ブラジル人が見た秀明会

(以下の文章はメールにより投稿されました。本人の国籍や拠点を明らかにしているのはご本人の意思によります)

1、私の生い立ち
 私は日系三世のブラジル人です。
 神慈秀明会に所属していた期間は11年間に及びます。

 私の父は日本人ですが、日本のことは何も知りません。父は小さいときに親に連れられ、ブラジル移民の船に乗りました。父はその船上で満1才の誕生日を迎えました。ですから、父は日本生まれなのですが日本のことは何も覚えていないのです。
 父はブラジルで私の母(日系二世)と知り合い、結婚し、私が生まれました。
 そして私は出稼ぎのためにブラジルから日本にやってきました。
 私は日本に来て、現在の妻と巡り会い結婚し、子供も生まれました。

 ブラジルには百数十万人の日系ブラジル人がいますが、ブラジル経済の問題もあり、私のように日本へ”デカセギ”に来るブラジル人もたくさんいます。
 ブラジルの日系社会の中には色々な宗教が根付いています。その中で世界救世教はかなりの信徒数を確保しており、私の祖母、父母、兄弟も信者でした。ブラジルでの世界救世教の歴史は51年(1955〜2006)になるそうです。

 日本にやってきた私が神慈秀明会に入ったのは、秀明会の”実践”で勧誘されたためでしたが、私は祖母などの影響で、”明主様信仰”に対するなつかしさもあり、”明主様信仰ならどこでも同じだろう”という軽い気持ちもあって、秀明会に入ることに何のためらいもありませんでした。

2、国際部での仕事
 こうして神慈秀明会に入った私は、”国際部”の所属となり、翻訳や通訳の仕事をしてきました。
 国際部で御教えの翻訳(日本語からポルトガル語へ)の仕事をしていたとき、当時国際部の責任者であったH氏から、「この文は、ポルトガル語秀明紙読者の為に、特別に訳されたもので公式のものではありません」と記載してくれ、と依頼がありました。
 それを聞いて私は大きな疑問を持ちました。国際部の正式な仕事として取り組んでいるポルトガル語への翻訳なのに、なぜそのような注釈をつけなければならないのか?
 数多くの明主様信仰を実践している宗教団体の中で秀明会が最も忠実に明主様信仰を実践し、世界に羽ばたく宗教になるための活動をしているというのであれば、より多くの外国人にも明主様の御教えが広まるようにしなければなりません。そのためには翻訳の仕事は絶対に欠かすことのできない仕事です。私も御教えを翻訳するためには何度も何度も御教えを読み、その意味を考え、できる限り正確に明主様の意図が伝わるようにポルトガル語に訳していました。とてもその作業は大変でしたが、繰り返し繰り返し御教えを読んだおかげで御教えを通して明主様が何を伝えようとしているかを把握することができました。

 「・・公式のものではありません」という不条理な注釈をつけることに納得が行かず、当時名古屋支部国際部責任者をしていたM氏に抗議し、なぜそのような注釈が必要なのか説明を求めました。M氏の答えは、「明主様の文字は一字一字生きた文字なので変えてはいけないので」という答えでした。
 日本語から他の言語に翻訳することによって明主様の御教えはその意味を失うというのであれば、明主様の御教えが世界に広まることなどあり得ません。日本人以外が明主様の御教えを学ぶためにはまず日本語をマスターし、それからでなければ御教えを学ぶことはできないことになってしまいます。こんなバカなことがあるでしょうか? 

 確かに明主様の御教えには、「私の書いた文字を粗末に扱うと・・・」という注意が書かれていますが、それは明主様の御教えを無視したり御教えとは違うことをするのを戒めている言葉であり、御教えをより多くの人たちに広めるための翻訳まで禁止するような意味ではないはずです。
 「文字」、「文言」そのもののオリジナリティーにこだわるのであれば、聖教書に書かれている文字・文言は全て正しいのでしょうか? 明主様が書かれた原文のままが聖教書には再現されているのでしょうか?
 聖教書の冒頭にある、「神慈秀明会とは何ぞや」にしても、明主様がご在世中にそのような言葉を述べたり、書いたりしたのでしょうか?
 神慈秀明会が発足した時には明主様はすでに亡くなっており、明主様が、「神慈秀明会」という名称を述べたり、書いたりすることはできなかったはずです。明主様が書かれた原文と聖教書に書かれている文章とでは随所に改編がされており、あのように勝手に明主様の書いた文字・文言とは違う言葉にすり替えられた聖教書は、それこそ、「正式なものではありません」と注釈をつけねばならないことになります。
 私はこうした疑問を率直に支部の責任者にぶつけましたが、いまだにその答えは返ってきていません。

