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> 建設現場でたくさんの人が打ち合せをしていますが
> 工事が始まるのではないですか?
H.P.に情報載せたいので、詳しく様子を教えてください。
何名位でしたか?その人たちの格好は?(背広?作業服?)
どの位の時間いましたか?
チョコさん皆さんこんにちは。
こちらの神崎支部[大阪市淀川区新高7丁目]は、[2005年3月]新支部建設中止になりました。
こちらの神崎支部でも住民の反対がありましたが、K山支部長が、反対住民に対しヤクザを雇い脅しにかかりました。
ヤクザに脅された住民の方達は団結して京都本部へ苦情に滋賀本部に苦情に訪れ、やっとの思いで本部から支部へ新支部建設中止決定を言い渡すにこぎつけました。
ヤクザを雇って住民を脅しにかかったような人間が現在も支部長のままです。神慈秀明会本部では本部関係者や資格者がヤクザを雇うことが日常化していると聞きます。
本当に今、団結しないとヤクザに脅される生活を強いられることになりかねません。
計画ですが、建設委員によると建設業者を通じで反対住民にお金をばら撒く予定もしていたと。本当は、こちらのほうが建設が成功した可能性が高いといわれています。
ヤクザで脅す、お金をばら撒く、どちらも尋常ではありません。このような人たちが出入りする施設が近隣にあり続けることを想像してください。安心という文字は、地域から消えます。
団結してがんばってください。
いつ、ヤクザを雇い何をしてくるかわかりません。
神崎支部では新支部建設のために駐車場とする土地を買いあさったため、ただいま第四駐車場まであり100台弱駐車可能ですが、通常は2〜3台の当番の人の車が止まっているのみです。土地を売りに出さないところをみると新支部建設はあきらめていないようです。しまい込んでいた新支部模型も小山支部長の指示により再び展示しています。
また、大量の畳の張替えや駐車場のフェンスを新しくしたり地元業者に通常の2倍から3倍の値段で注文しています。
これらも間接的に住民にお金をばら撒く行為であり何とか建設にこぎつけようとしています。
このようなお金の関係を求めてくると地元の方々にかえって信頼という面では失われていくという事がわからないようです。
表向け自然の野菜を販売したり清掃活動をしたり〔一般信者は何もわかっていないのが現状ですが〕・・・・・・・
裏面ヤクザとお金の世界。近所づきあいできますか?・・・・・
後々、ヤクザに脅されるような生活や不安を抱えることになるでしょう
実際、本部には使い道のない900億?とか言われる財源
が利息と新たな信者の献金で行き場を失ってたまりにたまっています。
神崎支部でも数億のお金が有り余っています。
膨大なお金を手にした人間は、やっかいな問題は、自分の手を汚さずお金で他人の手を汚して解決してもらうのが一番なのです。
信楽の土地問題の汚職もそのひとつです。服部容疑者はお金で代わりに罪をかぶったようです。
信楽ののどかな村が神慈秀明会の莫大なお金を目の前に町の混乱をまねいたように、のどかな宮崎の町も膨大なお金が行き交い今ある幸せを破壊されないように守ってくさだい。
建設現場でたくさんの人が打ち合せをしていますが
工事が始まるのではないですか?
