観光シリーズ73(東京都港区六本木)

 2005年〜2006年頃にかけて都内に存在した、(有)えんとらんすアカサカの「秘密のサロン」に関する、興味深い情報が得られたので公開する。
 この「秘密のサロン」は、六本木通りに面した、「ザ・グランスイート六本木」の高層階の一室に約1年弱存在したが、現在(2012年)は、すでにこの場所から撤退している。すでに撤退していることが明らかであるにも係わらず、2012年になってからこの「秘密のサロン」に関する情報を新たに公開するのは、それなりに意味があってのことだ。
 なお、下記の文章は2012年1月に書いたので、すでに逮捕されている神世界関係者については実名を表記している。

えんとらんすアカサカ・六本木サロン(クエスト六本木)
東京都港区六本木3丁目5−28、ザ・グランスイート六本木(高層階)

赤○がザ・グランスイート六本木

赤○がザ・グランスイート六本木

南東方向から見たザ・グランスイート六本木

北東側にある入口部分

首都高速から見たザ・グランスイート六本木

六本木通りから見たザ・グランスイート六本木

●「秘密のサロン」ができたいきさつ
 2005年の秋頃、ある一人の中年女性が、えんとらんすアカサカの経営者と派手な大喧嘩をしてサロンを離れた。サロンを離れた女性は、観光シリーズ26番に紹介した“エレヴァシオン”(目黒区柿の木坂)で、橘先生(淺原嘉子)に次ぐ「先生」だったS原という女性だ。ご主人が某国立大学勤務ということもあり、年配の顧客からも信頼があったようだ。上品で知的な彼女には、多くの顧客がついていた。小柄でスタイルがよく、ショートカットがよく似合う笑顔の素敵な女性だった。そんなS原先生が、橘先生(淺原嘉子)に向かって、「あなたのやり方には誰も付いて行かない!」と啖呵を切って出て行った。

 えんとらんすアカサカを統括していた会主様(佐野孝)は大いに焦った。橘先生と天野先生(淺原夫妻)にS原先生が辞めないようになんとか説得するよう指示を出したものの、S原先生はたいそうご立腹で、淺原夫妻とはもう口も聞きたくないという始末。お客さんがたくさんついていたS原先生を手放すわけにはいかない佐野は、自ら新たなマンションを借りてS原先生の活躍の場を用意した。それがこの、“クエスト六本木”だった。

 2005年末頃にひっそりとオープンしたこのサロンは、週に数回程度の営業であったにもかかわらず、毎月の売上が約200万円もあったサロンだ。しかしこのサロンの存在は、他のスタッフには一切伏せられていた。詳細を把握していたのは、伝票を扱う東京の経理担当者・H倉Y美(主任)くらいだ。口の軽い彼女がこっそりと「あそこは治外法権みたいなもので、教会長も天野先生も口を出せないのよ。」と他のスタッフにも吹聴したので、数名の知るところとなった。
 果たして当時、このサロンの売上が正しく税務申告されていたのかどうか、非常に興味深い。

●佐野りら
 当時、会主様の秘書としていつも佐野に同行していた営業部長・りらは、佐野の妻であることを隠して旧姓の「KR山」を名乗っていた。この六本木サロンができると同時にそこで寝泊まりし、S原先生の動向を「監視」していたが、2006年に入り、統括室室長となって六本木1丁目の泉ガーデンレジデンス(観光シリーズ12番)に会主様と一緒に住むようになってから、六本木サロンは夜間無人のサロンとなった。そこで佐野は一時期、他のスタッフを数名寝泊まりさせてみたりもしたがその甲斐なく、S原先生は去っていった。知られてはまずいことを知られて辞められたと気付いたのだろうか。「盗聴器が仕掛けられていないか調べろ!」と、佐野がしょっちゅう怒鳴っていたのを、数名が耳にしている。

 また、この頃から佐野も淺原夫妻のことを徹底して疑うようになった。経営者である淺原夫妻よりも、妻・りらの母親であるKR山E子を早く神世界グループ内での大物に仕立て上げ、淺原夫妻の会社を吸収させようとしていたのを、淺原夫妻に感付かれたかもしれないと感じて余計焦っていた。

