今後の新興宗教

 インターネットは各家庭に幅広く行き渡り、誰でもが簡単にリアルタイムに新しい情報に接することができるようになってきた。同時に誰でもが情報を発信できるようにもなってきたため、東芝ネット事件のように大企業を告発したり、場合によっては世論形成を行うことも可能になってきた。
 こうした時代には、新興宗教も従来と同じ布教方法では対応しきれなくなってきているのではないだろうか。少しでも疑問を持った信者は、ネットで自分が属する教団についての情報を調べることも簡単にできる。不信、不満を持った信者が教団運営や教義についてネット上でその内情を暴露することも簡単にできる時代である。神慈秀明会に関するサイトも数多くアップされており、話題には事欠かない状況である。話題の2チャンネルでは各種新興宗教についての掲示板が設けられ、様々な意見が飛び交っている。
 これまでの新興宗教のやり方は、信者に与える情報はごく限られた自らに都合のいい情報だけを選択して一方的に与え、信じさせていればよかったが、今後はインターネットという情報媒体を考慮した布教活動も選択肢に入れねばならないだろう。信者はどのような情報にも簡単にアクセスできる。
 新興宗教の中には、他の宗教団体信者との交流を禁止している教団も多い。特に手かざし系教団は互いに仲が悪く、神慈秀明会の信者が他の手かざし系信者と交流したことがばれると、厳しく糾弾されたりすることもあるらしい。
 しかし、信者がインターネットで情報検索したり、他の宗教団体のホームページを見ることまで禁止することは、まさかできないであろう。もし、そのような『目隠し』を信者に押しつけるとしたら、それこそ自らの閉鎖性、うさん臭さを認めることになる。
 平成16年になって入手した情報によると、神慈秀明会ではインターネット上の秀明批判サイトの活性化を憂慮し、信者に対し、「秀明会を批判するサイトを見ると邪神にやられるから見ないように」と指示を出したそうである。この言動により、神慈秀明会の体質はより明確になったと言える。

 大企業などでも、内部告発により企業の不正があばかれる事例が増えてきたが、宗教団体といえども例外ではないだろう。信仰によって強固な団結力があるから、そのような心配は無用と思われるかも知れないが、多くの信者の中にはそれほど熱心ではない者や、一時期は熱心な信者であった者でも、ちょっとしたきっかけで気持ちが教団から離れてしまう者も出てくる。信者として熱を上げていた時期の入れ込み方が強かった者ほど、その熱が冷めて冷静な判断ができるようになった時の教団に対する反感は強くなる。
 神慈秀明会ハンドブックには、『明主様(岡田茂吉)に対する恋愛が信仰である』という記述がある。なかなかうまい表現だと感心したが、恋愛は相手に裏切られた場合は、憎しみに変わる。特に多額の金銭がからむ場合は、その憎しみも増大する。
 すでにインターネット上には反宗教団体のホームページも多数存在するし、話題の2チャンネルには数多くの宗教批判掲示板がアップされている。
 新興宗教団体としても、信者や元信者からの告発や、私のように家族が被害にあった者からも監視されていることを知った上で活動しないと自分自身の首を絞めることになりかねない。

 もっと大きな変化は、従来であれば信者にならなければ分からなかったその宗教団体の姿が信者以外の者も簡単に知ることができるようになった点である。私は神慈秀明会の信者ではないが、インターネットを通してかなりの情報を入手することができた。インターネット上の情報には、間違ったものや歪んだものもあるかも知れないことを承知の上で検索しなければならないが、複数の情報を重ね合わせることにより、かなり正確な情報を入手することができる。
 私のように家族が入信し、その対応に困った場合でもインターネットで情報収集し、対策を考えることができる時代である。
 私のこのホームページを見た人が、神慈秀明会への入信を勧められたらどのように判断するであろうか。昔のように簡単に、新たな信者を獲得することは困難な時代になったのではないだろうか。情報音痴の人をねらって勧誘すれば、まだその可能性はあるかも知れないが・・・。

 私がこうしてこのホームページを立ち上げることにしたのも、私の経験が同様の悩みを持っている方の参考になればと思ったことがきっかけである。  同様の経験をされている方も多いのではないかと思われるので、ぜひそうした方のご意見も聞かせて頂きたいと思っている。

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