私の母が入信したのは、まだ私が5歳のときでした。
私はその夜、母と父が母の入信のことで言い争っていた場面を、今でもまだ鮮明に記憶しています。あの日に私達家族の幸せは崩れ始めました。
私はまだ5歳で幼かったにもかかわらず秀明会がとても胡散臭いものだと感じていました。そのことは母にはいえませんでしたが、私は母が一生懸命献金をする姿をみて、会長の女に強い憎しみを覚えました。
いま思えば、5歳でも見抜けた事実をなぜ母が見抜けなかったのだろうと不思議におもいます。
母が入信して以来父との喧嘩が多くなり、ついに父が母に秀明会を脱退するように告げました。その次の日、母は集会場の個室で幹部らしき女と1時間以上も話しをしました。
その間、私と妹は母の先輩の信者と隣の部屋で待っていました。私は隣の部屋から話を聞いていたのですが、その偉そうな女は母に、“もし脱退したら祖先も家族もみんな地獄に落ちる。家族にもすぐに不幸が訪れる。あなたの子供もすぐに耳が聞こえなくなるだろう”(その当時私の妹は重症の耳鼻科の病気を患っており、医者にも、もしかしたら耳が聞こえなくなるかもしれないと言われていた)と言い、隣の部屋で母のすすり泣く声を聞いて私もとても悲しい思いをしたことを昨日のように覚えています。
重病を患った子供をエサにして秀明会にとどまらせ、そして多額の献金を強要する秀明会が憎くてたまらないです。
残念なことに幹部の女の脅迫に母は屈してしまい、その後は脱退する意思をなくしてしまいました。
それからは典型的なパターンを私達一家はたどりました。まず、母の巨額の借金が数年後父にばれて離婚。離婚してからも母は金を求めて私達と一緒に住む父のところに訪ねてきました。
母の借金地獄ぶりをみて、私はそのころまだ12,13歳だったのでとても怖かったです。ある日、母から連絡があり喫茶店に呼び出されました。
行ってみると、“今すぐ集会場へ行かないと大変なことになる”と言い、私の手を握り私はそのまま連れて行かれそうになりました。私は頑として拒否し、私の手を握る母と1時間くらいにらみ合いました。そして母の手が緩んだ隙に私は一目散に逃げました。母も追いかけて来ましたが、私はそのころ中学生でしたので逃げ切ることができました。母を見たのはそれが最後です。
いま考えると、父に金をせがむ姿や私達にむりやり儀式を受けさせようとする姿ばかりが頭に思い浮かびます。しかし、母が入信する前のアルバムを見ると、私も母も父もみんなとても幸せそうです。それを踏みにじった秀明会が一日でも早く消え去ることを心から望みます。
余談になりますが、私のまわりにはクリスチャンの方が多いのですが、彼らはとても幸せそうです。もちろん多額の献金もわけのわからない儀式もしません。本当に愛に満ち溢れた家庭を築いていて、同じ宗教でも全く違うのだということにとても驚きます。
しかし、私は今では母に感謝しています。
秀明会は確かに馬鹿げていていますが、人は弱い時、神にすがりたいと思うものです。
カルトにはまるとどういう人生になるのかということを私は自分の目ではっきりと見ました。カルトにはまると、人生は生き地獄と化します。
私は母のおかげで決してカルトにひっかかることはないと信じています。カルトがもたらす不幸を、そして地獄を身をもって教えてくれた母に感謝しています。
母が秀明会を脱退したら、母が一文無しでも何でも私が面倒を見ていくつもりです。母が脱退することはあまり現実的ではないので、期待しないで待っていようと思います。
親子の関係はあらゆる人間関係の中でも最も美しいものです。それを何の罪もない私達親子から奪い去った教団は一日も早く追放されてほしいです。母と私達家族の空白の20年間はもう帰ってきませんが、未来は変えることができると思います。これまでの20年はあまりにも暗く悲しいものでしたが、未来は自分の意志でどうにでもなります。私は早く秀明会から受けた傷を癒し、本当の意味で幸せな人生を歩んでいきます。
(以上の文章は平成18年1月、メールにて投稿されたものです)