会主は自分から医者にかかっていた

 以下の文章は、会主(小山美秀子)が、秀明会機関誌「楽苑」の「奇跡の水特集号」巻頭に書いた文章である。
 「珍の神業(うずのかむわざ)」と題する以下の文章を読んでみると、会主が転んでケガをした際に、自分から医者に診てもらっているのがわかる。
 信者には、「浄霊だ」、「奇跡の水だ」、「医者いらずの水だ」と言っておきながら、自分がケガをしたときは、自ら進んで医者に足を運び、レントゲンを撮ってもらったり、診察を受けている。なんとも滑稽な姿である・・・。
 恥ずかしくもなく、この文章をこの本に掲載したのは、転んでケガをした割には「奇跡の水」のおかげで早く治ったということをアピールしたかったのだろうが、本場「ルルドの泉」の判定基準から見ると、こんなものは奇跡でも何でもなく、歳の割には会主の骨年齢が低かったため、比較的早期に治っただけのことでしかない。
 会主のこのケガが「奇跡の水」をつけた瞬間に治ったのなら、それは「奇跡」かも知れないが、1カ月も時間があれば、大抵のケガは快方に向かうものである。会主のケガも瞬時に治すことができなかった「奇跡の水」は、ただの水道水でしかなかったことを証明しているようなもので、こんなものを恥ずかしくもなく機関誌に掲載し公表するとは、その神経が疑われるところである。
 以下に、その全文を掲載するので、これが「奇跡」であるか否か皆さんに判断して頂きたい。

 明主様は最上の時期を選び浄化を賜わり、
浄霊の神光とみたらしの水の奇跡をまざまざ体験させて下さいました。
会主

世話人会を終えて
 12月21日世話人会を終えて、目前に迫ったご生誕祭までに ご神床を新しく美しくするべく身を浄め、ご神体のご動座をお願いして宗務棟へ行こうと裏口から出たとたん、そんなに急いでいたわけでもないのに、足払いをかけられたように実に勢いよく転びました。
 とっさに左手をつき、あわてて飛び起きました。全身の体重が左手首だけにかかったので、(身体は何ともなかったのですが)手の痛むのは当り前だと思いはしたものの左手を下へさげることはできず、しばらく自己浄霊を頂き、右手で抱えるようにしてご用をすませ会長宅へ帰りました。普段着に着替えようとしましたが、もうその時は動かすのもつらく、無理をして着物はどうにか羽織りましたが、腰紐を締めようとしても手が利かず、力は勿論入りません。仕方なくそのまま坐り込んで弘子が来るのを待って助けてもらい、身仕度もそこそこに帰宅しました。
 早速ご神前に額づきお詫びと共にお許しを乞いすぐ休みました。床に着いても手のやり場がなく、その夜は眠れるかしらと一時は不安でしたが案外に間もなく寝入ったのです。夜中に寝返りの時だったでしょうか、何度かフト痛みに目覚めた程度で、又、すぐ眠れたというご守護を頂き朝を迎えました。前夜よりずっと手は腫れ上がって、物にふれたり動かすととても痛いので、顔を洗うことも髪を結うことも何一つできない有様でした。
 とはいえ、その翌日はご生誕祭ですから、何はともあれ頭髪だけはちゃんとしておかねばと美容院へ行ったのですが、お恥ずかしいことながら、もう着物を着替えることもできず、丹前の上に上っぱりを引っかけたまま出かける仕末でした。美容師さん達がその恰好とむごたらしい手を見てびっくりされ、事の次第を話すと、数年前親戚にあたる私と同じ年恰好の方が転んで骨にひびが入り、治癒に三カ月ぐらいの予測が案外長引いて、半年ほどもかかったと聞きました。素人は骨折よりひびの方がなおりが早いように思えるのですが、そうではなく、むしろ長引くと聞かされました。
 私は学生時代に足の捻挫とバレーボールでつき指をしたことがあり、その程度のことかとも思っていたのですが、一応レントゲンで診てもらおうと思い、日頃はご無沙汰している親戚の医者に連絡をとって出かけました。その結果手首の骨にひびが入っているのがはっきり写り、ひどく熱をもっているからと湿布をされて、動かないように、そして風呂はいけないなど注意をうけました。私も内心これは捻挫ぐらいではないらしい、ひょっとして骨をやられていれば相当長い期間不自由を覚悟せねばならないし、さしあたり明日に迫ったご生誕祭にご用がつとめさせて頂けるかと不安になってきました。然しもうこうなった以上は何もかも一切明お任せする以外どうしようもないと度胸を決めるとかえって心配や煩わしさがやわらぎ、夕刻京都へ行きました。
 早速みたらしの水を頂いて湿布をしたのですが、側にいた会長や家族がただならぬ手を見て驚き、大変心配をかけました。何しろ片手が使えないというのは全く不自由で、何をするのも人手を借りなければなりません。周囲の者達が気をつけてはくれても歯がゆいことばかりでしたが、もしこれが右手であればもっと因りますし、また足や腰骨だったら尚更動けなかったことを思えば、明主様はこの程度の浄化でお許しくださったとむしろ感謝がわいてきました。
 23日には早朝、医者には固く止められていましたが、風呂に入らなければご神前には上れません。どうにか風呂に入り身体を清め先達のご用を辛うじてつとめさせて頂き、見苦しい恰好をお目にかけた次第でした。

