[1132] ホームページが文字化け
投稿者:macchan 投稿日:2013/03/12(Tue) 23:10 [返信]
- ホームページが文字化けしていますが、大丈夫でしょうか?
秀明会の妨害という風に勘ぐりたくもなりますが、
変わりなく応援させていただいています。
今はこれといって話題はないようですが、
秀明会を放置することには大反対です。
頑張って下さい。
[1131] Re:[1129] 無題
投稿者:元信者 投稿日:2013/02/17(Sun) 17:14 [返信]
- はい、全てMIHO美学院の教師は校長以外は全員信者です。
開校1年以上前に全国の拠点を通して教員募集を呼びかけられ、選抜試験が実施されました。本部の式典で信者の前で紹介もされています。
[1129] 無題
投稿者:匿名 投稿日:2013/02/13(Wed) 08:30 [返信]
- この学校の教師も信者ですか?
[1128] 認可
投稿者:macchan 投稿日:2012/06/05(Tue) 21:37 [返信]
- 秀明会消滅のきっかけにでもなればと強い思いで願っている私たちにとって、滋賀県の判断は無力感をおぼえさせるものでした。
でも、おかげ様で秀明会は表立った活動はできないようだし、世の中に不適切な団体はいずれ消滅すると考え、そう願っています。
[1127] 無題
投稿者:学生 投稿日:2011/12/22(Thu) 02:43 [返信]
- >人々が殺し合いをしようとしているときです。もっと身近に具体的に云うなら、駅のホームに人が落ちたときです。(日本で韓国人の学生さんが落ちた人を助け亡くなったことがありましたよね。)目の前で人が車に引かれたときです。(先日中国で10人以上の人が2歳の引かれた子供を無視しましたよね。)あなたは運命だから仕方がないと放置しますか。もし自分がその場にいたら何かしようとは思いませんか。
ただの興味本位で問わせてください。あなたは今、世界各地で起きていることが分かっている内戦・紛争・殺し合いなどに対して何か行動を起こしていますか?何か行動を起こすことが正しい行いで、立派な人間のあるべき姿と分かっていながら、何も行動していないのではないでしょうか。
日本外のことは知らない、というわけではないでしょうし、何か行動しているならこんなところで油を売っている暇はない。
貴方の理屈からすると、今、世界のどこかで争いが起きているのに見過ごすことは駅のホームに人が落ちているのを見過ごすことと同じなのでは?
岡田師の一言で戦争が止むのならそうしていたのではないでしょうか。というか、彼にそのような力があればとっくに世界は平和でしょう。いや、むしろ、神にそのような力があって、神が実在していて、神がそれを望んでいるのなら、既に世界は平和なはずですね。言いたいことがお分かりでしょうか?
ただ、kimura様の仰るとおりだとすると岡田師が立派な人間かどうかというのは確かに疑わしいですね。
秀明会について、
過去に確かにあった過ちについて、肯定的な姿勢をとるつもりはありません。というよりむしろ、宗教として確実に誤った道を進んでいたと認識しています。ただ、運よく僕は直接はその煽りを受けなかった、というだけです。
それでも、催眠、不法侵入、なんてやはり聞いたことがありません。被害者でもいるのでしょうか?黄島に関しても、監禁だなんて、もはやネタレベルとしか思えません。そういう話はどこから来るのかと本当に不思議です。
kimura様が秀明会を否定したいのか一般的な話をしているのか分かりませんが、別に僕は秀明会をまじめな組織として肯定しているつもりも、そういう記述をした覚えもありませんのであしからず。
それと、「調べる」と仰いましたが、それほど確実な資料はどこにあるのかも教えて欲しいです。とくに、岡田茂吉師に関しての資料については、良いものでも悪いものでも非常に興味があります。
ちなみに前回書き込み最後の話はささやかなジョークです^^;
[1126] 学生さんへ
投稿者:kimura 投稿日:2011/12/21(Wed) 17:36 [返信]
