聞発行を続けるなど、しぶとさを見せているのは、菅総理に見習ったのか。もっとも神世界の場合は、正しい状況判断ができず、”惰性”で新聞を出し続けているだけかもしれないが。
 前回、第12号(5/1発行)の新聞が”御霊光はすばらしい”のページにアップされるまでには随分時間がかかったが、今回の第13号は発行後すぐにアップされていたようだ。やはりあのページを作っている人は、東北大震災で被災した人なのかもしれない。未だに”御霊光はすばらしい”のHP主宰者に連絡はつかないが、あのページから新聞をダウンロードさせてもらった。

■海外志向
 神世界新聞第13号の特徴は「海外志向」だ。
 これまでにも度々紹介しているカルト団体として、(宗)神事秀明会(以下、秀明会)という団体がある。神世界のライセンスも、秀明会の「お光り」を模倣した感が強く、秀明会も神世界もルーツは世界救世教である。秀明会はかって渋谷などで、「あなたの幸せを祈らせてください」と通行人を呼び止め、「浄霊」という手かざしをして会員勧誘をしていた団体で、強引な献金や、職場放棄、学校放棄をさせてまで信者を働かせてきたことが問題となり、今では国内での勧誘活動はほとんど行っていない。神事秀明会は現在、国内での活動は沈静化しているが、海外では活発な活動を繰り広げており、海外での活動に活路を見いだしている感がある。国内では悪名が広がってしまい活動できないので、まだ悪名が伝わっていない海外でなら、東洋の宗教に興味を持つ人を相手になんとか活動して行けるようだ。秀明会会長(女性)は比較的英語が堪能なので、海外での活動もさほど苦にならない。
 神世界新聞第13号の冒頭には、いつもの3名が書いた文章が掲載されている。その文章中には、下記のように繰り返し、「世界」や「海外」などの言葉が登場している。
日原易子「新しい道へ」
 世界中に創造者の御霊光、すなわち救いの御神業を・・。現実に世界中に広がり始めているのです。世界中の人々が神様・御霊光に接し触れた時に奇跡が現れ始め・・
宮入英実「神様の御力・救世」
世代・人種・地域・国等の壁を超えて御霊光が浸透し自然と拡がってゆく・・
和田美和「拡がる理想世界」
これからは世界中に御霊光が伝えられてゆく時代になってきたのです。海外の方のプラスに対する直感力は単純でとても鋭いのです。海外の方が瞬時に救われ、更に大勢の方に自らのプラスを伝え、「ゴレイコウ」を・・

 最近、神世界関連サロン内部では、「イスラム圏のある国のイスラム教の指導者の立場にある人が御霊光をいただいている」という話がまことしやかに語られている。この件については別の機会に明らかにしていく。
 このように、神世界新聞第13号や最近の神世界の言動を見ていると、神事秀明会の姿を彷彿とさせる部分もあるが、神世界幹部の中に外国語が堪能な者はおらず、一連の”海外で高評価”といった宣伝は、実体のない”絵空事”でしかないだろう。
 一連の”海外志向”は、まだ残っている会員(客)に対し、「神世界は健在だ。海外にまで拡大発展している」と思わせるための、”実体のないデモンストレーション”でしかない。


■「病状が改善した」のオンパレード
 神世界新聞第13号裏面には、実に8件もの”病状が改善した”という奇跡話が掲載されている。御霊光には奇跡を起こす力があると誇示したいようだが、それにしては御霊光を最もたくさん受けている筈の神世界幹部関係者が病気になり、なかなか病状が改善しないために医者にかかってるのはどうしたことなのだろう。プライバシーに係わることなので詳細は明らかにできないが、神世界幹部の親族が若くして癌で死亡したり、胃潰瘍の手術を受けたり、養護施設に入ったままの生活を続けたりしている者がいる。御霊光に病気を良くする力が本当にあるのなら、このようなことにはなるまい。本当に御霊光に病気を治す力があるのなら、早く御霊光病院を建てて難病で苦しんでいる人達を助けてほしいものだ。御霊光病院のおかげで難病から解放された人が次々と実際に現れれば、御霊光病院はたちまち話題となり、病院の入口には治療を求める人の長蛇の列ができ、週刊誌やワイドショーでも取り上げられ、たちまち神世界は巨万の富を得ることになるだろう。なぜそうしない?それは神世界幹部が、御霊光にはそのような力などないことを一番よく知っているからだ。
 「良いことがあれば御霊光のおかげ」、「悪いことがあっても御霊光のおかげでこの程度で済んだ」と、全ての出来事が御霊光によって支配されていると思い込まされている会員(客)の目を覚まさせるのは容易ではないが、人間が本来持っている自然治癒力のことや、自律神経を適切にコントロールすることによって体調が大きく変化することなども知ってほしいものだ。


■権力の謙抑性
 2011年3月10日に杉本明枝が逮捕されたのに続き、5月20日には神世界幹部4名が逮捕されたことを受けて、神世界新聞第13号裏面に、「信義に悖(もと)る違法・不法な権力の行使」と題した記事が掲載されている。
 この中で執筆者は「権力の謙抑性」という文言を用いて検察批判をしているが、神世界事件を論ずる際に「権力の謙抑性」を用いるのは思い違いも甚だしい。権力の謙抑性(一般的には「刑法の謙抑性」という)が問題になるのは、いわゆる「被害者なき犯罪」や、「ごく軽微な犯罪」について警察や検察が過度の権力行使を行い、被疑者を無理矢理犯罪者に仕立てあげたような場合である。
 神世界事件は「被害者なき犯罪」なのか?そうではあるまい。神世界を巡っては現実に多くの被害届けが警察に出され、告訴状まで出されている。私のところには全国の二百数十名を超える神世界被害者から、約3万件を超える相談のメールが届いている。神世界事件は「被害者なき犯罪」では絶対にない。被害額は全国で1000億円を超えると言われている”一大霊感商法事件”なのだ。
 これほど大規模で、被害額も大きい霊感商法事件であるにも係わらず、万が一にも警察・検察が捜査を行わず、然るべき取り締まりが行われないようなことになれば、そのことの方がはるかに大きな社会問題だ。

