その日は勤務の都合上、めずらしく平日の休みであった。子供は学校へ行き、妻の登志子も用事があるらしく、朝から出かけていたので家には私一人だけが留守番をする形となった。
妻の登志子はあまり部屋の片づけをしない人で、いつも家の中は雑然と散らかっていた。
私はどちらかというときれい好きな方なので、そうした登志子の性格には困っていたが、まあそれほど正面衝突をすることもなく、それなりに毎日を暮らしてきた。
納戸ではないのだけれど、登志子が次々と物を放り込むので半ば納戸状態になっている4畳ほどの部屋があった。部屋の中は、まさに「足の踏み場もない」状態と化しており、部屋の奥へ行こうにも、ゴミの山に阻まれ、到底行くことはできない状態であった。
部屋の中は、青色のゴミ袋や紙袋に衣服や食料品、書類、その他あらゆるがらくたが詰め込まれて何重にも積み重なっており、その散らかりぶりは尋常ではなかった。
今日は家の中に私以外は誰もいないので、掃除もしやすい。いつかはこのゴミの山を片付けなければならないと思っていたので、意を決して、今日はこの部屋を片づけることにした。
ゴミ袋をいくつも用意して不必要なものを次々とゴミ袋に放り込んで行った。
2時間も作業をすると、手前の方に置いてあるゴミはかなり整理ができたので、少しづつ部屋の奥の方に積み重ねられていた紙袋の整理に取りかかった。
紙製の手提げ袋に無造作に放り込んだ書類の束が出てきたが、一応中身を確かめてから処分しないと必要な書類などがあったら大変なので、一枚一枚書類を確認しながら、処分しても差し支えないものだけをゴミ袋に放り込んでいった。
書類をめくって行くと、「玉串料10,000円」と書かれた封筒が出てきた。
「えっ?これは何だ?」というのが第一印象だった。
どこかの神社に行ってお払いを受け、玉串を捧げたのかも知れないが10,000円とは少々高額な玉串料だ。
封筒には「御玉串料」という文字の横に、「地上天国献金」という文字も手書きで書き込まれ、妻の氏名も書かれていた。
これが私と神慈秀明会の最初の出会いだった。