新興宗教の魅力

 新興宗教にとって、信者数の拡大は更なる勢力の拡大にも結びつき、財政的にも潤沢な状況を作りやすくなるので色々な方法で信者数の拡大策を講じる。
 既存の仏教等の人気がないのは、現代人の多くにとって、お寺の存在意義は『葬式仏教』としてしか認識されておらず、仏教を信じたからといって特にこれといった即物的な御利益が感じられないことからその人気を落としている。
 ところが新興宗教の多くは『困り事が解消する、病気が治る、生活が豊かになる』等とその現世的な御利益を宣伝するとともに、『いま困り事があるのは先祖が過ちを起こした報いだ』とか『信心を深めておかないと最後の審判があった時に選ばれし民になれない』等と言って先祖のたたりを断つためには信心を深めなさい、死後の世界で極楽浄土に行くためには現世で徳を積んで神の領域に近づく努力をすることが大切だ等と教える。
 現世のみならず、死んでからの御利益まで保証してくれる『親切さ』が新興宗教の魅力なのかも知れない。それが本当であれば、であるが・・・。
 こうした話は科学的に立証できるものではないが、逆に『絶対にない』ということも立証することはできない。新興宗教はそのすき間に入り込んでくる。
 『あるかも知れない』先祖のたたり、『あるかも知れない』ハルマゲドン(最後の審判)、『あるかも知れない』輪廻転生、『あるかも知れない』神による救済、その他どんな奇跡的なことでも起こりうるのが新興宗教の世界だ。通常では信じられない神がかりな話や奇跡を、より具体的に『実証』するのが『信者の体験談』や『神秘体験』だ。
 『東京都の○○さんのご子息は長年アトピー性皮膚炎で苦しんでいましたが、お母様が明主様にお願いし、手かざしによる治療を行った結果すばらしい回復力が現れ、今ではすっかり完治しました』、『大阪府の△△さんはそれまでは事業がうまく行かず苦労を重ねていましたが、神慈秀明会に入信し、毎月きちっと玉串を捧げ徳を積んだ結果、驚くほど事業が軌道にのりはじめ、今では会社も大きくなり、家族共々幸せな生活ができるようになりました』等々、非常に数多くの体験談が信仰心を高めるために用意されている。

 こうした体験談と併せて、神秘体験は信者の心を大きく揺り動かし、信心を一気に高める効果があるので新興宗教では非常によく使われる手段だ。どのようにして神秘体験をさせるかは教団によって方法が違うが、集団催眠や個別催眠を使う場合が多い。オウム真理教(後にアーレフに改名)では向精神薬やLSD等の薬物を用いて神秘体験をさせた。もっと簡単に『ダイヤモンド』や『金の大黒様』、『金粉』を頂くという奇跡体験もある。信者にしてみれば、そうした奇跡を目の当たりにすると『すごい!本当に神様は奇跡を起こす力があるんだ!』と思ってしまい、一気に信心が高まるようだ。
 特に神慈秀明会では、神としている岡田茂吉がその著書の中で『神が実在することを知らせるためには奇跡しかない』という意味の言葉を残しているため、それを『実践』するためか、非常に多くの奇跡が起きているそうである。ただし、それが本当の奇跡か否かは別問題であるが・・・。
 ミスター・マリック氏等の一流手品師の手品を見ていると、本当に不思議で、あたかもそこで行われていることは常識をうち破る不思議な現象に見えるが、実際には全て『種と仕掛け』があり、我々は巧妙にその罠にはまっているだけである。しかし、ミスター・マリック氏が変装して『教祖様』のいでたちで信者の前に現れ、幻想的な雰囲気を持った教団施設でその巧みなテクニックを講じて『これは神のなせる技だ!』と言ったら大多数の信者はその『すばらしい奇跡』に驚嘆し、畏れおののくのではないだろうか。
 海外の新興宗教では、教祖が手品師だったことがばれている教団もある。

 もし、百歩譲って、神による奇跡や現世的御利益・来世的御利益が実在するとしたら、人間が自ら努力して人生を築いていく必要もあまりないわけで、神に対する信心を深め、神に祈り、神に貢ぎ物を捧げていれば人生は神が構築してくれるのであろう。
 しかし、宗教とはそのように人間を堕落させるものであってはならないはずである。人が宗教を信ずる理由は様々であろうが、最終的にはその人が人間的に成長できるか否かが大切なのではないだろうか。
 奇跡や現世的御利益など、即効性・有効性をうたい文句にしている新興宗教に対しては、『そんなにうまい話には、なにか裏があるのではないか?』と、自らがその真偽を見極める目を持つことが大切である。
 ファンタジーとして、奇跡や神の存在に心ときめかせる気持ちを持つことまで否定しようとは思わないが、己の人生を賭けてまで、高額な玉串や献金をしてまで新興宗教に入れ込んでしまうのは、『新興宗教の魔力』に幻惑されているのではないだろうか。

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