私は神慈秀明会を研究する目的で多くの秀明紙を読んできた。少なくても通算150号程度の秀明紙には目を通している。
秀明信者も繰り返し秀明紙は「拝読」し、秀勉では「線引き」までして熟読してきたであろうが、私はそれとは違った観点からではあるが随分しっかりと秀明紙を読んできた。
私はそのようにしてたくさんの秀明紙を読んだ結果として、あることがずっと気になっていた。
秀明紙に登場する若者達
秀明紙には若い信者が体験発表をしたり、意見発表したりしている姿が顔写真入りで繰り返し掲載されている。
その表情を見ていると、どの若者も本当に真摯な面もちであり、紙面に書かれている彼らが述べたとされる意見はとても真面目で、なおかつ秀明信仰を賛美する言葉が満ちあふれている。
秀明信仰に浸り、秀明信仰に嵌り、秀明信仰に生きているかのような多くの若者の姿がそこにはある。
なぜ?どうして?彼らはこのようなカルト信仰に疑いを持つこともなくこのようなカルト賛美の言葉を発することができるのだろうか?
彼らとて学校へ行けば他の一般の学生と話をしたり、家では新聞を読んだりテレビを見たりする普通の時間も持っている筈で、そうした日常の中でなぜ秀明の異常性に気付かないのだろう?
それがカルトのマインド・コントロールというものであり、若者の心は浸食され、カルトの荒唐無稽な教えを信じ込まされた結果なのかも知れないが、こうした若者が『真実』に気づくことはもうないのだろうか・・・?
将来のある若者がこのような場所に留まり、「地上天国」の実現等という絵空事に心を奪われている姿を見るのは、痛々しく思えてならなかった。
私がこのような発言をすると、「それは個人の信教の自由であり、他人がとやかく言う問題ではない」と反発されるかも知れないが、私はカルトを信ずることまでを信教の自由で包括してしまうことは誤りだと思っている。
カルトは宗教の仮面をかぶった犯罪者集団であり、カルトに属することが個人の幸せにつながることはない。
私がこうしてアンチ秀明の旗を掲げて活動を続けているのは、こうした将来のある若者を一人でも多くカルトから救い出したいという思いがあってのことである。
秀明信者からのメール
そうした思いを抱いている私の所へ一通のメールが届いた。
メールの差出人は、現役秀明信者の慶子さん(仮名)という女性だった。
慶子さんはいわゆる「信仰二世」と呼ばれる人で、彼女が小学生の頃に親が入信し、ご神体・お屏風観音様も家にあるのが当たり前という中で育ち、夜、眠る前にはジュニア用の明主様絵本を読み、小ひかりもいつも首にかけているのは当然のこととして育ってきた。
彼女は中学校に進学すると同時に、新中生として秀明会に入信し、学生部では数々の輝かしい成績を上げていった。
当時は未信者浄霊が盛んに推奨された時で、秀明では「未信者浄霊数ベスト10」等のランキングを付けて信者に浄霊実施数を競わせていたが、彼女はそうした場面でも常に優秀な成績を上げていた。
慶子さんのそうした功績が認められ、本部月次祭では当時の学生部の信者としては快挙と言われていた会主・会長の前での感謝報告も行い、そうした姿が秀明紙に載ったこともあった。
彼女のメールには更に詳しい活動の様子が書かれているが、その詳細を全てここに掲載することは彼女の個人特定につながるおそれがあり、まだ彼女は現役秀明信者であるので、個人特定がされると彼女にとってそれは好ましくない状況になるおそれがあるのでこれ以上具体的には書くのは遠慮させて頂くが、以上の文面からも、彼女が秀明会の中でこれまでは率先して活動をしてきたことが分かる。
これまで熱心に秀明での活動をしてきた現役秀明信者の慶子さんがなぜ私にメールを送ってきたのか?