3、おかげ話
 私は、一講、二講での通訳もしていました。あるとき、一人のブラジル人女性が自転車に乗って仕事場へ向かう途中で他の車が自転車の後輪に接触し、その女性は転んでかすり傷を負った事故がありました。
 その話を聞いた秀明講師のH氏は、さっそくその話を他のグループの講話で話して聞かせたのですが、H講師の口から出てきた事故の内容は、「自転車に乗っている時、車にはねられたのですが明主様のおかげで奇跡的に助かりました」という、実際の事故とはずいぶん違った大げさな話になっていました。私は事実を知っていましたので、そのように大げさな内容に改変された話をそのまま通訳するのは抵抗がありましたが、通訳の仕事とは話者が話した通りの内容を翻訳して伝えることなので、不本意ながらもH講師の言ったとおり訳してしまいました。
 いま思い返すと、あのような行為は私が他の信者を騙したような感覚を覚え、心の中に後悔が残ります。

4、自然農法
 神慈秀明会は、ブラジルのサンパウロに拠点を設け、自然農法の普及を図ろうとしています。
 下記の、ポルトガル語で書かれた「国際部自然農法」という文書は、ブラジル人向けに神慈秀明会が発行したものです。これを日本語訳したものは一切発行されていません。もし、この文書の日本語訳が出されていたら、その内容から大きな問題になっていたでしょう。下記右側の翻訳は、今回、私がその一部を訳したものです。

ポルトガル語の「国際部自然農法」 「国際部自然農法」の一部を翻訳
上記画像をクリックすると大きくなります

 上記に書かれているのは、次のような内容です。

 ブラジルで自然農法を広めるためには50,000平方メートル以上の土地が必要だ。その土地はサンパウロ市都心部に近く、電気や電話が使え、幹線道路にも近く、乾燥期でも十分な水源が確保でき、年間平均気温22度が保て、冬には霜が降らない土地を確保する必要がある。
 その土地を確保し、ブラジルの地で「自然農法という芸術」を推し進めるためには秀明信者の助成がないとそれを行うことができない。
 特に土地を買うための資金援助が必要だ


 秀明の「自然農法」とは、何と贅沢な自然農法なのでしょう。上記のような条件が整っている土地がないと自然農法はできないのでしょうか?
 このような条件が整っている土地は、とてつもなく高額で、ブラジル人が一生働き続けても買えるようなものではありません。
 一生ブラジルで働いても十分な収入が得られないから日本にデカセギに来たのですが、日本は物価が高く、生活はとても大変です。
 生活苦にあえぐブラジル人信者から、「自然農法」という名目で高額の献金を集め、上記のような贅沢な環境で「自然農法」を実現することにどんな意味があるのでしょう? 例えこのように恵まれた土地で「自然農法」が成功しても、それは神慈秀明会の「自然農法」の広告塔になるだけで、ブラジルの乾燥し、痩せた土地しかない一般農民には何の役にも立ちません。
 一般市民、一般信者にとっては「絵に描いた餅」にしかならないのが秀明の「自然農法」の実態です。

 上記の文書が意味する本当のところは、「サンパウロの拠点を作るためには金が必要なのだ」ということを皆に印象づけるために出されたものです。神慈秀明会の中には自然農法を名目にした献金集めに違った意味で、「期待」を寄せている者達がいるのです。日本で集めた献金はブラジルではその何倍もの価値があります。
 その金に目を付け、狙っているのは日本人だけではなく、私と同じブラジル人の中にもそうした者がいるのは残念なことです。