 記事の中で執筆者は、「神奈川県警と横浜地検の捜査関係者、特に主任検事には、権力行使者として弁(わきま)えるべき節度と自覚は微塵も感じられません」と述べているが、警察や検察が犯罪者を取り締まるのはごく当たり前のことだ。「権力行使者として弁えるべき節度と自覚」とは、一体どのような”手心”を期待しているのだ?自分たちが犯した罪の大きさから考えれば、一連の逮捕・起訴は当然すぎる結果でしかない。
 「(捜査当局は)信教の自由という憲法で保障された人権侵害を敢えて行っている」とも述べているが、これまたとんでもない見当違いでしかない。断じて言うが、神世界は宗教などではない。どうしても「宗教」という言葉を入れて神世界を表現してほしいのであれば、「宗教を都合良く利用して客を誤信させてきた集金団体」という表現は可能かもしれない。宗教とカルトは”似て非なるもの”であるが、宗教と霊感商法は、”全く関係のないもの”でしかない。よって神世界関係者を捜査当局が逮捕することは、信教の自由を侵すことには全くならない。僅かでも捜査当局による神世界関係者逮捕が信教の自由を侵すと判断される類のものであれば、宗教関係者や人権擁護団体は直ちに行動を起こしているだろう。しかし誰一人としてそのような行動を起こさないのは何故なのだ?それは誰が見ても神世界は宗教などではなく、女性を騙して金を巻き上げてきた卑劣な霊感商法組織としか見ていないからだ。会員(客)の手前、”信教の自由”などの言葉を散りばめておけば何となく最もらしく見えると思っているのだろうが、茶番でしかない。

杉本明枝の記者会見
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 神世界側は、民事訴訟でも、刑事裁判でも、神世界新聞でも、現存する会員達にも「神世界は宗教だ」と言い放っているが、神世界に強制捜査が入った2007年12月にはどう言ったか分かっているのか?神世界のマスコミ攻勢にある、神世界がマスコミ各紙に送ったFAXの文言を見れば、当時は「自分達は宗教だ」などとは一言も言っていないばかりか、必死になって宗教を否定している文言が並んでいる。そして極めつけは当時E2経営者であった杉本明枝(現・吉田明枝)が2007年12月24日にE2本社で行った記者会見で述べた言葉だ。記者から「ここは宗教ではないのか?」と尋ねられた杉本明枝は、「はい、宗教じゃないんです。会社なんです」と明確に答えている(右記にその動画)。当時、神世界に通っていた客は、大多数の者が「ここは宗教ではない。会社です」と言われ、それを信じたために大きな被害を被る結果となった。  それにも係わらず、いまになって訴追を逃れるため、急遽、「我々は宗教行為をしている」と180度態度を翻すのは卑怯以外の何者でもない。もっとも、見方を変えれば、そうした卑劣な行為を平気で行うところに、神世界の虚言体質がよく現れているとも言える。

【神世界新聞第13号(2011年7月1日発行)裏面の記事】

信義に悖る違法・不法な権力の行使

 再び関係者が神奈川県警と横浜地検に逮捕拘留の上起訴されました。弁護士の先生に見解をお尋ねしました。

 今回の暴挙に接し、神奈川県警と横浜地検の捜査機関としての節度とセンスの無さに違法捜査であることが改めて明確になるとともに。憤りを禁じ得ません。
1、権力の謙抑性ということがいわれます。これは権力というのは濫用的行使に陥りやすいので、常に権力の行使にあたっては自戒し、抑制的であるべきだいう思想に基づくものです。
 しかし、今回の捜査に従事した神奈川県警と横浜地検の捜査関係者、特に主任検事には、権力行使者として弁えるべき節度と自覚は微塵も感じられません。
2、捜査関係者のレベルの低下が指摘されるようになって久しいところですが、レベルが低くても節度と自覚を堅持していればまだ救いはあります。しかし、主任検事の度し難い思い上がりは民事問題と刑事問題の区分すら不可能にさせている状況です。
 今回問題にされている方々が純粋な信仰心の持ち主で、宗教行為として神霊鑑定などを行ったことに疑いの余地はありません。
 刑事問題として事案を見るときには、故意過失が問題となる民事問題と異なり、過失は問題とならず、当然故意の有無が最大の問題となるのであって、故意がなければ詐欺罪にはなり得ないのです。
 そして、宗教行為として信じるままになした行為に故意があるはずはないので、犯罪などにはなり得ないのです。
 紀藤弁護士一派が、民事的な問題意識から「霊感商法」批判を行うことは自由ですが、何故、検事が紀藤弁護士一派に加担し、執拗に民事事件に介入するのか不可解というしかありません。
3、今回の捜査の問題点は、捜査当局が民事事件に介入したに止まらず、信教の自由という憲法で保障された人権侵害を敢えて行っている点です。
 主任検事は、この点を意識し、起訴状から殊更宗教色を排除して事案を矮小化するなど、姑息で卑劣な態度に出ていますが、本件が宗教行為であることは裁判の場で明らかになるはずです。
 捜査機関が民事弁護団とタッグを組んで、憲法違反をしてまで特定の宗教団体を攻撃するなど前代未聞といわねばなりません。

