観音会


1、観音会本殿
 上記の写真は、2011年5月5日に山梨県甲斐市西八幡1183-9で撮影したものだ。この場所は、「眼鏡市場甲斐西八幡店」があった場所だが、2011年3月頃、眼鏡市場は閉店し、その後建物の改装工事が行われていた。付近の人達は、「飲食店にでもなるのかな?」と思って工事の成り行きを見ていたが、4月中旬になってから建物の前面に、「観音会本殿」と大きな文字が書かれ、この施設が観音会の宗教施設であることが分かった。


2、神世界と観音会

写真左端に、たばこ屋の前にある「観音会仮
本部」の看板が見えている。



本殿正面に立ち西側を見ると、たばこ屋との
間に小さな物置のような建物があるが、これ
は今回新たに建てられた。



開けられていた左側の窓内部には「神殿」が
確認できた。「仮本部」の二階にあった「神
殿」を移設したものと思われる。


この写真は「眼鏡市場」時代のもの。メガネ
市場になる前はローソンだった。



観音会のチラシ。これは数年前のものなので
案内図には「ローソン」が目印として描かれ
ているが、現在はここが観音会本殿だ。

 最初にお断りしておくが、「観音会」と(有)神世界は、”別組織”だ。神世界を批判するこのサイトで観音会を取り上げたからといって、「両社は一体である」と決めつけるものではないが、では両社は全く関係がないかいうとそのようなことはなく、ともに「御霊光」を信じている共通点の他、「神世界から観音会への人の流れ」や、「後継者問題」を調べていくと、”両社間には密接な関係がある”と見るのが妥当であろうと私は思っている。
 観音会を主宰しているS藤H氏は、(有)神世界教祖・斉藤亨の父親だ。親子で全く別の会社を経営することはよくあることであり、両名が親子だからと言って、それだけで観音会と神世界の関係があるとは言えない。現時点では、観音会と神世界の間に資金的なつながりがあるか否かについても全く分かっていない。

 この記事は、「観音会が新たにこのような施設を作った」という事実と、それにまつわる若干の情報と、私が感ずる疑問を提示するだけである。
 今回明らかになった「観音会本殿」の場所は、以前、神世界関連施設(観光シリーズ)の21番で、「たばこやはなぜ潰れないのか」と題して紹介した、「観音会仮本部」の東隣だ。このたばこ屋の前には以前から、「観音会仮本部」と書かれた大きな看板が設置されていた。あの「仮本部」というのは、将来本格的な本部を作る予定があったから「仮」としていたのであり、今回できあがった「本殿」が観音会本部になるのかもしれない。
 観音会も宗教法人格は取得していないが、タバコ屋の奥にある「仮本部」2階の神殿に入ったことのある人の話では、「”ご本尊様”は千手観音の絵でした。カラーではなく、墨で書かれたものですが、長さは1m以上はあったと思います。他に文字だけのものと3人の仏様のような絵が描かれたものの3枚が床の間に飾ってありました」と語っており、玉川の神世界本部にある神殿と同じようなものが造られていたようだ。今回できあがった「観音会本殿」内部にも同様の神殿があることが確認されており、仮本部にあった神殿を移動させたものと思われる。

3、受け皿
 2010年6月、(有)びびっととうきょう内部で”お家騒動”があったようで、びびっとの幹部クラスの者が大挙して辞め、W田M和会主のもとを離れる事件があった。このお家騒動の原因が何であったかについては、W田M和に対する反発があったなど、いろいろの説があるが、詳しくは分かっていない。
 この6月の大量脱会者は、「御霊光」を求めて、そのまま観音会に移籍した。びびっとからの脱会者は以前にもあったが、それらの者の多くは、やはり観音会に移籍している。びびっと以外の系列からの脱会者の動向についてはあまり明確になっていないが、元E2関係者が観音会に出入りしている姿も確認されており、神世界を止めた者の受け皿として観音会が機能していることは間違いない。
 神世界教祖・斉藤亨と、観音会主宰者・S藤H氏は親子であるが、それぞれの運営を巡って親子間に対立があったとする説も以前は聞こえていた。神世界では約10万円とされてきたライセンスが、観音会仮本部では”格安”で受領することができていたようで、S藤親子の対立はそうしたことが原因だったのではないかと伝えられている。現在、二人の関係が修復したのか、今でもうまく行っていないのかは定かではないが、私がつかんでいる情報では、両者の関係はそれほど良好ではないようだ。しかし、親子間の確執はあっても、「御霊光」に関して両者は同じ方向性を持っている。

