集会所建設反対運動(横浜市青葉区)
【目次】 (項目をクリックすると、その位置へ移動します)
1、事件の発端
2、これまでの経緯
3、神慈秀明会って何者?
4、既存建物の取り壊しをめぐって (秀明会との会談時の写真掲載)
5、具体的な運動の拡がり
6、不安の根源
7、町内会定例会
8、建設中止の動き
9、住民の不信感を増大させた秀明会
10、建設予定地売却
11、なぜ会談は開催されない?
12、二通目の建築断念通知書
13、現地を見て
14、戦いを振り返って


 神奈川県横浜市青葉区は、平成6年11月6日に誕生した若い区です。田園都市線開通後は人口増加が著しく、平成16年11月には青葉区の人口は29万人に達しました。
 住民の年代別構成を見ると特に若い世代が多く、15歳以下の人口は横浜市内最多です。また、面積も市内第2位という大きな区です。

 青葉区は「丘の横浜」とも呼ばれ、区画整理により計画的に開発された閑静な住宅街が立ち並び、街路樹や公園などの緑が豊かで、田園風景などの自然も残されており、「都市の快適さ」と「良好な住環境」を併せ持った街です。



1、事件の発端
 平成17年11月12日、青葉区たちばな台の各戸に一通の挨拶状が投げ込まれた。
 挨拶状は宗教法人・神慈秀明会が当地へ新集会所を建設することを知らせるものだった。

挨拶状(表) 挨拶状(裏)
上記画像をクリックすると大きくなります

 配布された資料によると、
  ◎平成17年11月21日、既存建物解体工事開始
  ◎平成17年12月中旬、解体工事完了
  ◎平成18年6月、地盤改良工事開始(軟弱地盤と判明したときのみ)
  ◎平成18年9月、新集会所建物工事開始
  ◎平成19年10月、竣工予定
 となっており、約2年後には新集会所が完成する計画になっていた。


2、これまでの経緯
 この挨拶状を見た住民は、「神慈秀明会」と言われても誰もその名前を知っている者はなく、当初は神慈秀明会がどのような団体であるか皆目見当がつかなかた。
 配布された挨拶状を見ると、すでに平成3年から、「青葉台センター」と称する教団施設が青葉区みたけ台に作られていたと書かれていたが、そのことを知っていた住民は誰もいなかった。
 みたけ台にあると言われている秀明会既存施設と、今回移転しようとしているたちばな台とは直線距離で1km程離れた位置にある。


「新」が新集会所建設予定地、「旧」が既存の青葉台センターの位置

建設予定地の詳細図 (ここをクリックすると詳細図を表示します)


 新集会所建設予定地は下記写真に示すようにかなりの広さがある土地で、現在もかなり大きな既存の建物が建っている。計画ではこの既存の建物(現2棟)を取り壊し、新しい集会所を建設する予定のようである。
 建設予定の新集会所の正式名称は、「神慈秀明会青葉台センター」といい、敷地面積203坪、建物は2階建て160坪(建坪率80%なのでぎりぎり)、地下駐車場付きの建物を作る計画であることが後に分かった。

新集会所建設予定地の既存建物


3、神慈秀明会って何者?
 挨拶状を受け取った住民は、「神慈秀明会」という団体がどのような団体かがよく分からないため、これをどう判断していいのか戸惑っていた。
 住民の一人がインターネットで「神慈秀明会」を検索してみた。
 神慈秀明会に関するたくさんの情報がヒットしたが、次々とその内容を見て行くと大半の情報は神慈秀明会に対する批判的内容であふれかえっており、「カルト」等の言葉が多々使われていた。「カルト」という言葉から直感的に「オウム真理教」(現アーレフ)が連想された。

 次々と神慈秀明会に関する情報を検索していくと、「家族を新興宗教から守ろう」というホームページにたどり着いた。
 そこに書かれている神慈秀明会に関する情報を読み進めていくと、背筋に冷たいものが走るのをたちばな台地区の住民は感じた。この住民は自分が住む青葉区たちばな台に重大な危機が迫っていると直感し、直ちにこのサイトの主宰者に助言を求めるメールを送った。

 住民からメールを受け取った私(fujiya)は、この状況は、「護られた街」のケースと非常によく似たケースであると感じたので、当面の善後策をアドバイスするとともに、「護られた街」の購読を勧めた。
 この本の有用性を理解してもらうために、「護られた街」を紹介するぺージを直ちに作成し、青葉区たちばな台の住民がこの本の概要を把握しやすいようにした。
 当該地区や近隣地区の住民数名が各方面に呼びかけ、町内会等の組織を動かして緊急の住民集会を開催するべく奔走した。
 その結果、この問題が発覚してから11日目に当たる2005年11月23日(日)、地元公園で神慈秀明会集会所建設問題に関する第1回住民集会が開催された。
 朝10時から開催された住民集会には、予想を超える50名以上の住民が参加した。
 集会では現状の報告がなされた後、住民からの不安を訴える声が多数出され、一様に不安を抱えている様子がうかがえた。
 この日の集会では、当面の取り組みが決議され、次回の集会までに地元住民ができる範囲で情報収集や関係機関への連絡を行い、できるだけ早急に反対運動の態勢固めをすることなどが決められた。
 そして27日には、近隣の住民を核とする組織体制・近隣を含めた支援体制・役割分担・即実行すべきことなどが検討された

 インターネットの特性を生かして、集会所建設問題だけに特化した掲示板があれば住民や支援者が自由に情報交換、意見交換ができるので、インターネット上に「神慈秀明会・集会所建設反対BBS」を立ち上げた。
 その後、この掲示板には地域住民や、この運動を支援する人たちからの書き込みが続いている。


4、既存建物の取り壊しをめぐって
 平成17年11月25日(金)、付近を通行中の住民が新集会所建設予定地に解体業者が来ているのを発見した。
 地元住民に詳しい説明もないまま、直ぐに工事を始めることは住民無視もはなはだしい行為であるので、この住民は「我々は法で認められた範囲内で激しい建設反対運動をすることで全会一致した。住民一同が反対運動に立ち上がったので雇い主にそう言っておいてくれ」と厳しく業者に迫った。
 この抗議が効を奏したのか、その日の工事は中止された。そして秀明会から町内会長宛に文書が届き、11月29日から工事に取りかかりたいので11月27日か12月11日に説明させてもらいたいとの申し入れがあった。
 工事が始まってしまってから会っていたのでは遅いので、町内会長以下数名で取り敢えず28日に相手側と会うことになった。

 28日の話し合いは冒頭から緊張した雰囲気で行われた。
 神慈秀明会側は、地区の責任者(ベテランらしい女性)、信者(中年の女性。子供の難病が治ったとか〜)、そして建設責任者(若い現役サラリーマン)の3名が出席した。

