子どもの美術教育をサポートする会

 文部科学省のHPに滋賀県にある子どもの美術教育をサポートする会に関する記事が掲載されている。下記枠内の文章はその一部だ。

3. 活動のきっかけ・問題意識
【 経緯】
 代表の津屋氏は、美術教育が子どもたちの精神性を高めることになるという思いから、東京の世田谷美術館で教育ボランティアを行なうなど研鑚を積んでいた。1999年に滋賀に移り住んでからは、県立近代美術館や県立陶芸の森美術館などでボランティア活動を開始し、その中で、すべての子どもたちに本物の美術・芸術に触れる体験を与えるためには、学校との連携が不可欠であるとの考えに至った。
 そこで、草津市の地域協働合校(がっこう)の取り組みに参加し、美術教育専門の小学校校長と出会った。そのことをきっかけにして、2000年1月に同会を設立した。
【 活動のねらい】
 理念は「すべての子どもたちに本物の芸術に触れる機会を与え、豊かな感性と心を育てる」というものである。



 上記文章中に、「代表の津屋氏は・・」という説明がある。この代表の津屋氏とは誰か? 「子どもの美術教育をサポートする会」や津屋氏の名前はあ〜と・ねっとしがのHPでも見ることができる。
 これらのHPを見る限り「MIHO美術館」などの名称は見えるもののそれほど色濃く宗教色が打ち出されている訳ではない。
 ところが、この代表の津屋氏は下記に示す通り、神慈秀明会・助教師の肩書を持つ神慈秀明会の現役信者だ。子どもの美術教育をサポートする会の主要構成員の多くは神慈秀明会信者であることを津屋氏も認めている。
 同会は滋賀県下の小学校等に言葉巧みに取り入り、「こどもの美術教育サポート」という美名に隠れて教育の現場に秀明会信者を送り込むことに成功した。教育サポートと言えば聞こえは良いが、その実態は神慈秀明会信者が教育サポートという見てくれの良い隠れ蓑をまとっただけに過ぎない。
 学校教育の現場がいつの間にか神慈秀明会というきわめてカルト色の強い新興宗教団体に利用され、子供達は親の知らない間に神慈秀明会に対して良い印象を持つように洗脳されてきたのが「子どもの美術教育をサポートする会」の活動実態だ。

 こうした実態を知った私は数年前に滋賀県教育委員会に対して通報と抗議を行った。その結果それまで小学校などで行われていた同会の活動はその後中止されたと認識している。

 新興宗教やカルトが新たな信者拡大を図る際、その宗教的正体を隠してそっと近づくのは常套手段だ。彼らはまず、”人脈”を作ることを最優先する。「こどもの美術教育サポート」という切り口で人々を安心させて教育現場に入り込み、そこで得た人脈を様々な形で利用して信者拡大を図る可能性はきわめて高い。記事中にもそれを明確に裏付ける記述がある。
 神慈秀明会はこれまでも多数のNPOを立ち上げNPOを表看板にした活動を行ってきた。今回の問題でもNPO法人秀明自然農法ネットワークが「子どもの美術教育をサポートする会」の活動に参加していることが記事中で明らかにされている。



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 文部科学省もこの秀明紙2005年8月1日号を見れば自分たちが秀明会に利用されていたことに気付くだろう。さっそく文部科学省にこの秀明紙を送付し判断を仰ぐことにしよう。


 これを見た津屋氏からはきっとこんな反論がくるだろう。

 「こどもの美術教育をサポートすることのどこに問題があると言うんだ?私たちは批判されるようなことは何もしていない」。

 一連の活動が純粋に子供の美術教育をサポートすることだけを目的として活動しているのであれば何ら批判されることはない。美術教育や子供の教育に積極的な他の団体(宗教的背景を持たない団体)が同じような活動をしているのであれば特に問題視されることはないだろう。
 問題なのは「子どもの美術教育をサポートする会」の主立った構成員が津屋氏を筆頭にした神慈秀明会信者であり、活動の随所でMIHO美術館や神慈秀明会が作った「しがらきの里」などの施設が使われ、巧みな方法で子供達への”秀明すり込み”が行われてきた点だ。
 これは「美術教育サポート」を口実にして神慈秀明会に対する警戒感を薄めて行くことを狙った活動であり、更には一連の活動を利用して信者拡大をもくろんでいた事実もある。秀明紙の記事中には、「そして活動する中で個人的な悩みを聞くことがあり、そこからご浄霊や参拝が許されています」と明記されており、「子どもの美術教育をサポートする会」を利用した信者拡大が実際に行われていたことが明記されている。まさにこれが「こどもの美術教育をサポートする会」の実態だ。

 津屋氏やその他スタッフは自分たちが神慈秀明会信者であることを明らかにせずに「子どもの美術教育をサポートする会」を運営してきた。
 秀明紙の記事中、津屋氏は、「地元の方とお話しをしていくなかでMIHO MUSEUMに対して宗教的な偏見が根強くあることを感じ愕然としました」と述べている。津屋氏はMIHO MUSEUMに対する厳しい見方がどこからくるものであるかを考えたことはあるのか? 神慈秀明会が過去に行ってきた犯罪行為がその根源にあり、その精算ができていない中で美術館の運営をしたり、こどもの美術教育を行ったり、MIHO美学院高校を作るような資格があるとでも思っているのか?
 MIHO MUSEUMや一連の活動に対して厳しい意見が出るのは、神慈秀明会が自らの行為に対して何らの反省もしていないからであり、津屋氏は神慈秀明会の実態を知っているからこそ子供の保護者や教育関係者の前で正々堂々と、「私や主要スタッフは神慈秀明会信者です」と身分を明らかにすることができなかったのだろう。


 秀明紙の記事中には、「信仰は信用なり」が大切だと書かれている。神慈秀明会が真に信用に足る団体であればこのような批判サイトも存在しないし全国各地で集会所建設反対運動が起こされることもないであろう。
 過去に数々の大きな問題を引き起こしてきた団体が過去を払拭し社会的信用を得るには何をしなければならないかが全く分かっていないのが神慈秀明会という団体だ。「秀明会の常識は世間の非常識」が払拭されない限り秀明会が社会的信用に足る団体になることはあり得ない。
 宮崎市の集会所建設反対運動では数万件もの反対署名が集まっている。数万件の反対署名を無視して集会所建設を強行する行為は信用を得るどころかますます不信感を高めるだけでしかない。


(注)
 「子どもの美術教育をサポートする会」の構成員の中には神慈秀明会とは全く関係のないメンバーもいたことは事実です。純粋に美術教育を考え、美術教育や子供の教育に積極的な活動をしていた宗教的背景を持たない人達もいたのですが、津屋氏らは巧みに会を利用して一般人を神慈秀明会へ誘導しようとしていたものと思われます。
 その後、津屋氏は自分の氏名の表記方法をひらがなに変えたり、下の名前を別の漢字にするなどして自分の存在を隠しながら活動を続けており、現在は滋賀次世代文化芸術センターに席を置いているようです。


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