 S原先生が出て行ったあとの“クエスト六本木”は、すぐにえんとらんすアカサカの「六本木サロン」として数カ月間使用されるようになったが、売上不振で間もなく閉鎖となった。昨年夏に逮捕され、現在起訴猶予処分で釈放されている日向晶子先生こと小塚麻衣子がそこで専門に神霊鑑定などを行っていた。専属で品川から派遣されたスタッフが常駐したり、パーティー会場として使用されたりもしていたが、運営は上手く行かなかったようだ。

 ところで、佐野とりらがニューヨークでサロンを立ち上げようとしていたこと、実際に2人だけでニューヨークに滞在していたことは有名な話だが、その当時の彼らの様々な行動の記録が“クエスト六本木”には保管されていた。りらの管理が甘かったのだろう、それら秘密の重要書類は、既に数名に見られて無造作に戻されたような形跡があった。一番最初に辞めて行ったS原先生が第一発見者だったのだろうか。もしかすると客たちも一緒に見ていたのかもしれない。コピーをとられていたのかもしれない。続いて去っていったスタッフたちも目にしたことだろう。

 りらの母・KR山E子は、我が娘は非常に不幸でかわいそうな環境で育ったところをヒーリングによって救われたのだとか、後に佐野のアシスタントとして佐野から厳しい指導を受けた末に営業部長までなったのだとか、まだ未成年だった頃に日本語の通じないニューヨークで血のにじむような思いでサロンを拡大させてきたなどと触れ回っていたが、そんなことは嘘っぱちである。事実は正反対で、KR山E子の娘が当時どれだけお気楽な生活を送っていたか、その秘密の書類が全て物語っていた。ブランド好きはこの頃からで、客だった頃の佐野先生との楽しいデート内容を綴った日記の手帳まで、お気に入りのブランド物で統一されていた。客から集められたお金は、幹部らの贅沢のために使われていたのである。

 家族を捨てろと追い詰められ、夫や子供と引き離され、地方に単身で飛ばされ、劣悪な環境でお金と時間と労力を奪われ続けていた主婦や独身女性たち。彼女らの苦労とは、雲泥の差だ。ましてや純粋に御霊光を信じて適切な医療行為を受けられずに命を落としていった小さな子供たちや高齢者のことを思うと、単なる世間知らずのわがまま娘の、私だって大変だったなどという苦し紛れの言い訳は、決して許されるようなものではない。

●神世界の残党に注意
 “クエスト六本木”を去ったS原先生は、自分の「上級お守様・五秘観音像」を表装したものをサロンに置いて出て行ったことから、神世界の神など偽物だととっくにわかっていたと思われる。S先生は、大勢のお客さんを引き連れて、その後自分で独自のヒーリングサロンをやっているらしいとの噂も流れた。神世界を離れていった「元先生」の中には、このように、神世界を去って独自のスピリチュアル路線に走った者が多い。彼女らがそこで適切なヒーリング行為を行っているのか、単に神世界を真似た金集めを独立してやっているだけなのかは不明だ。

 幸運にもこの記事を目にすることができたあなたが、神世界の欺瞞に目が覚めて辞めた後、またしても同じような偽物に頼ってしまうことのないよう、十分気をつけていただきたいと願ってこの記事をアップすることにした。

 神世界グループは、教祖・斉藤亨を筆頭とする被告らが、公判で自ら、「組織的詐欺行為を行ってきた」と認めた団体だ。有罪確実となった今、少しでも減刑をと、恐れ多くも裁判官を欺こうと今になって「宗教行為」などと苦し紛れの方便を揃って口にしているが、滑稽な話だ。損害賠償訴訟が提訴されるまでは、組織開設以来、ずっと、「ここは宗教ではない」と主張してきたことは、関係者の誰もが知っている。

 嘘に嘘を重ねて更に嘘をつき通す団体、それが神世界グループだ。母体が山梨の観音会となったところで変わりはない。現在も密かに都内のマンションの一室で、全国主要都市のマンションの一室で、会員の家で、相変わらず活動を続けている。
 現在もコソコソと隠れている者、逃げ回っている者は、立ち場はどうであろうとも、この組織的詐欺団体の一員であることに変わりはない。
 まだ逮捕されていない者たちが、あなたのすぐ近くで「御神業をお守りするための大活躍」をしている。十分気をつけていただきたい。




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