左端が建設責任者。中央は地区責任者。二人は
カメラを向けると顔をそむけた。右端は信者の女性。
この日集まった青葉区の住民達


 町内会長の挨拶・相手側の自己紹介が終わった直後に、住民側から「今日は本当に近辺の住民の中でもとにかく話が聞きたいと強い要望を持った人間だけだから、正式な住民説明会はきちんとやってよ!」、「今日のあなた方の説明は一言一句嘘はないよね。宗教者が嘘は言ってはいけないよね。そうでしょう!」と厳しい言葉が飛んだ。
 「何も心苦しいところはないはずだから、写真とらせてね」と相手方の写真を3枚撮り、「でも俺らのも必要だよな。記念日だから」とこちらも3枚撮影した。
 続けて住民側が、「今日は取り敢えず話が聞きたいと強い要望を持った人間だけだから、近くで今日来てない人に出来るだけ正確に話をしたいので録音するよ」と言って相手の了解も得て話し合いの録音もとった。

 神慈秀明会側は彼らの「理念」を説明したり、今は昔のような問題はないとか、現集会所の周辺でも何も問題は起こっていない、我々は国連のNGO認定を取得してる等といかにも良い教団だと思わせたかったようだが、住民側参加者はすでに神慈秀明会がどのような教団かを事前に学習していたので、彼らが説明する「理念」等は虚しく聞こえるばかりだった。

 話し合いは時折エキサイトする場面も見られた。
 「過去にあれだけひどいことをした集団がそう簡単に我々の信用を得られると思うな。我々は我々の権利を主張する」。
 「この地区の住民は貴方方の本性を知っている。歓迎されないところに来ないほうが身のためだ。くれば益々貴方方の評価は悪くなる一方だ。我々はネットを使えるからね」、と次々と厳しい発言が続出した。

 住民の一人が、「俺らは、あんた達がチラシを配ったときから、あんたらから悩まされ、子供との団欒も何もなくなった。もう既に大迷惑を蒙ってきた。この恨みは既に骨髄までの恨みだ。それを皆が持っている。忘れないで欲しい。もう始まっている」と怒りをぶつける場面もあった。
 また、住民の若い女性が「他にもっと適したところを探して、貴方方の傷が深くならないうちによそに移ったほうが良いのではないか。もう一度よく検討してください」と諭す場面も見られた。

 話し合いの中で、「家族を新興宗教から守ろう」の内容がこの地区の住民には浸透していること、「護られた街」もまわし読みされていることが相手に伝わり、一筋縄ではいかないことを秀明会側も十分に悟ったと期待したい。
 最後に町内会長が静かな口調で、「この地区の住民のこうした心情を上に伝えてください。その間は解体工事も止めて欲しい」と伝えると、秀明会側から、「出来るだけ早く今日の雰囲気を上部につないで相談して、結果をお知らせします」という返答があり、この日の話し合いを終了した。

 彼らが帰った後、住民の中から「署名活動をやろう」という発言が飛び出すなど、実際に神慈秀明会側と会って話し合った参加者は前にも増して緊張感が高まったようだった。
 この夜の説明会を終了して、住民の自主的活動の動きが顕著になってきたのを実感したのは町内会長一人ではなかった


5、具体的な運動の拡がり
 青葉区ではたちばな台の住民が中心になって、地域の自治会・町内会への説明及び協力要請、地元警察への情報提供と協力要請、地元議員への働きかけ、地元有力者への協力要請、住民による署名活動、各戸へのステッカー配布、立て看板の設置、幟旗の発注など、考えられるあらゆる方法で集会所建設反対運動が展開されている。
 呼びかけに対し、当初はあまり関心を示さない人もあったが、地域役員の積極的な働きかけにより、徐々に反対運動への参加、協力態勢が整いつつある。


写真中央の家が建設予定地の既存建物
たちなば台の数カ所に立てられた建築反対の立て看板

 インターネットを通してこの戦いを見守っている人も非常に多く、当該ページへのアクセス数は急速に増加している。日本国内はもとより、海外からのアクセスが非常に増加しているのが特徴で、どこか海外のメディアがこの問題を取り上げたのかも知れない。海外に活路を見いだそうとしている神慈秀明会にとって、海外からこうした問題で注目されるのは辛いことであろう。
 この戦いを注目しているのは神慈秀明会関係者だけではなく、日頃同様の問題でトラブルをかかえている多くの新興宗教団体は固唾をのんで見守っているようだ。「明日は我が身」という思いがあるのだろうか・・・。

 かって長野県松本市で同様の戦いが繰り広げられたことは、「護られた街」で先刻ご存知のことであるが、当時と今回の最も大きな違いはインターネットのあるなしだろう。
 松本市での戦いは今から約10年前(平成7年)から開始された。当時もインターネットはあったが、現在のようにほとんどの家庭に普及している状況ではなく、ごく一部の人が使っているだけだった。
 松本市での戦いの記録を見ても、インターネットを活用した記録は残っていない。
 しかし、今はインターネットの時代である。平成15年度における国内のインターネット利用者は7,730万人になり、人口普及率が初めて60%を超えた(総務省「平成15年通信利用動向調査」)。平成17年末の現在では、更に普及率は上がっていることだろう。
 インターネットという手軽な情報発信機能が自由に使える現代は、こうした戦いの様相を一変させた。多くの人がインターネットにより情報を入手し、その受信者が新たな情報の発信者ともなり、迅速かつ広範な運動が急速に拡がっている。

 特に今回の青葉区たちばな台での集会所建設問題では、地域住民への問題提起の際にインターネットでの情報収集を繰り返し広報していることもあり、多くの住民がインターネットにより共通の情報を瞬時に把握できる態勢が整いつつある。
 メディアに対してもインターネットを通して情報提供を行うことが可能となり、すでに主要メディアにはこの青葉区での戦いの様子を伝えてある。

 長野県松本市での神慈秀明会道場建設反対運動を集約した「護られた街」の本は、こちらのサイトで宣伝したことも関係したのか、すでに出版元にも在庫がなくなっているようである。青葉区で行われた住民と秀明会の話し合の席上、秀明会側はまだこの本を読んでいないようであったが、あわてて「護られた街」を発注してもおそらく購入は困難であろう。


6、不安の根源
 なぜ神慈秀明会は地域住民に受け入れられないのか?
 秀明会側の反論に、「現存するみたけ台センター周辺では何も問題が起こっていない」という主張がある。
 しかし、この詭弁に騙されてはならない。
 次のような証言がある。

