神世界新聞

(下記は、2011.11.15更新)

神世界新聞 第15号(2011.11.01発行)を見て

神世界新聞第15号(2011.11.01発行)

 これまで多数の神世界関係者が逮捕され、横浜地裁では起訴された神世界関係者の裁判が続いている。教祖・斉藤亨や元警視・吉田澄雄も起訴され、初公判の日を待っている。こうした状況であるにも係わらず、神世界は11/1付けで新たな新聞を発行した。(有)神世界代表取締役・日原易子(70)、(有)神世界取締役・(教祖)斉藤亨(53)、(有)神世界取締役・斉藤葉子(44)、(有)神世界取締役・宮入参希江(49)の会社トップ4名全員が、組織犯罪処罰法違反(組織的詐欺)容疑で逮捕されたことを真摯に受けとめれば、普通の神経の持ち主であれば、到底新たな新聞発行などできないと思われるが、神世界は厚顔無恥に、これまでと同じような論調の新聞を発行した。こうした彼らの神経は、私には到底理解できないが、敢えてその真意を推測すれば、こうして強行かつ無遠慮に新聞発行を続けることで、「我々は宗教団体として確信を持って活動しているのだ。関係者が逮捕されようがそんなことは関係ないのだ。我々は詐欺団体などではない」という”ポーズ”を、残存会員と捜査機関に対してアピールしようとしているのかもしれない。

■鉄格子の中から

珍しく、日付が記載された文書

 神世界新聞第15号の冒頭には、いつもと同じように、教祖・斉藤亨の言葉が掲載されているが、今回はいつもと違う点が一つある。それは斉藤亨の言葉の最後に、平成23年10月14日(金)と日付けが記載されている点だ(右記)。斉藤亨が逮捕されたのは9/12、起訴されたのが10/4なので、この言葉を書いたとする10/14には、斉藤亨は拘置所の中に収監されていた。編集後記にも、「弁護士を通して原稿が届けられた」とある通り、斉藤は拘置所で接見した弁護士にこの言葉を託し、それを掲載した訳だ。
 日原易子の記事にも「23・9記」と執筆時期が書かれているが、9/27に逮捕され、10/17まで連日取り調べを受けていた日原が、この文章を9月中に拘置所内で作成したというのは少々疑問だが、編集後記によれば、日原の文章も弁護士から届けられたとされている。
 教祖等の逮捕に関する具体的記述がないにも係わらず、わざわざこれらの文章が鉄格子の中から送られてきたことを匂わしているのは、「教祖様等は、鉄格子の中に入っても私達会員のことを思ってくれている」と会員に思わせるための演出なのかもしれない。

■事件への言及は皆無
 拘置所に収監されている未決拘禁者が手紙等を発信する場合は、施設係官によって内容の検査が行われ、暗号が用いられていたり、罪証の隠滅につながるおそれがある内容は抹消されたり発信が認められない場合がある。
 斉藤亨と日原易子が鉄格子の中で書いたとする内容に、事件に関する記述がないのはそうしたことも多少は関係しているのかもしれないが、宮入英実や和田美和が書いた内容に、事件に関する内容が一言も書かれていないのは極めて異常である。この新聞は神世界の会員に配布されるものであり、会員の中には事件の真相を知りたがっている者もいる筈だ。企業経営者として、こうした大きな問題が企業に生じたとき、職員や会員に対して何らかの説明をするのは当然の責務だ。
 もし彼らが言うように、”無実”であるとするならば、声を大にしてその内容を訴えるべきであるが、そうした説明を敢えて回避しているのは、彼らが「脛(すね)に傷もつ身」であるからだろう。11/9(水)に東京地裁で行われた民事訴訟の席上、突然、神世界側が、「和解したい」と言い出したのは、「我々は有罪を認めて金を返す。だから和解に応じてくれ」という意味以外のなにものでもない。

