神世界新聞

(下記は、2011.07.18更新)

神世界新聞 第13号(2011.07.01発行)を見て

神世界新聞第13号(2011.07.01発行)

 政治の世界では、野党、与党から浴びせかけられる”首相退陣”の大合唱をよそに、菅総理はしぶとく政権にしがみつき、政権末期にきて意外な粘り強さを見せている(2011.7.18現在)。神世界も幹部が多数逮捕され、末期的状況になっているが、今なお新聞発行を続けるなど、しぶとさを見せているのは、菅総理に見習ったのか。もっとも神世界の場合は、正しい状況判断ができず、”惰性”で新聞を出し続けているだけかもしれないが。
 前回、第12号(5/1発行)の新聞が”御霊光はすばらしい”のページにアップされるまでには随分時間がかかったが、今回の第13号は発行後すぐにアップされていたようだ。やはりあのページを作っている人は、東北大震災で被災した人なのかもしれない。未だに”御霊光はすばらしい”のHP主宰者に連絡はつかないが、あのページから新聞をダウンロードさせてもらった。

■海外志向
 神世界新聞第13号の特徴は「海外志向」だ。
 これまでにも度々紹介しているカルト団体として、(宗)神事秀明会(以下、秀明会)という団体がある。神世界のライセンスも、秀明会の「お光り」を模倣した感が強く、秀明会も神世界もルーツは世界救世教である。秀明会はかって渋谷などで、「あなたの幸せを祈らせてください」と通行人を呼び止め、「浄霊」という手かざしをして会員勧誘をしていた団体で、強引な献金や、職場放棄、学校放棄をさせてまで信者を働かせてきたことが問題となり、今では国内での勧誘活動はほとんど行っていない。神事秀明会は現在、国内での活動は沈静化しているが、海外では活発な活動を繰り広げており、海外での活動に活路を見いだしている感がある。国内では悪名が広がってしまい活動できないので、まだ悪名が伝わっていない海外でなら、東洋の宗教に興味を持つ人を相手になんとか活動して行けるようだ。秀明会会長(女性)は比較的英語が堪能なので、海外での活動もさほど苦にならない。
 神世界新聞第13号の冒頭には、いつもの3名が書いた文章が掲載されている。その文章中には、下記のように繰り返し、「世界」や「海外」などの言葉が登場している。
日原易子「新しい道へ」
 世界中に創造者の御霊光、すなわち救いの御神業を・・。現実に世界中に広がり始めているのです。世界中の人々が神様・御霊光に接し触れた時に奇跡が現れ始め・・
宮入英実「神様の御力・救世」
世代・人種・地域・国等の壁を超えて御霊光が浸透し自然と拡がってゆく・・
和田美和「拡がる理想世界」
これからは世界中に御霊光が伝えられてゆく時代になってきたのです。海外の方のプラスに対する直感力は単純でとても鋭いのです。海外の方が瞬時に救われ、更に大勢の方に自らのプラスを伝え、「ゴレイコウ」を・・

 最近、神世界関連サロン内部では、「イスラム圏のある国のイスラム教の指導者の立場にある人が御霊光をいただいている」という話がまことしやかに語られている。この件については別の機会に明らかにしていく。
 このように、神世界新聞第13号や最近の神世界の言動を見ていると、神事秀明会の姿を彷彿とさせる部分もあるが、神世界幹部の中に外国語が堪能な者はおらず、一連の”海外で高評価”といった宣伝は、実体のない”絵空事”でしかないだろう。
 一連の”海外志向”は、まだ残っている会員(客)に対し、「神世界は健在だ。海外にまで拡大発展している」と思わせるための、”実体のないデモンストレーション”でしかない。


■「病状が改善した」のオンパレード
 神世界新聞第13号裏面には、実に8件もの”病状が改善した”という奇跡話が掲載されている。御霊光には奇跡を起こす力があると誇示したいようだが、それにしては御霊光を最もたくさん受けている筈の神世界幹部関係者が病気になり、なかなか病状が改善しないために医者にかかってるのはどうしたことなのだろう。プライバシーに係わることなので詳細は明らかにできないが、神世界幹部の親族が若くして癌で死亡したり、胃潰瘍の手術を受けたり、養護施設に入ったままの生活を続けたりしている者がいる。御霊光に病気を良くする力が本当にあるのなら、このようなことにはなるまい。本当に御霊光に病気を治す力があるのなら、早く御霊光病院を建てて難病で苦しんでいる人達を助けてほしいものだ。御霊光病院のおかげで難病から解放された人が次々と実際に現れれば、御霊光病院はたちまち話題となり、病院の入口には治療を求める人の長蛇の列ができ、週刊誌やワイドショーでも取り上げられ、たちまち神世界は巨万の富を得ることになるだろう。なぜそうしない?それは神世界幹部が、御霊光にはそのような力などないことを一番よく知っているからだ。
 「良いことがあれば御霊光のおかげ」、「悪いことがあっても御霊光のおかげでこの程度で済んだ」と、全ての出来事が御霊光によって支配されていると思い込まされている会員(客)の目を覚まさせるのは容易ではないが、人間が本来持っている自然治癒力のことや、自律神経を適切にコントロールすることによって体調が大きく変化することなども知ってほしいものだ。