 「思い出しました。10年以上も前のことですが・・・
 「ちょっと時間ある?いい所が有るのよ。付き合って」の一言に(まあ、友達になったばかりだし、ムゲに断っても角がたつしな−)とPTA仲間のお母さんに気軽に付き合って、例のみたけ台集会場に連れて行かれたことが有ります。
 そこに着くなり、「千円出して!**に必要なの」と催促され、何か変だぞ(ひっよとして信者にされそう?)と思いつつも断れず千円出し、何がなんだか分からない怪しい状況から逃げ帰ったのでした。
もしかしたら、今でも小学校のPTA活動の場が信者勧誘の場になっている(利用されている)かも・・・」


 上記証言にあるような秀明会の行動が1回だけだったと思う人はいないだろう。こうした活動は日常的に行われてきた勧誘活動である。
 みたけ台センター周辺の住民も、こうした体験を持っている人は一様に不安感も持って暮らしてきたのではないだろうか。中にはこうした勧誘により、神慈秀明会に入信した住民もいるのではないだろうか。
 みたけ台センター周辺住民は秀明会の実態をよく知らないから今日まで問題が表面化しなかっただけで、今回の反対運動を知ればみたけ台センター周辺からも同様の反対運動が起こされる可能性もある。
 全国に散在する秀明施設周辺にも反対運動が飛び火する可能性があり、今回の青葉区たちばな台での建設反対運動の行方が全国の秀明施設に与える影響は計り知れない。
 これまで反対運動が表面化しなかったのは、核となって行動する住民パワーが形成されなかったというだけであり、秀明会に問題がなかった訳ではない。

 神慈秀明会が社会に与える不安はどこから来るのか?
 それは神慈秀明会がこれまで行ってきたことをつぶさに検証すれば自ずから明らかになる。
 他でもこの問題は繰り返し述べてきたが、整理する意味で再度下記に掲載する。

 神慈秀明会に対する不信・不安がどこから来るか? それは秀明会自身が持つ「体質」からだ。
 秀明会が持つ最大の「悪い体質」は何だろう?
 それは、信者に対して数え切れない程たくさんのウソをついてきたことだ。
 「離脱の神意」が最大のウソの固まりで、そこから全てのウソが始まっている。数々の奇跡のねつ造、おかげ話のねつ造、虚言を使った恐怖心の煽動・・・。
 それは旧体制での話だって? いや、そうではない。新体制と呼ばれる時代に入ってからも秀明会では多くのウソが蔓延している。
 ウソであったことがあれほど明白となったモハマド君事件ですら、一言の訂正も、謝罪もないことを見れば、秀明会の体質は何ら変わっていないことが実証されている。

 なぜこのように多くのウソを信者につかなければならないのだろ?
 それは神慈秀明会が人を救うことを目的にした宗教ではなく、人を騙して金を巻き上げることを目的にした団体だからだ。
 表面的には「真・善・美」を追及する団体を装っているが、それは表の顔でしかない。
 秀明会のウソによって多くの信者が貴重な人生を破壊されてきた。
 秀明会のために家族が離散し、夫婦は離婚し、恋人は結婚をあきらめ、学校を退学し、会社を辞めざるを得なかった人がたくさんいる。
 現在でも私の所には連日のように、「家族が、恋人が秀明信者なのだけれどどうしたらいいだろう」といった悩みが寄せられている。
 多くの信者が神慈秀明会によって多大な被害を受けているのに、一言の謝罪も、損害賠償も全く行われていない。
 本当に神慈秀明会が人を救う宗教であるならば、なぜ真っ先に自らの誤りにより被害を与えたこれら信者を救わないのか?

 神慈秀明会はその実態を知る人々からは排除されている存在だ。NPOやNGO、美術館等、巧みな隠れ蓑に隠れ、秀明会が社会と関わり合いを持っている部分も存在するが、それは秀明会の実態が十分伝わっていないから存在できているだけだ。

【問い】、神慈秀明会がなぜ社会から排除されるか?
【結論】、それは上記のように、人間として、してはならないことをしてきたから秀明会は社会から排除されるのだ。


 その原因を作ったのは秀明会自身だ。秀明会が排除されるのは、根拠のない新興宗教排除ではなく、排除される理由を彼らが持っているから排除されるのだ。


7、町内会定例会(2005.12.4)
 当日は朝からの雨にも関わらず、役員はもとより班長も全員が出席していた。
 更に近隣居住者数名も自発的に出席しており、関心の高まりを感じさせる出席状況だった。
 定例会の冒頭、会長から、「神慈秀明会」に関する件が特別緊急問題として報告され、それに続く議題の多くは集会所建設問題の論議に時間が割かれた。
 会長の説明は、問題発覚後、これまでに住民側が行ってきた一連の動き、はじめての神慈秀明会側との接触の内容について説明がされた。
 続いて副会長から、「家族を新興宗教から守ろう」のページに掲載されている”神慈秀明会の概要”の説明が改めて行われた。

 続いて住民から次のような意見が出された。

 我々には神慈秀明会に関する情報は殆どない。情報を知るには、インターネット及び書籍しかない。
 インターネットには膨大な量の神慈秀明会に関する情報があるが、その中から「信頼できる」情報源を選ぶことが先ず大切なことだ。
 自分も色々なサイトを見て、その内容を比べてみたが、客観性に富んでいること、及び皮相面だけを追いかけておらず、「そもそも宗教とは何か」、「宗教は如何にあるべきか」、「法律や憲法との関わり」、その他色々な角度から判断して、「家族を新興宗教から守ろう」と言うホームページが参考として見るには最も適していると思う。
 そして書籍では、我々と同じ立場に突然住民が突き落とされ、そこから闘い抜いた記録、「護られた街」を貴重な情報源とすることが我々の戦いを有利に進める武器になる。
 「家族を新興宗教から守ろう」のページでは、直接我々を支援するために専用のページを作ってリアルタイムで情報発信をしてくれるなど直接的な支援をしてくれており、感謝に耐えない。


 こうした意見に続いて、隣接する他の自治会から次のような発言があった。

 集会所建設予定地までの距離が少し離れている地域に住んでいる者は、どうしても「距離が離れている」、「違う自治会である」という意識から、この問題に対する関心の高さがたちばな台の住民とは若干温度差はあることは理解頂きたい。
 しかし、他の自治会といえども全くの範囲外にあるわけではなく、いずれ自分たちの問題としても浮上してくる問題だ。今の段階で協力できることは何かを考え、他の自治会として今出来ることは何かを考えたい。
 自治会としてまとまったことはまだ出来ない段階であっても、「個人としてできること」、「今やっておかなければ遅くなること」については、個人として行っていこう。チラシ等を各戸へ投げ込むことは個人で行うことも可能だ。


 こうした発言に続いて近隣の住人から、すぐ近くにこうした施設の建設計画があることを知って毎日不安な思いでいるという、思いのたけを喋ってもらい、参加者一同胸を打つものがあった。

