神慈秀明会での奇跡体験にはダイヤモンドや金が出てくるというものがあり、妻の登志子も神慈秀明会の施設内を清掃奉仕中にダイヤモンドの『奇跡』を体験している。
登志子がダイヤモンドの奇跡を体験する前から、神慈秀明会内部ではかなり頻繁に同様の『奇跡』は起こっていたようで、そうした折には神慈秀明会の資格者が、『これは明主様があなたに下さった貴重なダイヤだから大切にしなさい』、『このダイヤはこの世のものではない、非常にめずらしいものです』との説明をしていた。
その日、登志子は『ご用』という労働奉仕で教団施設内の部屋を数名の信者とともに清掃作業をしていた。畳敷きの部屋を清掃中、登志子は一粒のダイヤモンドが畳の上に落ちているのを発見した。登志子は『誰かが落としたのかなー?』と思い、それを拾ってその施設内の資格者に届けた。それを受け取った資格者は『大きなダイヤモンドだねー。以前も同じようにダイヤモンドを頂いた人はいたけれど、もっと小さかったよ。これは明主様があなたにプレゼントしてくれたものだから大事にしまっておきなさい』と言って登志子にそのダイヤモンドをくれた。下記写真がその「ダイヤモンド」である。
登志子は、話には聞いていたが、自分はそれほど熱心に活動している方でもないし、まさか自分がそのような奇跡を体験することになるとは夢にも思っていなかったので、非常に驚くとともに、神慈秀明会の奇跡は本当だという思いが一層強くなった。
後日、私がその話を聞き、登志子からそのダイヤモンドを見せてもらったところ、直径5mmほどの「ダイヤモンド型」をしたきらきら光る透明な石だった。私はそれまで宝石や貴金属に関する知識は全くなかったが、広告等で見るダイヤモンドと同じように多面体にカットされており、これがダイヤモンドだと言われたら信じるしかない形をしていた。
でも、誰がこのようなカットをしたのだろう? 神様はダイヤカットの技術も身につけているのだろうか・・・?
私はダイヤモンドを見る目を全く持っていないので、このダイヤモンドがどのような「めずらしい」ダイヤモンドなのか判定することができなかった。しかし、このダイヤモンドがどの様なものなのか非常に興味があったので、登志子からこのダイヤモンドを借りて専門家に鑑定してもらうことにした。電話番号帖で宝石商を探し、ダイヤモンド鑑定士の資格を持っている人がいる店を探し出し、そこへこのダイヤモンドを持っていって鑑定してもらうことにした。鑑定の結果、本当にこの石がめずらしいものだったら神慈秀明会の話もある程度本当なのかも知れない・・。
会社の昼休みに電話で鑑定を依頼し、会社の帰り道にその宝石商の店を訪れた。店員に宝石鑑定を予約した者であることを告げると、店の奥から鑑定士が出てきたが、思っていたより若い感じの人で、40歳位かと思われる男性だった。鑑定士はルーペを目に付け、色々な角度から光線を当てながら丹念に石を見ていた。しばらくして鑑定士はルーペを外し、私の方を向いて言った。「これはダイヤモンドではありません。ダイヤ以外の宝石でもありません」。「これは装飾等に使用する強化プラスチックでできた作り物です。この石の裏面を見ると分かりますが、鏡面処理がしてあります。こうした鏡面処理は本物の宝石では行いません。作り物の場合はよりきらきら光るように見せるためにこうした鏡面処理をする場合があります。価値としては子供のおもちゃと同じといった程度です・・・」。
資格を持った鑑定士に鑑定してもらったのだから鑑定料を払わねばなりません。鑑定が有料であることは電話で鑑定を依頼したときから言われていたので、約束通り鑑定料を支払おうとしたら、「こんなおもちゃを鑑定して料金を取ったら、鑑定士として笑われますので鑑定料は結構です」といって鑑定料を受け取ってもらえなかった。
以上の結果から、神慈秀明会では「この世のものではない非常にめずらしいもの」と言われていた「ダイヤモンド」は実はプラスチック製のおもちゃであったことがわかった。
以上が登志子が体験した『ダイヤモンドの奇跡』の顛末であるが、これを読んで、何か「おかしい」と感じないだろうか。ダイヤモンドだと言われていたものが、実はおもちゃだったということがおかしいというだけではない。
拾得されたダイヤモンドに対する神慈秀明会の対応がおかしいのである。
例えば、会社や学校内にダイヤモンドが落ちていた場合、それを拾った人が会社の人や学校の先生にダイヤモンドを届けたら、それを受け取った人はどのような対応をするであろうか?