> 今後、ネットで神慈秀明会の情報を調べるとき、その情報には、2系統あることを知っておいてください。
>
> (1)神慈秀明会の活動自体を批判したサイト
> (2)神慈秀明会の、「離脱の神意」という教義を批判したサイト
> 見分け方としては、普通に「これはひどいな。これはカルトだろ」と思うのが建設反対に役に立つカルト情報で、「神慈秀明会のことを批判しているみたいだが、何を言っているのか、何を批判しているのか良くわからない」情報は、離脱の神意批判の情報で、建設反対の役には立ちません。
これで宣伝のことを考えるときの焦点が絞りやすくなりました。
> 高千穂と琵琶湖で戦いを二分すれば琵琶湖から脱出しやすくなるじゃろ。
> 今回は逃げるのが目的じゃ。また余計なことをかいてしもうたが。
この程度なら、比喩的表現だな、と察知できます。
神慈秀明会の内部事情は知らないけど、じい様が言わんとしてる事の重大さが見えてきたような気がします。
建設反対のホームページに書いていた「子供たちの通学路にカルト!」を「子供たちの通学路にカルトの拠点!」に書き換えました。
> 皆さんに言いたいのは宮崎拠点は絶対作らしてはダメじゃ。
頑張ります。大きな味方を得たような気持ちになりました。
> チョコさん、混乱させてすまんかった。ごめんなさい。
混乱を以て混乱を制したような気分。。。
まあ、混乱するのは私の得技みたいなのもだから、慣れているといえば慣れてます。見えてるものは、見えてるように書くしかないでしょう。私は意味を読み解くのが好きなんです。異常だとは思いませんでした、ちょっと異色なだけで。変なのは秀明会のほうです。
貴重な示唆、ありがとうございました。
見えてしまう、感じてしまうのはとても悲しいことじゃな。
周りから変人扱いされて精神的にゆがんでしまうんじゃ。
でもたった一人の優しさで老いぼれが救われることもあるんじゃな。
脱出、洗脳を解いて社会生活に戻れる支援をしてもろた。
秀明会に利用された日々も今では恨みから許す心に変わっとった。
皆さんは霊的なことは無視して良いのじゃ。
黒竜秀明会に言いたかったんじゃ。
奴らの悲惨な末路が見えとることを。
わしは霊能者などではない、ただ見えとるだけじゃよ。
見えとる人は他にも大勢おるじゃないのかな。
高千穂と琵琶湖で戦いを二分すれば琵琶湖から脱出しやすくなるじゃろ。
今回は逃げるのが目的じゃ。また余計なことをかいてしもうたが。
皆さんに言いたいのは宮崎拠点は絶対作らしてはダメじゃ。
チョコさん、混乱させてすまんかった。ごめんなさい。
チョコさんへ。
> 「黒竜」は、神慈秀明会と元信者との間で意味合いが異なる場合があるのですね。ネットでいろいろ調べるとき、特殊用語が一番混乱するし、頭に入りにくいです。
今後、ネットで神慈秀明会の情報を調べるとき、その情報には、2系統あることを知っておいてください。
(1)神慈秀明会の活動自体を批判したサイト
(2)神慈秀明会の、「離脱の神意」という教義を批判したサイト
いま、ネット上には、この二系統の情報が混在しています。一つのサイトでも、この両方を扱っています。ネットで情報を調べるにあたり、宮崎の建設反対に役に立つのは、(1)の、神慈秀明会の活動自体を批判したサイトだけです。
神慈秀明会の「離脱の神意」というのは、神慈秀明会が昭和45年、世界救世教から独立したとき、世界救世教がいかに間違っていて、神慈秀明会がいかに正しいのかということを説いた教義です。神慈秀明会の立教の根本とも言える重要教義です。
ところが、この離脱の神意が「嘘まみれ」だったということが、いまネットで暴露されています。
信者の視点からすると、立教の根本の教義が嘘まみれでは、いったい、神慈秀明会は、なんのために世界救世教から独立し、いまここに存在しているのか?ということになっているのです。
前レスでお話しした、「実は神慈秀明会こそが、教祖の教えからすると、黒龍の性質そのものだった」というのも、「離脱の神意批判」の一部です。信者は、神慈秀明会が読むことを許可している5%の教えしか読んでいないため、残り95%の教えに、神慈秀明会がやっていることがどれほど間違っているのかが書かれているとは全く知らず、教祖の教え通りの正しいことをしていると思いこんでいます。
離脱の神意批判は、神慈秀明会が信者をコントロールする上で、バラされると非常に困る情報ではあるのですが、部外者にはどうでも良いことであり、神慈秀明会のカルト性の証明ということとも少し違うので、建設反対のネタにするにはちょっと不適切です。
