神世界新聞 第12号(2011.05.01発行)を見て
神世界新聞第12号(2011.05.01発行) | |
「開いた口が塞がらない」とは、こういうことを言うのだろう。神世界側には、関係者が逮捕された事実を真摯に受けとめようとする姿勢は微塵も見られず、「横浜地検が神世界関係者を起訴したのは、現横浜地検特別刑事部長らの個人的な功名心や出世欲に駆られた行為だ」とする、見当違いな検察批判によって言い逃れようとしている。
文章中に出てくる、「前特別刑事部長」とは、2010年4月1日に横浜地検から広島地検に異動になったK見氏のことを指している。K見氏は、異動になった直後の2010年4月21日に急逝した。K見氏の後任として2010年4月1日から横浜地検特別刑事部長になったのがK澤氏だ。「現特別刑事部長」とはK澤氏のことを指している。
神世界新聞第12号の記事では、あたかもK見氏と神世界側弁護士との間に「密約」があったかのごとく書き立てているが、その行為こそが、正に「死人に口なし」を地で行く行為であり、死者を冒涜する行為だ。
検察による捜査がまだ十分に行われていない段階で、「前特別刑事部長」が被告側弁護士と密約を交わすような事実があったとすれば、それこそ検察の重大な不祥事であり、非常に大きな問題だ。K見氏の名誉のために敢えて言及するが、K見氏はそのような卑劣なことをする人物ではない。
関係者が逮捕されるまでの神世界新聞では、検察が「不起訴」と判断した場合であっても、検察審査会によって「起訴相当」とされることを危惧する内容は書かれていたが、検察の判断そのものにクレームをつける論調には全くなっていなかった。ところが検察が神世界関係者を起訴した途端に検察批判に転じるのは、あまりにも身勝手としか言いようがなく、わがまま放題の子供ならいざ知らず、大の大人が取る態度ではない。
本来であれば、多数の神世界関係者が逮捕された段階で神世界は、”謝罪”しなければならず、現在は更に進んで「起訴」されているのだ。日本に於ける刑事裁判の有罪率は99%だ。検察は確実に有罪にできる事案でなければ起訴はしない。こともあろうに神世界側弁護士は、村木さんの事件まで引き合いに出して検察批判を繰り広げているが、神世界事件と村木さんの事件は、事件の土台が根本的に違う。村木さんの事件は検察主導で進められた事件だが、神世界事件は多くの被害者が神世界を告訴している事件だ。神世界事件は、村木さんの事件のように検察が犯罪をねつ造する必要など全くなく、神世界事件には現実にたくさんの神世界被害者がいるのだ。神世界側弁護士の主張に常に欠けているのは、批判や攻撃の対象が警察や検察、原告側弁護士にばかり向けられ、「神世界被害者の存在」を全く忘れている点だ。神世界被害者の存在を認めてしまうと、それは暗に神世界の犯罪があったことを認めることになるので、敢えて「被害者の存在」から目を背けているのだろうが、そうした態度は、「卑劣」以外の何ものでもない。
「横浜地検が神世界関係者を起訴したのは、現横浜地検特別刑事部長らの個人的な功名心や出世欲に駆られた行為だ」とする神世界新聞第12号に書かれた、”ご意見”は、折角なので私から横浜地検に送付して今後の参考にしていただく。これを見た横浜地検関係者は、さぞかし”闘志”を新たにすることだろう。
■編集後記執筆者は神書を読んでいない?
神世界新聞第12号の編集後記は、”驚くべき内容”が書かれている。普通に読めば何でもないように見えるが、「神書」をよく読んでいる者がこの編集後記を見れば、その異常さに、”目まい”がするのではないだろうか。
編集後記の冒頭には、「3月11日(金)に発生した、東北地方太平洋沖地震により被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。」と書かれている。”普通の人が普通”に見れば、何でもない文章であるが、これは”神書の教え”には真っ向から反するものだ。神書には、「自然界においては結果がすべてであるから、結果が悪ければ動機や原因や過程も悪く、それに関係するすべての人間も悪いと判断するのが当然で正常な判断である。したがって苦しむ人間が悪いのであり、不幸なほど悪人なのである。」(神書P193、「苦しむ人間が悪い」)と書かれている。”神書流”に今回の大震災を見れば、被災した人は”悪人”なのだ。それにも係わらず、今回の編集後記では、神書の内容を忘れたかのように、「被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます」などと、”人並み”のことを述べている。神書では、被災者は悪人なのであり、「心よりお見舞い申しあげる」対象などではないのである。この編集後記を書いた者は誰なのだ? 執筆者は神書の教えに真っ向から刃向かうことを書いていることに気づいているのか?