- 人が死んだときに「運命だったんだ」と言う人は、「この人は死ぬべきだ」と言って殺人を犯す人間と大差ない、といっているように思われてしまいます。
人が死んだときではありません。人々が殺し合いをしようとしているときです。もっと身近に具体的に云うなら、駅のホームに人が落ちたときです。(日本で韓国人の学生さんが落ちた人を助け亡くなったことがありましたよね。)目の前で人が車に引かれたときです。(先日中国で10人以上の人が2歳の引かれた子供を無視しましたよね。)あなたは運命だから仕方がないと放置しますか。もし自分がその場にいたら何かしようとは思いませんか。戦争なんぞ自分が生まれるずっと前のことだから、運命で済ませばいいのでしょうか。死んた奴は運命ですか。自分がその場にいたら、反対しようとは思いませんか。
世界を救う宗教と云っておきながら、ましてやその場にいながら何もしない爺様の教えをありがたく鵜呑みに出来るわけだ。
オウム真理教は自己犯罪を隠す為に無差別殺人を行いました。
現在の若者の中にはそのことを知らずに、名前を変えたオウムに入信してしまう人がいると、報道で聞きました。
人間(大人)は自分が所属する組織のことをよく調べ、知っておく義務があると思います。そのことをせず、友人や親族や知人の紹介でその組織に良く調べもせず入り、詐欺にあったと被害者ぶるのは自分が馬鹿だと云っているようなものです。あるいは過去は知らない、今は真面目な組織だと云うのも組織の過去を背負えないのなら無責任な人間だと云っているのと同じです。この国の人間は組織を選ぶ自由を与えられています。自分が組織を選べるのです。全ての組織に属さない自由すら認められているのです。
神慈秀明会が如何なる組織であるか認識するのはあなたの自由ですが、調べず、批判せずは無責任です。
組織にはお金も必要です。多くの宗教団体は神・仏の為に献金してくれと信者に云いますが、これは実におかしなことです。なぜなら、神・仏はお金は使いません、使うのは組織の人々です。はっきりと組織の為にお金をくれと云えばいいのに、神・仏のためにと云うのです。そうされると、お金の使い方が曖昧になっても、信者は文句が云えなくなるのです。本当はいくら収入があり、組織の為に働く職員にいくら、施設にいくら、広報活動にいくらいったと正しく公表すればいいのですが、多くの胡散臭い宗教団体はそれをしません。国や地方公共団体だっていい加減だからまあいいか、なんて思うと詐欺師の思う壺です。
[1125] 無題
投稿者:学生 投稿日:2011/12/20(Tue) 06:00 [返信]
- よくご存知なんですね。僕はその時代に生きていなかったし、確かな記録も見たことがないので、知らなかったことばかりです。
戦争や人を殺すことに肯定的な記述はなかったと思うので、殺す、殺戮する、という思想とは幾分異なるのではないかと。このままですと、他に例えるなら、人が死んだときに「運命だったんだ」と言う人は、「この人は死ぬべきだ」と言って殺人を犯す人間と大差ない、といっているように思われてしまいます。
しかし、これらの情報が確かなら、僕たち末端に知らされている明主様はいくらかゆがんだものだったのかも知れません。少なくとも僕は、自分の人生をこの宗教で意図的に左右させるつもりはないので、確かなことは死んでから確認したいと思います。
それよりも、今までの話からは変わりますが、とにかく僕が不思議に思うのは、ここや他の掲示板に書かれているような事実を僕自身が感じたことがないということです。いえ、一部確かにあったであろうことは信じられます。ですが、極端なものが多くてびっくりするのです。
旧体制のときは、物心がつく前ですから本当にわからないのですが、「催眠」とか「不法侵入」とかいうのは聞いたことも見たこともありません。「刷り込み」は確かに否定できないですけどね。
やめようとしたらすごくしつこくて、生活に影響が・・・というのもにわかには信じられません。かかわりを断とうと思えば、関わりに行かなければ済むと思うのです。実際、身近な人がこの宗教に疑問を感じ1年間ほぼ関わりを断っていましたが、特に問題はなかったようですし。僕自身、いきなり5年間パッタリ関わらなかったわけですし。