(離脱の神意批判のほうは、カルト性の証明というより、インチキ性の証明と言える。カルト宗教だから建設反対というのは反対する理由になるが、インチキ宗教だから建設反対というのは、なかなか難しいと思う。)
(1)神慈秀明会の活動自体を批判したサイトは、
家族を新興宗教から守ろう
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9575/index2.html
神慈秀明会被害ネットワークHP
http://members.aol.com/No110syumei/index.htm
です。これ以外のサイトは、おおよそ「離脱の神意批判」のサイトではないでしょうか。
しかし上記のサイトの中にも、離脱の神意の批判の情報が混ざっていますので、注意して読みわける必要があります。
これからは、ネットの秀明情報には2系統あるということを意識して、情報を選んでいってください。
見分け方としては、普通に「これはひどいな。これはカルトだろ」と思うのが建設反対に役に立つカルト情報で、「神慈秀明会のことを批判しているみたいだが、何を言っているのか、何を批判しているのか良くわからない」情報は、離脱の神意批判の情報で、建設反対の役には立ちません。
要するに、反対運動する人が読んで理解できない情報は、反対運動の役に立つわけがないということです。
ネット上の情報で、わからないことがあれば遠慮なくご質問下さい。
いつもの通りすがりさん、誤解のご指摘と解説、ありがとうございました。
「じい様」の言葉は、シュウメイ語でなく、それが変化した「シュウメイ語属じい様語」みたいなものだったようですね。こういうことが自分でピンとくるようになるまでは、まだまだ時間がかかりそうです。
> つまり、「じい様」は、宮崎建設反対運動の敵か味方かというと、味方なのです。
かろうじてこれだけは読めたか、という思い。
> ところで、「悪魔の総大将である黒龍が、実は神慈秀明会自体のことを指す」というのは、これは、元秀明の信者で脱会した者の多くが考えていることです。
「黒竜」は、神慈秀明会と元信者との間で意味合いが異なる場合があるのですね。ネットでいろいろ調べるとき、特殊用語が一番混乱するし、頭に入りにくいです。
> 「教祖の教えに基づいても、秀明は悪魔だった」という話は、最近神慈秀明会に関わるようになった人には想像もつかない話でしょうし、ましてや、その考えに基づいた霊能力者気取りの人物の話など、さらにわけがわからないでしょう。
さっぱりです。秀明会信者のネット初心者が威嚇しにあらわれたのか、反秀明会の立場の人が秀明会風に意見を書いてるのか、子供が面白がって書き込んでるのか、など、色々と余計なことを考えさせられました。
> ですから、「じい様」の話は、宮崎反対運動に関しては、害ばかりがあって利は一つもありませんので、一切忘れてしまうことをお勧めします。
それがよさそうです。
(ただし、本気だから気をつけろ、というのはありがたい警告として受け取ってもよいと思います。)
敷地・建物の広さや地理的条件を見ると、ふつうの民家の集会所とは違うようなので、危機感を持っています。
> 「じい様」のような事を言う人は、神慈秀明会の中では主流ではないのです。
> (潜在的にはけっこういるのですが、反対運動でそういう人に会うことはないと思います。)
秀明会側や工務店との直接交渉は委員会が行うので、私が心配することではありませんが、もし実際に説明会や工事が始まることがあれば、住民も反対に行くでしょうから、信者たちと接することもあるでしょう。
私たちが接することになる秀明会の信者たちは、秀明会批判のことを全然知らないと思っておいたほうがいいのでしょうね。
「じい様」が示した雰囲気の人格像は特殊な例として横に置いいとくとして、一般信者は普通の家庭や職場で暮らしているのだから、相応に「普通の人」として、私たちと変わりなく振る舞っているものと思っています。家族が気が付かないうちに、いつの間にかカルト信者になっていた、という例も多いし。
> 神慈秀明会の信者がおかしいのは、言動ではなくて、心の奥にある「価値観」とか、「善悪観」「常識観」であり、人の心というものが全く判らない、ひずんだ感性、冷酷な感情などです。
>