以上


■神書をもっとよく読もう
 尾崎幸廣弁護士の「私の一言」は、今回も神書の教えに逆行する内容を書いている。結局、この人は神書などまともに読んでいないのだろう。確かに神書に書かれている内容は、普通の者にはバカバカしくて読むに値しないものでしかないが。
 尾崎氏は今回の投稿で、久留米の水天宮にお参りする夫婦のことを書いており、その行為を肯定的に捉えている。一般的な日本人の考え方としては尾崎氏の意見は妥当性がある考え方だと思われるが、残念ながら尾崎氏がその考えを披露しているのは「神世界新聞」なのである。神世界では、太陽神を唯一絶対の神としており、他の神を認めていない。
 神書には、「太陽神は人類にとっての唯一の神様であり、他の如何なる高級霊も自然現象も宗教の本尊も天体も神様ではない。だから天照大御神と書こうが、国常立尊と書こうが、観音様の絵や彫刻を作ろうが、神様は宿らないし、降臨もしないし、御霊光は発生しないから幸福化作用も発生しないのは当然で、もし今までの宗教の本尊が神様とつながっていたなら人間はすでに永遠の幸福者となり人間界は神世界となっている筈である。」(神書・太陽神)と書かれているのだ。
 尾崎氏は水天宮にお参りする夫婦の姿を見て「同情する」と述べているが、これも神書の教えには反している。神書では「やさしさ・思いやり・親切・愛ではない (177)」とされており、尾崎氏が示したような同情心は否定されているのだ。神世界新聞を編集している者は、毎回、神書の教えに反することを述べている尾崎氏の投稿を掲載することは一考を要するのではないか(笑)。

【神世界新聞第13号(2011年7月1日発行)「私の一言(弁護士 尾崎幸廣)」】

私の一言 お百度参り

 子宝祈願で有名な久留米の水天宮に行った時に、正装した夫婦が拝殿と石柱の間を往復してお百度参りをしているのに出会った。これを効果の無い馬鹿馬鹿しい行為と考えるのか、他人の事ながら切ない願いが叶えられればよいと同情するのか、二つの見方がある。私は後者である。  科学的には、祈願によって子供が生まれたという証明は出来ないだろう。しかし、宗教の力にすがって、子供を授かりたいと願う人がいることも事実である。  神仏の力やそれに対する祈願によって病気が治ったり事業が発展することはない、と断言するならばそれは宗教の全否定であり、人間精神に対する不遜な冒涜である。  もちろん、当人がそのような考えで生きてゆくことは自由であって、批判するつもりはない。ただ、その人が自分の生き方の範囲を越えて、信じている他人を攻撃批判するのは許されない。

(弁護士 尾崎幸廣)





(下記は、2011.09.12更新)

神世界新聞 第14号(2011.09.01発行)を見て

神世界新聞第14号(2011.09.01発行)

 これまでに延べ22名の神世界関係者が逮捕され、教祖・斉藤亨と神世界代表取締役・日原易子の2名が逃亡中であるにも係わらず、神世界は神世界新聞第14号を予定通り9/1に発行した。普通の会社なら、このような時期に、「わが社は正しい」等という論調の機関紙を新たに発行することなどできるものではないが、神世界の連中は平気で新聞発行を続けている。彼らは、よほど”懲りない面々”なのだろう。
 ”懲りない面々”と言えば、「塀の中の懲りない面々」という安部譲二の小説は、映画にもなったので、ご覧になった方も多いだろう。私は見学目的以外では、まだ塀の中に入ったことはないので、刑務所暮らしの体験はないが、安部譲二氏が”実体験”に基づいて書いたあの小説を読むと、刑務所というのは想像以上に大変な場所であることが分かる。
 逮捕された神世界の連中は、現在公判中、あるいはこれから公判が始まる身であり、まだ”塀の中”(刑務所)には入ってはいないが、遠からず塀の中の住人となることだろう。男子受刑者は、初犯であればA級刑務所に収監されるので、近場の横浜刑務所横須賀刑務支所に入れてもらえるかもしれない。あの辺りの刑務所に収監されると、面会にも行くのも近くて便利だ。女子受刑者は、女子専用刑務所(W級刑務所)に収監されることになるので、少々遠方まで行ってもらうことになる。女子専用刑務所は数が少ないため、収監者を犯罪の種別によって分けることができず、詐欺罪で実刑となった者も、その他雑多な受刑者と一緒に収監されることになるので、なかなか大変だ。女子受刑者の多くは麻薬・覚醒剤がらみで収監されているので、雑居房の中ではコワーイお話しがたくさん聞けるかもしれない。それにしても、かんかん踊りは屈辱だろうなあ・・。今でもやっているのかな?
 経験者以外には、その実態があまり知られていない受刑者の生活や、受刑者を抱えた家族の悩みなどについては、刑務所情報の掲示板を見ると、塀の中での生活を垣間見ることができる。女子刑務所の内情については、女子刑務所のすべてという本も出版されている。

 娑婆での気楽な生活とは全く違い、刑務所で過ごす日々は辛く厳しいであろうが、刑務所での生活も悪いことばかりではない。一日の行動は分単位で細かくスケジュールが決められており、規則正しい生活を送ることができる。食事のカロリーや運動も、健康な体を維持するために厳密に管理されており、収監される前は肥満気味だった受刑者も、刑期を終えて出所する頃にはスリムな体になって出てくることができる。刑務所に収監されている間に体がスリムになることを、「刑務所ダイエット」(jail diet)と言う。アメリカでは、このjail dietによって体が細くなったのは刑務所の食事が不十分だからだ、と言ってクレームをつけた受刑者がいたが、神世界関係者はこれまでの贅沢な生活でやや太り気味の者が多いようなので、刑務所暮らしを”絶好のダイエット期間”と捉えて過ごせば、刑務所暮らしも少しは楽しくなるかもしれない。詐欺罪で死刑になることはないので、何年先になるかは不明だが、いつかはスリムな体になって出所することができるだろう。逃亡中の2名も、早く出頭してお縄を頂戴し、塀の中でダイエットに励もう。
 神世界新聞の内容からは少々飛躍してしまった。新聞の内容があまりにもつまらないので、”懲りない面々”という言葉から、つい思いつくままを書いてしまった。

 これ以上の企業危機はないであろうと思われるこの時期に、性懲りもなく、平気でこのような新聞を発行し続ける彼らの思考回路はどうなっているのだろう。ひょっとすると、”我々は正常な判断力を失った集団だ。だから刑法で処罰することはできないのだ”と思わせるために敢えてこのようにバカげた新聞を発行し続けているのかとさえ思えてくる。


