おひかり改造

 神慈秀明会を語るとき、「おひかり」は重要なアイテムだ。
 信者ではない者から見ればただの紙切れが入ったお守りにしか見えないが、秀明信者にとっておひかりが信者の心に与える影響は多大なものがある。
 以下は、その「おひかり」について調べてみた結果だが、別途掲載した「御神体改造」と併せてご覧頂くと、より一層秀明グッズの「不思議」がお分かり頂けると思う。
 ただ、私は秀明信者ではないので、信者の方が見ると多少内容に不適切な点があるかも知れないがご容赦頂きたい。

本物の「おひかり」は大きかった
 下記写真は岡田茂吉直筆の「おひかり」を掛け軸に表装したものだ。
 大きさがわかりやすいように身長162cmの人と並べてみた。こうして見ると、このおひかりの大きさがよくわかる。


 この掛け軸全体の大きさは162cm×43cmで、「光明」と書かれている紙面の大きさが67cm×34.5cmある。
 現在はこうして掛け軸の形をしているが、元々これは67cm×34.5cmの紙に書かれた「光明」を何度も折り畳んで袋に入れ、首からひもで吊しておひかりとして使っていたものだ。写真をよく見るとわかるが折り畳んでいた跡が残っている。




 長い年月そのような状態にあったため、右上に押印されていた引首印(○に主の文字)が折り畳んだ反対側の部分に転写してしまった跡が残っている。
 岡田茂吉が存命中に書いていたおひかりとは、このように大きなものだったのだ。

大量生産された「おひかり」
 下記写真の@とAに注目して頂きたい。


 @は岡田茂吉直筆のおひかりとして御書体アルバムに掲載されているもので、Aはこのページの冒頭で紹介したおひかりである。
 両者をよく見比べてみると、その書体は酷似している。酷似はしているが同一のものではなく、別々のものである。なぜこんなに似かよったものが存在するのか? どちらかは本物に似せて作った贋作なのだろうか?
 そうではなく、この二つは同じ時に同じ目的で書かれた書なので非常によく似ているのだ。
 岡田茂吉は彼の著述の中で、「私はその“おひかり”の文字をかく場合、祈りもせずなんら変わった事はやらない。ただ一枚ずつ頗る(すこぶる)スピーディにかく。まず一枚かくのに七秒平均であるから、一時間に五百枚は楽である(昭和27年5月25日)」と言っている通り、こうした文字を連続して書いていたのでよく似たものが多数存在するのだ。
 BとCはどうだろう? これもよく似ている。Bは古美術洛南に掲載されている岡田茂吉直筆のおひかり、Cは神慈秀明会香港支部の御神体である。  この二つも非常によく似ている。
 @、A、Bの共通点として右上に○に主の文字をあしらった引首印が押印されている。岡田茂吉はこの引首印をおひかり、色紙、短冊のみに使用しており、御神体やその他の掛け軸、扁額には使用していない。また、岡田茂吉がこうした揮毫(きごう)で落款や落款印を使用しなかったのは昭和26年以降のおひかりだけだったことが確認されており、この@〜Bは岡田茂吉直筆のおひかりであることが確認できる。
 では、Cは一体なんなのだろう?CはBに非常によく似ているが引首印はない。
 神慈秀明会は御神体として使える岡田茂吉の「大光明」の書を所有していないため、仕方なしにBと同じときに書かれたおひかりの大光明を掛け軸にして御神体としていると考えられる。
 こうして検証してみた結果、神慈秀明会香港支部、SSA等の御神体は、おひかりから引首印を「削除」して「御神体」としたものであると結論づけていいだろう。

 元はなんであろうとも、会主や会長が入霊すれば「御神体」や、「おひかり」となってしまうことを信者も了解しているのだからそれでいいのだろうが、「おひかり」として大量生産されたものが御神体では何となく有り難みが減ってしまうように感ずるのは私だけだろうか?

秀明会が現在配布している「おひかり」
 神慈秀明会のおひかりは下記に示すものが多く出回っており、現在多くの秀明会信者の方が持っているおひかりはこのタイプだ。私の所には元信者の方から数枚のおひかりの写真が届けられているが、そのどれもがこの2枚の写真のどちらかだった。
 この写真でも分かるが、この2枚に写っている「光」の文字は全く同じ筆跡であり、秀明会の「おひかり」は教祖・岡田茂吉が書いた(と言われている)文字を切り貼りして作られていることは周知の事実だ。
 切り貼りしようが、拡大縮小しようが、加工後に会主か会長が入霊すれば教祖の力を伝える力を持つことになっている(真偽のほどは?だが)ので、信者の人はそんなことを気にしてはいけない。


