(下記文章は、anti_cult掲示板に掲載されたものです)
証言A
阪神大震災後、全国から資格者が現場視察に集合したのを知っていますか?
被災者の中で目立たないように、避難者のような服を来て行ったそうです。
名目は、「最後の審判」を資格者がこの目で見て信仰を深めるというものでした。
この話は当時月次祭で聞きました。
証言B
阪神大震災後、故会主が、「最後の審判の様子を見ておきなさい」と、みそのの奉仕者に言って、団体で見に行かせたそうです。
普通こういうときは援助物資をもっていくものです。事実いろんな団体が炊き出し等を行っていました。しかし秀明は見物だけで何もしなかった。
証言C
阪神大震災の時、それからしばらく経った秀明紙勉強会のとき、建物の下敷きになり、火が回ってきても逃げられず焼け死んだ方に対し、
「ほら、明主さまがおっしゃっていた通りになったでしょう。明主さまは、そのうち最後の審判が来たら、死体を焼くのも間に合わないので、自分で焼くとおっしゃった。本当に自分でそれこそ焼く状態になったんですよ」と助教師が笑って言うのです。
私は、気分が悪くなって、その場から逃げ帰りました。
証言D
「世界一霊層界の高い」会主さまのベンツの専用運転手をされていた前田さんという方も、阪神大震災で亡くなりました。
この方の死を悼む記事が秀明紙に掲載されましたが、前田さんは、会主さまの霊衣に包まれた専従者だったのにどうして亡くなったのかについては・・・?
証言E
阪神大震災では前田運転手だけでなく、秀明信者が計46人死にました。助かった人も多かったですが。
震災で家がつぶれたものには命が助かったからと献金させる、御神体やおひかり、光明が落ちて焼却になった者には桃、子桃をさせました。
創価学会や幸福の科学でさえ、被災信者救済の義援金を配っていたのに秀明ときたらまだその上に金をとりました。
人のためとか利他愛とか口を酸っぱくしていっているのに、やることはこういうことでした。
ちなみに家の中でおひかりを落としても通常はお詫びで済むのに、なぜか地震で落ちたものには焼却処分でした。そのおわびで無理やり桃献金(100万)させられた者も多いです。
証言F
会主の運転手の前田さんが亡くなり、会主は助かった件ですが、単純なことです。
小山も前田さんも自宅は至近でしたが、違いは、前田さんが非常に質素な、いわゆる糞溜のような文化住宅に住んでいたのに比べ、小山が信者から騙し取った金で建てた大豪邸に住んでいただけの違いです。
これが生死を分けたのです。たったそれだけのことです。
秀明は、前田さんのような人間すら救えなかったのです。
証言G
阪神大震災当時の異常さを、たくさん思い出します。
「やっと、われらの言っていた事が起こった」みたいなおごり。
そしてまじめに秀明をしていなかった人が災難を受けたことに対する、見下したような態度・・・。
K支部の助教師曰く、「会主さまは天国人だから、その家の中で会主さまのお部屋だけが揺れなかったのよ〜。地震の後、(お手伝いさんかな?)『大丈夫でしたか?』とお聞きしたら、『何のことかしら?』とケロッとされていらっしゃったのよ〜。やっぱり審判も天国人の会主さまには地震も行けないのよ」みたいなこと、言っていました。
聞きながら、「ばか!会主はもうトシだから何も感じなかったのでしょう?こんなこと、マジで言う大人ってあんただけでしょう」と思っていました。
証言H
阪神大震災の後、多くの宗教団体がボランティア活動などに参加し、被災者の救援を行っていましたが秀明会は全くこうした活動を行いませんでした。
そして秀明幹部は祭典後の教祖殿で、「秀明会が行うのは永遠の『魂の救い』です。従って一時的な寄付などの活動は致しません」と明言していました。