■権力の謙抑性
 2011年3月10日に杉本明枝が逮捕されたのに続き、5月20日には神世界幹部4名が逮捕されたことを受けて、神世界新聞第13号裏面に、「信義に悖(もと)る違法・不法な権力の行使」と題した記事が掲載されている。
 この中で執筆者は「権力の謙抑性」という文言を用いて検察批判をしているが、神世界事件を論ずる際に「権力の謙抑性」を用いるのは思い違いも甚だしい。権力の謙抑性(一般的には「刑法の謙抑性」という)が問題になるのは、いわゆる「被害者なき犯罪」や、「ごく軽微な犯罪」について警察や検察が過度の権力行使を行い、被疑者を無理矢理犯罪者に仕立てあげたような場合である。
 神世界事件は「被害者なき犯罪」なのか?そうではあるまい。神世界を巡っては現実に多くの被害届けが警察に出され、告訴状まで出されている。私のところには全国の二百数十名を超える神世界被害者から、約3万件を超える相談のメールが届いている。神世界事件は「被害者なき犯罪」では絶対にない。被害額は全国で1000億円を超えると言われている”一大霊感商法事件”なのだ。
 これほど大規模で、被害額も大きい霊感商法事件であるにも係わらず、万が一にも警察・検察が捜査を行わず、然るべき取り締まりが行われないようなことになれば、そのことの方がはるかに大きな社会問題だ。

 記事の中で執筆者は、「神奈川県警と横浜地検の捜査関係者、特に主任検事には、権力行使者として弁(わきま)えるべき節度と自覚は微塵も感じられません」と述べているが、警察や検察が犯罪者を取り締まるのはごく当たり前のことだ。「権力行使者として弁えるべき節度と自覚」とは、一体どのような”手心”を期待しているのだ?自分たちが犯した罪の大きさから考えれば、一連の逮捕・起訴は当然すぎる結果でしかない。
 「(捜査当局は)信教の自由という憲法で保障された人権侵害を敢えて行っている」とも述べているが、これまたとんでもない見当違いでしかない。断じて言うが、神世界は宗教などではない。どうしても「宗教」という言葉を入れて神世界を表現してほしいのであれば、「宗教を都合良く利用して客を誤信させてきた集金団体」という表現は可能かもしれない。宗教とカルトは”似て非なるもの”であるが、宗教と霊感商法は、”全く関係のないもの”でしかない。よって神世界関係者を捜査当局が逮捕することは、信教の自由を侵すことには全くならない。僅かでも捜査当局による神世界関係者逮捕が信教の自由を侵すと判断される類のものであれば、宗教関係者や人権擁護団体は直ちに行動を起こしているだろう。しかし誰一人としてそのような行動を起こさないのは何故なのだ?それは誰が見ても神世界は宗教などではなく、女性を騙して金を巻き上げてきた卑劣な霊感商法組織としか見ていないからだ。会員(客)の手前、”信教の自由”などの言葉を散りばめておけば何となく最もらしく見えると思っているのだろうが、茶番でしかない。

クリスマス会見
杉本明枝の記者会見
 神世界側は、民事訴訟でも、刑事裁判でも、神世界新聞でも、現存する会員達にも「神世界は宗教だ」と言い放っているが、神世界に強制捜査が入った2007年12月にはどう言ったか分かっているのか?神世界のマスコミ攻勢にある、神世界がマスコミ各紙に送ったFAXの文言を見れば、当時は「自分達は宗教だ」などとは一言も言っていないばかりか、必死になって宗教を否定している文言が並んでいる。そして極めつけは当時E2経営者であった杉本明枝(現・吉田明枝)が2007年12月24日にE2本社で行った記者会見で述べた言葉だ。記者から「ここは宗教ではないのか?」と尋ねられた杉本明枝は、「はい、宗教じゃないんです。会社なんです」と明確に答えている(右記写真)。当時、神世界に通っていた客は、大多数の者が「ここは宗教ではない。会社です」と言われ、それを信じたために大きな被害を被る結果となった。  それにも係わらず、いまになって訴追を逃れるため、急遽、「我々は宗教行為をしている」と180度態度を翻すのは卑怯以外の何者でもない。もっとも、見方を変えれば、そうした卑劣な行為を平気で行うところに、神世界の虚言体質がよく現れているとも言える。