どちらかというと、この教団についてとにかくあることないこと書いて「カルトだ!」と騒ぎたて、潰そうとしているように見えてしまいます。別に、僕個人としてはあることないこと吹聴していただくのも、潰していただくのもいっこうにかまいませんが。なぜそこまで、と不思議なわけです。
ここを見て思ったことは、創価学会へのアンチテーゼも同じような経緯をたどっているのではないかということです。創価学会を肯定する気はさらさらありませんが、ここを見てうわさほど酷いものではないんだろうなと思いました。というか、ここにあるようなうわさと丸かぶりしているので(催眠、刷り込み、しつこさ等)内情を何も知らない人がやっていることなのでしょうかね。
僕が熱心な信者ならともかく、もはやただの唯神論者ですからね。これが事実かどうかは僕しか知り得ないので言ってもしょうがないんですけど、催眠なんてのがあろうもんなら僕も教えてほしいですね、罹りたくはないですけど・・・。
そういえば一度、外に若い人たちで集まり、お祈りとお茶をする、となったときに、「貴重品を預かる」と称した代表責任者に皆が財布や携帯電話などを預けたことがありました。そのときは、お祈りのときの奉納金とお茶代を、預けた貴重品から勝手に抜かれていたのですが、取られた額が極端に多かった、ということはありましたね。(財布の中にあるお札がすべて抜かれていました。)
[1124] 続学生さんへ
投稿者:kimura 投稿日:2011/12/19(Mon) 16:56 [返信]
- 私の云いたいことは至極単純なことです。
自分は180ある霊の階層のそのまたうえの存在である。と大口を叩く人間であり、神または仏として称し、キリストよりも上の存在といった茂吉は、多くの民がむごく死んでいく様を浄化だからしょうがない、と何もせずいた。その程度の老人だった。彼がもともと入信した大本は陸軍により反戦争思想として神殿そのものが爆破され、壊滅の危機にさらされた。彼はそれを横目で見ていて知っていた。だから、会戦当初のある講話では、日本は物質主義の米英とは違い、精神主義だから連戦連勝なのだ。自分が云う光によるj魂の浄化による医療も同じと言うような暴言も平気で云っている。
地球浄化の為に戦争が起こり、死ぬやつは死ぬ運命なのだという思想は、オウム真理教の自分たちにとって悪をなす人間を魂を救うと言う意味の「ポア」という言葉を使い殺すことや、聖戦「ジーハード」という言葉で多くの罪なき人々も巻き込み殺戮するアルカイダの思想と大差はない。
日本の負けが決まってから、いや実は私はそうなると思っていた。等の発言は詐欺爺さんの詭弁そのものだ。
彼は信徒を上げて、反戦運動など一切しなかった。それどころか軍部に媚へつらう発言が多い。仕舞には「お光」は空襲の火事よけになるなどと宣伝している。その程度の宗教だ。
病気が治る、と宣伝し、信者を集め。奇跡が起こると宣伝し、妾を多数抱えた変体息子は48の若さで死に、どこにおかげがあるのやら自業自得と傍の者は思っても、「命様」は神様に祭れる知能の低さは清らかな魂のせいですか。
教祖の爺様はお光をあて祈っても、病気が治らないのは、周りの人間が余りに生に執着するからだと説く、そうすれば、自分がお光あてて治らず死んでも、爺様もせいにはならないものね。治ったら神様扱いだ。どっちに転んでも爺様に損はない。そんな教えの何処に誠があると言えるのだろう。
[1123] 無題
投稿者:学生 投稿日:2011/12/18(Sun) 03:17 [返信]
- そのような疑問は勿論持ったことはあります。それも、ずっと昔に、幾度となく沸いたことでしょう。
今となっては、今回の具体例でいいますと、「人がたくさん死ぬのは悪いこと」という価値観自体が人間的な視点しか持てていないと考えるに至ります。あるいは、死後の世界がある、ということまで信じている僕とは「死」そのものに対する考えが異なっているということもあると思います。