 このように、この日の定例会では協力体制の自発的強化が期待できる意見が多く出された。
 最後にインターネットを使用した保安システムを開発している関係者から参考になる話をしてもらって、集会所建設問題の議題を終えた。

 12月4日(日)の町内会定例会終了時点では、既存建物の解体工事は行われておらず、神慈秀明会側からの新たな接触もない。


8、建設中止の動き
 2005年12月4日(日)午後になってある情報が入った。
 その情報は、「青葉区たちばな台のセンター建設は断念する」という連絡が神慈秀明会本部からあった、というものだった。
 住民と秀明会が初めて顔合わせをした11月28日の会合に出席していた女性信者と初めて見た男性が各戸を廻り、「大変ご迷惑をお掛けしました。こちらへの移転は取りやめになりました」と挨拶して廻った他、秀明会信者からはインターネットのメールで関係者に知らされた。
 町内会長宛には下記文書にて建設断念が伝えられた。

建設断念を知らせる文書
上記画像をクリックすると大きくなります

 しかし、この町内会長宛の文書をよく見ると、色々おかしなことに気付く。
 掲示板でもすでに指摘されているが、まず、住所を間違えている。建設計画があったのは、「たちばな台1−17−19」なのだが、この文書では、「たちばな台1−17−」となっている。外部に発行する文書なのだから、校正くらいしてから出すのが普通だろう。
 文書の発行者名も不審である。建設計画の断念を決定したのは秀明会本部であり、青葉台センターではない。秀明会は地区のセンター長に建設断念を下せるだけの権限を与えていないし、この土地の登記簿上の所有権者は宗教法人・神慈秀明会(本部、滋賀県)なのである。
 それにも係わらず、この文書の発行者名は、「青葉台センター」となっている。組織内で取り交わされる文書ならともかく、他の団体宛てに文書を発行するときは、その組織の長の名前で発行するのが常識だ。
 他の団体に宛てて文書を発行するならば、その文書が勝手に作成されたものではなく、正式に組織の確認を得て発行されたことを示す捺印がされるものだが、この文書には捺印がない。これではこの文書が誰かが悪ふざけをして作った偽物であるかも知れないと思われても仕方ない。
 この文書が発行された後の秀明会の動きを見ていると、建設断念は事実であるようだが、こうした文書の不備を見てもこの団体の不見識、不明瞭さが伺える。

 秀明会の内部では、この建設断念の話がどのように伝えられているのだろう。
 ある秀明信者の方から、今回の集会所建設断念に関して秀明内で囁かれている話として次のような情報が届いている。

 神慈秀明会は横浜市青葉区に新しい集会所を建設しようとして土地を入手し、そこに新しい集会所(青葉台センター)を建設しようとしていた。
 我々が住民に配布した挨拶状を見た住民の一人が、「家族を新興宗教から守ろう」の主宰者・fujiyaにこの件を相談した。
 主宰者のfujiyaは住民達を煽り、反対運動を激化させた。そのため秀明会は大変な攻撃を住民から受ける結果となり、集会所建設を断念せねばならなくなった。
 fujiyaのこのような態度は住民を悪い方向へ導くものであり、彼の態度は宗教全体から見て間違ったものである。


 住民に一言の相談もなく住宅街の真ん中に宗教団体の集会所、それも「カルト」との悪評高い宗教団体の集会所を作ろうという計画自体が無理な計画であり、このような計画が発覚すれば反対運動が起こされるのは必至である。
 このような無理な計画を勝手に作って住民に押しつけようとする行為自体が住民無視のカルト的思考であり、平穏に暮らしたいと願う住民の思いを無視した、「カルトのエゴ」である。
 秀明会側は、たちばな台の住民が反対運動を起こすと、「集会所建設を中止させようとする住民の行動は住民エゴだ」という論調で自らを正当化し、住民を悪者に仕立て上げようとする動きを表面化させた。
 自らの誤りには一切目をくれず、悪いのは他の連中だと吹聴する神慈秀明会の姿勢からは彼らが口癖のように言う、「利他愛」のかけらも感じられず、彼らの体質が何ら昔と変わっていないことが分かる。

 客観的に見て、カルトが住宅地の真ん中に施設を作ろうという動きと、それを阻止しよとする住民の動きのどちらが「当たり前」のことなのかはいうまでもないことである。
 こうした住民を悪者に仕立て上げる手法・論調はかって長野県松本市で秀明会の道場建設が住民の反対運動によって中止を余儀なくされた時に繰り返し使われてきたのと同じでものである。


9、住民の不信感を増大させた秀明会
 2005年12月10日の集会には、町内会長から秀明会に対して出席を依頼してあった。しかし、秀明会側は事前にこの日の集会への欠席を表明し、住民の強い要望を叶えることなく秀明会側は10日の集会を欠席した。
 なぜ彼らは集会にこなかったのか? 集会所建設断念が決定しているのに住民集会に参加しても意味がないということか?
 神慈秀明会は1枚の紙切れで建設断念を伝えてきただけで具体的な説明は全くしていない。なぜ建設を断念したのか正式な説明があって然るべきではないのか。本当に住民に理解してもらおうという姿勢が少しでも秀明会にあるならば、秀明会はこの日の集会に出席し、住民に説明をすべきだったのではないのか。

 このような秀明会側の誠意のない態度に住民はますます秀明会に対する疑念を深め、不信感を新たにした。
 地元住民は「建設断念」という報告を聞き少しだけ安堵したものの、こうした秀明会の態度から、まだまだ手放しで喜べる状況ではないと判断し、状況の変化に即応できるよう反対運動強化の準備を決定した。
 地域住民は、集会所建設断念が知らされた翌週の2005年12月10日に開催された住民集会に於いて、「17番地神慈秀明会進出反対実行委員会」を新たに発足させ、秀明会の完全な撤退が確認できるまで戦い抜くことを決定した。
 この日の集会では細部にわたって今後の運動方針が論議され、任務分担や連絡体制、資金調達方法、弁護士や司法書士との連携などについて方針を確認した。
 この17番地神慈秀明会進出反対実行委員会に対しては議員やマスコミで名前を知られた有名人なども賛同を表明しており、状況によってはマスコミへの情報提供や、より広範な反対運動への展開も可能となっている。
 闘争計画は段階に分けて計画されており、神慈秀明会の出方いかんによって対応を俊敏に切り替えて対応できるように計画された完璧なものとなっている。
 短期間にこれだけ完璧な行動計画を作り上げた対策委員会には敬意を表したい。
 対策委員会が、「我々の大目標」(宣言と見ていただいて結構です)としているのは次の通りである。