明主様の天恵
 さて、大黒様にお参りしてお顔を仰ぐと、何時ものお顔とは違って、ちょうど子供が悪戯をして見付かった時に見せるような、一寸いたずらっぽいお顔で見て下さっておりました。困るだろう、可哀そうに、でも大丈夫だよ・・・・。何かそんなようなお顔付をチラと期待していたので(勝手なことですが)一寸びっくりして、これはどういうことなのかと誰にも言わなかったのですが、不思議に思ったものでした。
 その翌日は三栄子さんの五年祭、その次も、次も、ともかく28日までは京都へ通う日々でした。日が経つにつれて手はますます腫れ上がり、腕まで腫れてくる。その上赤紫とも黒ともいいようのない醜い色に変色し、ところどころ膿色というかいやな色になって、指先までバンパンにふくれ上がり、腐っていくように見えました。指先は一寸物に触れても飛び上がるほど痛くて、着物の袖を通すことすら用心してソーッとせねばならず薄い紙きれ一枚持てませんでした。菓子箱のボール紙を三枚、手の形に切ってはり合わせ副木の代用とし、三角布はこれも風呂敷で間に合わせ、すべて素人の手当てですませました。ただみたらしの水だけは天下広しといえども紳悪秀明会にのみおや乙頂いている天恵のご神水であり、浄霊の神光と合わせ強く感謝とともに頂きました。
一般症状は一向に快くなる気配もみえないのに触れない限りは全く痛みはなく、どうなりゆくか心細い気がしそうなものですが、明王様にお任せした以上はきっとよいようにして下さるに違いないと、達観というわけではないのですが自分の手でありながらクールなつき放したような気持で、浄化の成り行きを見守る日々でした。

珍の神業
 漸く、身体が空いたのが暮れの29日、折り良くこの日が年内の診療最終日に当たっていたので、再診を受けに出かけました。レントゲン撮影で完全に骨はくっついていたのです。なんと素晴しいご守護! 明王様ありがとうございます。思わず合掌しました。
 骨の怪我は幼児や青年ならばなおりが早くとも、年をとるにつれて治癒がおそく大変な日数がかかるとかで、相当期間は覚悟せねばならないと自分自身に言い聞かせていたのできっとキョトンとした顔付をしていたかも知れません。医者も不思議に思ったのか、角度を替えて何度か写し、間違いなくなおっていると言いました。でもそれにしては腫れがとてもひどく皮膚もいやらしい色なので、毛細管の老化を調べてみようということで簡単なテストを受けました。外面は元気に見えても身体の内部が案外老化していてそれがひどい内出血を起こしたのかもしれないというわけだったのですが、テストの結果は年齢の割にとても良いとのことでした。で、余程ひどい転び万というか激しく強く打ったのだ、もう若くはないのだから気をつけなさいと笑いながらの注意でした。そして骨はくっついたとはいえ、まだまだ腫れているし、無理は絶対いけないとのことでした。
 その轟き高なる歓喜の叫びが元且祭のデモンストレーションになったのです。