5、人救いの信仰とは
 ブラジルには、”人10人集まれば、10の考え”という言葉があります。秀明会には勉強会等いろいろなグループで話し合いをする機会がよくあるので、こうした話し合いの場で信者からの意見を聞き、どのような方向に秀明会が進んで行くべきかを話し合うことが大切だと思います。
 しかし、秀明会では1人の考えが9人に押しつけられており、間違った明主様信仰の解釈がまかり通っています。このようなことが繰り返されてきたからどんどん信者は秀明会から離れていったのだと思います。
 本来あるべき明主様信仰とは違った方向に神慈秀明会が突き進んでいったのは、明主様と我々信者の間に割り込んできた秀明の指導者達が、一方的に偏った考えを信者に押しつけてきた結果です。
 その結果、現在の神慈秀明会は、”人救い”という、明主様信仰が本来持っている信仰からは遠ざかった存在になってしまいました。神慈秀明会は、もっと信者の声に耳を傾けるべきです。数百億円もの立派な美術館を建てるよりも、もっと身近に救うべき人たちがたくさんいる筈です。
 美術館のガラスケースの中に数億円のお皿を飾るよりも、100円ショップのお皿にご飯をのせて困っている人たちに配る方がどれだけたくさんの人がお皿をお皿としてその値打ちを実感するでしょう?
 真の「人救い」とは、高価な美術品を立派な美術館に並べてその”美”を見せびらかすことではなく、そのようなお金があるのなら、それをマザーテレサの活動にでも寄付して役立ててもらう方がよほど、”美しい”行為です。

6、貧困層
 日本人にとっての3万円と、ブラジル人にとっての3万円は全く意味が違います。秀明会への入信献金は、ブラジル人に対しても日本人と同じ3万円です。この3万円の入信献金はブラジルではよほど裕福な家庭しか出すことができません。
 貧困層が多数を占めるブラジルで、秀明会の入信献金が日本と同じ3万円に設定されているのは、「金持ちしか救われない」ことを意味します。
 ”世界に羽ばたく宗教”である筈の秀明会が、このような現地の事情を無視した献金額の設定をしているのはどう考えても納得できません。
 ブラジルでは、”今日”を生きるために必死に働くものが数多くいます。”明日”のためではないのです。”今日”を生きるだけで精いっぱいなのです。働きたくてもその仕事すらないものも多数います。病気になってもお金がないので病院に行けない、薬を買うお金もない人がたくさんいます。
 そうした人たちがどうやって生きているかと言われると、「神を信じて祈りながら生きていくしかない」のです。そういう人たちが大半です。
 私のように、日本に”デカセギ”に来ることができる者はブラジル人の中では恵まれている存在です。日本で稼いだお金を持って帰り、ブラジルであれこれと始めたりすることもできます。資金が無くなるとまた日本に来ることもできます。しかし、日系人でない人たちはそのチャンスすらありません。私がこうして日本に”デカセギ”に来ることができるのは、本当に”神のおかげ”ということなのかもしれません。
 神慈秀明会がブラジルで布教活動を広め、”人救い”ができる宗教になるためには、一部の裕福な者を対象にした活動に終始するのではなく、大多数を占める貧困層を対象にして、そういう人々にお光りを与えることが秀明会の信仰を広めることになると思います。
 その人たちが浄霊をうけ、それによって救われれば、純粋な彼らは本当に神を信じ、自然と秀明会を広めてくれると思います。貧困にあえぐ人たちは、3万円もの高額な献金はできないかも知れないけれど、心のこもった精一杯の献金するのじゃないかなと思います。そしてそういう人たちが口コミで秀明会を広めてくれることになります。
 気持ちのこもった一円のほうが、余っている一千万円より価値があるのでは?と思います。

 私はこうした意見を繰り返し秀明会の中で述べてきました。でも、私のこうした意見を聞いてくれるものはいません。意見を聞いてくれないだけでなく、支部内の世話人や支部長は私を避けるようになっていました。
 秀明会というところは信者からの意見を聞く耳を持たず、「すでに固まった意志を乱すな!」、「黙れ!」、「うるさい!」という感じが強いところです。
 こうした意見を言い続けていた私がうるさかったのか、私は名古屋支部から一宮の拠点に移されました。そのとき、ある世話人からこう言われました。
 「ここは尾張一宮(おわりいちのみや)ですからもう”終わり”。ここ以外、もうどこもないよ・・・」。
 よほど私を黙らしたかったのでしょうか・・・。