【神世界新聞第13号(2011年7月1日発行)裏面の記事】

信義に悖る違法・不法な権力の行使

 再び関係者が神奈川県警と横浜地検に逮捕拘留の上起訴されました。弁護士の先生に見解をお尋ねしました。

 今回の暴挙に接し、神奈川県警と横浜地検の捜査機関としての節度とセンスの無さに違法捜査であることが改めて明確になるとともに。憤りを禁じ得ません。
1、権力の謙抑性ということがいわれます。これは権力というのは濫用的行使に陥りやすいので、常に権力の行使にあたっては自戒し、抑制的であるべきだいう思想に基づくものです。
 しかし、今回の捜査に従事した神奈川県警と横浜地検の捜査関係者、特に主任検事には、権力行使者として弁えるべき節度と自覚は微塵も感じられません。
2、捜査関係者のレベルの低下が指摘されるようになって久しいところですが、レベルが低くても節度と自覚を堅持していればまだ救いはあります。しかし、主任検事の度し難い思い上がりは民事問題と刑事問題の区分すら不可能にさせている状況です。
 今回問題にされている方々が純粋な信仰心の持ち主で、宗教行為として神霊鑑定などを行ったことに疑いの余地はありません。
 刑事問題として事案を見るときには、故意過失が問題となる民事問題と異なり、過失は問題とならず、当然故意の有無が最大の問題となるのであって、故意がなければ詐欺罪にはなり得ないのです。
 そして、宗教行為として信じるままになした行為に故意があるはずはないので、犯罪などにはなり得ないのです。
 紀藤弁護士一派が、民事的な問題意識から「霊感商法」批判を行うことは自由ですが、何故、検事が紀藤弁護士一派に加担し、執拗に民事事件に介入するのか不可解というしかありません。
3、今回の捜査の問題点は、捜査当局が民事事件に介入したに止まらず、信教の自由という憲法で保障された人権侵害を敢えて行っている点です。
 主任検事は、この点を意識し、起訴状から殊更宗教色を排除して事案を矮小化するなど、姑息で卑劣な態度に出ていますが、本件が宗教行為であることは裁判の場で明らかになるはずです。
 捜査機関が民事弁護団とタッグを組んで、憲法違反をしてまで特定の宗教団体を攻撃するなど前代未聞といわねばなりません。

以上


■神書をもっとよく読もう
 尾崎幸廣弁護士の「私の一言」は、今回も神書の教えに逆行する内容を書いている。結局、この人は神書などまともに読んでいないのだろう。確かに神書に書かれている内容は、普通の者にはバカバカしくて読むに値しないものでしかないが。
 尾崎氏は今回の投稿で、久留米の水天宮にお参りする夫婦のことを書いており、その行為を肯定的に捉えている。一般的な日本人の考え方としては尾崎氏の意見は妥当性がある考え方だと思われるが、残念ながら尾崎氏がその考えを披露しているのは「神世界新聞」なのである。神世界では、太陽神を唯一絶対の神としており、他の神を認めていない。
 神書には、「太陽神は人類にとっての唯一の神様であり、他の如何なる高級霊も自然現象も宗教の本尊も天体も神様ではない。だから天照大御神と書こうが、国常立尊と書こうが、観音様の絵や彫刻を作ろうが、神様は宿らないし、降臨もしないし、御霊光は発生しないから幸福化作用も発生しないのは当然で、もし今までの宗教の本尊が神様とつながっていたなら人間はすでに永遠の幸福者となり人間界は神世界となっている筈である。」(神書・太陽神)と書かれているのだ。
 尾崎氏は水天宮にお参りする夫婦の姿を見て「同情する」と述べているが、これも神書の教えには反している。神書では「やさしさ・思いやり・親切・愛ではない (177)」とされており、尾崎氏が示したような同情心は否定されているのだ。神世界新聞を編集している者は、毎回、神書の教えに反することを述べている尾崎氏の投稿を掲載することは一考を要するのではないか(笑)。

【神世界新聞第13号(2011年7月1日発行)「私の一言(弁護士 尾崎幸廣)」】

私の一言 お百度参り

 子宝祈願で有名な久留米の水天宮に行った時に、正装した夫婦が拝殿と石柱の間を往復してお百度参りをしているのに出会った。これを効果の無い馬鹿馬鹿しい行為と考えるのか、他人の事ながら切ない願いが叶えられればよいと同情するのか、二つの見方がある。私は後者である。  科学的には、祈願によって子供が生まれたという証明は出来ないだろう。しかし、宗教の力にすがって、子供を授かりたいと願う人がいることも事実である。  神仏の力やそれに対する祈願によって病気が治ったり事業が発展することはない、と断言するならばそれは宗教の全否定であり、人間精神に対する不遜な冒涜である。  もちろん、当人がそのような考えで生きてゆくことは自由であって、批判するつもりはない。ただ、その人が自分の生き方の範囲を越えて、信じている他人を攻撃批判するのは許されない。

(弁護士 尾崎幸廣)


戻る