■執筆者は誰?
 神世界新聞第15号にも、「詐欺の故意を認める証拠皆無」と題した、口汚い検察批判が相変わらず掲載されている。私はこれを読んで、「この文章は誰が書いているのだろう?」と疑問を感じた。最初は弁護士が書いているのかとも思ったが、「弁護士の先生方は」と尊敬語を使っていたり、いずれの文章も、「〜だそうです。」という終わり方になっており、執筆者本人は弁護士ではないことが分かる。今回の文章中には、「衷心」(ちゅうしん)や、「敬虔」(けいけん)、「汲々」(きゅうきゅう)など、若者はあまり使わない語句が用いられており、執筆者の年齢が推測できる。「日頃接している当職が」という表現もあり、逮捕された被告と執筆者がごく近い位置にいることを伺わせる内容もある。ある程度以上の年齢で、被告等にごく近い位置におり、なおかつ現在逮捕されていないとすると、執筆者は自ずから限られてくる。
 「詐欺の故意を認める証拠皆無」と題した下記文章では、会員等を鼓舞するためか、「(刑事裁判の判決は)無罪であることは明白だ」と断定しているが、11/9(水)の民事訴訟で神世界側が突然、「和解したい」と発言したことを、この執筆者はどのように受けとめているのだろうか。神世界の被告等が無罪であることが明白であるのなら、民事で唐突に和解案を提示する必要など更々ない筈だ。更に、11/10(木)には、各原告の自宅に神世界側弁護士から和解案を示した文書が一方的に送りつけられてきた。損害賠償訴訟は現在係争中であり、原告側は和解に応ずるなどとは一言も言っていないにも係わらず、代理人を飛び越えて、原告に直接和解案の文書を送付するなど、明らかにルール違反であり、弁護士業務の妨害に当たる違法行為だ。
 誰の指示でこのような暴挙が行われたのか?斉藤亨は逮捕された際、自ら、「自分は神世界のトップだ」と述べており、巨額な金が必要になる和解案の唐突な押しつけを判断できる地位にあるのは、斉藤亨以外はいないであろう。このままでは自分が有罪になると判断し、刑罰を軽くするためにはどのような方法でもいいので和解を取り付け、刑を軽くしてもらおうと目論んだ結果が今回の強行な和解案押しつけだったのだろう。
 民事を和解することで刑事裁判の心証をよくしようとするのはよくあることだが、今回のように、原告弁護団とは全く話し合わず、原告代理人の頭上を飛び越えて直接原告に和解案文書を送りつけるような行為は、あまりにも身勝手であり、信義にもとる行為だ。このような暴挙は、裁判所の心証をよくするどころか、「神世界側がこれほど強行に和解を押しつけようとしたのは、被告ら自身が有罪を認めたのと同じであり、神世界の被告が有罪であることは間違いない」と裁判所が判断するのに十分な行為だ。裁判所の心証をよくしようと思ってやった行為が、実は裁判所が「被告は有罪である」と判断するに十分な証拠となった訳だ。どこまでも間抜けな連中である。
 有罪が明らかであると彼ら自身が思っているにも係わらず、会員に向かって、「無罪であることは明白だそうです」と嘘をつきまくっている下記文章を書いている者の顔をぜひ見てみたいものだ。

【神世界新聞第15号(2011年11月1日発行)裏面の記事】

詐欺の故意を認める証拠皆無

 いよいよ問題の公判が始まりました。公判で何が明らかになったのか、今後の見通しはどうなのか、弁護士の先生にお尋ねしました。

、刑事事件で起訴された関係者の弁護人を務めている弁護士らの説明によると、検察官が開示した証拠関係によれば、裁判官が余程の偏見の持ち主で無い限り無罪であることは明白だそうです。
 弁護士の先生方は、本件に関与した検察官はもとより、紀藤弁護士一派の弁護士などよりは遙かに経験豊富な方々が多いので、その認識は信頼に足ると思われます。
、保身と組織の体面を維持するために、トップダウンでなりふり構わず摘発ありきの捜査に動いた神奈川県警と、民事問題を有利に展開するために刑事事件化を策していた不純な被害者弁護団を自称する紀藤弁護士一派が、霊感商法というまやかしのタッチで描き出した組織詐欺なる虚構の事件の構図に、無能なくせに功名心と出世欲だけは旺盛な検察官が容易く飛びついて、信仰の自由を侵害してまで実態に反する表面的な供述調書を作出して、起訴したのが本件の実態だそうです。
 そのため、自称被害者の供述調書は、所詮検察官の作文に過ぎないため目を覆いたくなるほどの矛盾に満ちたもので、読んでいて何が詐欺の被害者なのかと呆れるしか無いそうです。
、今回、起訴されている関係者が宗教家として衷心から神様に帰依し、深い信仰心に根ざした敬虔な生活を送って御神業に従事していることは、日頃接している当職がよく知っている所です。
 このように、真面目に御神業に勤めている関係者の行為が、犯罪になるはずもありません。
 法律的にも、詐欺罪になるためには詐欺の故意が必要なのですが、起訴された関係者に詐欺の故意を認める証拠は皆無です。
 ところが、公判検事は、捜査検事に勝とも劣らない無能ぶりで、驚くべきことに何ら証拠に基づくこと無く関係者の信仰心が虚偽のように断定するなど、裁判官に予断と偏見を与えることに汲々としている有様で、実に恥ずかしく、嘆かわしい限りだそうです。
 このような検察官の度し難さは、いずれ公判で明らかになるはずですから、会員のみなさんは、無罪判決を期待して公判の推移を見守りたいものです。