■奇々怪々
 神世界新聞第14号が発行されたのは2011年9月1日。教祖ら4名に組織犯罪処罰法違反(組織的詐欺)容疑で逮捕状が出たのが8/17なので、編集や印刷に要する時間を考えると、紙面にその内容が反映されるか微妙なタイミングだったが、下記に示すように、第14号裏面には、「神世界の役員4名に対し、組織詐欺による逮捕状が発布された」という記述がある。つまり、この新聞は教祖らに逮捕状が出たことが明らかになった後で編集・発行されたことが分かる。
 ところがである。一面の記事は、いつもと同じ日原易子、M入E実、W田M和の3名が記名記事を書いているが、そのどこを見ても、”教祖らに逮捕状が出された”という重大な事実に関しては一言も触れていないのだ。教祖ら4名の神世界幹部に逮捕状が出たという事実は、組織にとって、とてつもなく重大な事案であり、看過することなど絶対にできない”お家の一大事”である。本来ならば、予定原稿を全てボツにし、紙面全面を教祖らに逮捕状が出されたことに関する記事で埋め尽くすくらい重大な案件である。少なくとも、(有)神世界・代表取締役である日原易子は、この重大な事実を受け、何らかのコメントを出すべきだ。こうした状況で、代表取締役が一言も発しないことなど、普通では絶対に考えられないことだ。裏面には逮捕状が出されたことを受けての記事を掲載する時間的余裕があったのだから、代表取締役としては、予定していた原稿を急遽書き換え、この重大な局面に組織としてどう対処するのか、会員等に向けてコメントを発するのが組織代表としての重要な務めだ。日原易子は逮捕状が出た後もずっと逃亡を続けているのだから、編集関係者にコメントを送ることは十分可能だった筈だ。
 もし、日原易子は逃亡中であるため原稿が送れなかったのであれば、M入やW田が日原に代わって組織からのコメントを発すべきだ。しかし実際には、3名中、誰一人としてこの問題に関する発言はしていない。これは、神世界という組織が、組織としての体を全く成していないことを如実に物語るものだ。神世界上層部の面々は、自分達が企業経営者として、顧客に対し、社員に対し、社会に対しても、”説明責任”があるということを微塵も理解していないのだろう。これほど常識に欠けた者ばかりが神世界上層部に集まったのは、奇々怪々、これこそ現代の”怪奇現象”だ。


■御霊光の力
 第14号一面に、日原易子、M入E実、W田M和の3名が書いている御霊光礼讃の記事を、私も”会員になったつもり”で真剣に読んでみた。御霊光の力は素晴らしく、御霊光を浴びた者は幸せになるらしい。御霊光は「神世界新聞」からも出ているそうで、私は何も感じなかったが、新聞を手にしただけで御霊光のありがたさに涙する者もいるそうだ。たった1枚の神世界新聞を手にしただけでもビリビリと御霊光を感じることができる者もいる程なのだから、神世界新聞発行元の神世界にいる者達は、まばゆいばかりの御霊光を浴び続けており、全ての者が幸せになっていることだろう。
 あれ?ちょっと待てよ?それほど御霊光の力が素晴らしいのならば、どうして神世界本部が何度も警察の家宅捜索を受けたり、神世界幹部が次々と逮捕され、挙げ句の果てには教祖とその親族まで根こそぎ逮捕されるようなことになったんだ?竹市幸子准教授や、吉田澄雄警視はどうして勤務先を首になったんだ?
 先日逮捕された宮入参希江の夫も神世界に係わっており、たくさん御霊光を浴びていたのに、なぜ38歳の若さで急逝したんだ?教祖の家族の病気はどうして御霊光で良くしてやることができないんだ?教祖の父親は、なぜ病院で手術を受けたんだ?
 紙面に書いてある御霊光の素晴らしさと、現実に起きていることとのギャップはどう説明してもらえるんだろう?
 ひょっとすると、御霊光って、誤零光の書き間違えだったのでは!?



■戦いの「ポーズ」
 神世界新聞第14号に掲載された大多数の記事は、論評するのもバカらしくなるようなものばかりだが、唯一興味が持てたのは、、「ずさん極まりない捜査」と題した検察を揶揄した記事だ(下記に本文)。同じような記事は前号にもあったが、ここまで検察に対して”暴言”とも言える言葉を吐き続けることが、神世界にとってプラスになると思うところが、彼らの浅はかなところだ。この記事を書いている某弁護士としては、今後、神世界がどのような処罰を受けることになっても自分の身は痛まないので、どんな暴言でも平気で吐くことができる。最終的に処罰されるのは神世界であって弁護士ではない。現時点では、警察や検察を声高に揶揄・罵倒しておけば、弁護士は、”さも勇ましく”戦っているように見える。そうした、”戦いのポーズ”を示しておけば、神世界の連中はいくらでも金を出してくれる。裁判は、解決までの期間が長引けば長引くほど、弁護士の懐には高額な弁護料が長期にわたって支払われるので、裁判は適当にはぐらかし、解決が長引くように引っ張る。神世界の連中は、そうした某弁護士の策略に気づくことなく、某弁護士の言いなりだ。