> 神慈秀明会の信者の「おかしさ」は、「じい様」の発言のように、一目見てあからさまにおかしいと分かるものではなく、一見わからないが、反対運動を介して信者とつきあうことで、その言動の奥にある狂気やゆがみが徐々ににじみ出てくることを感じて、ようやくわかってくるような性質のものです。
>
> 信者は自らの狂気性を意識的に隠しているので、簡単には表には出してきません。しかし、その言動をよく観察すると、最初から最後まで、合理性や常識性、人間性を欠いたものであることがわかります。
上のことは、信者さんと接するときに「何か違う」と感じたときの参考にさせていただきます。無視しようと思えば無視できる、気に留めようと思えば気に留まる、というような微妙な感覚のところの問題、でも、そこが問題として一番深刻なところなのだろうと思っています。
そもそもの始まり「他人の幸福を祈る」ということ自体が、違う、本物じゃない、という思いが私にはあるので、それを受け入れられる心持ちが私にはなかなか理解しにくいです。
> 「じい様」という、とても特殊な人物に注目して、秀明という相手の性質を見誤らないよう、どうかご注意下さい。
極端な例のほうが性質はつかみやすいこともあるので、私なりの心の準備も兼ねてアプローチを試みたのですが、スタートから違ってましたね。
なるべく気をつけますが、今後も勘違い・誤解しない自信はありません。そのときは、どうぞ御遠慮なく御指摘・御教示下さい。
どうも、ありがとうございました。
チョコさん、こんにちは。
誤解があるようですのでこの点について解説します。
> そういう心境・感覚でいるのときの表現が和風になると、どういう調子になるか。Anti_cult掲示板の記事 [3822]で「じい様」が親切に教えてくれてるようです。この「じい様」の調子は、神慈秀明会の調子を応用していると解釈していいでしょうか:
> http://f31.aaa.livedoor.jp/~cult/cgi07/light.cgi?
> 私なりに理解したシュウメイ語
> 黒竜=秀明会に災いをもたらす邪悪の化身。神話では、光を苦手としているとされてるそうだから、これを使ったのでしょうね。
>
> [3822]のメッセージは、要するに、黒竜(=秀明会に災いをもたらすもの)は宮崎の件では本気を出してるから手強い。宮崎が反秀明会勢力の拠点として優位に立ちそうな感じだが、黒竜(=秀明会に災いをもたらすもの)は琵琶湖に釘付けにされていて思う様に動けない、クレストンや京都や奈良でも色々あって、結局、黒竜と秀明会の間の争いは琵琶湖(=滋賀県=秀明会本部)のほうで決戦になるだろう、と、じい様は考えていらっしゃる、というようなことなのでしょうね。宮崎の反対運動のことは褒められてる、のかな?
いまから説明することは、宮崎の建設反対とは原則全く関係がない話ですが、考えを整理するために必要と思いましたので書き込みます。
ポイントはつぎの2点です。
・「じい様」は、典型的な秀明信者ではなく、むしろ反秀明である。ただし反秀明としても非常に独自な理論を展開している。つまり大変特殊な人物。
だから、この投稿を秀明の信者の一般的な考え方だと思い、宮崎反対運動の参考にしようとすると、よけいな勘違いを起こすだけ。
・黒龍というのは、秀明の教えの中で、神慈秀明会と敵対する悪魔の総大将ということになっているが、「じい様」が言っている黒龍とは、神慈秀明会自体のことを指す。
「じい様」は、要するに霊能者気取りなのです。私には霊の世界で何が起こっているのかが見える。秀明という黒龍が、こんどは宮崎という土地を狙っているぞ。しかも今回はかなり本気だぞ。気をつけろ。と言っています。
つまり、「じい様」は、宮崎建設反対運動の敵か味方かというと、味方なのです。
ただし、個人的な霊能力のようなもので、独自な解釈を述べているだけなので、「じい様」の話や考え方を何かの参考にしようとすると混乱するばかりです。
ところで、「悪魔の総大将である黒龍が、実は神慈秀明会自体のことを指す」というのは、これは、元秀明の信者で脱会した者の多くが考えていることです。
どういうことかというと、
神慈秀明会は、教祖岡田茂吉の教えをもっとも正しく実行している教団であると信者に教えていた。
↓
しかし、岡田茂吉の教えのうち、5%以下しか教団では公開していない。
↓
岡田茂吉の残り95%の教えを調べてみたら、岡田茂吉が教える邪神(悪魔)の特徴というのが、まさにそのまま神慈秀明会の特徴だった。
↓