7、妻の決意
 翻訳という仕事を通して、御教えの意味が正確に判ってくると、私の周囲で秀明会が実際に行っていることが御教えに書かれていることとは違うことに気づくようになりました。
 私の11年間に及ぶ秀明信者としての経歴の中で、”素直に”上の者からの教えに従ってきたのは最初の1年間程度だけで、秀明会に疑問を感じて以来、後の10年は世話人や支部長、国際部(支部)、本部国際部等とぶつかり合ってきたように思います。
 疑問を感じながらも、なぜ10年間も秀明会と付き合ってきたかというと、私の妻が秀明会の世話人をしていたためです。
 私は以前、妻に、「おまえは御教え等の意味がわかるのか?」と聞いたことがあります。妻の返事は、「意味が深くて、読んでも読んでもわからない」ということでした。
 私は秀明会のやっていることがあまりにも御教えとは違うことに疑問を感じ、すでに”秀明会は怪しい”と思っていましたので、妻にもそのことを伝え、何度も妻に、「秀明会を辞めよう」と言いました。
 妻は神慈秀明会の活動に多くの時間をとられ、家事は放棄したも同然の状態でした。
 そのことで私たちは何度も何度も夫婦げんかをしました。離婚も考えました。秀明会の問題で言い争っている私たちを見て、子供はどう思っているかを考えると、とてもつらい時期でした。いくら話し合っても妻は秀明会に対する考えを変えませんでした。
 私が反対するので、しまいには妻は私に隠れて拠点や支部に行くようになりました。私はやむを得ず、妻から財布、銀行の通帳、印鑑、カードを取り上げ、勝手にお金を持ち出したりできないようにしました。
 そしてなんとか妻に秀明会の実態を知ってもらおうと思い、「家族を新興宗教から守ろう」の全ページを印刷し、併せて他のアンチ秀明サイトの情報も印刷して妻に渡し、「これを読み終わるまで外出禁止!」としました。
 私のこうした強硬な姿勢に圧倒されたのか、妻はそれに従い、私が渡した約1000枚程のプリントを一日で読破しました。
 読み終わって、妻は私にこう言いました。 「 辞 め よ う 」


8、秀明会を辞めて
 秀明会を辞めることに決めた私たちは、ご神体、観音様など、全ての秀明会に関する物を拠点に返しに行きました。
 拠点の担当者はそれらの受け取りを拒否したので、たまたま空いていた拠点の子供部屋に全ての物を放り込んできました。
 すると拠点から、「御教え類は申し訳ないので預かりました。それ以外のご神壇・仏壇、神具・仏具、その他は自分で処分するように」との連絡がありました。
 そして驚くべきことには、「ご神体とお屏風観音様のお詫びのお玉串を1万円以上、お届けしてください」と言われました。
 辞めた者からもまだ金を取ろうとする秀明会の姿勢には唖然とするばかりです。

 私は、明主様信仰を批判するつもりはありません。私は明主様が好きです。秀明会が正しい道を進んでいるなら、ずっと信者でいたかもしれません。
 しかし、今のような神慈秀明会に留まることは、自分をますます明主様から遠ざけることになってしまいます。

 日本語で書かれたこの投稿を読むことができるブラジル人はごく少ないかもしれません。それでも、いいのです。
 この投稿を読めば名古屋支部や国際部の人たちには私が誰かすぐ分かることと思います。私に対する何らかの攻撃があるかもしれません。それも承知の上で支部名や私の国籍を明らかにしています。
 誰かがこの文章を印刷してくれて、秀明内での論議のきっかけになれば幸いです。論議が高まり、最終的には神慈秀明会が本来の明主様信仰の道を取り戻してほしいと思います。
 この投稿により一人でも多くの人が明主様信仰を踏み外している神慈秀明会の姿に気付いてくれて、その結果それを是正し、真の明主様信仰への道が開かれるならば、それがブラジル人にとっても日本人にとっても最も願わしいことだと思います。

(2006年1月投稿)

解 説

 日本が過去に行ってきた移民政策により、現在ブラジルには約194万人(2006年推定値)の日系ブラジル人がいる。
 ブラジル経済は好調な時代もあったが、「失われた10年」とも呼ばれる不況とそれに続く経済不安が続き、インフレ率も高く、サンパウロでの失業率は18.6%(175万人。2003年)にのぼっている。

 日本では近年出生率の低下が続き、労働人口の減少が心配されており、特に3K(きつい・汚い・危険)と呼ばれる仕事への就労者不足は深刻な状況になっている職種もある。
 労働人口を補うために、1990年6月に「出入国管理及び難民認定法」が改正され、日系人が日本に入国するための法的関係が明確化された(日系三世までの者に日本への定住が認められた)ことをきっかけとして日系人滞在者の数が急激に増加した。
 ブラジルから日本へ仕事を求めて来日する日系ブラジル人も増大し、その数は現在約28万人といわれている。

 中でも自動車産業に従事する日系ブラジル人が愛知県や静岡県などの東海地方に多く住んでおり、愛知県には全国最多の約5万1千人のブラジル人が住んでおり、静岡県浜松市にも1万人以上のブラジル人が住んでいる。
 今回投稿していただいたAさんも、その内の一人である。


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