神慈秀明会ハンドブック38頁、「何のための入信か」には、
生きた宗教は、この世を天国化する力と使命をもっています。この世(現界)に生きている間に救われない者が、あの世(霊界)で救われるはずがないのです。私たちは地上のすべての人を救う使命を頂いての入信であることを深く覚らせて頂かなくてはなりません。
同じく38頁、「何をさせて頂くのか」には、
明主様のみ弟子としての私たちは、一体何をさせて頂いたらよいのでしょうか。一口に言うと、人を助け徳を積むことなのです。だれにでも気軽に明主様の超奇跡を語り伝え、ひとりでも多くの人々を永遠にお救いすることなのです。きのうまで苦悩にあえいだり、人間の使命を知らなかった人を、あすからは、悩む人々や、無目的の人々を救う側に立たせてあげることなのです。そのように、その人たちの生き方や立場を百八十度変えさせて頂くことが、その人たちを永遠に救うことになるのです。ためらわずおくせず、どしどし実践させて頂きましょう。そのほか、本部、支部、出張所などでのご用は、進んでさせて頂きましょう。
また122頁、「世界にはばたく信仰」には、
私たち神慈秀明会の信者は、明主様から頂いたみ力をしっかと抱き、この曇りに曇った世界と、人類を浄化しなければなりません。私たちは世界にはばたくみ力を明主様からさずかっているのです。
会主様・会長先生は、昭和四十九年ローマ法王と謁見。翌年ピネドリー枢機卿が本部を親善訪問されました。神慈秀明会は世界的宗教へと歩み出したのです。明主様は世界的宗教発展への道を私たちに開いてくださいました。明主様のみ力は絶対です。神慈秀明会こそ、全人類を救う力を持つ、奇跡の超宗教です。私たちは胸いっぱいに希望をふくらませ、全信者うって一丸となり、信仰情熱を燃え立たせ、世界救済の龍巻を巻きおこし、梅花=倍加。同行二人、遊行の大デモンストレーションと、そして病貧争絶無の世界、地上天国建設に天駈けり国駈けて、世界にはばたきましょう。
以上のような使命を自覚していたからこそ、平成8年までは人目をはばからない街頭布教、無差別個別訪問、職場や学校での布教活動などが行われてきたのであろう。
しかし、平成9年以降のいわゆる「新体制」と呼ばれるようになってから彼らはこうした布教活動を一切取りやめている。
新体制とは言っても宗教団体であることをやめた訳ではなく、体制変化に伴って教義の変更があった訳でも全くない。
多少の体制変化があったにせよ、宗教団体として自分たちがこれまで信じてきた、「地上天国」の実現という中心的目標が変わったり、無くなった訳ではない。一日でも早く地上天国を実現したいのであれば、幅広く布教活動を行い、多くの人々に自分たちの教義の正しさを理解してもらい賛同者の輪を広げて行かねば到底地上天国は実現しない。
にもかかわらず、そうした布教活動を一切取りやめたということに対して、彼らの内部でも自己矛盾を感ずる者はいないのであろうか。
国連NGOへの参加や自然農法、NPO活動など、目先を変えた新しい活動に取り組んでいるようなパフォーマンスで信者の目を欺く前に、神慈秀明会がするべき活動がほかにあるのではないか? 「世界にはばたく」というような大風呂敷を広げる前に、地道な国内での布教活動に専心するべきなのではないか? 日本国内で正々堂々とまともな布教活動ができないような怪しげな団体が、世界へ羽ばたくことなどできる筈もない。
神慈秀明会は、「地上のすべての人を救う使命」を忘れたのか?
滋賀県の山奥に教団施設がほぼ完成したことで、「地上天国の雛形が完成した」等と言って安閑としていてよいのか?
「最後の審判」が「目睫」に迫っているのではないのか? そう言って信者の危機感を煽り自己放棄をさせ、サラ金から金を借りさせ献金を強要してきたのではなかったのか?
神慈秀明会信者に対する強引な献金強要などにより多くの被害者が発生し、被害者からの声が大きくなったことと、オウム真理教事件などによりカルトに対する世間の風当たりが強くなったので、新体制などと言って活動を控えたのであろうが、本当に自分たちの教義の正しさに自信があれば、「我々はオウム等とは違った正当な宗教だ」と言って正々堂々と信ずる道を歩むのが本当の宗教者の取るべき態度である。しかし彼ら秀明会幹部は自らの欺瞞体制に気づいていたからこそカルトと名指しされることを恐れ活動を縮小さぜるを得なかったのであろう。
「ためらわずおくせず、どしどし実践させて頂きましょう」と信者を鼓舞してきたのに、幹部自らが「ためらい、臆した」ために新体制という隠れ蓑をまとった事実は神慈秀明会がエセ宗教であることを如実に現している。
これまでも信者に伝えてきた内容と秀明会幹部の行動との間には数多くの矛盾があった。信者には、「利他愛」を強調して教えておきながら、秀明会内部では信者に対する無節操な献金強要が平気で繰り返されるなど、数多くの利他愛に反する幹部の行動があった。
特に今回指摘した、神慈秀明会の根本的教義である地上天国の実現に逆行する布教活動の停止は宗教教団として最も重要視すべき課題の放棄である。宗教団体の生命線ともいうべき布教活動を停止している神慈秀明会にはもはや宗教団体としての存在価値もない。
行きがかり上、そう簡単に秀明を捨てる訳にも行かず、同族意識という温床に浸る目的でかろうじて現在も秀明会に留まっているわずかな信者から金を集めて自転車操業をしている下降曲線上にあるのが現在の秀明会である。
「地上のすべての人を救う使命」は一体どこへ忘れてきたのか。
このような神慈秀明会の現状を教祖が知ったらさぞかし嘆き悲しむことであろう。
まあ、教祖・岡田茂吉は単なる教団の飾りでしかなく、実態は「小山教」でしかない営利団体にとっては教祖の教えなど、もうどうでもいいことなのかも知れないが・・・。