ルルドの泉

 ルルドの泉は、宗教的奇跡を数多く起こしているので、詳しく話す価値がある。
 フランスの南西部、スペインとの国境であるピレネー山脈のフランス側の山麓に、カトリックの聖地ルルドがある。
 1858年のこと、ルルドに住む貧しい少女が、村はずれの洞窟で聖母マリアを見たということから、話が始まった。この14歳のベルナデット・スビルーが、聖母マリアの言葉にしたがって洞窟の土を手で掘ると、そこから泉が湧き出し、この泉には病気をいやす力があるという評判が広がった。そしてここに、多くの巡礼者が集まるようになった。今日では、毎年500万人が、世界の各地からルルドを訪れている。
 このルルドの泉で病気が治ったと自己申告をした人は、1862年以来6,700人にのぼるが、そのうち、ルルド聖地当局によって正式に奇跡と認定されたのは、たったの66人だけだ。
しかも、奇跡の正式認定者の数は、近年になるにしたがって減少している。ちなみに、1960年から2000年までの40年間では、認定者はわずか4人だけだ。ルルドでは、カトリッ クの国際医師団が、奇跡で治癒したと申し立てる人びとに、厳しい医学的なチェックをおこなっている。
 最近ではMRI(磁気共鳴映像装置)などの最新の診断技術や、分子生物学的な方法を駆使して、治癒が本物かどうかの診断をおこなっている。また、時には、世界中の専門医に諮問したり、奇跡を受けたと称する人のかかりつけの医師から、その人の病気に関する資料を取り寄せるなどの精査をおこなっている。奇跡であることが証明されるためには、その治癒が瞬間的に起こり、それまでに受けてきた医療の効果や自然回復など、科学的に考えうる現象を超えた治癒であること、そして、その治癒は永続的であることなどが証明される必要がある。このような厳しい科学的な検証をおこなう理由は、ルルドの奇跡が神の恩寵によるものであることを示し、ニセものを排除することがその目的だと、カトリック当局は話している。

 奇跡の実例を紹介しょう。1902年に、ルルドへの巡礼団の随行医師として、奇跡的な治癒を日のあたりにしたアレタシー・カレル医師の驚きを語ろう。彼は、ルルドの奇跡を科学的に調査する目的で、巡礼団の随行医師になることを志願したのである。最初のうち、彼は自分の見たものを信じなかった。そして厳密な科学的検証を求めた。だが、後になって、彼は自分が目撃した一人の女性の奇跡的治癒を信じたのである。カレルは、1912年に、組織培養法と新しい血管縫合術および臓器移植法の考案などの功績により、フランスで最初のノーベル生理・医学賞を受賞している。
 カレル医師の経験した奇跡については、彼自身が書いた『ルルドへの旅・祈り』という本が出版されている。29歳のリヨン大学医学部解剖学助手として、鋭い観察力と批判力をもったこの若い医者の目に、一人の若い女性の上に起こった奇跡がどう映ったのか、これから話すことにしよう。
 カレルが随行した一行の中に、結核性の腹膜炎を起こして死にかかっていたマリー・フエランという若い女性がいた。もはや手術はできず、モルヒネ注射だけで痛みを抑えていた。しかし、彼女はルルドへの巡礼を希望したのだ。
 ルルドへの列車の中で、彼女の状態はますます悪くなっていった。大きく腫れた腹は熱く、唇は紫色で、カレルには、彼女がいつ死んでもおかしくないと思われた。  マリーはカレルに向かって、「とても苦しいんです」「でも来られてとても嬉しいんです」と言った。しかし、マリーは車中で人事不省になり、駆けつけたカレルに、「私はもうルルドまで行けないでしょうね」とうめくように言った。
 列車がルルドに着いた。マリーは、「七つの悲しみの聖母病院」に収容された。
 マリーの病状はさらに悪くなった。だが、彼女は水浴場へ行きたいという。水浴場では、係の女性が全身浴ではなくて、腫れた腹に水を数滴ふりかけただけだった。
 水浴の後、マリーは洞窟の前の病人用に設けられた場所で、担架の上に横になっていた。一人の司祭が大勢の人びとの前で説教していた。カレルは少し離れたところで、その後に起こった一部始終を見ていた。突然、彼女の顔に変化が現れた。顔の蒼白い色が消えた。カレルは幻覚だと思った。そして、マリー・フエランの目は輝き、胱惚として洞窟の方を見ていた。マリーの腹のあたりで毛布のふくらみが少しずつ小さくなっていき、まもなく平らになった。カレルはマリーに近づき、呼吸を診て、脈をとった。マリーの脈拍は非常に速かったが、規則的だった。介護の女性がカップ一杯のミルクを持ってくると、マリーは飲み干した。
 その日の夕方、カレルはマリーのもとを訪れた。彼女は輝く目をしてベッドの上に座っていた。「先生、私は完全に治りました」と言った。彼は、彼女を診察した。脈はまったく正常、腹は白くて平らで、あちこちにあったしこりはまったく夢のように消え去っていた。
 カトリックでは、奇跡は、科学による説明を超えたものでなければならない。しかし、科学という言葉には、「その時代の」という限定をつける必要がある。毎年500万人もの巡礼者が訪れるルルドで、奇跡が40年間にわずか4件だったということは、科学技術の進歩が「奇跡」をつぶしていったという事実があるにちがいない。将来、奇跡の発生はさらに減少していくであろうが、まったくの無になることはないだろう。
 このような厳しいチェックを通過する奇跡の事例がわずかでもあることは、神の恩寵という理解の仕方を別にすれば、プラシーポ効果という観点からの説明も可能だ。病気を治したいという強い願望が、ルルドというプラシーボによって、一瞬にして心身的な変化をもたらすのだ。
 第一章で話したリンパ腫の末期患者の腫瘍が、ブラシーボ注射で消失した事例はどうだろうか。もし彼が実際には抗がん作用のない(クレビオゼン〉の薬効に疑いをはさむことなく、その効果を信じつづけることができたとしたら、ルルドの泉の奇跡に匹敵する奇跡が起こつたのではあるまいか。
 ルルドの奇跡に強い関心をもっている比較文化史家の竹下節子は、次のように述べている。
「ルルドという特殊な環境で、期待を抱いてやってくる人が、たとえ器質性の疾患でも治ってしまうということは、まんざら不可能ではないということだ。
 心身症はもちろんのことだが、器質性の疾患でも、さまざまな薬や治療を受けていても脳のレベルでブレーキがかかった状態になっているために効果が現れていないケースがあるとしたら、聖地での興奮と群衆のもつサイコエネルギーによって増幅されたルルドという土地のパワーに脳の何かが共鳴して、ブレーキを解いて免疫システムに最後のひと押しを加えて治るということも考えられる」
 ルルドでは、カトリックの信仰のない者にも奇跡が起こつていることから、ルルドの状況が、水浴や、祈りというブラシーボにブラシーボ効果としての奇跡を起こさせるのかもしれない。

