妻の説明・私の反論

妻の説明
 その日の夜(実際には日付は変わっていたが)、時間は午前2時を過ぎていた。子供達も登志子も寝ていたが、話があるからと、すでに寝ていた登志子を起こし、神慈秀明会のことを尋ねた。
 どこの夫婦もそうかも知れないが、夫婦だけでじっくり話し合う時間はあまりないのが普通なのではないだろうか。私もこうして登志子と二人で『話し合いのため』だけに向かい合うのは結婚後初めてであるような気がした。
 私は率直に昼間の出来事を彼女に話し、高額な玉串料のことや頻繁に学習会等へ通っていること等を質問した。
 彼女は突然の私からの指摘や質問に対して一瞬ためらいの表情を見せたが、事実が判明したことをすぐに悟ったようで、私に無断で玉串料を出したり、家事を放置した状態で勉強会等へ参加していたことを認め、私に謝罪した。謝罪するとともに、なぜ自分が神慈秀明会に入り今日まで活動してきたのかを説明した。彼女が神慈秀明会に入信したのは彼女が昔勤めていた会社の同僚から誘われたのがきっかけで神慈秀明会に出入りするようになり、彼女の親族に体が不自由な人がいたので、この人の体が少しでもよくなればいいと思って入信したとのことであった。
 その後、彼女は私と結婚し、子供ができたので、家族の健康と幸せを祈るために、と思い信心を続けてきたということであった。
 私に神慈秀明会のことを話したいと思う反面、それを私に話せばきっと私に反対されるに違いないと思い、今日まで話せなかったとのことであった。
 毎月10,000円以上の玉串料等を出していたのは、家族が幸せに毎日生活でき、食事もちゃんと頂けているお礼(神様に対する)として一食100円と計算し、三食で300円、1カ月で9,000円、9,000円では中途半端な金額なのでそれに近い10,000円を毎月玉串として神慈秀明会へ持参し、納めていたとのことであった。

私の反論
 彼女の説明を聞いても私は全く納得できなかった。なぜ神への感謝は『一食100円』なのか?誰がその金額を決めたのか?一食1円ではダメなのか?神様は玉串料の『相場』を決めているのか?
 一般的なサラリーマン家庭で毎月10,000円を出し続けるということは、かなりの経済的出費である。スーパーのチラシを見比べ、わずかでも値段が安いスーパーがあれば汗をかいて自転車のペダルをこいででも安い方のスーパーへ買い物に出かける主婦の感覚がありながら、その一方でなんのためらいもなく毎月10,000円以上の出費を長年にわたり続けてきた彼女の経済感覚は私にはどうしても理解できなかった。

 私は登志子に対し、このように多額の金銭を教団に出すことの意味を問い、それに対する彼女の返答を聞き、その矛盾点を説明した。私は彼女に、信仰心を持つことまで否定はしないが、高額の金銭を出さなければいけないような教団は決してまともな宗教団体ではないことを繰り返し説明した。
 毎月10,000円といえば金銭的にも大きな出費であるとともに、家事を放置して教団の勉強会等に参加し、家庭内が雑然としたゴミ捨場のような状態となっていることは子供の教育上も好ましいことではなく、金銭面、家事面で家族が被害を被っていても、それを無視してよいとの教団方針があるのかも質した。そして、その結果こうして夫婦間に大きな問題が生じてもよいと思っているのかを質した。
 彼女の反論の中には『地上天国』や『切断した指が再び生えてきた話』、『手から金粉がわき出した話』など、私には到底理解できない荒唐無稽な内容が含まれていたが、後になってわかったことであるが、これらは皆、神慈秀明会の教本に書かれている内容や勉強会で教えられた内容であった。私は彼女が真顔で荒唐無稽な返答をする姿を見て、暗い井戸に落ちていくような暗然とした危惧を抱いた。『これが今まで一緒に暮らしてきた私の妻なのだろうか・・』。私の妻は普通の人だと思っていたのに、いまそこにいる妻は何か別の人格をもったもう一人の女性に思えた。
 新興宗教におけるマインドコントロールの怖さについては、オウム真理教事件の関連で本や新聞で読んで知っているだけだったが、これほど間近にその実態を見ることになるとは夢にも思っていなかった。それだけに、私の受けた衝撃は大きく、これから先、私と登志子と子供の家族の生活が崩れかねない恐怖を感じた。

 入信した時期を彼女に尋ねたところ、約15年前から入信していることが分かった。15年と言えば、私と結婚するよりかなり前からすでに入信していたことになる。約15年間という長期にわたってカルトのマインドコントロールを受けていたのかと思うと、そこから彼女を抜け出させることが私にできるのだろうかという不安も覚えた。
 唯一の救いは、登志子は15年間以上の長期間入信していたが、それほど熱心な信者ではなかった時期もあったようで、『ただ籍をおいているだけ』という時期もかなりの期間あったようである。また彼女が今日まで信心を続けてきた目的が『家族の健康と幸せを願って』という目的が主であったため、『何が本当に家族の幸せにつながるのか』を強く訴えれば理解してくれる可能性があるのでは、と私は自分自身を勇気づけた。
 私としては、得体の知れない新興宗教に私が稼いだお金が渡されることは絶対に容認できなかったし、登志子が家事を放置して新興宗教の勉強会等に参加することも絶対に容認できなかった。私は彼女に対し、『今後一切、玉串料等のお金を神慈秀明会に出さないこと。今後一切、神慈秀明会の勉強会等に参加しないこと』を申し伝えた。
 併せて、これまでは単なる地域の無農薬野菜あっ旋グループだと私が思っていたものが、実は神慈秀明会の地域役員が無農薬野菜のあっ旋役も兼ねている神慈秀明会のグループ活動であることがゴミの山から出てきた書類に記載された内容から判明したので、この無農薬野菜の購入もやめるように伝えた。
 もし、この一連の私の要求が受け入れられない場合には、このまま夫婦として一緒に居ることはできなくなる旨も伝えた。
 時間はすでに午前3時半を過ぎていた。こうした問題は短時間に解決できるものではないので、引き続き話し合いをする約束をしてその日は寝た。
 ふとんに入ってからも、頭の中を色々な考えがかけめぐり、なかなか寝付けなかった。
 口頭で話しただけでは忘れたり、意味を取り違えるおそれもあるので、前日私が話した内容等を手紙にして翌日登志子に渡した。
 その後も繰り返し登志子と話し合いを続け、その度に私が話した内容を再確認してもらえるように手紙にして登志子に渡した。
 妻への手紙(1)〜(12)がその内容である。

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