 神世界という団体は、我が身の至らなさに思いを馳せることは一切なく、外部から批判されると、批判した相手をひたすら口汚くののしり、「我々を批判する者は、別の意図があって我々を攻撃している」と、論点のすり替えを行い、「自分達は悪くない」と強弁し続ける、カルト団体特有の特徴がある。
 神世界が反撃する相手は、その時々に於いて変化し、私(fujiya)であったり、神奈川県警であったり、被害対策弁護団であったり、横浜地検であったりする。神世界新聞第12号〜第14号では、反撃対象として横浜地検がメインになっている。
 もし仮に、神世界が何も悪いことをしておらず、警察の強制捜査や、関係者の逮捕が不当だと、”本気”で思っているのであれば、マスコミを集めて神世界トップが記者会見を行い、声を大にして自分たちの正当性と、捜査当局の姿勢は不当だと訴えるべきだ。しかし彼らは絶対にそうした行動は起こさず、神世界新聞という超ローカルな会員向け機関紙紙上で警察・検察に対して暴言を繰り返すのみだ。神世界新聞は通常では警察や検察の目に触れることはなく、どれだけ暴言を吐いたところで警察や検察にその内容が伝わることはないと分かった上で、機関紙の読者である会員向けに”強がりのポーズ”として一連の意見を述べているだけだ。
 あのオウム真理教ですら、何度となく記者会見を開き、”ああ言えばこういう”広報官が大ボラを交えてオウムの正当性を訴えていた。しかし、神世界幹部は絶対に公の場に姿を晒そうとしない。それはなぜか。それは自分達神世界には、やましい所が満載であり、とても公の場に顔をさらすことなど恥ずかしくてできないからだ。いつかは破綻することが分かっている者としては、とてもじゃないが公の場に姿を現すことなどできる筈もない。
 せっかく彼らが横浜地検に対して暴言を浴びせているのに、その声が地検に届かないのではつまらないので、先月号に続けて今月号も、A3用紙にカラー印刷した神世界新聞を地検特捜部に送付しておいた。今ごろ地検内部では神世界新聞第14号が回覧され、担当検事達は神世界に対する闘志をこれまで以上に高めていることだろう。

 下記記事中の「答3」で、現在横浜地裁で行われている裁判などの見通しについて触れている部分があり、「刑事弁護団に任せておけば大丈夫」との見解が示されている。彼らがそう思うのは勝手だが、先頃行われた吉田(杉本)明枝被告に対する公判では、神世界側弁護士に対して裁判長から、「質問を変えるように」とか、「もう終わりにしてください」いったクレームが何度もつけられていた。ある弁護人に至っては、弁論をしているうちに話の道筋が訳の分からない状態となり、”迷走”していた。弁護人のこうした呆れた言動には、被告ですら驚きの表情を見せていた。傍聴席からも失笑が漏れる場面もあり、もし私が被告であったら、とてもじゃないがこの弁護人に任せておこうとは思えないありさまだった。しかし、彼らはこの弁護士で大丈夫と思っているようなので、原告としてはむしろ好都合だ。判決という「結果」が出たとき、これらの弁護士に任せたことの是非が分かるだろう。

【神世界新聞第14号(2011年9月1日発行)裏面の記事】

ずさん極まりない捜査

 神奈川県警と横浜地検が、驚くべき暴挙に出ました。早速、弁護士の先生に見解をお尋ねしました。

問1
 報道によれば、神世界の役員4名に対し、組織詐欺による逮捕状が発布されたとのことですが、このようなことが許されるのでしょうか。
答1
 神世界グループの会員の方々を知っている者にとっては、今回の暴挙は到底正気の沙汰とは思われませんし、断じて許されないものと考えます。
 試みに、刑事弁護団の弁護士にも聞いてみたのですが、一様に驚き、かつあきれて憤慨していました。
 もともと、神奈川県警が捜査を開始したのはE2の案件の神奈川県警絡みの不祥事として捉え、マスコミ等に取り上げられる前に機先を制するため、捜査の端緒とすべく、敢えて紀藤弁護士一派の告訴を受理したという経緯があり、被害弁護団を称する紀藤弁護士一派にしても、民事問題を有利にするため、警察権力を追い風にして有利に展開したいと焦慮していたことから、警察権力と気脈を通ずるために様々な情報提供を行ったのです。
 そして、それまで何の材料も有していなかった神奈川県警も紀藤弁護士の描いた「霊感商法」なる事件の構図を安易に受け入れて捜査を展開し、遂に、組織詐欺の適用という暴挙に出たのですが、警察は事件の最終処分を行うわけではないという無責任さがあるため、紀藤弁護士一派の描いた事件の構図に安易に追随する事があり得ても、検事がそのような無責任・無定見であって良いわけがなく、横浜地検の主任検事は、検察官としての資質に問題があると断ぜざるを得ません。

問2
 検察官としての資質に問題があるような検事が、実際、現場で仕事をしているのですか。
答2
 大阪地検がでっち上げた村木局長の事件では、証拠を偽造した検事が実刑判決を言い渡されて刑務所に服役していますし、東京地検が躍起になって違法な調べを行ってまで起訴した小沢一郎氏の政治資金管理団体関係者の公判では、貴重な検察官調書が違法な取調を理由として証拠排除されていますが、これらの捜査に関与した検事は、目立ったり、出世する事しか考えていないため、平然と違法行為や犯罪行為を行う等、検察官の資質に著しく欠ける人物であることは間違いありません。
 刑事弁護団の弁護士によれば、横浜地検の主任検事も、E2の関係者の取り調べに際し、未熟にもやたら正義感を全面に押し出していたそうですが、検察の正義とは、証拠と法に基づいて一般の事件を淡々と処理する積み重ねの中にあるのであって、主任検事が正義感を表に出したり、口走ったりすることではなく、ましてマスコミ受けを狙うことなどでもありません。
 主任検事は、自らの出世欲と自己顕示欲を正義感という言葉に置き換えて自己陶酔に陥っているに過ぎず、このような姿勢は検察の道を誤らせる元凶であり、検察官としての資質に欠けると指摘する所以です。

問3
 すでに起訴されている方々の裁判は大丈夫でしょうか。
答3
 刑事弁護団の弁護士によれば、主任検事の捜査は独りよがりで、ずさん極まりないということであり、必ずや裁判でこれらの点を明らかにし、所期の成果を挙げるとのことですので、全てお任せして静かに見守りたいと思います。

