普通の生き方がしたかった

 「家族を新興宗教から守ろう」を見てメールさせていただきました。

 私は今20歳の学生で、地元を離れ京都でひとり暮らしをしています。
 このHPや体験談を拝見して、「やっぱり自分は間違えてはいなかったのだ」と思うことができました。
 そして、今までの不安や悲しさが涙となって溢れ出てきました。


 神慈秀明会を知ったのは小学生の時。
 幼いときに両親が離婚し、母親の元で弟と3人で暮らしていました。
 女手ひとつで生活を支えていかなければならない苦労もあってか、彼女は友人の勧めでこの忌まわしい宗教に入信しました。
 そして当然のように、私と弟も入信することになりました。

 私は小さい時からやけに冷めた子供でした。
 物分かりが良すぎるというか…そんな子供を演じていて、それは人に完璧を求める母親のせいでもありました。
 だから、宗教なんてまったく信じていないのに、その母親の要求に応えるため、見捨てられないためにとずっとおとなしく神慈秀明会の活動にも参加していました。

 けれど中学、高校と時間が経つごとに、「あれ、何かおかしい」と思う気持ちは強くなっていきました。
 何でこんな布と紙(おひかり)に4万も5万も出さなければならないのか?
 やれおひかりが汚れただの髪の毛がついただので、お金を払ってまでお詫びする意味があるのか?
 美術館やらに御苑やらを建てるお金はどこからくるのか?
 なぜ私の頑張りは全て、「明主様のおかげ」にされてしまうのか?
 不可思議なお金の巡り、自分の努力を認めてもらえない現実、数えあげればキリがないほどおかしなことばかりです。
 もともと悪かった母親との仲もさらに悪化しました。

 ついに耐えられなくなった私は、進学先を京都にして実家から離れ、宗教もやめたいということを母に伝えました。
 その時彼女の口から出たのは、「秀明をやめるのなら、あんたは家の子じゃない。学費も何も一切出さない。」という言葉でした。
 その時点ですでに私の進学先や住む所は決まっていたし、今更それを蹴って自立する勇気もなかった私は、どうすることもできなくてただ泣くばかりでした。

 見かねた父親(私が高2の時に再婚)が進学の手続きはしてくれたのですが、結局自分で完全に自立した生活ができるようになるまでは宗教からは抜け出せなさそうで、今も月に1度、秀勉とかいうのを受けるために実家に帰らなければならないのが現実です。

 おかげで、私はうつ病になりました。
 宗教だけが原因というわけではありませんが、それがトラウマとなって深く関わっているのは紛れもない事実です。
 実は、それらしい傾向は高校生の頃からすでに出ていたのですが、自分自身それが病気だなんて分からなかったし、親も「御用」に没頭していて、私の手首の傷にも精神の不安定さにも気付きもしませんでした。今もまだ気付いていません。

 人の心をボロボロにすることが、この宗教の目的なんでしょうか?


 そういえば小学生の時、集会所でこんな話を聞かされました。

 「あるところに明主様が宿泊されたとき、そこでは洋食を用意していたのです。
 けれど明主様が日本食が食べたいとおっしゃったから、そこで働いていた人たちは大急ぎで日本食の用意をして、 何とか明主様に喜んでいただけたの。明主様にそうやって一生懸命ご奉仕することは素晴らしいことで、 とてもお徳を積めるしご先祖様も喜んでいるんですよ。」


 はぁ!?と子供ながらに思った記憶があります。
 これじゃただのわがままなおっさんです。
 そんな人間を仰ぎ奉る大人たちがバカらしくて仕方ありませんでした。


 今はおひかりを着けるのは実家に帰る時だけで、それ以外はかなり粗末に扱っていますが、お詫びなんてものにはなっていません。「あぁ、嘘だったんだな」と実感しました。
 そして今の学校を卒業して自活ができるようになったら、おひかりを捨てようと決めました。

 うつは今でも続いています。
 周りとは違いすぎた学生時代、信仰が周りにバレるのが怖くて人とうまく関われなかった。
 親でさえも信じられなかった。
 普通の生き方がしたかった。
 けれど、そんな私を知った上で全部受け入れてくれる人ができたおかげで、ようやく立ち直れそうです。

 きっと母にはもう何を言っても無駄だと思います。
 でも私は、私の思ったように生きていこうと思います、この宗教から離れて。

 このHPを見て、少し勇気をもらいました。本当にありがとうございます。

 (2006年7月投稿)


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