4、後継者
 観音会主宰者であるS藤H氏は2011年現在85歳であり、かなり高齢である。高齢である上に、昨年夏には大きな病気をして手術も受けており、今後、いつまで観音会を取り仕切っていくことができるか不安な状態である。自分の後継者となって観音会を取り仕切ってくれる者がほしいところだが、息子の斉藤亨との関係はうまくいっておらず、神世界のやり方を批判してきたS藤H氏としては息子の斉藤亨に観音会を継がせることはできない相談だ。
 そこでS藤H氏は、”ある夫妻”に白羽の矢を立てた。白羽の矢が立ったこの夫妻は、これまで神世界に深く係わってきた夫妻だ。S藤H氏は、この”ある夫妻”に自分のあとを継がせようと考えたが、自分のあとを継いで観音会主宰者となる以上は、それなりに文化的素養を身につけた者でなければ観音会の名前に泥を塗ることになりかねない。S藤H氏は、”ある夫妻”が、できれば自分が心酔している岡田茂吉のような人物になってほしいと思ったのか、”ある夫妻”に、茶道、書道、香道、英会話、着物着付などを習わせ、日本文化の素養を身につけさせようとしてきた。
 この”ある夫妻”は3年半前から定職に就いておらず収入がない。収入がないにも係わらず、都内の高級マンションに住み、高級車を乗り回し、海外旅行に行ったり、装飾品にもふんだんに金を使うなど金回りは非常に良かった。”ある夫妻”は頻繁にS藤H氏を訪ねており、S藤H氏の指令に従って動いていたようである。これはあくまでも私の推測でしかないが、”ある夫妻”に対して資金援助をしていたのは、自分の後継者として育てようと考えていたS藤H氏ではないかと思われる。
 更に推測すれば、血のつながっていない”ある夫妻”を後継者とするのは一時的な”つなぎ”でしかなく、神世界事件のほとぼりが冷めた頃を見計らって実子である斉藤亨を観音会後継者とする”秘策”も隠されているのかもしれない。
 S藤H氏がもくろんだ、「ある夫妻を後継者にする作戦」は、その後、ある理由で頓挫しており、後継者問題が今後どうなるか、関心をもって見守っていきたい。
 それにしても、S藤H氏は「観音会本殿」を建てたり、”ある夫妻”に資金援助をする金をどこから出していたのだろう。失礼ながら、たばこ屋兼雑貨屋の売り上げだけでは、到底そのような金を生み出すことはできそうに思えない。国税局に依頼して、たばこ屋の税務調査をしてもらうと、新たな事実が見えてくるかもしれない。

5、今後の動向に注意
 世界救世教という団体は、離合集散を繰り返してきた団体だ。観音会も神世界もそのルーツには世界救世教があり、血筋は同じだ。高額な損害賠償訴訟を起こされたり、関係者が次々と逮捕されている神世界の現状を見れば、神世界の行く末はしれている。こうした末期的状態となった組織がある日突然”分裂”もしくは”変身”し、新たな組織を作ることは、これまでの世界救世教の歴史をみれば、しごく当然の流れだ。
 神世界が消滅した際には、「御霊光」を求めて神世界各社から観音会に移籍する者が多数出てくる可能性がある。観音会本殿が完成したことで受け皿はほぼ出来上がったので、消えゆく神世界に見切りをつけ、観音会に移籍してくる者も今後は増加することだろう。

 1986年に内紛によって三派に分裂し、これまで対立してきた世界救世教をルーツとする「いづのめ教団」など三派の間では、最近になって、”一元化”という名の下で仲直りをしようとする動きもある。しばらくの間は対立してきたS藤親子の関係も、父親の高齢化に伴い、世界救世教三派と同じように、一元化や仲直りする可能性もある。「観音会本殿」の完成は、その動きの第一歩なのかもしれない。
 観音会が神世界を引き継ぐようなことになった場合には、これまで神世界が行ってきた一連の違法行為に対する責任と謝罪、賠償も含めて引き継がねばならないのは当然である。神世界事件の推移と併せて、観音会の今後の動向には十分注意をしていく必要がありそうだ。