特に黒龍(=乙姫)というのが、神慈秀明会の性質にそっくりだった。
という経緯があるのです。「じい様」は、この経緯の解釈に準じた「霊能者気取り」の人です。
「教祖の教えに基づいても、秀明は悪魔だった」という話は、最近神慈秀明会に関わるようになった人には想像もつかない話でしょうし、ましてや、その考えに基づいた霊能力者気取りの人物の話など、さらにわけがわからないでしょう。
ですから、「じい様」の話は、宮崎反対運動に関しては、害ばかりがあって利は一つもありませんので、一切忘れてしまうことをお勧めします。(ただし、本気だから気をつけろ、というのはありがたい警告として受け取ってもよいと思います。)
最近は、Anti_cult掲示板に秀明の熱心な信者が書き込みをしてくることはほとんどありません。熱心な信者たちは、ほとんど、インターネット上で公開された活動は行っていません。
インターネットを使える秀明信者の多くは、ネットで暴露された秀明の真実の情報の影響を受け、辞めるとか消えるとかしています。
公にやっている人は、この人ぐらいかもしれません。
http://www3.pf-x.net/~ruusan/
秀明の信者は、言動そのものは、「じい様」のようなおかしな事を言う人はそんなにはいません。神慈秀明会の中では、「じい様」のように、霊が見えるなどと言う人は、排斥され、村八分になります。だから「じい様」のような事を言う人は、神慈秀明会の中では主流ではないのです。
(潜在的にはけっこういるのですが、反対運動でそういう人に会うことはないと思います。)
神慈秀明会の信者がおかしいのは、言動ではなくて、心の奥にある「価値観」とか、「善悪観」「常識観」であり、人の心というものが全く判らない、ひずんだ感性、冷酷な感情などです。
神慈秀明会の信者の「おかしさ」は、「じい様」の発言のように、一目見てあからさまにおかしいと分かるものではなく、一見わからないが、反対運動を介して信者とつきあうことで、その言動の奥にある狂気やゆがみが徐々ににじみ出てくることを感じて、ようやくわかってくるような性質のものです。
信者は自らの狂気性を意識的に隠しているので、簡単には表には出してきません。しかし、その言動をよく観察すると、最初から最後まで、合理性や常識性、人間性を欠いたものであることがわかります。
「じい様」という、とても特殊な人物に注目して、秀明という相手の性質を見誤らないよう、どうかご注意下さい。
今日は雨。さっき現場を見に行ったら、資材もまだ運び込まれていませんでした。
Re:[820]
> 反対運動は、ひときわ目立つように大胆に行うことが大切です。
神慈秀明会研究一か月の初心者の直感ですが、これは確かに重要なポイントのように思えます。
以下、少し内面的な方に注目してみます。
> 目に見える反対運動を住民がなにもしていないということは、住民は神慈秀明会の進出に特に反対していないと勝手に彼らは解釈します。そういう連中です。
目に見える奇跡的な事や豪華な物に圧倒されやすい感覚タイプの人は、音や物など、五感で感じるものに圧倒されるんですよね。コーランが街中に響き渡るように印象深く朗誦される中、人々がそれに圧倒されて、畏怖の念を抱き、敬虔な気持ちになってひれ伏すときの心境と似ているのかな。
カルトの特徴は、信者がみんな同一のタイプの人格にされてしまうことですよね。そしてそれが最も「正しい」人間像ということになる。秀明会に特徴的な人格は感覚タイプなのでしょうか。だったら、善悪の道理が通じにくいのもうなずけるような気がします。敵か味方というのをゲーム感覚で面白がるようなところ、ありますか。
コーランを読んでいると、その大胆不敵な表現にギョっとすることがあります。ニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」も同じような驚きがありました。ダンテの神曲はそれのコメディ版みたいなもの。それが理屈で遊び始めたら、ショーペンハウアの...『幸福論』だったか何だったか(書名忘れました)。とにかく、そういう心境・感覚でいるのときの表現が和風になると、どういう調子になるか。Anti_cult掲示板の記事 [3822]で「じい様」が親切に教えてくれてるようです。この「じい様」の調子は、神慈秀明会の調子を応用していると解釈していいでしょうか:
http://f31.aaa.livedoor.jp/~cult/cgi07/light.cgi?
