(下記文章は、メールにて投稿されたものです)
こんにちは。わたしも元信者です。最近インターネットを始めて、「神慈秀明会」を検索してみたら、出てくる情報は秀明会による被害の話ばかり・・・。これだけの方が被害、トラウマを抱えていることに胸を痛めています。
新体制だかなんだか知らないけれど、私は旧体制のときに入信したので、「今更なに都合のいいことばっかり言ってるの!」と腹が立ってなりません。
今思い返しても、20代前半で、お金だってたいしてない普通のOLの私に対して、やれ献金だ、自己放棄だ、夏季布教だ・・・あほかっつーの!
おかげで転職、借金。「神様のための嘘だから許される」なんていわれて身内に不幸があったことにして会社を休んだことも。結果ばれてしまってクビ。「あなたがいるべき会社ではなかったのよ」って、いったいどーゆーこと?
今思えば常識的に判断して私がつっぱねれば良かったことなんでしょうけど、拒否すれば家に説得に来るわ、支部で夜中まで帰してくれないわ(軟禁?)、最後には「行かなければ大変なことになる!」と、まるで家族の誰かが死ぬかのような脅し文句。恐怖信仰以外の何ものでもありません。
10年ほど前に弟とともに入信したのですが、当時2人で「入ったはいいけど、10年後くらいに『神慈秀明会は詐欺だ!』とか新聞に載ってたらヤダよね(笑)」なんて冗談で言い合ってたことがまさか本当になってしまうとは・・・。
大体、お光なんてものに何の効力もありません。落としてはだめ、髪の毛がだめ、人に触られてはだめ・・・うんぬん言われてはいましたが、実は信者時代にしょっちゅう落としたりしていました。当時付き合っていた彼に触られてしまったこともあります。通常ならお詫びと言われるのでしょうが黙っていました。でも、なんら困ることなんてありませんでした。
むしろお詫びして金銭的に窮するほうが困るに決まっています。まじめな人は正直に申告して即お詫び。学生など借金もままならない人に対して「家のもの処分したら?」。19、20才の子たちが束になってア○フルや武○士に、「これから行ってきま〜す」と支部で元気よく挨拶。何もいわない幹部連中。自分の子供だったらどうすんの?それでも「明主様のため」なんて言ってられんの?
あと薬についてですが、医学的に「薬の乱用はいけない」というのは別に不思議なことではないかも知れません。ただ「会主様は抜歯するのにも麻酔薬は使わない。それだけ徹底して薬をただの1滴も体に入れたりしない」なんて上層部はのたまっていました。
中に昔から婦人科系に持病を持っていた世話人がいて、「私もどんなに苦しくても薬は使わない」と。
私は数年、彼女を身近に見てきましたが、彼女の病状は悪化の一途。とうとう入院。1度や2度ではありません。明主様は治してくださらなかったようです。
自己放棄という名の堕落。エリートと呼ばれる青年は、「御用があるから仕事はできない」と借金を繰り返し、仕事を持っている人間にたかって食事させてもらったりして、ホントに御用なんて一日中してんのかよ? 働く時間ないくらい必死にやってんのかよ? と「?」は尽きません。
大体そんな連中のほうが毎日一生懸命働いている信者より自己放棄している分だけ神様に近い存在だなんてちゃんちゃらおかしいですよね。結局親に何とかしてもらったり、いまだに支払い続けている事実。一体神様のために使ったお金はなんのため?自分をより苦しめるためなんでしょうか。
私は3年位前にどっかにしまったまま忘れ去っていたお光をはさみで切って開けて燃やしました。インクで印刷された”光”の文字。秀明紙も当時「神様の文字だから、お光と同じ扱いを」と言われていたので、実家に包装してしまってありました。これも一般ごみとして実家へ帰ったとき捨てました。聖教書やら他のなんかも同様に燃えるもの燃えないもの等分別して。信者さんが聞いたら「なんて恐ろしいことを!」の世界なんでしょうけど、私の生活は順調です。お金にも病気にも一切困っていません。それともこれから困ることでもあると言いたいんでしょうが、人生はなにがあるかわかりません。あったとしてもお光を捨てたこととはなんら関係がないのです。
それよりも怖いのは現役信者さんたち。どのような活動を今しているのかは分かりませんが、あなたたちは本当に幸せですか? 私の知る限り、「この人神慈秀明会で幸せになったな」と思える人など一人もいないからです。むしろ離れていった人のほうがずっとマシな生活をしていますよ。社会的にも、人間的にも。
離れてしまうことに恐怖(なにか祟り的なものがあったらどうしよう、というような)を感じているのならそれも理解できます。でも一切何でもありません。そんな力はないからです。いままでの苦を無駄にしたくないという人もいるでしょう。嘘だと信じたくない人もいるでしょう。でも大事なのはあなたのこれからの人生です。家族がいる人もいない人も、本当に苦しくて手を伸ばしたとき、明主様は何もしてくれませんよ。