大学に6年通いました

 私は神慈秀明会M出張所に所属していました。
 私の名前は、たまたま神慈秀明会と関係のある文字を使用する名前であったため、助教師や世話人からは「名前が○○というのは訳があるのよ、御用に励まなくちゃね」とよく言われました。
 秀明会の経歴は平成2年8月に入信です。高校3年の時、M市の予備校に大学入試対策の夏期講習に通っていた時でした。
 予備校での授業は初めてで、授業が90分授業とそれまで経験した事がないくらい長かったため、その日は途中で疲れてしまい授業後半で抜け出してしまいました。でも、それが運命の分かれ道だったのです。

 何をすることもなく駅周辺をぶらぶらしてました。「俺は駄目人間だな〜」なんて思っていると、前から一人の男がニコニコしながら「健康と幸せを・・・」といって近づいてきました。これが私の入信のきっかけになりました。

 入信後、カレッジには平成3年から6年の途中まで行っていました。その間エリートを2年連続で行かされ、2年目の途中でとうとう秀明会に見切りをつけました。
 カレッジに行っている間は、「大学、中学校、高校の友人に声をかけて来い」と言われ、更には、「親戚のところも訪ねて来い」と言われました。
 私はそれをそのまま実行してしまったため、私の友人は皆私を避けるようになってしまいました。その影響で現在も学生時代の友達は誰もいないのです。
 親戚でさえ、私の実家との付き合いを避けるようになってしまいました。両親は私に何も言いませんでしたが、親の気持ちを考えると、内心私はとてもつらかった時期でした。
 最終的に秀明に見切りをつけたのは、カレッジに行くと毎月本部に2回は行かなければならないことでした。本部の月次祭とカレッジです。金銭的にも辛く、布教活動をしながらアルバイトをしていましたが精神的にも肉体的にも辛く、限界に近づきつつありました。
 カレッジの前日、私は知人に借金をしに行きました。知人宅に行くまでの間にある決心をしました。その決心とは、「知人がいなかったら消息を絶とう」という決心でした。
 偶然にも(今思うと幸運にも)知人は不在でした。私はそのまま消息を絶ちました。

 私が消えたことに気付いた秀明会の関係者は、「カレッジ(しかもエリートコース)を欠席させるわけにはいかない」と翌日から実家に電話の嵐でした。
 何度も何度も電話をしてきたあげく、いよいよ私がつかまらないと分かると、「おたくの○○のせいで集会所は迷惑している」と親に食って掛かったそうです。
 でも親は私を守ってくれました。私が、「いないと伝えてくれ」というと、「もうしばらく息子は家に帰ってきていない」等と居留守を使ってくれました。
 私も信者に見つかるといやでも集会所に連れて行かれそうなので、なるべく外出を控え、大学も必要以上に構内を歩き回らないようにしました(大学にも熱心な信者がいたからです)。
 そうした逃亡生活を続けた結果、やっと秀明会とは縁が切れました。私は逃げ切れたのです。
 しかし、私は秀明会に関わったため、大学を6年かかって卒業することになりました。その理由は最初にも書いた通り、大学の友達に声を掛けまくったため、大学中に私のうわさが広がってしまい、しばらく大学に通えなくなってしまったためです。
 実は私の大学留年の理由については、本当のことを誰にも話していません。
 親や親戚は、私が宗教に夢中になって大学に通わなかったと思っているようです。近所の人には能力がなくて留年したと思われていることでしょう。
 そして今、私の学生時代を知らない人には、私が自分の趣味に没頭した余り大学を留年してしまったことにしてあります。とても、「神慈秀明会の布教のために大学中で噂になり、後ろ指をさされていて精神的に辛くなって通えなかった」なんて誰にも言えません。 当時学生の秀明会信者の中には、私と同じような経験を持っている人がたくさんいるはずです。
 また、秀明カレッジに行かされ、布教を強いられ、志半ばで大学を去っていくしかなかった学生もいるはずです。決してNo!とは言わせない神慈秀明会ですから、学生は布教とアルバイトを生活の基本とするしかなくなり、勉強する事が出来なくなるのが常でした(支部によってはそれほど厳しくなかったところもあったそうですが)。

 また平成5〜6年は世話人を増やすつもりだったのか、単に信者数が欲しかっただけなのか、秀明カレッジのエリート生(カレッジ2年目から入れる)がやたら多く、私もその一人でした(但し1年間自己放棄でなくてもよいという条件があった)。
 おかしなことに平成6年のエリートは入信者が目標数に到達していなくても世話人になったようです。
 とにかく秀明会青年部の信者(カレッジ生)は秀明会の奴隷のようでした。
 でも、自己放棄で大学を辞めてしまった人に比べれば、6年かかりはしましたが私は大学を卒業できたのは、まだ被害が小さかったのかも知れません。

 現在は○○県で公務員をしております。青春時代もなく、33歳になった今も独身で暗い生活をしています。
 こんな私のような失敗の人生を他の人に歩んで欲しくないので、掲示板に秀明会のことを書き込ませて頂いたり、こうして手記を寄せさせて頂いております。

 秀明会のために被害を受ける人がなくなることを願っております。

 ○○県○○市在住の一公務員

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