秀明カレッジ

(下記文章は、メールにて投稿されたものです)

 もう何年も支部にも行かず、秀明会の人間との接触も無く、ただお光りを所持しているがためにその処分に困っていた私。
 今年(2004年)のある日、今まで検索でも入力を拒んでいた「神慈秀明会」をインターネットで検索したおかげでこのサイトと出会え、お光りを破り捨て、自由になることができたわけですが、その情報収集の中で一番驚いたのは、「カレッジが閉校した」ということでした。
 私が現役信者の頃はあんなに、「カレッジ行けー」、「夏期布教行けー」ってうるさかったのに。
 さらに調べてみると、カレッジが閉校になったのは、私がカレッジに行ってた時期から何年も経ってない時期。正直驚きました。なんとまあ、2ちゃんねる風にいうと「アサーリ、オワタ」。
 シュウメイを語る上で度々登場する「カレッジ」。みなさんはご存知でしょうか。

 カレッジとは主に青年層の信者を対象に、1月を開講月として月に一度・年に10回ほど(8月はいわゆる「夏期布教」のため本部での催しは無し、終わりは確か「青年大祭」と呼ばれる11月23日だったと思います)滋賀県の本部で行われ、シュウメイ的にはいろんな意味で大イベントでした。
 カレッジに参加するためには、近畿圏に住んでようが北海道や九州に住んでようが、月に1回滋賀県の本部に来なければなりません。

 このカレッジとは、よく言えば(もしくは表向きは)明主様の御心を深く理解し、信仰を深めるための勉強会。
 そして悪くいえば、というか実態は「信者と金集めのための青年尖兵を世に送り出すための養成所」です。

 かつて信者数を延ばし、多額の金を得ていた時期、秀明会の大きな力となっていたのは、はやり青年部と呼ばれる部署の若い信者たちです。いわゆる駅などで「あなたの幸せを祈らせてください」などと声をかけていたのはこの青年部の信者です。そして彼らは8月になると「夏期布教」と呼ばれる大イベントに出かけます。たいていは自分の住んでいるところではない遠隔地に赴き、そこの支部や集会所で寝泊まりをしながら、ひたすら新しい信者獲得と未信者浄霊に励むのです。不覚とはいえ私が秀明会の手に落ちたのはこの夏期布教でした。
 1995年は街中で見たこの夏期布教中の信者、その次の年以降は全く見なくなったなあと思っていたら・・・、無くなってたんですねえ、カレッジも夏期布教も。見なくなるわけでした。

 ところで、秀明会の本部は滋賀です。信者は全国各地にいます。移動はどのように行われていたのでしょう。
 「上の者に優しく末端信者に厳しい」秀明会のことです。移動はもちろんバスです。遠くの支部の人は、ただひたすら夜行バスで本部まで来ていたようです。私は大阪からでしたから、早朝に出れば間にあう距離でしたが、それでも当然楽ではありません。
 というわけで月に1回、しかも日曜日をシュウメイの為に割かなければならないわけです。
 支部の人間は当然、一人でも多くの青年をカレッジに送り出したいわけで、集合に遅れないように念を押す、というか支部に泊らせます。雑魚寝です。ていのいい拉致です(笑)。
 私も初めの何回かは支部に泊りましたが、逃げたかったです・・・。
 一度、忘れたふりしてサボりました。これは気持ちよかったです。だってシュウメイの言いなりなんて普通の人なら絶対イヤですから。

 このカレッジには卒業証書があり、それをもらった信者は「バチュラー」と呼ばれます。この卒業資格、大変にすばらしく、なんと【あの世】でも通用する、つまり永遠に通用するということです。
 カレッジのテキストにも「現世の大学の証書はこの世のみで有効だけど、バチュラー資格はあの世でも有効です」という意味のことがはっきりと書かれてあります。
 私は1年間カレッジに行っただけなので確かなことは言えませんが、おそらく想像するにバチュラーとやらになるには、ある時期ある期間に何人未信者浄霊をしたかとか、何人入信させたかとか、そういう実績が必要(もしくはそれだけ)なのだと思います。
 しかしながら、カレッジはアサーリ閉校しました。永久資格とやらは一体どこに行ってしまったのでしょうか。結局答えはひとつ、カレッジとは反社会的な秀明会の活動の一環、もしくはそれを生み出す人材を生み出す機関だった、ただそれだけのことだったのでしょう。永久資格なんてチャンチャラおかしいです。

 シュウメイの機能のひとつが失われただけであれば喜ばしいことですが、問題はそこでバチュラー資格をもらうまでシュウメイに尽くしてしまった人や、いわゆる「自己放棄」で本部でスタッフとしてこき使われていた若い信者たちです。
 彼ら・彼女らは、その視点からすればいい加減でお気楽な「不良信者」の私等とはまったく違い、身も心も完全に明主様・秀明会に捧げてしまった、本当に「自己放棄」してしまった人たちなのです。
 シュウメイでは「明主様が全て。全身全霊をもって明主様にお仕え申し上げなさい」という意味の言葉が会主や前会長(いわゆる命様)、また秀明紙などの出版物等、あらゆるところで発せられていました。我々からすれば「アホか」の一言で片付いてしまいますが、本部にいた彼らは不幸にもそれを信じ、実行してしまったのです。

 いわゆる旧体制が崩れ、カレッジも無くなり、今までの行動が反社会的で幸せになるために何の力も無いものだとなってしまった今、あの人たちはどうしてしまってのでしょうか。明主様に仕えることが幸せになる道なのだ、明主様は見てくださるのだと信じて、シュウメイに尽くしていたあの人たちは・・・。

 収入も無く、ろくに眠れず、あまつさえそんな体で街に出て未信者浄霊のため声をかけていたであろう彼ら。何か違う生き甲斐は見つけられたのでしょうか。それともまだ「明主様ありがとうございます」と言い続けているのでしょうか。
 お光も捨て去った今、今更支部を訪ねていって昔の信者と会う気はありませんが、彼らのその後が心配です。彼らに罪はありません。憎むべきは数多くの若者の未来を奪い去った、宗教法人の皮をかぶった詐欺集団・神慈秀明会です。

戻る