 たちばな台1−17−19に於ける神慈秀明会の青葉台センター建設に反対し、計画の白紙撤回を実現する。

 秀明会が10日の集会に参加し、住民に納得の行く説明をしていれば状況は変わっていたかも知れないが、住民を無視した、誠意のない秀明会の態度に住民の怒りは増大し、住民が秀明会を見る目は一層厳しくなった。
 こうして秀明会は再び、「身から出た錆」により、住民を怒らせ、住民から一層警戒される存在となったのである。


10、建設予定地売却
 12月14日になって現地から新たな報告が入った。
 神慈秀明会から町内会長宛てに会談申し入れがあり、12月17日(土)に神慈秀明会と住民との話し合いが持たれることになったとのことである。

 しかし17日の会談の席上に秀明会は現れなかった。
 欠席の言い分は、「直接会って話をすることは何もない。質問があれば質問書を下さい。それに回答します」とのことであった。
 今回の会談は、住民側からの呼びかけに応える形で秀明会側が17日を指定してきたものであり、住民側も人数を絞って少数で参加する旨も伝えてあったにも係わらず、これを平気で欠席するとは住民無視の極みだと言われて当然だろう。

 住民からは、「(秀明会は)自分たちは、『正しいことをしている』と自信があるのなら、積極的に住民との対話を持ち出してきても良いのではないでしょうか」と言った意見も出されており、秀明会側が会談の場に一向に姿を見せない消極姿勢をとり続けていることに不審感を強めている。
 17日の秀明会との会談は成立しなかったので住民側は会議を報告会に切り替え、今後の対策などを検討した。
 その中で報告事項として、神慈秀明会側から、「予定地を売り出すにあたって、近日中に”販売中”の幟を立てかけるので、住民側が設置している”神慈秀明会進出反対”のたて看板を撤去して欲しい」との申し入れがあったとの報告がなされた。
 しかし、神慈秀明会の「建設断念・当地撤退」が法的に担保されない状況下での看板撤去は困難との判断がなされたようだ。

 集会所建設予定地は既に大手銀行系の不動産会社に売却依頼してあることが確認がされており、ネット上への不動産売買情報掲載や、現地での「販売中」の幟掲出がされる段階にあるようだ。


インターネット上に掲載された集会所建設予定地の不動産情報(2005.12.27)


11、なぜ会談は開催されない?
 平成17年も、あと残り数日となった。
 「集会所建設は断念されたらしい」という話は地域住民の間にかなり拡がり、事態はこのまま沈静化するのではないか?という空気も出始めていたが、実際には何も進展していなかった。
 建設断念という情報だけは一人歩きしていたが、それを裏付ける正式書類も正式な会談もない状態であり、唯一建設断念を伝えるものとしては、上記、「8、建設中止の動き」で紹介した、”番地が違い、文書発行者の印鑑もない一片の紙切れ”があるだけだった。
 記載事項に間違いがあり、印鑑もない紙切れの内容をそのまま信用する訳にも行かず、町内会長や住民代表等は秀明会と正式な会合を持って建設断念に関する話を聞きたいと、繰り返し秀明会側とコンタクトをとっていたが、なかなか会談は成立しなかった。

 そうした中で上記、「10、建設予定地売却」でも述べた通り、住民代表が青葉台センターの担当者に電話をかけ会談申し入れを行った結果、12月12日(月)23時頃に秀明会側から住民代表に電話があり、12月17日(日)に住民側と秀明会との会合が持たれることになった。
 このときの電話で、「17日ではどうか」というのは秀明会側から提示された日程であった。

 やっと17日に会合が実現することになり、「これで正式な話が聞ける」と住民側の期待が増したが、その17日の会合に秀明会は現れなかった。自らが決めた会合を欠席しただけでも住民側の秀明会に対する不信感を増すのに十分であったが、更に住民が怒りを強くしたのは秀明会の欠席理由だった。
 秀明会が17日の会合を欠席した理由は、「直接会って話をすることは何もない・・・」という驚くべきものだった。
 この不誠実極まりない回答には、住民側はもちろん、この経過を見ていた秀明信者さえも激しい怒りを感じた。
 住民がこれだけ不安を感じ、固唾をのんでその成り行きを見守っているのに、「話すことがない」とは、住民の感情を全くもって無視した話である。そして、「話すことがない」と思うなら、なぜ秀明会側からの提案で17日の会合の約束をしたのか?
 約束をした後に、秀明会内部で誰かが急ブレーキをかけたのか?

 こうした一連の経過を当ホームページで知った現役秀明信者R氏は、このまま秀明会の不誠実な態度を許しておくことは、秀明会全体にとってもマイナスであるし、彼らが信ずる、”明主様信仰”の名においても教祖の教えに反することとなると判断し、現状を打破すべく行動を起こした。
 彼が起こした行動とは、秀明本部の幹部に直接電話をかけ、現状についての質問を行うとともに住民側が切望している秀明会との会合を実現させることであった。

 12月25日(日)にR氏秀明幹部A氏に電話をかけた。そこで交わされたやり取りは、その全文がここに掲載してある。この中で秀明幹部A氏は、次のように述べている(要約)。

R氏:もし代表の方、例えば町内会長さんが説明会を要望したのなら神慈秀明会側としてはどういう対応をしますか?
A氏:誠意をもってそれなりの対応をします。
R氏:それは、「説明会を開いてくれ」と言われれば対応をするという事ですね?
A氏:住民の代表者の方が青葉台集会所に申し入れる事が筋じゃありませんか?
R氏:それは住民の代表者がまずは青葉台集会所に説明会の要望を出すのが先だと言うことですね。
A氏:そういう事です。
R氏:と言うことは今までそういう要望が無かったという事になりますか?
A氏:今までに私(先生)の所にはそういう報告はありません。
R氏:それは青葉集会所にはあったかもしれないという事を把握していないという事ですか?
A氏:私の所にはそういう報告はありません。
A氏:確認の意味でも青葉区集会所に電話をしたのですが、やはり17日に説明会のお願いがあった事実はありませんでした。
A氏:どこから17日という話になっているのか不思議でしかたないのです。


 A氏の上記発言を見ていると、住民側から秀明会に対して説明会の要望は出されていないということになる。
 しかし実際には住民代表は12月12日に青葉台センターに電話をかけ会談の申し入れを行っており、その返事が12日の23時に秀明会側から住民代表に電話でなされている(17日の会談で合意)。
 青葉台センターから住民へ連絡された内容が秀明本部に伝えられていないのか、秀明本部内での連絡がどこかで途絶えているのか、秀明本部が意図的に情報を操作して約束はなかったことにしているのか、どこで誰が何の目的で情報を操作しているのかは不明だが、秀明内で情報が正しく伝えられていないことだけは確かだ。