以上




■杉本に預言を聞く能力があれば
 尾崎幸廣弁護士の「私の一言」は、今回は「預言」についてだ。文面から察すると、尾崎弁護士は、吉田(杉本)明枝被告をかばう目的でこれを書いたのだろう。杉本被告が、「あなたの会社は戦国時代の首切り場だった」とか、「あなたの右能に子ギツネの霊がついている」等と客に告げたのは、杉本被告が述べたのではなく、神様が言った言葉を杉本が預言者として”中継”して客に伝えただけだ。杉本被告は神様を信じていたのだから、杉本に罪はない、と言いたいのだろう。
 100歩譲っただけでは到底信じられる話ではないので、1万歩譲ってその話を信じたとしてだが、上記のような言葉を客に信じさせた後、除霊するためには200万円必要だとか、右能についた子ギツネの霊を祓うためには50万円必要だと言ったのも神様からの言葉を代弁したのか?そうやって客に払わせた現金は、杉本の手から神様に渡されたのか?金を受け取った神様はどこにいるのだ?神様は日本円をどうやって神の国で使うのだ?神様とは神世界の実態を隠すための隠れ蓑でしかなく、金が行き着く先は教祖・斉藤亨の懐だっただけではないか。家宅捜索で出てきた数億円の現金と金の延べ棒は、神様が出してくれたのか?

 杉本被告は、2011年3月10日に逮捕される少し前に、杉本が信頼していたA氏にこう述べたことがあった。「これまでの人生は競争すること、勝ち取ることばかりだった。売り上げを上げることしか考えていなかった。売り上げを上げるだけの仕事は虚しくなって辞めた」。杉本はA氏には、自分が神世界事件で話題になった杉本明枝であることは隠し、全く別の氏名を名乗っていた。A氏もまさかその女が神世界事件で一躍有名になった杉本明枝であるとは全く気づいていなかった。二人は親しく世間話をするような関係だったので、杉本もA氏にはつい本音をもらしたのだろう。まさに杉本の人生は、”売上げを上げることしか考えていなかった”人生だった。杉本の目的はあくまでも「金」であり、売上げを上げるためには手段を厭わなかったのである。
 杉本に神様の預言を聞く能力が本当にあったのならば、神様は杉本にきっとこう述べたことだろう。「そんな虚言に満ちた言動ばかりしていると、汝は身を滅ぼすぞ」。残念ながら、杉本には神様の預言を聞く能力はなかったので、その声は聞こえず、逮捕される結果となった。

【神世界新聞第14号(2011年9月1日発行)「私の一言(弁護士 尾崎幸廣)」】

私の一言 預言

 預言とは、神が預言者の口を通じて神の言葉を伝えることであって、預言者自身の言葉ではない。預言者が奇跡について伝えた場合、その奇跡を起こすのは預言者ではなく、神である。
 宗教を無視ないし軽んじる戦後の日本では、こんな当然のことを理解していない人達がいる。そのような人達は、預言者自身に奇跡を起こす力があるか否かを問題にする。しかし、神の力によって奇跡が起こると信じる預言者に対し、本人自身に奇跡を起こす能力があるか否かを問うのは、問題のすり替えである。
 問うとするならば、「奇跡を起こす神の能力を預言者は本当に信じているか否か」でなければならない。そのような問いに対しては、私たち弁護団は、外から冷静な目で判断した上で、神世界の信者は心から神を信じていると断言する事が出来る。

(弁護士 尾崎幸廣)



■第14号を読んでの編集後記
 神世界新聞第14号には、これまで掲載されていた「編集後記」がなぜか掲載されていない。第12号の編集後記に対して、私が、「次号の編集後記は私(fujiya)に書かせた方がいいように思うが、どうだろう?」と提案したことを受けて、私に書かせてくれるために空けておいてくれたのかもしれない。ご要望に応えて、私が【第14号批判記事編集後記】を書かせていただこう。
 神世界新聞は創刊が2009年8月だったので、今回の14号で、発行から丸2年になったそうだ。よくぞこんな新聞が2年も発行できたものだと思うが、ある意味では、私もこの新聞によって楽しませてもらった点もあるので、その意味では感謝せねばならないのかもしれない。
 私は、「家族を新興宗教から守ろう」というHPも主宰している関係上、他の怪しげな宗教団体が発行している機関紙を目にする機会も時折あるが、私がこれまでに目を通した機関紙の中では、群を抜いて面白いのがこの神世界新聞だった。なぜ神世界新聞が面白いかというと、彼らが実際に行っていることと、紙面に書かれていることのギャップが非常に大きいことがその理由として上げられる。違う言い方をすると、”突っ込みどころ満載”なのが、神世界であり、この神世界新聞なのだ。
 神世界のように叩き甲斐のあるところはそう滅多にあるものではない。社会の敵である神世界を壊滅させることが私の目標ではあるが、反面、神世界新聞の発行が止まってしまったり、神世界が消滅すると、”絶好の対戦相手がいなくなってしまう”ようで、少々寂しい気もする。かといって、神世界との戦いに手心を加えるつもりは全くない。





(下記は、2011.11.15更新)

神世界新聞 第15号(2011.11.01発行)を見て

神世界新聞第15号(2011.11.01発行)

 これまで多数の神世界関係者が逮捕され、横浜地裁では起訴された神世界関係者の裁判が続いている。教祖・斉藤亨や元警視・吉田澄雄も起訴され、初公判の日を待っている。こうした状況であるにも係わらず、神世界は11/1付けで新たな新聞を発行した。(有)神世界代表取締役・日原易子(70)、(有)神世界取締役・(教祖)斉藤亨(53)、(有)神世界取締役・斉藤葉子(44)、(有)神世界取締役・宮入参希江(49)の会社トップ4名全員が、組織犯罪処罰法違反(組織的詐欺)容疑で逮捕されたことを真摯に受けとめれば、普通の神経の持ち主であれば、到底新たな新聞発行などできないと思われるが、神世界は厚顔無恥に、これまでと同じような論調の新聞を発行した。こうした彼らの神経は、私には到底理解できないが、敢えてその真意を推測すれば、こうして強行かつ無遠慮に新聞発行を続けることで、「我々は宗教団体として確信を持って活動しているのだ。関係者が逮捕されようがそんなことは関係ないのだ。我々は詐欺団体などではない」という”ポーズ”を、残存会員と捜査機関に対してアピールしようとしているのかもしれない。