(以下は2011年8月1日加筆)
6、観音会を宗教法人に
観音会会報創刊号
 上記5の最後に、「観音会の今後の動向には十分注意をしていく必要がありそうだ」と書いたところ、7月になって、ある関係者から新たな情報がもたらされた。それは、"観音会が「会報」を発行している"という情報だった。情報提供者が直接アップロードしたのか、他の関係者がしたのかは不明だが、情報提供者から教えてもらったサイトを見ると、「観音会会報」創刊号がアップロードされていた。”観音会会報”は4ページになっており、神世界新聞と同じような調子の”奇跡話”が多数載っているが、創刊号ということで、観音会代表S藤H保氏が、”「会報」発行にあたって”と題した記事(下記)を掲載している。その中でS藤H保氏は、「(観音会は)宗教法人化に向けて、新たな船出をする」と述べており、観音会を宗教法人にする意向を強く持っていることを宣言している。創刊号に続く第2号の会報が発行されているか否かについては不明だ。

 現在、日本には、182,601の宗教法人がある(文化庁H20.12.31統計)。このように膨大な数の宗教法人が存在するのは、以前は一定の要件さえ備えていれば簡単に宗教法人格が取得できる時代があり、その当時に我も我もと多くの団体が宗教法人格を取得した結果このような数になった。しかし、オウム真理教による地下鉄サリン事件を契機に、宗教法人法は大幅に改正された。従来、所轄庁は一定の要件を満たしている宗教団体を必ず認証しなければならなかったが、オウムのように問題のある宗教法人を行政が判断することができるようにするため、2006年(平成18年)6月2日に宗教法人法は改正され、問題があると思われる団体が宗教法人格を取得するのは非常に困難となった。

 観音会(観音会仮本部時代を含む)を巡っては、これまではそれほど大きな被害申告などは出されておらず、一見したところでは宗教法人格取得の障害になるような要件はなさそうに見えていた。ところがここにきて、状況が一変した。
 状況を大きく変えたのは、2011年5月30日に逮捕された淺原史利と観音会の関係だ。これまでの報道では、淺原史利は「えんとらんすアカサカ経営者」となっているが、実は淺原被告は観音会の運営にも深く関与していた。観音会代表・S藤H保は高齢等のため地方に出向くことができない。このため、淺原史利被告は、観音会代表・S藤H保の名代(みょうだい)として地方に赴き、「お話会」と称する会合などを開いていた。その中で淺原史利は、「観音会が宗教法人になれば、神世界とは別法人になるので事件とは関係がなくなる」と言った内容を繰り返し述べており、観音会を宗教法人化する目的が、神世界との関係を対外的に分かりにくくすることにあることをほのめかしていた。観音会内部では、観音会のトップは代表役員・S藤H保氏、それに次ぐ位置にいるのが淺原史利と言われていた。
 2011年3月10日に杉本明枝が逮捕された後、淺原史利は、「私が観音会に出入りしていたら、観音会に迷惑がかかるのでは・・」と言った趣旨の発言をしており、杉本被告の次に逮捕されるのは自分であろうことを察知していたようだ。淺原被告がいみじくも述べた通り、詐欺容疑でこれまで二度にわたって逮捕・起訴されている者が代表の代行では、宗教法人格取得は99.9%無理だ。

