広辞苑によると世襲とは、「その家の地位・財産・職業などを嫡系の子孫が代々うけつぐこと」となっている。
個人の卓越した伎(わざ)や文化が親から子へと受け継がれ、貴重な文化が絶えることなく後世まで伝承されていくために「世襲」という制度が果たしてきた役割は大きい。
世襲によって受け継がれてきた文化には貴重なものも多いが、世襲には下記のようなデメリットが伴う可能性も非常に高い。
世襲のデメリットとは
1、視野狭窄
2、権力・財産の独占
3、特権意識の醸成
4、差別意識
などではないだろうか。
1の「視野狭窄」は、特定の家族内での考え方、価値観が世代を越えて受け継がれていくため、自分たちとは違った価値観、世界観で周囲を見渡すことが困難となり、時代の変化や一般の人たちの価値観に対応できなくなる危険性がある。
もちろん、全ての世襲がそうなるということではなく、当人がこうした弱点を克服する努力を意識的に行えばそうした視野狭窄に陥らずに済むことは可能であるが、その為にはかなりの努力を要するであろう。
2の「権力・財産の独占」については多くの説明は要しないであろう。北朝鮮や神慈秀明会など多くの新興宗教においてトップの座が世襲されていく最大の目的は「権力と財産の独占」だ。
インターネットのある掲示板(秀明関係ではない)に次のような書き込みがあった。
「相続税もかからずにすべてを一番かわいい子供に譲れるんだから宗教法人はいいなあ〜」。
小山一族が神慈秀明会の財産を独占するためには誰が何と言おうとも、世襲により会長職を引き継ぐ必要があるのだ。
これまでは宗教団体トップの世襲制に批判的であったS学会も、世代交代の時期が迫ってきたため方針を転換し、トップの座を長男へ委譲するための工作を始めたようである。
3の「特権意識の醸成」は、「小山家の人たちがその顕著な例」と言えば最も分かりやすいだろう。信者から集めた多額の献金を自由に使えるのであるから、「特権意識を持つな」という方が無理なのかも知れないが、下記写真のようなところまで行ってしまうと「時代錯誤」、「常識外れ」、「成り上がり」の謗りを免れない。
4の「差別意識」は上記3の特権意識の醸成からもたらされるものであるが、「自分たちは特別」という特権意識は一般信者の位置を低く見る差別意識へとつながっている。
「信者は奴隷」の記事にもあるように、小山一族は、すでに一般信者は「自分たちを支える下部(しもべ)」という感覚に陥っているので、信者やその家族がどのような悲惨な状況になっていてもそれを平気で見過ごすことができる。
世襲がふさわしくない者
世襲のプラス面を生かして文化が継承されるのは歓迎だが、世の中には世襲にはふさわしくないものも多数存在する。
北朝鮮では金日成から金正日への世襲による政権委譲に続き、今度は金正日から金正男へと世襲によりその権力、財産が委譲されようとしており、日頃は友好的な中国からも批判の声が上がっている。
国家のトップが世襲されるのも異常だが、宗教団体のトップの世襲はどうだろう?
宗教法人として設立された宗教団体の財産はその教団代表者個人のものではない。多くの信者から寄せられた貴重な浄財の蓄積によって教団運営が成り立っているのであるから、その運営は大多数の信者から賛同される方針に則って行わねばならない。
教団トップの世代交代に当たっては、どのような人物が最もトップにふさわしいのかを十分検討し、大多数の信者から賛同を得られるものでなければならない。
たまたま教団トップの子息が他に代わる者がいないほど優れた人物である場合は、その者がトップを引き継ぐことがあるかも知れないが、世襲に伴うデメリットを考えればそれは例外的な対応であるだろう。
神慈秀明会においてトップの座が、小山美秀子を筆頭にして、小山荘吉 → 小山弘子 → 小山玉男と受け継がれて行くことに疑問を呈せず、「神慈秀明会は小山教なのだから当然」という受けとめ方をする秀明信者もいるようだが、自分たちが小山一族の下部(しもべ)、奴隷となって奉仕することを是認する者はそれでいいのだろう。そのようなMの趣味がある者は、とことん秀明会でこき使われ、ボロボロのボロ雑巾のようになることに喜びを見出したらいいだろう。
しかし、神慈秀明会に明主様信仰を期待して集まっている秀明信者は、ここでもう一度秀明会の姿を見つめ直すべきではないだろうか。
小山玉男が次期会長にふさわしい人物であるか否かは私のような外野がとやかく言う筋合いのものではないかも知れないが、アンチカルト掲示板の1770に「秩序…」と題して秀明信者のコンスタンチンさんが書かれているように、小山玉男の青年部委員長就任は秀明会内部の人間でも困惑や反感を生じるほど唐突な話として浮上してきた。
玉男が宗教団体のトップに就任するだけの経験やカリスマを備えているのならともかく、全くそのような資質も人望もないような人物を突然次期会長候補として祭りあげるのは、神慈秀明会が宗教団体などではなく、有限会社「小山教」という個人経営の会社と同等である証拠だ。この有限会社「小山教」は、宗教法人法により税金がかからない特別の会社なのでその経営者は巨額の利益を手中に収めることができる。
巨額の献金収入を今後も小山一族だけで独占するために、小山玉男を時期会長にしようと担ぎ上げているのだ。
神慈秀明会を宗教だと思うから世襲がおかしくみえるが、「非課税の元手いらずのボロいゼニ儲け商売」と思えば個人経営の企業のように世襲しても何ら不思議ではない。
他の多くの記事でも述べているように、神慈秀明会には明主様信仰をしようとする意志はなく、この団体は「明主様を利用した小山教」という「宗教のフリをした金銭収奪カルト」でしかないことを再確認すべきだ。
「離脱の神意」とは、「世界救世教に上納金を吸い上げられるのがもったいない」と思った小山美秀子が秀明教会を分離独立させ、利益の独占をもくろんだものでしかない。
おせっかいと思われるかも知れないが、敢えてここで再度言わせて頂く。
「明主様信仰」という名称を利用しているだけで、実際には明主様とは関係ない信仰を強要している神慈秀明会に属していても、あなたは絶対に幸せにはなれません。
神慈秀明会が小山玉男を次期会長にしようとしているのは、小山家が秀明会の資産を独占し、今後も信者から浄財を吸い取り、これまでのカルト路線を今後も継承しようとしている動きなのです。「秀明会を真の明主様信仰に戻したくはない」と言っているのことの表れなのです。
秀明会が今後も現在の方針を変えないことが明らかとなった今、あなたは一刻も早く秀明会と縁を切り、新たな生活をすることがあなたの幸せにつながる道です。
すでに多くの秀明信者の方がそれを実行し、平穏で幸せな日々を送っておられます。