 今年はも珍の神業世の人の目ぞそば立てん楽しさ思ふも

 12月の中ごろに数多くのお詠の申から何気なく選ばして頂いた元且祭のお詠の一つです。私にとっては予測もしなかったこの浄化を既に明主様はとくご存知でこのお詠を選ばしめ給い、大黒様のお頗を通しお示し賜り、考えれば考えるほど畏くも尊く勿体ないの一語につきます。ありがとうございます。
 ご生誕祭にはお玉串奉奠に左手の扱いにどうしようもない無理があってづらかったのですが、元旦祭には随分楽にして頂きました。年末のあわただしさは何処の家庭も同じですが、不自由ながら私もいくらかでも手数をかけさせまいとウロウロしました。何しろ左手が使えないのでその負担が右へかかって肩や首が凝って気分が悪くなり、普段何気なく両手を使っていることがごく当り前のこととして感謝を伴っていなかったと痛感した次第です。一寸さわっても思わずアッと声が出るように痛んだ指で、こわごわ薄い紙をつまみ上げることができた時の喜び。明主様ありがとうございますと合掌。ごく些細なことでも一つずつ出来た−−−左手が使えた−−−、その度ごとに、明主様ありがとうございます、の連続でした。本当に本当に一刻一刻が感謝の明け暮れでした。
 新年の6日、診療所の開始で三度医院を訪れました。外から見たところ、色はいくらか見よくなりましたが、腫れはまだひいてはおりませんでした。念のためもう一度写してみようとレントゲンでたしかめ、なお医者は自分の手を私の手と並べてかざして写し、ホラ同じですよ。大丈夫と太裁判を押しました

明主様のおはからい
 そして10日慰霊祭にはもう拍手ができ、11日には人手を借りずに自分で着物が着られ、15日には帯さえ結べるようにして頂きました。8日には昼間だけ湿布をはずし、18日からは夜も湿布をせずに休み、丁度27日間みたらしの水の功徳を頂いたことになります。
 過ぎてしまえば僅か一カ月にも満たぬ日数ですが、私の周囲にこんな不幸なことが起こったのです。一人の遠縁の者で、暮れの30日に階段から落ちて頭をひどく打ち、救急車で病院にかつぎ込まれ手当の甲斐もなく意識不明のまま10日後には亡くなりました。また知人の奥さんは部屋で転ばれたのが原因で医療を受け、家庭で安静仰臥のある夜、突然の高熱と激痛に襲われ、今は病院で絶対安静の病床生活とのこと。まだ数カ月かかるらしく、もとのようになおるかどうかわかりません。同じような年代の人達の不幸を耳にするごとに、頂いたご恩寵のあまりにも大きく、素晴しく目頭があつくなってまいります。日ごろ健康な人ほど入信を勧めても言を左右にして体よく断わるものですが、一たび浄化を頂くとかくも明暗二つの道が異なるものかとありがたくもおそろしく思うのでした。

 21日に転び、22日に骨の異状の診断を受けた時は、翌23日のご神体ご動座、それに続くご生誕祭、そして元旦祭と大きな重要なお祭が踵を接している時とて、「何とまあ、えらい時に」、と一時はショックでした。何故このような時にと思うのは人間の浅はかさでした。そういう時なればこそ外傷ですから否応なく参拝の信者方の日にとまり、その経過の如何は誰にも分かるわけで、元且祭に私は思わず心一杯の感動を訴えたのでした。
 最初は浄化を頂く身にはひどくつらい時期だと思ったのですが、後で考えると最高のチャンスだったのですね。私だけではなく、あの包帯を巻いた無恰好な手を見られた方々は、短時日の中にスイスイと快くして頂いたのを実際に見てられますからね。明主様は最上の時期を選び浄化を賜り、浄霊の神光とみたらしの水の奇跡をまざまざ体得させて下さいました。何もかも総て明主様のおはからいの中にあるとしみじみ覚るのでございます。私はこの汚濁に満ちた浮世に住む生身の人間の一人でありながら、かくも素晴しい大安心の境地に居させて頂けるとは何と果報者でございましょう。
 ありがとうございます。

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