以上



■神書を読んでいない尾崎弁護士
 毎回、好き勝手なことを書いている尾崎弁護士であるが、今回の「家族の結束」は、神世界という団体の機関紙に掲載する内容ではない。誤解しないでいただきたいが、今回尾崎氏が書いた、「家族の結束が大切」という点については異議はない。しかし、尾崎氏は、「神世界は、健康や財産とともに、人間関係を極めて重視している」と書いているが、これは100%間違いだ。
 尾崎氏は神書の124ページに書かれている、「順序は快適さの要素」を読んだことはあるのか?そこに書かれている内容は下記の通り、とんでもないことが書かれている。そこには、例え自分の家族であっても、神世界の神を信ずることに反対する者とは関係を断てと書かれている。実際にその教えに従い、家族との関係が断絶したり、離婚したり、結婚を諦めた恋人同士も多数出ているのだ。
 もし尾崎氏が、家族の結束が本当に大切だと思っているのであれば、神書に書かれていることがいかに荒唐無稽で、人の道に外れたものであることが分かる筈だ。神世界の弁護をする前に、弁護士としてもう少しクライアントのことをよく知る努力をすべきである。


【神世界新聞第15号(2011年11月1日発行)「私の一言(弁護士 尾崎幸廣)」】

私の一言 家族の結束

 ”禍福はあざなえる縄の如し”という言葉があるが、今は不幸な目に遭っていると思っていても、後に振り返って見るとあれが幸福の転機になったと思えることがある。人間関係の中でも、最重要な家族が崩壊しては将来の幸福はあり得ない。わが国の歴史をみても、源氏はすべて兄弟親子の不和争闘で不幸を招いた。
 神世界は、健康や財産とともに、人間関係を極めて重視している。そこが既存の宗教と異なる点である。困難な事態においても、家族を中核とする人間関係が維持できれば、悪い状態を最善にすることが可能となる。最悪を基準とすれば、あとは良い方向に進むだけである。

(弁護士 尾崎幸廣)

(神書P.124「順序は快適さの要素」より)
 健康・お金・人間関係の順序で幸福を実現するには、取引可能な神様とつながるのが絶対必要条件であり、取引可能な神様とのつながりは自分の幸福実現にとって最大の価値があり最大のプラスである訳だから、神様と自分とのつながりを邪魔する存在は自分にとって最大のマイナスを生み出している事になり、そのマイナスが自分の家族であっても何程かけがえのない人間関係であっても、そのつながりはマイナスだから迅速に解消するのが最適である。その結果自分の生命以外の何を捨てる事になっても、取引可能な神様とのつながりを解消するよりははるかに利益で得でプラスになる筈である。




■編集後記の矛盾
 今回は編集後記が復活していた。編集後記には、「今号は、先の出来事の後だけに大変ご心配をおかけしましたが・・」と、教祖や陽龍など、神世界トップ全員が逮捕されるという大変な出来事があったことに言及しているが、肝心の本文には、逮捕に関する内容が全く掲載されていないというおかしな誌面構成になっている。  更に、「教祖様と日原易子様から、弁護士を通して有り難い原稿が届きました」と、この両名の原稿が鉄格子の中から送られてきたことまで紹介している。そこまで言うのであれば、なぜこれらの者が鉄格子の中に入るようなことになったのかについて、本文で言及すべきである。「臭い物にはフタ」、「都合の悪いことは一切会員に知らせない」という神世界の悪しき習慣は今も全く変わっていない。


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