『神を語る詐欺師』の浄化を

(以下の文章はメールにより投稿されました)

私は2世信者で、幼かった頃母が入信し、私や妹も自動的に中学と同時に入信していました。
私自身は信仰心は皆無でしたが、時は90年頃、旧体制崩壊の前の過激化のさなかですね。
周りの信者に煽られて母が家事を放棄し、毎月本部や神様への奉仕を行うことを私たち兄妹にも強要していました。
未信者である父は日に日に母と険悪になって行き、子供心に秀明に対する疑惑が生まれていました。

家族どころか親戚縁者からも孤立する母、他人から見れば自業自得でしたが私はそれでも見捨てることが出来ませんでした。
嫌々ながらも毎月の本部参拝や、行ける時は支部に参拝をするなど、一応普通の信者ではいました。

ですが、夏休みを利用して秀明所有の黄島への5泊6日(位だったと思います)の旅行へ行った時に私の考えは変わりました。
海と自然溢れる黄島で5泊6日の夏旅行!と言えば良いバカンスのように思えるかもしれません。
しかし私たち学生は労働力としてつれて来られたのです。


瀬戸内海の小島、「黄島」
黄島の環境は劣悪でした。
まず水道がありません。現在はあるかもしれませんが、当時(90年頃)は井戸水は湧いていていましたが、量は限られている為学生たちがもらえる1日の飲料は食事時のお茶1杯のみです。つまり、1日3杯と言うことです。
気分が悪くなったり我慢が出来なくなったりすれば飲料を貰えた気はしますが、皆文句は言える雰囲気ではありません。
飲み水ですら無いのですから、風呂なんてもってのほかです。
1日1回、雨水を溜めたと言われるシャワーを5分程浴びさせてもらえるだけでした。
海が風呂と言えるのかも知れませんが・・・

朝早く、日が昇る前からたたき起こされ、黄島の神殿を建設するために土運びや農作業の『奉仕』、日が昇ると秀明の勉強会、それが終わると海で自由時間。夕食後秀明に関するレクリエーション。
まさに秀明の為の強化合宿でした。
海での自由時間があるから良いじゃないか、と思われるかもしれませんが、毎日海で遊んでいれば疲れます。

旅行終盤ともなると疲れは溜まり、私はフラフラになり、朝の『奉仕』中にその場でしゃがみこみ、不調を訴えました。
『なぜこんな奴隷のような生活をしなくちゃならないんだ?
強制労働させられるために自腹切ってこんな所に連れて来られたのか?』

馬鹿げてる!

短い時間にこんな思いが頭の中をよぎっていました。
しかし私にかけられた言葉は冷たいものでした。
秀明側の人間が私の元にやってきて冷たく言い放ちました。

『なにがしんどいの?感謝の気持ちが足りないからでしょ?』

唖然と同時に私の中で何かが切れました。顔色も非常に険しくなっていたと思います。
薄暗い中私の反抗的な目を察したのでしょうか、それとも私に人権はなかったのでしょうか。

『良いから早く作業に戻れ(命令口調)しんどかったらココを使えココを』とうずくまっていた私の頭に指をつんつんと押し当て、去っていきました。
その後周りが少し気まずくなったのか、どこかの班長が『明主様ありがとうございまーす!』と大声で言い、皆それに呼応してありがとう、ありがとうと言いながら『奉仕』を続けていました。
私はその異様さに恐怖を感じました。

無事帰ってくることが出来(そのときの私にこの表現は決して大げさではありません)、それ以来私は秀明から離れました。
毎日のようにカレッジから日参しろと電話が来ましたが無視していました。正直怖かった。

妹も私の後に黄島参加予定でしたが、私の体験談を聞かせると私以上に秀明に良い感情を持っていなかった
妹はすぐにドタキャンし、難を逃れました。

ついに孤立した母はなぜ理解されないんだと深く悲しみ、自分の奉仕が足りないからだと以前より秀明に傾倒していきました。

この後また色々あって一家離散が待っていましたが、おそらく語るまでもありません。
異常かもしれませんが、この程度は秀明体験者のなかでは茶飯事だと思いますから。
もっと不幸な経験をした方もたくさんいると思いますし、自分はまだ運が良いほうだと思っています。

ただ、祖父が祖母の死に付け込まれて某宗教に傾倒し、母はそれを深く憎み、悲しんでいました。
その母がまったく同じことを繰り返していることが皮肉で仕方ありません。

自己犠牲は確かに尊いと思います。しかしそれを集団で強要する姿が本当に天国への道なのでしょうか?
もし、秀明の言うように全知全能の神様が私達を見ていてくださると言うのであれば、まずこの世の『神を語る詐欺師』たちを浄化してください。

私の願いはそれだけです。

ご家族の為に、また騙されている信者たちの為に戦っているfujiyaさんに敬意を表します。

(2008年5月投稿)

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