 A氏は、「あのHPに書いてある事は事実と違う事が多いです」とも発言している。
 「あのHP」とは、このぺージのことである。
 私はこのページを作成するにあたり、青葉区の住民の方と繰り返し内容の確認を行いながら作業をしている。
 住民側からもたらされた情報を私が整理して文章化し、できあがった原稿を仮アップして青葉区住民の方に間違いがないか点検して頂き、青葉区住民の方は自分で点検するとともにその文面を印刷して町内会長や住民代表の方にも確認してもらっている。
 この確認作業で細かな修正依頼があり、それを指示通りに直してから再度仮アップし、最終確認をしてもらって間違いがないことを十分確かめてから正式公開している。
 こうした作業を繰り返すため、現地で新たな動きがあってもそれが紙面に掲載されるまでには若干の日数がかかる場合が多い。
 速報の必要があるときはまず掲示板で情報を流し、後日にそれらを整理して紙面に反映させるようにしている。

 「事実と違う」というA氏の指摘はどこを指して言っているのだろうか?
 もし私たちの勘違い等で事実と違うことが掲載されているとしたら、それは遺憾なことである。私たちが常に目指すのは真実の報道であり、万が一誤った情報が掲載されているならば直ちにそれは正しい内容に修正しなければならない。
 誤った情報の提示は秀明会にとって不利益をもたらす危険性があり、秀明会幹部としてそのような誤った情報の存在を黙認するのは任務上も許されないことである。
 率直に間違いを指摘して頂けば当方で直ちにその内容を再確認し、間違いであることが確認されれば速やかに修正し、謝罪する用意がある。
 秀明会も誤りが確認された時にはその内容を公表すべきだ。いまだにモハマド君事件の顛末は公表されていない。


12、二通目の建築断念通知書
 集会所建設予定地付近の電柱には、インターネット上に不動産情報を掲載している業者とは別の業者が、問題の土地の「売地」看板を取り付けるという動きがあったが、秀明会側からは上記問いかけに対しても何ら応答がないまま日にちが経過していった。
 このまま年を越すかと思われた平成17年12月30日(金)になって秀明会は町内会長宛に新たな通知書を届けてきた。

二通目の通知書
秀明会は前回の不備を修正してきたが・・
電柱に取り付けられた看板
ネット上に宣伝を出している業者とは別
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 前回12月5日付けで発行された建設断念の文書は、番地が間違っている上に発行者の名称及び印鑑もないというお粗末なものだったため、住民代表から秀明会に対して正式な文書の提出を求めるとともに、掲示板やHPでも私たちは再三その不備を指摘していた。
 今回新たに提出された二通目の通知書には、建設予定地の番地が1-17-19と1-17-20の二つが書かれているが、当該地番としてはこれが正しい表記である。
 文書発行者は当然、神慈秀明会会長・小山弘子の名称が記載されるべきであるが、なぜか発行者名は神慈秀明会青葉台集会所建設委員長・山○○司の記名及び押印がされていた。

 この二通目の通知書を受け取ったのが平成17年も押し詰まった12月30日だったため、「17番地神慈秀明会進出反対実行委員会」としてこの後どうするかを論議する時間もなく、今後の対策は平成18年になってから相談することとなった。
 平成17年11月に突然青葉区の住民に降りかかった神慈秀明会集会所建設問題は、年を越して平成18年にその処理が引き継がれた。年が明けると、青葉区の住民は三が日が終わるのを待ちかねていたように集会所建設問題の最後の詰めをどうするか検討を行った。

 住民の意見としては、
 @、二通目の通知書では、前回の通知書で不備だった点がある程度是正されている。
 A、これまでの経緯から考えて、これ以上の文書の提出を求めてもそれに応ずるだけの真摯な対応は期待できない。
 B、是正された部分もあるが、文書の発行者が神慈秀明会の代表者ではない、押印が三文判であるという問題点が残っている。
 C、この文書だけで全面解決と判断するのは時期尚早なのではないか。秀明会は「集会所建設反対」の立て看板の撤去を求めているが、建設予定地が誰に転売されるかを事前に確認することを条件にするくらいの慎重さが必要ではないか。
 などの意見があった。

 こうした様々な意見を踏まえて検討した結果、「17番地神慈秀明会進出反対実行委員会」としては、
 @、神慈秀明会に対しては今回の通知書をもって、「建設断念を証明する通知」と受け取る。 
 A、神慈秀明会は撤退させることができたが、その後に今回と同じように我々が歓迎することができない宗教団体や暴力団事務所などがやってくる可能性もあり、今回のことを教訓として、今後も住環境を悪化させる団体や施設の転入には目を光らせて行くことが大切である、との結論に達した。

 この、「17番地神慈秀明会進出反対実行委員会」の結論に基づき、住民には下記文書を平成18年1月1日付けで発行し回覧した(回覧開始は1月4日から)。

住民への回覧文書
上記画像をクリックすると大きくなります


13、現地を見て
 平成18年1月のある日、私は東京方面へ行く予定があったので、都内での用事が終わってから、横浜市青葉区の現地を訪れて見た。
 品川駅から渋谷まで山手線で行き、渋谷で東急田園都市線に乗り換えた。渋谷を出た電車はしばらくの間地下を走行していたが、二子玉川付近から地上に出た。沿線にひろがる景色は住宅街の連続で、東京のベットタウンとしての開発が進んでいる様子がうかがえた。
 電車は渋谷を出てから30分弱で青葉台駅に到着した。
 青葉台の駅は想像していたより大きな駅で、ショッピングモール等の施設も併設され、多くの人が行き交っていた。

 住民の方からお送り頂いた写真で建設予定地付近の状況は把握しているつもりであったが、実際に現地に行き、周辺の環境も含めてたちばな台の現状を見てみると色々のことが新たに分かった。
 集会所建設予定地付近のそれぞれの住宅には、小さいながらもきれいに整備された庭があり、1〜2台の自家用車を止める駐車スペースを備えたこぎれいな家々が並んでいた。建設されてからある程度の年数が経過した家もあるようで、改築や補修工事が進行中の家も散見されたが、どの住宅も庭や家の周りの掃除が行き届いており、「きれいな住環境を保とう」としている様子がうかがえ、住民の皆さんがこの住宅街の環境を大切にされているのが分かった。