 現在、秀明信者に配布(販売?)されている「おひかり」の最大の特徴は、その「小ささ」だ。
 上記写真の「おひかり」は長辺が約15cm程度の小さな紙片だ。
 試しに冒頭で示した教祖直筆の「おひかり」と、現在秀明信者が持っている「おひかり」を同じ縮尺で並べてみると次のような状態となる。


 こうして見ると秀明信者が持っている「おひかり」の小ささがよく分かるが、別に小さいからいけないということではなく、「軽薄短小」は今の時代に合っており、現在の小さな「おひかり」ですら日常生活の邪魔になるときがあるのに、昔のように大きな「おひかり」だったら全く以て不便で仕方ないので、こうしたスモールサイズに変更したことは、神慈秀明会が信者に示した「利他愛」だったのかもしれない・・・?

 秀明会が現在信者に配布している「光」や「光明」などの「おひかり」の書体は御書体アルバム(おひかり)にも見あたらないが、いづのめ教団が所有する「光明」の掛け軸(下記写真左側。本来おひかりではない軸物)がよく似た書体である。
 断定はできないが、この二つの書は同時期に書かれたものではないだろうか。
 このことから、秀明会のおひかりは、明主様が御神体相当の掛け軸として書いた「光明」を切り貼りして、作られていることが分かる。秀明会のおひかりは、元々、おひかりではなかったのだ。
 秀明会は、おひかりを御神体相当の掛け軸から作り、御神体の「大光明」をおひかりから作っている。この理解に苦しむ複雑な取り扱いは、秀明会のおひかり、御神体の作成担当者が、深奥な教学理論なしに、その場その場の場当たり的な判断で、おひかり、御神体を作っていたことに起因するのではないかと推理する。
 なお、いづのめ教団の「光明」の書には落款や落款印があるが、秀明会のおひかりや同じ書体を御神体にしたものからは落款や落款印が削除されている。秀明会がこれらを削除した理由は著作権を心配したためとも言われているが、真相は削除した者に聞いてみなければわからない。



会主も「おひかり」を開けていた
 秀明紙第258号(平成3年9月10日発行)をお持ちの方はご存じと思うが、会主・小山美秀子も「おひかり」を開封して中身を点検していたことが明らかになっている。
 当時は「おひかり」ではなく、「お守り様」と称していたようだが、これを「前に頂いた『お守り様』がどのような中身なのか、神様にお言訳申して開けさせて頂きました」と述べており、その開けた中身が写真入りで秀明紙に掲載されている。
 ここに掲載されている子どもの「おひかり」には○に主の文字をあしらった引首印が押印されている様子が写されており、秀明会の資料としては珍しい存在だ。


写真をクリックすると大きくなります。

 この秀明紙第258号のおひかりに関する会主の説明では、昔のおひかり(お守り)が現在より大きかったこと、「如来(にょらい)」と書かれた落款も添えられていたことを述べており、信者に真実を隠すことが多い秀明会としては珍しく詳しい説明をしている。
 しかし不思議なことに、この秀明紙258号に掲載された「光明」のおひかりを所有している信者は私が知る限り存在しない。なぜ秀明会は「明主様直筆のおひかり」であるこの「光明」を一般信者には与えないのだろうか?
 一説によると、「明主様が書かれたおひかりを信者に与えたり、明主様が書かれた御神体を掲げたり、明主様が書かれた観音様を信者に与えるとどんどん病気が治ってしまい、病気が治ってしまうと信者は献金しなくなるので、敢えて信者には明主様の神力が及ばない御利益のないものを与えている」という説があるが、本当にそうなのかも知れないと思ってしまう。

 私のような未信者からすれば、単なる紙切れでしかない「光」や「光明」であるが、秀明信者にとっては神様との仲立ちをする大切なアイテムである「おひかり」。
 今回改めて調査してみた結果、私としては、現在多くの秀明信者が首からかけている「おひかり」の”正統性”には、少々疑問を感じる結果となったが、これをどう感ずるかは人様々なので一概には言えないだろう。
 もし、秀明会から心が離れかけているが、しかしおひかりの存在の大きさにとまどっている方がおられたら、体験談のコーナーに寄せられた数々の脱会者の声をお読み頂きたい。
 そこには多くの方が「おひかり」を処分して身も心も解放され、元気に新しい生活に送っておられる姿がある。

 (参考)
 秀明会の「おひかり」と昭和22年に書かれた明主様直筆の「おひかり」、昭和26年に書かれた明主様直筆の「おひかり」を並べてみた。





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