それは、あるとき彼女は秀明の活動に疑問を持ったからだった。
慶子さんの青春時代はその大半の時間が秀明の「御用」で埋め尽くされていた。学校に通っている時間以外は秀明の活動に費やされ、少しでも彼女が学校の友人と遊んでいたりすると、即座に「邪神にヤラれている」、「曇っている」などと周囲から罵倒されていた。
秀明を理解しない人を、「すでに救われない側に運命付けられた人」と決めつけ、何か不幸があれば、すべて「浄化」、「曇り」のレッテルを貼り付け思考停止状態となる周囲の信者達。
彼女は、こうした周囲の信者達の言動・行動を観察する中から徐々に秀明に対して疑問を抱くようになっていった。
慶子さんは大学生になった。彼女は秀明に疑問を感じ始めてはいたが、まだそれは決定的なものではなく、彼女の心の中では秀明での美徳とされていた「世界布教に行く」という夢を抱いていた。彼女はその夢を叶えるためには大学を卒業し、優秀な人材となって世界布教に行きたいと思って大学へ進学した。
当時、彼女が属していた大学生部では自己放棄が何よりの美徳とされていた。
彼女の周囲の者は、大学へ行かずに支部に泊まり込んで秀明の活動をしている者(自己放棄している者)が多数であったが、「教師になりたい」という夢も持っていた彼女は自己放棄をせず、短期間の支部での合宿には参加するものの大学生活と秀明の活動を両立させていた。
自己放棄をしない彼女に対し、教師や担当助教師、リーダー、大学生部の仲間達は、「あなたは邪神に負けている愚かな人間だ」と責め、彼女が必死に時間のやりくりをつけて日参しても周囲からは冷たく扱われ、大学生部の中では不良信者のように扱われる状態だった。
慶子さんにとってこうしたつらい状態が続いていた時、ある、「決定的」なことが起こった。
「涙の講話」である。彼女もその場に臨席していたが、会長の話を聞きながら彼女は、「やっとわかったか!」と思った。
この出来事があってから秀明内での指導者達の態度が変わった。
秀明を理解しない未信者は、「すでに救われない側に運命付けられた人」だったはずなのに、今度は言うことが180度変わり、「未信者に尊敬される社会生活ができてこそ、本物の信仰者だ」とされた。
この前までは自己放棄を最高の美徳とし、大学に通っていた彼女を「邪神に負けた愚かな人間」と決めつけてきたのに、今度は今まで自分達の指導で自己放棄をさせていた者達に向かって手のひらを返したように、「大学へ行け」という。
今までの秀明会指導者の指導は一体何だったのか・・・?
この時点で、彼女は秀明会から離れるようになった。
布教活動中、指導者から彼女らに盛んに言われていたのは、「美術館ができれば、世界中の人が神慈秀明会を知る」ということだった。彼女もこの言葉を信じて、どれだけ迫害されようとも、馬鹿にされようとも、神慈秀明会の教えを世界中の人たちに広めたいと思い布教してきた。いずれ、みんながわかってくれるのだと信じて・・・。
しかし、いま慶子さんは言う。『でも、今現在、私の周りに神慈秀明会を知る人は誰もいません』。
秀明信者の覚醒
慶子さんが私にメールを送ってくれた理由について、彼女はこう述べている。
『物心つく頃にはすでに洗脳されていた私のような信仰二世でも、それを疑問に感じ離れていくことがあるという事実を知って頂きたかったのです』。
私は、彼女からのメールを見て、少し気持ちが軽くなった。
十分な判断力のない子供の頃から信仰二世として秀明思想を刷り込まれ、正常な判断能力を奪われたかに思えた若者の中にも、こうして自らの力で秀明の誤りに気付き、秀明から去っていく者がいる。過去に秀明紙に登場し、秀明紙の中で声高らかに秀明を賛美していた若者の中にも、時間の経過とともに秀明の誤りに気付く者がいることを知り、『人間は変わるものなのだ』と改めて思った。
慶子さんはこれまで数々の秀明の表舞台に立って積極的に活動し、本部での意見発表や秀明紙に掲載されたことなどを「栄誉なこと」と受けとめてきたが、いま自分の過去を振り返ったとき、それらの栄光は色あせ、「今となっては、栄誉なことだったとは全く思っていません」と述懐している。
慶子さんはこうして自らの力で秀明思想からの脱却を果たすことができたが、彼女の秀明学生部時代の友人のほとんどは、現在、本部奉仕者となっている。秀明の中での「エリート信仰二世」となっている彼女の友人達から見ると、慶子さんは 「途中で曇ってしまった、かわいそうな人」となるのだろうか?
でも、本当にかわいそうなのは本部奉仕者として未だに秀明から逃れられない人たちなのではないだろうか。
秀明のマインド・コントロールは巧妙で、恐怖信仰によって彼女の心の奥深くに植え付けられた秀明思想が完全に消え去るにはまだ多くの時間を要するかも知れない。しかし、彼女は自分のこれからの生き方を決めた。慶子さんからのメールは、次の言葉で締めくくられていた。
『私はまだ 「おひかり」を処分する勇気はありませんが、自分なりに秀明とは距離をおいて生きていくのが賢明なのだと思うようになりました。貴殿のサイトの存在を知ったことで心が軽くなりました。微力ではありますが、この活動のお役に立てればと思っております』。
(以上の文章は、平成17年6月に慶子さんから送られてきたメールを基に構成しました)