まさか、『いいものを拾ったね。あなたがもらっておきなさい』という人はいないであろう。そのダイヤモンドは本物で、高価なものである可能性もあるので、まず拾った人物の住所・氏名・連絡先等を確認後、警察へ拾得物として届けるのが普通の対応ではないだろうか。届出から6カ月が過ぎ、持ち主が現れなかった場合は警察から拾得物は返還されるので、その段階で拾った人にダイヤモンドを渡すのが正しい拾得物の取り扱いである。
ところが、登志子が拾ったダイヤモンドを資格者に見せたとき、その資格者はその場で即座にそれを明主様からのプレゼントと断定し、登志子個人の所有物とする決定をしてしまったのである。もし、このダイヤが明主様からのプレゼントではなく、信者や神慈秀明会関係者が身につけていたものが落ちていたのだとしたら、この資格者の行為は『占有離脱物横領教唆』の罪を犯したことになり、登志子は『占有離脱物横領』の罪になる。
ダイヤモンドの鑑定は素人が短時間にできるものではない。資格を持った鑑定士でも、ルーペを付け、いろいろな角度から光を当て、かなりの時間をかけて鑑定を行う。
この資格者は、なぜいとも簡単にこのダイヤモンドを明主様からのプレゼントと断定することができたのだろう?これまでも同様の奇跡が相次いでいたから、今回も同じと判断したのだろうか・・・?
確かに同様の奇跡は教団内では頻発していたようであるが、たくさんの信者が出入りする教団内では、信者が身につけていた指輪等の装飾品のダイヤが落ちる可能性も否定はできないはずである。他人の落とし物であるかも知れないダイヤモンドを確認もせず、警察にも届け出ずにいとも簡単に個人の所有物として認めてしまう姿勢は、『正直主義』を標榜する岡田茂吉の教えに反する行為である。落とし物を警察に届け出ず、自分の物として『ネコババ』してはいけないことは、子供でも知っていることである。
信者の皆さんは、神慈秀明会の施設内でダイヤモンド等を落とした場合は、まず戻ってこないと思って間違いありません。あなたが落としたダイヤモンドは、『明主様からのプレゼント』ということにされて、拾った人のものになってしまいます。教団施設に行く際には、絶対に宝石などは身につけて行かないようにしましょう。
しかし、このダイヤモンドの『出所』をこの資格者が知っていたとしたら話は別である。実は、このダイヤモンドは事前に自分たちがそこへダイヤモンドを『置いておき』、それを信者が拾うように仕組んでいたとしたら、そのダイヤモンドの『素性』がよくわかっているので、上記のような対応をとることは納得できる。
もし、そうだとしたら・・・。神慈秀明会の体質は、偽物のダイヤをばらまいて『奇跡』を演出しているインチキ宗教そのものということになる。
神慈秀明会関係者はこれに対してどのような返答をする可能性があるかを考えて見た。以下は、私が勝手に想像して書いたものであり、何の根拠もありませんので、そのつもりでご覧下さい。
まさか、鑑定士に鑑定してもらうような不届きな信者がいるとは思っていませんでしたし、その結果をインターネットで公表されるとは夢にも思っていませんでした・・・。
(追加) |