書類をかきわけて行くと、10,000円の玉串料の封筒は次々と出てきた。封筒には受領印が押印されており、その日付を順番に並べてみると毎月10,000円の玉串料が支払われていることがわかった。他の書類袋を開けると今年の分も、昨年の分も、一昨年の分も、もっと前の年のものもたくさん出てきて、ざっと見渡しただけでも十数年以上の期間にわたって支払いは続けられていたようであった。
玉串料の封筒以外にも、この宗教団体が発行する「秀明」という機関誌や、「聖教書」や「飛天」という名の分厚い本もたくさん出てきた。日程表のようなものがあり、その日程表に付けられた印をたどると、登志子は教団の教義を勉強する勉強会のようなものに定期的に通っているらしいこともわかった。年に1、2回はこの宗教団体の本部がある滋賀県信楽町まで式典参加のために行っているらしいこともバス時刻表等につけられた印から分かった。
この宗教団体は、MIHO美術館という立派な美術館も建設しているようで、その美術館の収蔵品を紹介する分厚くて立派な写真集も数冊あった。この本だけでも2、3千円はするのではないだろうか?
玉串料以外にも、『お供え代』や『お詫び』、『神苑献金』、『感謝献金』のような名目での出費記録もあり、色々な名目でお金が出されているようであった。
同様の資料は、まだまだあちこちに散在しているようであったが、いま手元に集まった資料から推測しても、玉串料等の総額が150万円を超えているであろうことは容易に推測できた。
私は登志子が何らかの宗教を信じており、ときどきその関係のお守りをつけている時があるのは結婚する前から知っていた。しかし信教の自由は尊重しなければならないという私の信念もあり、彼女が特に言及しない限りはこちらからそれについて問いただすこともすべきではないと思っていたので彼女が信じているらしい宗教のことについて特に尋ねたことはなかった。実際、登志子が何らかの宗教を信じているが為に私達家族の生活が被害を被っているとは、この時まで私は思っていなかったので、登志子の信仰を問題視する必要もなかったというのが実態だった。
我が家は私の給料だけで家計のやり繰りをしている普通のサラリーマン所帯で、銀行口座の管理や日常的な家計は全て登志子に任せきりで、はずかしい話であるが、私は家計がどうなっているか全く知らない状態であった。
後で判ったことであるが、登志子は10数年の間に玉串料や各種献金、お供え代、式典参加費等という名目でこの宗教団体(神慈秀明会)に約200万円の献金をしていた。もちろん200万円ものお金を一度に献金したら、いくら鈍感な私でもわかるが、毎月1万数千円づつ出し続けていたため、特に家計簿等もつけておらず、家計を全て登志子にまかせきりにしていた私はこの時まで全く気付かなかった。
しかし、なぜ彼女は私に隠してこのような献金を続けていたのだろう? 私と彼女の夫婦関係はごく平凡な普通の状態であり、これまで大きな夫婦げんかをしたこともないし、1年に1度くらいは家族で旅行に行ったり、日常の買い物にもよく家族で出かけ、たまには家族で外食をしたり、家族で映画を見に行ったり・・・と、世間から見ればごく平均的な仲のよい家族といった感じであったと思う。実際、私自身としても彼女に対しては部屋の片づけをしない点が不満ではあったが、それ以外では特に不満もなく暮らしてきた。
彼女も日常的な食料品や衣類などの買い物以外で少々値が張る買い物をする際には事前に私の同意を求めてから購入するのが常になっており、このように毎月10,000円以上の出費を固定的に続けるならば、当然私の同意を求めた上で出費を行うはずだ。
それをあえて私に隠れてこうした出費をするのには、よほどのやましい理由でもあるのかと考えずにはいられなかった。