■鉄格子の中から

珍しく、日付が記載された文書
 神世界新聞第15号の冒頭には、いつもと同じように、教祖・斉藤亨の言葉が掲載されているが、今回はいつもと違う点が一つある。それは斉藤亨の言葉の最後に、平成23年10月14日(金)と日付けが記載されている点だ(右記)。斉藤亨が逮捕されたのは9/12、起訴されたのが10/4なので、この言葉を書いたとする10/14には、斉藤亨は拘置所の中に収監されていた。編集後記にも、「弁護士を通して原稿が届けられた」とある通り、斉藤は拘置所で接見した弁護士にこの言葉を託し、それを掲載した訳だ。
 日原易子の記事にも「23・9記」と執筆時期が書かれているが、9/27に逮捕され、10/17まで連日取り調べを受けていた日原が、この文章を9月中に拘置所内で作成したというのは少々疑問だが、編集後記によれば、日原の文章も弁護士から届けられたとされている。
 教祖等の逮捕に関する具体的記述がないにも係わらず、わざわざこれらの文章が鉄格子の中から送られてきたことを匂わしているのは、「教祖様等は、鉄格子の中に入っても私達会員のことを思ってくれている」と会員に思わせるための演出なのかもしれない。

■事件への言及は皆無
 拘置所に収監されている未決拘禁者が手紙等を発信する場合は、施設係官によって内容の検査が行われ、暗号が用いられていたり、罪証の隠滅につながるおそれがある内容は抹消されたり発信が認められない場合がある。
 斉藤亨と日原易子が鉄格子の中で書いたとする内容に、事件に関する記述がないのはそうしたことも多少は関係しているのかもしれないが、宮入英実や和田美和が書いた内容に、事件に関する内容が一言も書かれていないのは極めて異常である。この新聞は神世界の会員に配布されるものであり、会員の中には事件の真相を知りたがっている者もいる筈だ。企業経営者として、こうした大きな問題が企業に生じたとき、職員や会員に対して何らかの説明をするのは当然の責務だ。
 もし彼らが言うように、”無実”であるとするならば、声を大にしてその内容を訴えるべきであるが、そうした説明を敢えて回避しているのは、彼らが「脛(すね)に傷もつ身」であるからだろう。11/9(水)に東京地裁で行われた民事訴訟の席上、突然、神世界側が、「和解したい」と言い出したのは、「我々は有罪を認めて金を返す。だから和解に応じてくれ」という意味以外のなにものでもない。

■執筆者は誰?
 神世界新聞第15号にも、「詐欺の故意を認める証拠皆無」と題した、口汚い検察批判が相変わらず掲載されている。私はこれを読んで、「この文章は誰が書いているのだろう?」と疑問を感じた。最初は弁護士が書いているのかとも思ったが、「弁護士の先生方は」と尊敬語を使っていたり、いずれの文章も、「〜だそうです。」という終わり方になっており、執筆者本人は弁護士ではないことが分かる。今回の文章中には、「衷心」(ちゅうしん)や、「敬虔」(けいけん)、「汲々」(きゅうきゅう)など、若者はあまり使わない語句が用いられており、執筆者の年齢が推測できる。「日頃接している当職が」という表現もあり、逮捕された被告と執筆者がごく近い位置にいることを伺わせる内容もある。ある程度以上の年齢で、被告等にごく近い位置におり、なおかつ現在逮捕されていないとすると、執筆者は自ずから限られてくる。
 「詐欺の故意を認める証拠皆無」と題した下記文章では、会員等を鼓舞するためか、「(刑事裁判の判決は)無罪であることは明白だ」と断定しているが、11/9(水)の民事訴訟で神世界側が突然、「和解したい」と発言したことを、この執筆者はどのように受けとめているのだろうか。神世界の被告等が無罪であることが明白であるのなら、民事で唐突に和解案を提示する必要など更々ない筈だ。更に、11/10(木)には、各原告の自宅に神世界側弁護士から和解案を示した文書が一方的に送りつけられてきた。損害賠償訴訟は現在係争中であり、原告側は和解に応ずるなどとは一言も言っていないにも係わらず、代理人を飛び越えて、原告に直接和解案の文書を送付するなど、明らかにルール違反であり、弁護士業務の妨害に当たる違法行為だ。
 誰の指示でこのような暴挙が行われたのか?斉藤亨は逮捕された際、自ら、「自分は神世界のトップだ」と述べており、巨額な金が必要になる和解案の唐突な押しつけを判断できる地位にあるのは、斉藤亨以外はいないであろう。このままでは自分が有罪になると判断し、刑罰を軽くするためにはどのような方法でもいいので和解を取り付け、刑を軽くしてもらおうと目論んだ結果が今回の強行な和解案押しつけだったのだろう。
 民事を和解することで刑事裁判の心証をよくしようとするのはよくあることだが、今回のように、原告弁護団とは全く話し合わず、原告代理人の頭上を飛び越えて直接原告に和解案文書を送りつけるような行為は、あまりにも身勝手であり、信義にもとる行為だ。このような暴挙は、裁判所の心証をよくするどころか、「神世界側がこれほど強行に和解を押しつけようとしたのは、被告ら自身が有罪を認めたのと同じであり、神世界の被告が有罪であることは間違いない」と裁判所が判断するのに十分な行為だ。裁判所の心証をよくしようと思ってやった行為が、実は裁判所が「被告は有罪である」と判断するに十分な証拠となった訳だ。どこまでも間抜けな連中である。
 有罪が明らかであると彼ら自身が思っているにも係わらず、会員に向かって、「無罪であることは明白だそうです」と嘘をつきまくっている下記文章を書いている者の顔をぜひ見てみたいものだ。