吉田澄雄元警視
 それだけではない、観音会代表・S藤H保氏は自分が高齢であるため、観音会の後継者を育てようとしていた。この経過については”上記4、後継者”の項で述べたが、その中で、「ある夫妻を後継者にする作戦」は、その後、ある理由で頓挫している、とした。その、”ある理由”とは、後継者にしようと思っていた者が逮捕されてしまったのだ。ここまでお読みいただけば、S藤H保氏が観音会の後継者にしようと目論んでいたのが誰だったかは、もうお分かりだろう。後継者候補は淺原史利、淺原嘉子夫妻だったのか?と思われた方もあるかもしれないがそうではない。観音会の後継者候補とは、なんと、杉本明枝と吉田元警視だったのだ。杉本明枝が吉田元警視の籍に入ったのは起訴後の4月であるが、二人は千代田区永田町の高級マンションで以前から一緒に暮らしていた。杉本・吉田の両名が、S藤H保氏指揮の下、後継者候補として活動していたことに関しては、詳細な情報をすでに得ており、捜査当局にも通報済みだ。
 それにしても不可解なのは、あれだけマスコミで騒がれた杉本明枝と吉田元警視を観音会の後継者にしようと目論んだ観音会代表の判断だ。普通であれば、神世界事件(霊感商法事件)の象徴的人物として騒がれた二人をわざわざ自らの組織の後継者にしようなどとは絶対に思わないだろう。それを”敢えて”自らの組織に迎え入れたのは、それなりのメリット、見返りを期待してのことであろう。
 あたかもそれを説明してくれるような事件が2011年7月22日に発覚した。品川美容外科に再就職していた警視庁OBの元警部が、現職の捜査1課警部から捜査情報を得ていたとして地方公務員法違反容疑で逮捕された事件だ。すねに傷を持つ吉田元警視ではあるが、吉田が現職時代に築いた”人脈”は、観音会として”利用価値あり”と判断したのだろう。
 しかし、”代表の名代”として観音会に深く係わってきた淺原史利と、”後継者候補”として関与してきた杉本明枝が相次いで逮捕されるに至り、観音会の前途は多難となった。なお、「観音会会報」創刊号が発行されたのは2011年2月18日なので、その時点では、まだ神世界関係者は誰も逮捕されていなかった。関係者が相次いで逮捕されることを”神”は教えてくれなかったのだろうか?


「会報」発行にあたって
=新たな船出を迎えて= 新組織体制の整備

会員の教化育成と法人化に全力

 このたび観音会は、「宗教団体観音会」として新たな出発をすることになり、ここに「観音会会報」を発行する運びとなりました。
 観音会は、『絶対主国常立尊の顕現神「十一面千手千眼観世音菩薩御本霊」』を主宰神として、御霊光により人々を幸福にし、人類を救済することを目的とする団体であります。
 思い起こせば、私が神様を信仰するようになったのは、昭和39年の交通事故がきっかけとなったのですが、この時、まさに命を救われた神秘の体験をしたことが始まりです。  その後、自らが神手かざしにより御霊光を取り次ぐと相手の状態がわかるようになり、御霊光を受けた人間の健康状態が良くなったり、運命が好転する状況が生まれるなどしてきたのです。そのような状況が続いてきた昭和61年のことですが、「十一面千手千眼観世音菩薩」様が私の枕元に現れて、私自身を取り次いでくれたのです。この時、私を救って下さった神様が「十一面千手千眼観世音菩薩御本霊」の神様であると確信したことが、観音会設立の基盤となっているのです。
 このような神秘的な体験を神の啓示と受け止め、本格的に布教をはじめてからすでに20数年が経ちますが、その間、神様の御霊光によるいろいろな奇跡が私のまわりを包み、会員数も年々増加して参りました。
 そうしたことから、新たに組織体制を整備して、会員の教化育成を図り、宗教法人化に向けて、新たな船出をすることにしたのです。  私たちの生きているこの地上に、本当の神様が実在することを実体験させていただいた私が先頭に立って、広く人類に伝えていく決意を持って、同志とともに本当の神様がおられることを伝える決心であります。
 この会報は、その一環として発行することになりましたが、会報を通じて会員の皆様方にいろいろなことを伝え、会員一人ひとりが、この素晴らしい神様の御霊光による奇跡を体験して頂きたいと思います。




