(下記文章は、メールにて投稿されたものです)
私は大阪に住む、神慈秀明会の「一応、現役信者」です。
「一応、現役信者」としたのは、信者の証である「おひかり」を現在も所有しているという意味ですが、秀明会との関係はすでに7年半もほったらかしの状態であり、ほぼ脱会状態といっていい状態でもあります。
今回ネットで検索してわかったことなのですが、もう「夏期布教」も「カレッジ」も無くなっていたのですね・・。私が秀明会と接触のあった時期(94-95年)というのは、そういうことにものすごく力を入れていましたから「夏期布教」も「カレッジ」も無くなったと知って正直驚きました。
私が秀明会に行かなくなったのは、秀明会を知れば知るほど「この宗教は絶対おかしい」と思い、心が離れたからでしたが、今回こちらのサイトを見て、私が当時そう思ったのは間違いではなかったことを知りました。
すでに精神的には完全に秀明会から離れている私ですが(もっとも、これまでも真剣に信じたことは一度もありませんでしたが)、「おひかり」をいまだに所有しているということからもお分かりの通り、私もまたおひかりの「処分」ができずにいるのです。
やはり潜在的に「捨てて何かあったらどうしよう」という漠然とした恐れがあるのです。私自身、「見えない力」を信じる人間であり、それがあるがため秀明会に入ってしまったという側面もあるため、「おひかり」なんて所詮ただの紙切れと思いつつも、潜在的な恐怖感を捨て去れずにいるのです。
もっとも、こんな恐怖感を個人に与える宗教なんて、基本的に間違っているダメダメ宗教である証でもあるわけですが・・・。
しかし、こちらのサイトを拝見して、「あ、同じことで悩んでいたのは私だけではなかったんだ」という一種の安心感と共感、そして「おひかり」なんてどうでもいいものなんだという思いを深めることができました。そして、「おひかり」を捨てる勇気をいただきました。
思えば94年の夏、浄霊を受けるなんてことさえしなければ、また今のように、インターネットであらゆる情報を高速で手軽に、そして大量に入手できる時代だったなら、あんな宗教団体のために時間とお金と苦しみを費やす必要がなかったのにと、後悔してもしきれません。
ただ今回、私と同じように悩み、また現在も悩んでいる方がたくさんいらっしゃることを知り、もしかしたら私の資料や経験が、その方達の苦しみを軽減する、もしくは終わらせる材料になりうるのかもしれないと思いました。
こうして私は、とうとう「おひかり」を破り捨てる決心をしました。
「おひかり」を破り捨てるに当たって、禁断の「おひかり」をつぶさに観察したのですが、なるほど「光」の文字はコピーでした。秀明会によれば「おひかり」とは、"明主様が半紙に墨で直筆で書いた文字に魂を入れたもの"だそうですが、まず半紙ではないし、墨でも書いてない。もし半紙に墨で書いていたなら、絶対に、裏に墨がしみているはず。そんなこといっさい無し。
あれは墨ではなく「インク」でした。それに明主様直筆なら、どんなに新しくても昭和29年か30年。それだけの年月を過ぎた経年変化もまったくありません。やはり「半紙に墨」ではなく「コピー用紙にインク」なのでしょう。
それに「おひかり」を開いてわかったことですが、袋の中にはさらにプラスチックのような容器があり、その中にまた布があり、さらにまたその中に紫色の柄のついてる布があり、そこまで開いてやっと「光」の紙切れが現れます。
秀明会では、おひかりに水がかかったり髪の毛が入ったりすると「お詫び」といって
エラいことになるのは周知の事実ですが、これはつまりお光りの中の明主様直筆の文字に失礼があったということなのでしょうが、実際の文字は二重三重の覆いの中にあり、しかもその覆いのひとつがプラスチックでできているということは、そう簡単に濡れないし髪の毛なんか入りようが無いのです。このような構造であるにもかかわらず、一番外側の絹袋は簡単に濡れたり汚れたり、髪の毛が入りやすいという構造にしておいて、「お詫び」として無理難題や多額の献金を要求していたのかと思うと、本当に怒りを覚えます。
私は、意を決して「おひかり」を粉々に破り捨てました。
これで信じてもいないのに「おひかり」を持っていた自分、言い換えると「10年間自分に嘘をつき続けていた自分」と決別することができました。
人に嘘をつくのも心苦しいですが、四六時中生活をともにする自分に嘘をつき続けることほど辛いことは無いです。ようやく10年間つきまとわれていた「重し」、もしくは「足かせ」が外れた思いです。
秀明会では入信の日、すなわち「おひかり」をいただく日は「第2の誕生日」といいますが、私にとっては、「おひかり」とオサラバしたこの日、まさにこの日こそ「第2の誕生日」です。やっと自由になれました。本当の自分になれたのですから、今までよりずっと楽しく、そして人に優しく生きていこうと思います。