【神世界新聞第15号(2011年11月1日発行)裏面の記事】

詐欺の故意を認める証拠皆無

 いよいよ問題の公判が始まりました。公判で何が明らかになったのか、今後の見通しはどうなのか、弁護士の先生にお尋ねしました。

、刑事事件で起訴された関係者の弁護人を務めている弁護士らの説明によると、検察官が開示した証拠関係によれば、裁判官が余程の偏見の持ち主で無い限り無罪であることは明白だそうです。
 弁護士の先生方は、本件に関与した検察官はもとより、紀藤弁護士一派の弁護士などよりは遙かに経験豊富な方々が多いので、その認識は信頼に足ると思われます。
、保身と組織の体面を維持するために、トップダウンでなりふり構わず摘発ありきの捜査に動いた神奈川県警と、民事問題を有利に展開するために刑事事件化を策していた不純な被害者弁護団を自称する紀藤弁護士一派が、霊感商法というまやかしのタッチで描き出した組織詐欺なる虚構の事件の構図に、無能なくせに功名心と出世欲だけは旺盛な検察官が容易く飛びついて、信仰の自由を侵害してまで実態に反する表面的な供述調書を作出して、起訴したのが本件の実態だそうです。
 そのため、自称被害者の供述調書は、所詮検察官の作文に過ぎないため目を覆いたくなるほどの矛盾に満ちたもので、読んでいて何が詐欺の被害者なのかと呆れるしか無いそうです。
、今回、起訴されている関係者が宗教家として衷心から神様に帰依し、深い信仰心に根ざした敬虔な生活を送って御神業に従事していることは、日頃接している当職がよく知っている所です。
 このように、真面目に御神業に勤めている関係者の行為が、犯罪になるはずもありません。
 法律的にも、詐欺罪になるためには詐欺の故意が必要なのですが、起訴された関係者に詐欺の故意を認める証拠は皆無です。
 ところが、公判検事は、捜査検事に勝とも劣らない無能ぶりで、驚くべきことに何ら証拠に基づくこと無く関係者の信仰心が虚偽のように断定するなど、裁判官に予断と偏見を与えることに汲々としている有様で、実に恥ずかしく、嘆かわしい限りだそうです。
 このような検察官の度し難さは、いずれ公判で明らかになるはずですから、会員のみなさんは、無罪判決を期待して公判の推移を見守りたいものです。

以上




■神書を読んでいない尾崎弁護士
 毎回、好き勝手なことを書いている尾崎弁護士であるが、今回の「家族の結束」は、神世界という団体の機関紙に掲載する内容ではない。誤解しないでいただきたいが、今回尾崎氏が書いた、「家族の結束が大切」という点については異議はない。しかし、尾崎氏は、「神世界は、健康や財産とともに、人間関係を極めて重視している」と書いているが、これは100%間違いだ。
 尾崎氏は神書の124ページに書かれている、「順序は快適さの要素」を読んだことはあるのか?そこに書かれている内容は下記の通り、とんでもないことが書かれている。そこには、例え自分の家族であっても、神世界の神を信ずることに反対する者とは関係を断てと書かれている。実際にその教えに従い、家族との関係が断絶したり、離婚したり、結婚を諦めた恋人同士も多数出ているのだ。
 もし尾崎氏が、家族の結束が本当に大切だと思っているのであれば、神書に書かれていることがいかに荒唐無稽で、人の道に外れたものであることが分かる筈だ。神世界の弁護をする前に、弁護士としてもう少しクライアントのことをよく知る努力をすべきである。

【神世界新聞第15号(2011年11月1日発行)「私の一言(弁護士 尾崎幸廣)」】

私の一言 家族の結束

 ”禍福はあざなえる縄の如し”という言葉があるが、今は不幸な目に遭っていると思っていても、後に振り返って見るとあれが幸福の転機になったと思えることがある。人間関係の中でも、最重要な家族が崩壊しては将来の幸福はあり得ない。わが国の歴史をみても、源氏はすべて兄弟親子の不和争闘で不幸を招いた。
 神世界は、健康や財産とともに、人間関係を極めて重視している。そこが既存の宗教と異なる点である。困難な事態においても、家族を中核とする人間関係が維持できれば、悪い状態を最善にすることが可能となる。最悪を基準とすれば、あとは良い方向に進むだけである。

(弁護士 尾崎幸廣)

(神書P.124「順序は快適さの要素」より)
 健康・お金・人間関係の順序で幸福を実現するには、取引可能な神様とつながるのが絶対必要条件であり、取引可能な神様とのつながりは自分の幸福実現にとって最大の価値があり最大のプラスである訳だから、神様と自分とのつながりを邪魔する存在は自分にとって最大のマイナスを生み出している事になり、そのマイナスが自分の家族であっても何程かけがえのない人間関係であっても、そのつながりはマイナスだから迅速に解消するのが最適である。その結果自分の生命以外の何を捨てる事になっても、取引可能な神様とのつながりを解消するよりははるかに利益で得でプラスになる筈である。





■編集後記の矛盾
 今回は編集後記が復活していた。編集後記には、「今号は、先の出来事の後だけに大変ご心配をおかけしましたが・・」と、教祖や陽龍など、神世界トップ全員が逮捕されるという大変な出来事があったことに言及しているが、肝心の本文には、逮捕に関する内容が全く掲載されていないというおかしな誌面構成になっている。  更に、「教祖様と日原易子様から、弁護士を通して有り難い原稿が届きました」と、この両名の原稿が鉄格子の中から送られてきたことまで紹介している。そこまで言うのであれば、なぜこれらの者が鉄格子の中に入るようなことになったのかについて、本文で言及すべきである。「臭い物にはフタ」、「都合の悪いことは一切会員に知らせない」という神世界の悪しき習慣は今も全く変わっていない。








神世界新聞発行に関する意見など


神世界の新聞発行に関して神世界告発掲示板に掲載された意見などをここで紹介しています。





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