こんなの集会所でやられたら、みんな震え上がるでしょうね、言ってることはよく分らないけど。子供だったら、怖がって泣き出す子も出て来るのではないですか。まったく、もう、要はイメージなんですよね。どういうイメージで、現実を捉えているか。
私なりに理解したシュウメイ語
黒竜=秀明会に災いをもたらす邪悪の化身。神話では、光を苦手としているとされてるそうだから、これを使ったのでしょうね。
[3822]のメッセージは、要するに、黒竜(=秀明会に災いをもたらすもの)は宮崎の件では本気を出してるから手強い。宮崎が反秀明会勢力の拠点として優位に立ちそうな感じだが、黒竜(=秀明会に災いをもたらすもの)は琵琶湖に釘付けにされていて思う様に動けない、クレストンや京都や奈良でも色々あって、結局、黒竜と秀明会の間の争いは琵琶湖(=滋賀県=秀明会本部)のほうで決戦になるだろう、と、じい様は考えていらっしゃる、というようなことなのでしょうね。宮崎の反対運動のことは褒められてる、のかな?
私が思うに、「黒竜」は秀明会が抱いている妄想なのだから、琵琶湖から動ける(=信じていない所・宮崎に来られる)わけがない。「八百万の日本の神々」と「黒龍の眷属邪神軍」も同じく妄想なのだから、それがその主(=秀明会本部)のところに戻って「決戦」することになるのは当たり前のこと。「黒竜」にしたって、心の中の光の面しか見ようとしないから、秀明会はそれにつきまとわれるんでしょう。自然の道理です。自分の心の中の光も影も静かな気持ちで眺めることのできる、内省力のある人にはそんな妄想がつきまとうことはないでしょう。
秀明会の理屈は煩悩の寄せ集め、それを神話風に語っているだけ、という印象です。秀明会の人を相手に言葉で意思疎通をはかるときは、「じい様」のような神話風な話し方でないと通じないのかなあ。。。外国語を一つ覚えるようなものですね。
> 大声に意外に弱い体質を持っているのが神慈秀明会です。
大声でひどく叱りつけられながら教育された人たちは、たいていそういう風になるようですね。おまけに煩悩神話で脅されてるし。ここは宮崎空港が近くて飛行機の騒音がうるさいから、大声を出すのに慣れて人は多いだろうと思います。
> 滋賀県の秀明会本部には右翼の街宣車が大音量の音声を鳴り響かせたこともありましたが、このとき秀明会内部の緊張は非常に高まったそうです。
右翼が出す大音量は誰でもストレスになると思いますが。。。あれは怖いです。私たちの住宅地は空港に近く、そこの飛行機の騒音のため、国の補助金で家の壁には防音が施してあります。でも、右翼の大音量は、防音しきれません。
秀明会は、いわば「明主様を天皇に代わる神として崇めよ」教でしょう。右翼はこういうことには敏感ですからね。どっちも来てほしくないなあ。
> ある地区で、集会所建設反対運動をしていた住民代表との話し合いの席上、話し合いが紛糾して住民側が若干エキサイトした場面があったのですが、秀明会側はそれに、”住民パワー”を感じたのか集会所建設を諦めたこともあります。
大声に弱いというのは、ただ大きい声に敏感なだけなのかと思っていましたが、それだけではないようですね。こちらの意が本当の意として通じるには怒って大きな声張り上げないと、そのように伝わらないんでしょうね。やはり、脅されて教育されてきた人たちだから、そういうことになっちゃうのかなあ。声を張り上げる者の言い分だけが通る社会。これも十分に反民主主義的だと思います。それと、はったりで嘘をつくことに慣れてしまった人には、相手の本気が分らないんですよね。自分がはったり屋だから、相手の言う事もはったりだと思い込む傾向がある。ふう。疲れる相手のようです。
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