次の部分も神世界の教えとは食い違っている。「かろうじて生き残った被災者の中には、言葉では言い尽くせない奇跡があったという。」
神世界の教えでは、奇跡は「神との取り引き」によって得られるものとされている。”かろうじて生き残った被災者”は全員が神世界信奉者だったのか?いくら何でもそこまで厚かましいことは言わないだろう。”言葉で言い尽くせない奇跡”を得た者は、どのような神との取り引きの結果、その奇跡が得られたのだ? この編集後記に書かれた「かろうじて生き残った被災者の中には、言葉では言い尽くせない奇跡があったという。」という言葉は、神世界の神などと取り引きをしなくても奇跡は得られると言っているのと同じだ。つまり、この編集後記を書いた者は、神世界の神を貶める内容を書いているのだ。私から指摘されて自分が書いた内容の誤りに気づき、今ごろ青くなっても、もう遅い。もうすぐ神世界の神から罰が下されることだろう(笑)
「明日への希望に向け、みんなで頑張ろうではありませんか。」この言葉も、普通の者が述べたのであれば何ら問題はないが、神世界の者が言う言葉ではない。神書には、「たとえ無償で何も相手から求めなくても、相手に対する「気の毒でかわいそうだ」という見下した無礼な感情からであっても一方的な押し売りで相手が迷惑がっていても、自己満足のための趣味や道楽であっても、やさしさ・思いやり・親切・愛である限りはプラスは生み出さないし永遠の幸福は決して実現しない。」(神書P177、「やさしさ・思いやり・親切・愛ではない」)と書かれている。「明日への希望に向け、みんなで頑張ろうではありませんか。」という、”やさしさ・思いやり・親切・愛”は神世界では”御法度”なのである。これを書いた者は、神書をちゃんと読んでいないからこのように間違ったことを書くことになるのだ。そんなことでは神世界新聞の編集後記を書く資格はない。私の方がよく神書を読んでいるようなので、次号の編集後記は私(fujiya)に書かせた方がいいように思うが、どうだろう?(笑)
■神世界は、”弾圧”する値打ちなど全くない
今回、尾崎弁護士が書いている「私の一言」は、「宗教に対する弾圧」だ。ひょっとして尾崎氏は神世界が権力から、”弾圧”されるようなメジャーな団体だと本気で思っているのだろうか? もしそうであれば、笑止千万(しょうしせんばん)なことだ。
かって、時の権力が一部の宗教を弾圧したのは、その宗教が多くの民衆の支持を受け、時の権力者の立場を脅かすような存在になったとき、権力者が力でその宗教をねじ伏せたのが宗教弾圧だ。弾圧を受けた宗教は、それなりに社会に対する影響力があったからこそ、そうした不当な扱いを受けたのであり、神世界のように、「宗教的に無名」で、「大衆の支持を全く受けていない」団体が、宗教的弾圧など受ける筈もない。それにも係わらず、現在行われている警察・検察による神世界関係者の逮捕を、「宗教的弾圧だ」と捉えるならば、それは正常な判断の域を超えており、”一種の宗教的妄想”と言えるものだ。一度、精神科の医師に診てもらった方が良いのではないか。
時代背景が今とは全く違う時代に行われた宗教弾圧を引き合いに出して論ずるのも、甚だ見当違いのそしりを免れない。現代の日本では、日本国憲法によって信教の自由、結社の自由、言論の自由が保障されており、大量殺人事件を起こしたオウム真理教ですら解散させることはできなかったのである。
オウム真理教に対して警察の捜査が行われたのは、オウム真理教が犯罪行為を行ったからであり、いま神世界に対して警察・検察が行動を起こしているのも、神世界が犯罪行為を行ったから捜査をしているだけだ。「宗教的意味合い」など全くない。織田信長や大本教など、メジャーな人物や団体を神世界と並列に並べて論ずることも、それ自体がナンセンスであり、織田信長もさぞかし迷惑していることだろう。大本教も、”世界救世教崩れ”の神世界が詐欺事件で警察の捜査を受けるような事態となったことには大変苦々しく思っていることだろう。
「考えが不合理だからということで権力が介入することは許してはならない」と大見得を切って粋がっているが、誰一人としてそのような観点から神世界事件を見ている者はいない。神世界は現実に客から多額の金を巻き上げてきた”事件性”があるから捜査対象になっているだけだ。
「信者同士の行為を外部が裁くことは明らかに越権である。」というのも、法を守る弁護士の発言ではない。神世界事件は神世界によって被害を受けた客が神世界を告訴しているのだ。その告訴に基づいて警察が捜査を行い、法に違反する行為があれば関係者を検挙し、検察が起訴相当と認めれば被疑者を起訴し、法廷で裁くことは法治国家であれば当然行われる正当な手続きだ。告訴されているにも係わらず、捜査機関が捜査をしないようなことがあれば、その方が問題だ。それを、「外部が裁くのは越権だ」などと発言することは、この国の司法制度を否定する発言であり、弁護士バッチを付けた者が述べる言葉とは到底思えない。