献金額1500万円以上

(下記メールは、投稿者本人から公開についての同意を得た上で掲載しています)

 私は10年以上、神慈秀明会の信仰を続けて来ました。
 献金額も1500万円を超えています。
 しかしながら少しずつ疑問を感じて来ました。しかし疑問を感じながらも、惰性で信仰生活を回転する車輪のように続けて来ました。
 そんな中、このサイトに出会いました。

 本心としてはまだどちらが本当なのか決めかねていて、サイトをよく見ながらも、同じような生活を続けました。
 しかしながら、更なる献金の要請や、過去に人並み以上にしてきたことなどは全く評価されず、今からまたたくさんして行くんだというような制度に疑問を感じ、とうとう力尽きて我慢の限界を超え、9月のある日から参拝に行かなくなりました。
 よくよく考えて見ると、異常な献金要請、領収証を出さないなど税務上の問題点、宗教法人が財団法人(美術館)へ資金を出していること、また、NPO法人の認可などおかしいことだらけと思ったのです。

 私は不思議な力に興味があって入信したのですが、最近の秀明は内側に向かっているような気もしたのです。
 単にそこに来ている人の自己満足や世界平和を祈るなど、体質が変わって来ているのです。そうしたことにはあまり興味もないし、また、感謝奉告日や月次祭などでの発表もあまりにもくだらない話題などが多く、話し方も下手で不快でした。また、1つの価値観しかなく、たとえ、ちょっと変なことでも、異議を唱えることもなく、みんなが素晴らしい素晴らしい・・・と感動を共有しているのも非常に不気味でした。これだけチャンネルの多い多様化した世の中に1つの価値観しかないというのは、まるでどこかの国のように1つの国営放送しかないようなものです。
 私はこの秀明的考え方も嫌いでした。
 しかしながら、月次祭などに行かないと祟りが起きるのではという恐怖感にかられていました。

 考えて見れば秀明は恐怖信仰だと思います。お詫びを恐れるあまり、通常の日常生活が営めませんでした。ホコリ・虫などに異常に神経をとがらせ、体毛などにも気をつけなければなりません。
 旅行に行っても落ち着かなく楽しくありませんでした。
 お詫びの約束やお玉串料は脅迫や監禁ですよね。
 それがよほど嫌だからこそ、日常、異常に気をつけなければならないのです。

 もし、この「家族を新興宗教から守ろう」のサイトがなかったら、今でも惰性で動く車輪のように参拝や献金を続けて来たことでしょう。
 迷っている方、今です、活動を止めてみませんか?

 また、このサイトに止めてどうなったか、体験談を発表する場所を作ったら大きな支えになると思います。
 私も、今後報告したいと思います。

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