 心のメカニズムから見ると、プラシーボ効果は、次のような仕組みで働くのではないだろうか。まず、ブラシーボが選び出され、与えられる。そのようにして与えられたプラシーポに、特別の「意味づけ」がおこなわれる。ここまでで、プラシーポ効果が生み出されるための環境の準備が整えられる。
 期待はプラシーボに「意味」を刻印する。古典的条件づけの実験で用いられたサッカリン液は、それまでもつことがなかった免疫抑制の特性をもつことを意味づけられたのだ。そのほかにも「意味づけ」がおこなわれる。ミシガン州立大学で家庭医療と哲学の教授をしているハワード・ブロディは、なかでも病気の意味づけの重要性を指摘している。

 ブロディによれば、患者の心の中で、病気に対する「意味づけ」がマイナスからプラスに変化するときに、プラシーボは効くようになるというのだ。ルルドのようにさまざまな大勢の病人が集まり、病人が主人公として迎えられ、医療、食事、宿泊、介護などあらゆるサーヴィスを受けられるところでは、病気に対する意味づけが変化することは十分にありうるだろう。ルルドは、ブラシーボ効果が最も起こりやすい場所といえるだろう。

 将来の、科学技術の進歩や発展を視野に入れても、すべての人間的な現象を科学的に解明するのは難しい。
 ノルウェーの作家ヨースタイン・ゴルデルが書いた、哲学への魅惑的ないざないの書『ソフィーの世界』の中で、アルベルト・クナーグ少佐は、娘のヒルデに宛てた手紙で次のように書いている。

「もしも人間の脳がわたしたちに理解できるほど単純だったら、わたしたちはいつまでたっても愚かで、そのことを理解しないだろう」
 言語学者のノーム・チョムスキーは、人間が自然界の一部分にすぎないのであれば、人間のもつ概念の範囲には限りがあり、自分たちのもつ言語の能力を超えては、何ごとも理解できないのだという。彼は、イギリスの懐疑派哲学者デーヴイツド・ヒユームの言葉を引用して「自然の究極の秘密は人間には謎である」という事実を直視せざるをえない、と述べている。
 宗教的な奇跡をブラシーボ効果と似たものとして理解することは可能だ。だが、くりかえしになるが、著者は、それをプラシーボ効果そのものだとは断定しない。
 ただ一ついえることは、信仰をもつことは、プラシーボ効果を積極的に利用するのと同じような利益をわたしたちにもたらすということだ。それは、宗教がプラシーボ効果を利用する仕組みをもっているということでもある。

(以上の文章は、「心の潜在力・プラシーボ効果」(広瀬弘忠著、朝日選書)より引用させて頂きました)

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