母は秀明の虜

(以下の文章はメールにより投稿されました)

 私の母は、神慈秀明会に入信して、今年で23年目です。
23年前・・・・それは、ちょうどこの宗教が設立された頃に、母はこの宗教にめぐり会いました。
その当時の事は、今でも鮮明に覚えています。

 父の仕事の都合で地方から東京に越してきてすぐ母は入信しました。私はその頃まだ4歳位でした。
姉と兄がいて、2人とも小学生にあがっていたので、私は幼稚園にも保育園にも行かせてもらえず、母と供に活動していました。駅で他人に声をかけ・・例のあなたの幸せ祈りに、他の信者の家に行きなにやら話しこんだり、こんなことを私を連れまわして毎日やっていました。
 私はそのおかげで小学校にあがったはいいが、字もろくにかけなくて惨めでした。学校から帰っても母はいないのが当たり前になり食事は時にインスタント物かほか弁という大人不在の子供だけの生活でした。
 その生活は、旧体制から新体制に変わった頃まで続きました。

 父は、もちろん入信していました。でも、仕事が忙しく信仰どころではなく、熱心ではなかった。ただお金は相当に稼いでいたに違いなく、その金は全て母の手に・・・・。
 私たちはその頃幼すぎて金の事なんてなにもわからなかった。
 時はあっという間に過ぎて、全盛期を過ぎ世の中も変わりはて、不況というあおりを父はうけて会社をくびになった。
 金がないと父を罵倒して毎日けんかばかり、しまいには子供にお金を借りたり・・・。
 金金金、金食い虫のように鬼のように、自分が幸せかもわからなくなった、こんな人が人の幸せを祈るのかと子供ながら矛盾を感じた。
 母が入信する前の本の数年間は、生活も安定してなんの不住もなく幸せでした。一番身近な存在家族の幸せを願い祈ってきた長い23年間の方が地獄です。
 祈っても献金しても一向に、変わらない生活苦を父にぶつける今日この頃、何が原因で苦しいのか?
 そんなの宗教やってるからじゃん? 本人はそんな自覚すらないから、そのことにふれるとヒステリックに暴れる始末。
 そこにはもう母が23年もかけて追求している幸せなどない。本当の幸せって何なのか?
 日々の生活、ごくありふれた今日がある事に感謝すれば、それでいいんじゃないか?
 幸せの願い方はそれぞれ自分の心の中にあって、誰かに操作される物でもなく、お金なんてかからない。

 今から宗教をやめることはもうできないだろうから、大人になった私が母にしてあげられる事は、やはり幸せを願いそれをなんらかの形で目にみえる現実の世界で実現してあげたい。
 そうした私たちの気持ちで、母の寂しい心を救い、残りの人生を自分の為に費やしてほしい・・・、とここ最近は思い初めました。

 ほとんど宗教に関与しなかった私が皮肉にも、今無償の精神で母の幸せを願うとは。。。

(2007年7月投稿)

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