人の死が倫理的に良くないことなのは理解しています。自分が死ぬことになっても、人を殺すことはできません。仮に岡田茂吉師に言われてもそれだけはできないでしょう。それぐらいの確かな倫理観が僕にはあります。しかし、それが、その倫理観を貫くことが正しいことかどうかはわかりません。今生きている社会では正しいことなのでしょうけれど。
加えて例えばの話をさせてください。
今、過去に行くことができたとします。あるいは、未来のことが予知できたとします。(トンデモ話ですみません。)そこで、将来、社会的に更正不可能とされ、死刑になるような「悪い」人間がいたとします。
このとき、自分と同じように過去の世界にきた、あるいは未来を予知できる人間が他におり、その人がこの「悪い」人間を、その「悪事」が起きる前に殺害したとします。
その時代にのみ生きている人間からしてみれば、この人はただの殺人犯です。未来から来たとか未来が分かるとか言われてもただの頭のイカれた人間として扱われ、せいぜい責任能力の有無について議論されるぐらいでしょうか。
しかしその背景を理解している人間がいたなら、その人はこの人を非難することはできるのでしょうか?この人が殺害しなくても、殺害された「悪い」人は、いずれは死刑となる身です。まして、この人が殺害しなければ、多くの人が犠牲になるのです。
有り得ない話です。が、何が正しく、何が正しくないのか。正直今出したたとえ話はかなりへたくそで、うまく言いたいことが伝えられてないとは思うのですが・・・。
僕個人としては戦争は良くないことだと思いますが、そもそも僕たち人間の存在意義が明確でない上、人間というのは愚かなことをするものなのですから、何を良しとし何を悪しとするのかを勝手に決めつけてしまうことそのものがおこがましいのではないのかと考えているのです。
岡田茂吉師の行動は、よく知りません。その時代に生きていなかったので、確かめようがないのです。ですが、ある程度文献を読むことはしました。それらしいことを言っている文献もいくらか読みましたし、非難するような内容のものも拝見しました。照らし合わせると矛盾があるので、少なくともどちらかが嘘であるのでしょう。しかし現在それを確かめる術は僕にはありません。だから結局、僕なりに解釈するしかないのです。
少なくとも僕の知り得る限りですと、彼の戦争に対する考え方は、ちょうど風邪を引いたときに熱が出るようなもので、地球規模での大きな浄化作用であったと解釈しています。現世に必要な人間が生き残り、あの世に必要な人間があの世に行く、というようなことが書かれていたような・・・。
はっきり言って僕はそこまでしっかり理解できていないので、深く突っ込まれると答えられません。すみません・・・。
あと、道徳的にどうとか言いながら結局は分からないとか言ってごめんなさい。僕の中では矛盾がないつもりなのですが、うまく表現できているかはわかりません・・・。
[1122] 学生さんへ
投稿者:kimura 投稿日:2011/12/17(Sat) 16:36 [返信]
- 学生さんに質問します。
岡田茂吉が本当に神がかっていて、本当に人間として素晴らしい人物だとしたら、
なぜ彼が元気だった第2次世界大戦時、戦争に反対もせず、この国の人間が200万人以上死んでいくのを見過ごしたのでしょうか。
彼が神がかっていたのなら、彼は残酷な心をもった神の使いだったことになる。
彼が神がかりは嘘つきだが、人間的に倫理観に優れていたなら、人が人を殺す戦争すら反対しない自己保身しか持っていない偽道徳者になる。
どちらにしても、彼は信仰に値する人物とは云えない。
彼の生きた時代が、その頃の発言や行動が全て証明している。
ただ、人当りのいい発言をすれば、聖人なのかな。
中学の社会の勉強を習ったときに、その疑問も沸かなかったなら、君は愚かな人だ。
ポジティブな面を見ることは、彼の生きた時代とその行動を検証することです。
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