アクロバット信心

 下記の内容は、Anti_cult掲示板に、「いつもの通りすがりさん」というハンドルネームの方が書かれたものです。
 2006年5月段階での神慈秀明会の姿を大変分かりやすく解説しておられますので、独立した記事としてここに掲載させて頂きます。



投稿者:いつもの通りすがり(2006/05/27)

 「信仰の種類」の中にはありませんが、神慈秀明会はアクロバット信心です。
 秀明会には「まず、小山会主や秀明会は絶対に正しいんだ」という、決められた結論があるんです。
 それに対し、次に、「ではどうすればこの状況でもその結論に到達出来るのか?」という理由を考える、という順序なんです。
 まあ、これぐらいの事は、宗教ならばよくある体かもしれませんが、神慈秀明会のアクロバット信心は、ここからが違います。

 「まず、小山会主や秀明会は絶対に正しいんだ」という結論にもっていくためには、あまりにもひどい現実が横たわっています。

 曰く、「小山会主は自己放棄といって全財産を間接的にはき出すことを勧めておきながら、ご自分は50億円もの財産を築き上げていた(これは残った財産が50億円ということで、当然、生きていたときは「使ったお金」が別にあるんです。)」

 曰く、「明主様の御用と思い、精一杯納めていたご献金は、「○田」とか「英二」とか、全く聞いたことのない人たちが、自分たちの都合を満たすために自由に使っていた」

 曰く、「最高の明主様信仰といっておきながら、実際にみ教えと読み比べてみると、まったく逆のことをしていた。しかも、それがばれないように、秀明が出していないみ教えは邪気が出ているから読むなとし、聖教書も膨大な改変を加えていた」

 曰く、「正しい信仰を守るための、純粋潔癖なはずの離脱の神意は、偽造観音、切り貼りご神体、謎の霊能者の暗躍など、教えられていた事と真実は全く違い、とうてい受け入れられるものではない」


 などなど。
 普通の感覚の持ち主ならば、「これでも正しい」などと、とうてい思うことは出来ない有力な証拠が目白押しです。

 こんなひどい状況でも、「熱心な秀明信者」たちは、「小山会主と神慈秀明会は正しい」という結論に到達するために、一般人には理解不能な理屈をこねくり回し、都合のいい情報だけを取捨選別し、批判を無視し、曲解を重ね、自分で自分を騙し、まるで「アクロバット飛行」的な難しい「心の曲芸」をやり遂げて、その結果「これが正しい」という結論に到達します。(しかも、簡単にそれができたかのようなフリをしなくてはいけないですし、自分でもそう思い込まなければいけません。)


 こういうことが出来れば出来るほど「優秀な秀明信者」といわれます。
しかし、その難易度は年々高くなっていってます。
去年までは、心のアクロバット飛行に成功していた信者も、さすがに今年は、かなりそれが難しくなったようです。
墜落する信者も続出、ということになるんじゃないでしょうか。

 もちろん、アクロバット信心は、「信仰の種類」に書かれている「おかげ信心」や「利用信心」などの仲間であり、正しき信仰ではありません。

時が経つほど、信仰が難しくなるとはどういうことか。
 これは、時間(自観)を味方にしていないということです。
 むしろ、時間(自観)が敵にまわっているんです。
 時間(自観)を味方にすれば、時が経つほどうまく行きます。

 この「家族を新興宗教から守ろう」のサイトは、時間が経てば経つほど、協力してくれる仲間が増え、有力な情報があつまり、逆に、秀明会はたくさんのぼろを出してくれるので、ネタに困ることがありません。
 つまり、時間(自観)が味方しているのは、秀明会ではなく、こっちのサイトの方だということです。

 聖教書、P94を開いて下さい。拝読させて頂きますので、秀明信者の人だけ、正座して下さい。
 それ以外の人は、寝っ転がって聞いて下さって結構です。

※善と悪※
 「人盛んなれば天に勝ち、天定まって人に勝つ」ということわざの通り一時は華やかであるが、必ずといいたいほど最後には悲惨な運命に没落することは歴史の示すところで、勿論動機は悪である。



 このみ教え通り、神慈秀明会は、盛んさが失われ、本来の価値通りの運命をたどり始めたということです。
 本来の価値とは、「(立教の)動機が悪」という団体にふさわしい運命ということです。

アクロバット的な信心とはどういうことか。
 それは、難易度が高く、だれもが出来ることではないということです。
秀明会が過去にさんざん言っていた、「世界を救う」ということほど大きな事でなくても、普通に、今後、信者を増やしていこうとするとき、新入信者全員に、この「アクロバット信心」を強要することになります。

 おそらくそれは無理でしょう。「岡田茂吉の宗教」なのに、岡田茂吉が生存中に行った功績に何一つ触れてはいけない、いきなりここがアクロバット飛行です。これ一つ、新入信者に理解させることがどれほど難しいことか。

 ご自分は、アクロバット的な信心で、この状況をなんとか「それでも小山会主と秀明会は正しい」と理解出来たとしても、あなたはそれでいいでしょうが、今後入信してくる人には、とうてい、あなたと同じ事は出来ないし、やりたいとも思わないんです。

 つまり、アクロバット宗教である神慈秀明会が、今後、信者を増やしていくことは難しく、神慈秀明会の未来は無いんです。あなたがアクロバット信心でいくらがんばっても、そのがんばりは神慈秀明会の未来にも、あなた自身の未来にもつながらないんです。

 それでも、「さすが俺様は信仰があるから、こんな難しい状況でも正しいと思い続けられる。」
 と平気で吹聴出来る感覚は、自己満足にはなるでしょうが、「常識」や「普通人の感覚」からは大きく逸脱しています。ちょっと変態的にも見えます。「変態飛行」ですね。

 これから入ってくる信者さんに、「君も変態になれ」って言わなければいけないのが、神慈秀明会の「アクロバット信心」です。
 我々は、自分がそんな変態になるために、新入信者にも「変態になれ」といわなければいけないような信仰のために、自己放棄や借金献金を重ねてきたのでしょうか?

 今後、信者は増えない。どんどん減っていく。
しかも、辞める信者が出るたびに、世話人が「御焼却お玉串」を立て替えなければいけない。
 それもアクロバット信心なので、世話人は、「あの人が辞めたのは自分の想念が悪かったからで、曇り多い至らない私に頂いた明主様からのお気付けに違いない。
そんな申し訳ない想念を正して頂くために、お詫びの想念でしっかりとお玉串をさせて頂こう」のような、変態的なことを、さらに考えなきゃいけない。

 みなさん、こんなアクロバット信心を、ホントにまだ続けるんですか?

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