恐怖信仰

(下記文章は、anti-cult掲示板に投稿されたものです)

 入信まもなく、11月も末の寒い日に薄着でいて、「寒い」と言ったら、『それはご先祖がすがって寒気があるの、霊界が救いを求めてる』と世話人、助教師に囲まれて言われた。恐怖でなんとかせねば・・と思いこんだのが洗脳の始まり。
 旅行の前日おひかりを人に触られたら、『明日からの旅行になにか良くないことがあるのよ、献金してから行け』と教師に言われ、献金した。
 知り合いは以前に仏壇を買い換えた、と言ったら、『た、た、大変だ!即献金しなさい!』と大騒ぎ。恐怖で献金をした。
 神前に上げる餅が転んだだけで献金命令、亡命している懐かしい人の夢を見ただけで、『救いを求めてるから』と言われ、献金強要。恐怖を植え付けられているから仮に亡くなった人のいい夢を見ても、イコール霊界のことと結びつき、つい、世話人や教師に言ってしまうのである。するとやはり献金強要。実に良くできた献金集めの道筋である。

 こういう脅しが続くと恐怖が身に付いて?100万でも200万でもなんとかして献金しないと大変だ、となってしまい、とんでもない転落、結末になってしまう。
 私は25年以上神慈秀明会の献金、強制参拝だけでない、恐怖信仰に振り回され(自分が馬鹿だったのはみとめますが)、暑い地方への出張時、お光りの安置場所の不安のためにシャワーで汗も流せず、突然の健康診断も受けられず・・・等の非現実な生活をしてきた。

 ただし、神慈秀明会とは常に縁を切りたいと思っていた25年であった。
 献金も疑うことなく、恐怖から逃れるため多額をしてきた。
 人知れずおひかりを身につけていたから、家族もはっきりとは何をしているのかは解ってはいなかった。自分の場合は神慈秀明会がいやだった。しかし、神界霊界恐怖と先祖への思いがあり、神慈秀明会の意のままになっていた。
 神慈秀明会をやめるにやめられない信者はこのようなパターンが多いのではないだろうか。
 25年も不安、不自由、苦しさの中にいた自分がいとも簡単に神慈秀明会と縁が切れた理由は、簡単なことに気がついたことだった。
 神慈秀明会の一般信者、世話人をぐるーっと見渡して、尊敬出来る人は一人も見つけられず、借金地獄人、嘘つき人・・達がわんさと多い、社会的に素晴らしき人と噂される人が見あたらない、世の中のための基本の奉仕の町内会やPTAや子供会のお世話も断り、明主さま、神様、献金、と没頭している人を確実に異常と気づいたのである。
 単純にこれに気づいただけ。神慈秀明会に25年も振り回されていたとは誠に情けない自分である。

 しかし、参拝をやめて神慈秀明会との縁を切った日から、恐怖の無いすべてに明るい、生活しやすい自分となり、すべてに意欲がわいている。
 神慈秀明会は本気で続けている人たちといやいや続けている人と二通りあると思う。本気でやっている人は好きなのだからどうでも良いが、恐怖でいやいややっている人だけはナンとか離れる道を造ってやりたい。やめることで自分のように前途を明るく感じ、人生を謳歌出来ることは目に見えているのだから。信じてやめない人達はしょうがないとして、やめるにやめられない方がさっさとやめてしまえるよう、やめて幸せを感じている人たちは、是非、(アンチカルト掲示板に)カキコしてあげてください。

 神界も霊界も私は信じています。でも神慈秀明会は神界と霊界をネタとする恐怖と脅ししか無いのだと思う。私の書き込みは神界霊界を信じる信じないでは無いことを是非ともご理解下さい。神慈秀明会は自分の意志でない、恐怖信仰というもので固められていることにひとりでも早く気付き、幸せを見いだしてほしいと願っている。
 ふじやさん、やめたくてもやめられない恐怖の人々は沢山いると思います。貴方様のご尽力で幸せになる方は沢山いると思います。心から応援申し上げます。

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