妻への手紙(9)
 以下の文章は、私から妻の登志子へ手渡した手紙を、一部の固有名詞等を除き、そのまま掲載しています。
 こうした親書を公開する理由は、同様の問題を抱えている方の参考に少しでもなればという思いからです。
 これを書いたときは、公開することを考慮せずに書いていますので、私と妻の間でしか分からない事情も多少あるかも知れないことを承知の上でご覧下さい。


登志子さんへ(9)

 あまり立て続けに手紙を書いても、あなたが消化不良を起こしてはいけないので、しばらく手紙を書くのは控えていました。
 時間が経過する中で、あなたの考えにも変化が出てきたのでしょうか?
 あなたから私に心境を話そうとはしてくれないので、私はあなたが何を考えているのか、よく分かりません。私の意見に反論するなり、肯定するなり、疑問があれば質問するなり、いろいろ方法はあると思うのですが、なぜかあなたはあまり話してくれないので、私としてはあなたが何を考えているのかよく分からないというのが率直なところです。
 私にとって、あなたが神慈秀明会という団体に属しており、いまだにその教えを信じているのは非常に大きな問題なのですが、あなたはそれほど深刻な問題とは受け止めていないように見えます。あなたは自分が神慈秀明会に入っていても、それほど本来の自分と違っていないから、それほど大騒ぎをするようなことではないと思っているのでしょうか。

 あなたも、私からの手紙やインターネットの情報、宗教関係の本を読んで、多少は神慈秀明会という団体が従来あなたが思っていたものとは違う面を持っていたことに気づいたことと思いますが、もし僅かでもそうした疑問や矛盾に気づいたとしたら、それをより深く追究してみようとは思わないのでしょうか。
 他人のことではなく、自分属している団体、自分が信じてきた団体です。その矛盾や違法性に気づいたら、それをより深く追究して真相を知りたいとは思わないのでしょうか。

 以前の手紙にも書きましたが、人は一旦自分が信じたものに対しては、それを肯定しようとする心理が働くものです。それを否定する情報があっても、そうした情報は過小評価して捨て去ってしまいがちです。
 あなた一人で生きていくのであれば、周囲の雑音は気にせずに、否定的情報には耳を塞いで自分の信ずるままに生きていけばいいのでしょう。しかし、あなたは私の妻であり、子供達の母親です。
 私にとって、あなたは大切な人です。その大切な人が、カルト教団の信者であったとき、夫である私のとるべき道はどうすべきだと思いますか。子供達がカルト教団の意味を知り、あなたがその信者であったと知った時、子供達の受けるショックはどれほど大きなものがあるでしょう。私と子供達はそれを受け入れなければならないのでしょうか。

 神慈秀明会は、それほど過激なカルトではないと反論するかも知れませんが、神慈秀明会の内情を知らない外部の者だけが神慈秀明会の違法性やカルト教団だと言っているのではなく、現に神慈秀明会の信者であった多くの人たちが、口をそろえてその問題点を指摘しているのはなぜなのでしょう。
 大学教授、弁護士、フランス政府、そしてカルトから市民を守る活動をしている多くの団体が、神慈秀明会の活動には問題点が多い、カルト教団だと指摘しているのはなぜなのでしょう。

 私は、あなたを力づくで神慈秀明会から引き離すことはしたくありません。そのようなことをしてみても、根本的な解決にはならないと思っています。あなた自身が神慈秀明会とは、どのような教団なのかをしっかりと見極めることが大切だと思います。
 そのための時間は十分あったと思うのですが、あなたの行動からは積極的にそうした問題に取り組もうとする姿勢が感じられません。疲れて眠いときもあるでしょうから、そんな時は寝たらいいと思いますが、時間があるときにはもう少し本を読んだり、神慈秀明会について勉強すべきだと思います。

 神慈秀明会に入信する時は、新興宗教の怖さや、カルトというものの存在もよく知らずに入信したのではないかと思います。そのことをとらえてあなたを非難しようとは決して思いません。
 その後も、それほど熱心な信者ではなかったようですが、周囲からの働きかけに応ずる形で活動を再開したように思います。ですから、あなたの信仰は「自ら進んで」ではなく、「周囲から勧められるのに応じて」という形態で進行してきたように思います。
 こうした受動的な信仰であったため、今回の経過の中でもあまり積極的に自らが動こう、考えようとはしないのではないかと思います。
 しかし、先にも述べたように、あなたが考えている以上に私や子供達にとっては大きな問題なのです。
 自分の妻が、自分の母親がカルト信者であると知ったとき、それを容認できる人はいません。またカルトは容認されるべき存在ではありません。
 あなた自身はそれほど深刻な被害を被っていないと思っているかも知れませんが、神慈秀明会のために人生を台無しにされた多くの人たちのことを考えたことがありますか。
 高額の献金が神慈秀明会の大きな問題点として私も非難していますが、もっと大きな問題点は、一人一人の貴重な人生を奪い、教団の奴隷のようにこき使ってきたことの方が罪は深いかもしれません。
 私は、これまで調べてきた中で、元信者、現信者の人たちの悲痛な声をたくさん見聞きしました。そうした声を聞けば聞くほど、神慈秀明会をこのまま放置しておくことは、更に多くの被害者を生むことになると思いました。私一人の力は非力ですが、涙を流す家族が一人でも少なくなるようにと思い、「家族を新興宗教から守ろう」というサイトをインターネット上に作りました。
 毎日、たくさんの人たちがホームページを見てくれているようで、中には激励のメールや掲示板への書き込みをしてくれる人もいます。一緒に力を合わせて神慈秀明会と戦って行こうという人もいます。
 私のような一個人が、神慈秀明会という組織に戦いを挑むのは無謀とも思える行動ですが、私の行動が一つの引き金になって、こうした運動が広がってくれたらと思います。

 これを読んでいるあなたは、自分が責められていると感じるでしょうが、本当に悪いのはあなたではありません。悪の根元は神慈秀明会です。何度もいうように、あなたは神慈秀明会の被害者です。
 しかし、被害者だから何もしなくてよいということではありません。被害者であるとともに、当事者でもあるのですから、その当事者がしっかりしていなければ問題の解決には至りません。
 あなたは自分のおかれた立場をよく見極め、自分が今、何をしなければいけないのかを考えるべきだと思います。あなたの出した結論に対して、私は最大限の助力をする覚悟があります。

平成○年○月○日

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