私が神慈秀明会をやめた理由

(下記の内容はメールでお寄せいただいたものですが、ご本人の了解を得て、掲示板及び体験談のページで紹介させていただきます。)

 元秀明信者です。あることがきっかけで不信に思い秀明会をやめました。
 旧体制の折、青年部でバリバリ布教活動をしておりました。夏期布教のときは仕事をやめてやっておりました。
 当時は、ある病に苦しんでおりました。すがる思いでした。仕事のストレスが原因だったので、結果、仕事はやめて、病も治り、良かったのですが、あとで考えると、秀明会の浄霊のおかげだったかは???
 退職金も献金や活動資金で全てなくなり、別に宗教に頼らなくても良かったのでは?と思います。

 何より不信に思ったのは「脅し」でした。「これをしなければ『くもり』がとれない、助からない。」、「命が危ない!」、「邪神にやられる。」と恐怖心をあおること。
 今現在は脱会してから長い年月が経ちますが、結婚もし、子供も生まれ、普通に元気に暮らしております(笑)。
 当時、私は一生懸命やっていました。でも、「ハッ」と気付き、おかしい!と思ったきっかけは、阪神大震災でした。当時、一緒に活動し青年部に入り熱心に活動していた友達が、震災で家具の下敷きになり、亡くなったことです。「あれだけ熱心に活動していた彼女が何故?」。ショックでした。
 同じく震災の折、ある神戸の支部では建物が無事であったにもかかわらず、「未信者はお断り」を理由に近隣住民を助けなかったことです。周りの人達は協力して炊き出しをし、助け合いをしていたというのに…。閉鎖的というか、何が利他愛なのか?と疑問に思いました。
 あと、私が青年部にいた頃、みんな会社をやめたり、大学にも行かず、落第ばかり繰り返していた人もいて、お金がなく貧乏な生活をしていた青年が多い中、会主様の孫が「どうやら高級車を乗り回している」という噂を聞いたり、会長も結構なお住まいに住まれていたことです。そのことについて上の人は、「まずは上が天国でなければ、みんな(信者)も天国(幸せ)になれないからよ」とわけのわからない説明をしていたのを思い出します。

 今でも秀明信者を続けている皆様に申し上げたい。人はいつか死ぬんです。一生のうち、何度も病にもかかるんです。いろんな苦しみもある。それが人生です。苦しみは悪か?違います。そのことから多くを学び、乗り越えて、人は成長し強くなります。何も宗教に入らなくても乗り越えられます。依存心をなくすことです。自分の責任は自分でとりましょう。自分を救えるのは、誰でもない、あなた自身です。自立しましょう。

 私がそうでした。脱会してからもいろんなことがありましたが、自らの力と周りの方(宗教に入っていなくとも素晴らしい方はたくさんいます)の助けで乗り越えました。  いくら浄霊をしても、行いが悪ければ、くもり(魂は汚れる)ますよ。  宗教というか、倫理観(いろんなことを乗り越えるヒントになるからです)は確かに必要です。確かに秀明会の教えの中にも素晴らしいことを言っていることがあります。しかしながら、言っていることと、やっていることが違う倫理観にかけた上の行動を冷静に見て下さい。  会長も『同じ未熟な人間』です。『特別』ではありません。
 おそらく新体制であろうと、人はそう簡単には変わりません。
 未だに秀明会に通い続けている方々が、一日も早く目を覚ましていただくことを願っています。


追伸
 当時、私が布教して、入信された方々は、今では皆、脱会しております。
 入信させた責任もあり、皆様の気持ちを聞いた上で、一緒に脱会しました。
 現在は、皆様、それなりに、浄霊がなくても、普通に暮らせております。
 軽い風邪なら、自力で治せるでしょうが、むしろ、浄霊に頼りすぎて、医者にも行かず、取り返しのつかないことになる方が危険です。会主様だって、晩年、重い足の痛みに悩まされていたではありませんか?浄霊が効くなら何故治らなかったんでしょう?
 脱会しても大丈夫だという証明になれば、幸いです。

 あと、「脱会したい」とお光を持っていけば、受け取っていただけます。脱会した元信者さんの中には神慈秀明会あてに、お光、聖教書はじめ、秀明会でもらった全てのものを郵送された方もいらっしゃいました。ご参考までに。

(2013.4.25投稿)


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