(以下は2011年10月4日加筆)
7、観音会代表役員とその妻を書類送検
 2011年10月4日(火)、神奈川県警は、観音会代表役員で斉藤亨の父親であるS藤H保(86)、及び斉藤亨の母親であるS藤C子(81)の両名を犯人隠避の疑いで書類送検した。二人の容疑は、神世界教祖・斉藤亨の逃亡にを手を貸した疑いであるが、すでに両名は容疑を認めており、すでに犯人隠避容疑で逮捕された吉田澄雄と共謀して犯行を行ったことは明確となっている。
 斉藤亨の逃亡に当たっては、笛吹市の73才男性もすでに書類送検されており、この73才男性は吉田に指示されて大阪の短期契約マンションの賃貸契約を行ったことが判明している。犯人隠避逮捕された吉田澄雄だけは、一切の供述を拒否している。
 斉藤亨、斉藤葉子、日原易子、宮入参希江の4名が逮捕状が出されると同時に姿を隠し、長期間にわたって逃亡できた背景には、警察官としての経験を生かした吉田の指示があったからなのだろう。この吉田澄雄を”飼っていた”のが、観音会代表役員・S藤H保であり、吉田に一連の犯行を指示していた”陰の立て役者”はS藤H保である可能性が高い。S藤H保も以前は山梨県警の警察官だった。
 これまで観音会の内情はあまりよく分からなかったが、一連の神世界関係者逮捕を巡って、観音会内部でなされている説明があまりにも荒唐無稽なことに会員も呆れ果て、不満が高まっているようだ。あまり詳細を明らかにすると、情報源が特定されるので具体的な内容は伏せざるを得ないが、「よくぞここまで飛躍したウソ話をでっち上げるものだ!」と驚愕する話が観音会内部から漏れ伝わってきている。
 言葉巧みに客の不安を煽り、客に金を出させる観音会の手口は、神世界で行われていたことと何ら変わらない。現在、観音会で中心になって”活躍”している者達は、それ以前は神世界のサロンで”活躍”していた者ばかりであるので、手口が神世界と同じになるのは至極当然のことだ。
 ここで踏ん張らねば、観音会も神世界と同じように客離れが起きるので、観音会内部で”活躍”している者は必死であるようだが、ウソもほどほどにしておかないと、墓穴を掘ることになるぞ。観音会の会員は馬鹿者ばかりだから、どんな大嘘でも大丈夫と思っているようだが、そう思っている者が一番の大馬鹿者だ。


(以下は2011年10月4日加筆)
8、観音会本殿の文字を金ピカに
 観音会の最近の動向を見ていると、神世界幹部が軒並み逮捕され、死に体となった神世界に代わって、観音会が神世界の客を引き継ぎ、新たな組織作りをしようと目論んでいることがよく分かる。サリン事件を引き起こし、幹部の大半が逮捕されたオウム真理教がアーレフに移行して行ったのと同じ動きを、現在の観音会に見ることができる。
 神世界が観音会と名前を変えて今後も存続したのでは、神世界事件は何ら解決に至らない。”逃げ得”を許さないためには、神世界に対する以上に厳しい目を、観音会に注いでいく必要がある。
 観音会本殿に書かれた「観音会本殿」の文字が、当初は黒色の楷書体で書かれていたが、8月20日頃になって看板屋に依頼して金色の隷書体(れいしょたい)の文字に書き換えられた。文字を金ピカにしたところで、中身は真っ黒のままだ。
2011年5月初旬の観音会本殿
当初の文字は黒色で楷書体だった

それが、↓ ↓ ↓ 
2011年8月末の観音会本殿
文字が金ピカで隷書体になっている
解散宣言が出された2012年3月に文字が剥がされた



(以下は2012年5月7日加筆)
9、観音会代表・S藤H保(87)死亡
 観音会代表・S藤H保が2012年4月24日(火)に死去した。87才だった。H保は昨年(2011年)夏に「内臓の病気」との診断を受け、病院に入院し手術を受けて一時は回復したが、その後再び体調を崩して東京都内の病院に入院していた。病名は「大腸がん」だった。
 入院中、H保の病状は悪化の一途をたどり、息子・斉藤亨被告の裁判に証人として出廷することもできない状態が続いていたが、5/1(火)に出された「懲役5年」の実刑判決を聞くことなく、4/24(火)に亡くなった。H保が亡くなる少し前には、保釈中だった斉藤亨被告が見舞いに訪れ、「親不孝してごめん」と泣きながら話しかける場面もあったが、その数日後、H保は亡くなった。
 4/27に通夜が、4/28(土)に葬儀が中巨摩郡昭和町清水にある「アピオセレモニーホール甲府」で行われた。あれだけ既成宗教をけなしていた神世界関係者の葬儀は、どのような形式で行われるのか非常に興味深かったが、葬儀は曹洞宗の僧侶が読経を上げ、普通の仏式の葬儀で行われていた。なぜ世界最高の神であるはずの神世界の神が葬儀に登場しなかったのか。それは彼らが神世界の神など虚構に過ぎないことを一番よくしっていたからだろう。
 H保の大腸がんを、なぜ御霊光で直すことができなかったのか。なぜ”毒素にあふれている”と揶揄してやまなかった病院に父親を入院させ手術まで受けさせたのか。御霊光がインチキであることを非常に端的に物語るH保の葬儀であった。

 今後、観音会を取り仕切って行くのは、H保が生前、観音会後継者候補として養成していた吉田澄雄・杉本明枝夫妻なのだろうか。両名供に執行猶予中の身であるが・・・。




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