 青葉区は、「丘の横浜」と言われるだけあって、このたちばな台も坂が多い街だった。住宅街を走る道路はそのほとんどが勾配を持っており、平坦な道路は少ないように感じた。住宅街の中を走る道路はあまり広くはなく、駐車車両が1台あると対向車との離合にはかなり苦労する状況であり、違法駐車の列などができてしまうと他の車両の通行はかなり困難になり、緊急車両の通行にも支障が出るだろう。この勾配では、積雪や路面の凍結があるときはさぞかし大変だろうと思われたが、住民の方に聞くと、この付近はあまり積雪はないとのことであった。
 そうした住宅街の真ん中に今回の集会所建設予定地があった。坂が多いということは、住宅街にもかなりの高低差があり、特に集会所建設予定地は他の土地よりひときわ高い位置にあった。建設予定地を手前の道路から見上げると、のり面の高さだけで1階分程度の高さがあり、そこに2階建の既存建物が建っているので道路から見ると3階建て程度の高さとなっており、”そびえ立っている”という感じに見えた。土地の広さも周辺の住宅より随分広いので、既存建物自体がひときわ目をひく存在であった。
 ここに、”2階建て160坪、地下駐車場付き”という神慈秀明会の”立派な”新集会所が建設されていたら、さしずめその威容は、”秀明城”という感じで周囲の住宅を威圧することになっていただろう。
 今回の建設計画がそのまま進行してしまい、住宅街の真ん中に高々とカルトの”城”が建ち、大勢の信者が出入りする姿を考えると、そのミスマッチな姿、住民に対する威圧感は強烈なものとなっていたことが容易に想像できた。計画を阻止できて本当に良かったと、現地を見て、改めて思った。

 今回の建設予定地から1キロほど離れたみたけ台にある現在の、「神慈秀明会青葉台集会所」にも行ってみた。
 この既存の集会所はどちらかというと周囲の住宅よりも小さめの家だった。「集会所」とは言っても実際にはごく普通の住宅であり、看板が上がっているのでそれと分かるが、この看板がなければ全くその存在は誰も気付かないだろう。
 現地を訪れたのは午後3時頃であったが、門扉の内側に自転車が1台止めてあるだけで、郵便受けには当日の朝刊が差し込まれたままになっており、人の気配はなかった。

 今回は、たちばな台、みたけ台を中心とした周辺の住環境を見学させて頂いたが、隣接する”ふるさと村”という公園にも足を延ばして見た。テニスコートや広範な散策路を備えた山間の公園で、青葉区の皆さんの憩いの場所として活用されているようだった。

 今回の現地見学で感じたことは、この付近はとても落ち着いた雰囲気の良い住宅地であり、カルトの集会所等という異質の建物はとうていこの地には似つかわしくないということだった。
 カルトの集会所が似つかわしい街などどこにも存在はしないであろうが・・・。


14、戦いを振り返って
 神慈秀明会の横浜市青葉区たちばな台への集会所建設問題は秀明会側が建設を断念するということで一定の決着をみた。
 決着したとはいえ、集会所の建設計画が白紙撤回されただけであり、平成18年1月16日現在、建設予定地の転売先は決まっておらず、更に監視を続ける必要はあるので住民の皆さんは警戒を怠らないようにして頂きたい。
 今回、青葉区たちばな台で発生した問題と同様の事案が今後も各地で発生する可能性は十分ある。以下(1)〜(5)の5点に絞って私なりに今回の事案を総括し、今後の運動に役立てるための参考としたい。

(1)、なぜこの問題が起きたのか?
 日本中には数え切れない程たくさんの新興宗教がある。その規模や活動も多様だが、皆それなりに地域にとけ込み、多様な問題点を抱えながらも今日まで活動を続けてきている。
 神慈秀明会という団体も数多くの新興宗教団体の一つに過ぎないが、その団体が新たな集会所を建設しようとしたとたんに地域住民は敏感に反応し、直ちに反対運動が開始された。
 集会所建設予定地付近の住民には誰一人神慈秀明会を知る者はおらず、普通に考えればこれほど強硬な反対運動に結びつくだけの判断材料は持ち合わせていなかった筈なのに、こうした反対運動が敏速に構築された背景にはインターネットによる情報収集がある。
 これまでの経過をご覧頂いている方は先刻ご承知と思うが、たちばな台への集会所建設問題が発生した際にまず住民が行ったことはインターネットによる情報検索であった。
 その結果数多くの秀明批判を目の当たりにし、「家族を新興宗教から守ろう」のページにも巡り会うこととなった。
 これは神慈秀明会にとっては不幸なこと、住民にとっては幸運なことであった。
 一昔前であれば神慈秀明会がどのような団体であるかを一般市民が短時間にその詳細を知ることは不可能であった。
 しかしインターネットは一瞬にして最新の情報を提供し、カルトはその正体を白日の下に晒される結果となった。

 今回のこうした展開は、今後こうしたカルト問題を解き明かす上でエポック・メーキングな出来事であったといえる。
 これまでカルトはその姿を「宗教法人」等の名の下に巧妙に隠して活動することが可能であったが、インターネットによる情報の流通はそうした隠れ蓑が通用しなくなってきたことを今回の事例は示したと言える。
 神慈秀明会にしてみれば、「青葉区の住民に何らかの被害を与えた訳でもないのに、なぜ自分たちが反対運動に遭うんだ?」と思っているかもしれないが、それは「身から出た錆」であることに彼ら自身が気付く必要がある。
 「火のないところに煙は立たない」のである。



(2)、なぜ住民は秀明会の進出に反対したのか?
 集会所建設反対運動に対して秀明信者からは、「反対運動は住民のエゴだ」という意見が相次いだ。
 そうだろうか? 住宅街の真ん中にカルトの集会所が建つことを付近住民は指をくわえて見ていなければならないのだろうか?
 カルトの集会所が建設されれば色々な心配事が増えるのは目に見えている。騒音問題、違法駐車問題、交通量増大に伴う交通事故の危険性、そして一番危惧されるは勧誘される危険性だろう。神慈秀明会がこれまで行ってきたことを知れば知るほどカルトの底なし沼のような恐ろしさが暗黒の恐怖となって住民にのしかかってくる。平穏な生活が脅かされ、家族がいつカルトの魔手に堕ちるかもしれない恐怖は計り知れないものがある。地価下落の可能性まで心配された方もある。こうした多くの問題が生ずる可能性があるのに住民は黙って見ていなければならないのだろうか?

 住宅街として整備された地域の真ん中に新たな宗教施設を作ること自体が、”ミスマッチ”であると言えるが、住宅街の中に宗教施設があることはそれほど珍しいことではない。キリスト教の教会や仏教系の寺院、神社等が住宅街の中にあることはむしろ普通のことであると言えるだろう。ほとんど一般には名前が知られていない新興宗教の建物が住宅街の中に存在している姿を見かけることもよくある。
 それならば、なぜ神慈秀明会の集会所建設計画にはこれほど厳しい住民の抵抗が起こされたのだろう?
 それは神慈秀明会という団体が、「社会に害をなす団体である」という認識を住民が持つに至ったからである。青葉区の住民が直接被害を被った訳ではないが、神慈秀明会がこれまで行ってきたことを住民が知れば、その尋常ではない被害実態から住民が警戒心を高めるのは当然の帰結である。
 静寂な住宅街にカルトの集会所を作ろうと考えること自体が傍若無人な振る舞いであり、ましてやその団体がこれまで多くの被害者を発生させてきた団体であることを知れば、反対しない住民など誰一人としていない。
 決して、「新興宗教だから」という単純な理由で神慈秀明会は拒否されたのではなく、拒否されて当然の理由を神慈秀明会が持ち合わせていたということである。

 神慈秀明会がこれまでの被害者に対してもっと真摯な対応を行い、社会的に認知される活動を行ってきたのであればこれほど忌避されることもなかったであろうが、ウソをつき続ける体質は昔と全く変わっておらず、新たな被害報告も寄せられている現状がありながら、一枚の紙切れを配布しただけで住民に受け入れてもらおうというのはあまりにも住民の意識をないがしろにした傍若無人な態度である。
 こうした行為を傍若無人と思わずに実行に移すこと自体が彼ら神慈秀明会が世間とは乖離した存在である証拠といえる。



(3)、なぜ秀明会は早期に撤退を表明したのか?
 「護られた街」という本で紹介された長野県松本市での神慈秀明会道場建設問題は4年間(1955〜1999年)に及ぶ秀明会と住民との争いとなり、解決までには長期間を要した。
 それに比べ、今回の青葉区たちばな台での集会所建設問題は問題発覚から撤退宣言までが僅か2カ月足らずという異例のスピードで解決した。

 この違いは何なのか?
 平成17年の衆議院選挙では「小泉劇場」なる言葉が登場し、国民の関心を引きつけることに成功した小泉首相率いる自民党が大勝利を収めた。
 今回のたちばな台での集会所建設問題はほぼリアルタイムでその進行がインターネットで配信され、全国からその進行状況を知ることができ、さしずめ「集会所建設劇場」的な側面があった。日本全国から、いや海外からも連日多数のアクセスがあり、集会所建設問題の成り行きを多くの人が見守った。
 マスコミ各社も動静を見守っており、もう少しニュース性が高まれば集会所建設に反対する住民活動がマスコミで報道される一歩手前まで行っていた。
 報道機関の姿勢としてこうした問題を報道する際、住民側だけを取材して報道することはあり得ず、もう一方の当事者である神慈秀明会にも当然取材が行われ、双方の意見を聞いた上で報道を行う。
 こちらには数社からアクセスがあったので、神慈秀明会側にも同様の取材依頼が行われたとみていいだろう(マスコミ各社への通報はこちらから事前に行っていた)。
 神慈秀明会はマスコミの取材を一切受け付けない(海外のマスコミは別)ので、当然取材に応ずることはないが、マスコミが動静をうかがっていることは取材依頼があったことで彼らも十分承知していたであろう。

 これ以上、住民の反対運動が激化し、その様子がマスコミで報道されたり、インターネットでその様子が配信され、全国から神慈秀明会が注目されることは絶対に避けたいのが神慈秀明会である。
 彼らは世間の注目を集めたくないのである。すねに傷を持つ身としてそれは当然のことだ。
 『カルト・神慈秀明会』の名が全国に知れ渡れば、それは彼らの首を絞めるだけになることを彼ら自身が最もよく知っているからである。

 異例の短期解決は、神慈秀明会保身の最善策だったのだ。
 この教訓は、今後の戦いに於いて非常に大きな武器となる。



(4)、なぜ掲示板での呼びかけに秀明会は応答しないのか?
 R氏による秀明会幹部への電話によって秀明幹部もこちらのHPや掲示板を見ていることが判明したので、秀明会幹部に対して繰り返し呼びかけを行ったが彼らからは全く応答がない。
 外部からの質問に対して頑として口を閉ざし、殻に閉じこもった姿勢は彼らが公言している基本姿勢とは全く相反するものであるが、それを指摘しても一向に応答しようとしないのは異常である。
 こうした呼びかけを徹底して無視する姿勢は、「宗教法人」の看板を上げ、「人を救う」ことを本分としている団体がとる態度では到底ない。
 応答したら何か都合が悪いことでもあるのか?
 自分たちが誤解されているというのであれば、その誤解を解くためになぜ反論しないのか?

 彼らがこちらの呼びかけに応答すれば、当然それをきっかけにして数多くのやりとりが行われることになる。
 その過程では、過去の被害者の発生についても言及せねばならないことも出てくる。数々の疑惑にも質問が及ぶ。
 一度応答すれば、次々とそうした質問に答えざるを得ない立場に立たされることになるのが目に見えるだけに応答には踏み切れないでいるのが彼らの実状だ。
 答えれば答えるほどボロが出るだけだから彼らは応答したくないのだ。
 神慈秀明会が本当に、「まともな宗教団体」であるならばこうした質問や呼びかけを無視することなく真摯に応答したであろう。
 人から何か質問をされたら、それに誠意をもって応えるというのは、分別をわきまえた人間であれば当然身につけていなければならない常識である。
 しかし、彼ら神慈秀明会はこうした常識すら持ち合わせていない。
 こうして沈黙を続けることが彼ら神慈秀明会がどのような団体であるかを如実に示しており、世間に対して、「私たちはカルトだ」と宣言しているのと同じであるということを彼らは未だに気づいていない。
 神慈秀明会に対する数々の批判や、神慈秀明会が今回の事例のように世間から受け入れられない理由が、こうした彼らの”薄気味悪さ”に由来するものであることを彼ら自身が気づかない限り、神慈秀明会が世間に認められることは絶対にないと断言できる。
 今回の秀明会の姿勢を通して、神慈秀明会の本質が見えたと言ってよく、やはり神慈秀明会はまともな宗教団体ではなく、正真正銘の「カルト」なのである。



(5)、同様の問題が他の地域で再発するおそれはないのか?
 今回のたちばな台での集会所建設と同様の建設計画はすでに各地に複数箇所ある。
 そこでも今回のたちばな台での教訓が生かされるならば神慈秀明会の集会所建設はとても順調には進まないであろう。
 特に神奈川県下では、たちばな台に代わる土地を探して新たな建設計画が浮上する可能性が高い。
 神奈川県下の各自治会、町内会には、こちらからすでに一連の経緯を知らせてあり、たちばな台を追われた神慈秀明会がそちらの地域に潜入する可能性があるので十分注意して頂きたいと申し入れてある。
 その申入書の見本がここにあるが、神奈川県下の自治会・町内会の中では今や神慈秀明会の知名度はかなり高まっている。
 同様の問題が発生した際には、今回たちばな台で住民がとった行動が大いに参考とされ、更に高度な戦いが構築されることになるだろう。


(2006.01.17 02:03更新)

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