神世界新聞

(下記は、2010.7.29更新)

神世界新聞 第7号(2010.7.1発行)を見て

神世界新聞第7号(2010.7.1発行)
 これまでの経過からすれば、神世界新聞の第7号は、2010年7月1日付けで発行されている筈だが、7/27になっても、いつもの「御霊光はすばらしい」というHPには公開されていなかった。神世界側もあまりのバカバカしさに新聞発行を中止したのかと思っていたら、7/28になってやっとアップされた。発行の日付けは7/1となっているので、予定通り発行されていたようで、掲載が遅れたのはこのHPを運用している者の都合だったのだろう。「御霊光は素晴らしい」の作者には私から呼びかけをしているが、未だに連絡はない。
 神世界新聞第7号の内容はいつも通り陳腐なもので、このようにバカげた新聞を作り続ける神経は全くもって理解できないが、批判材料としては使える。
 第7号1面で目を引くのは、びびっと会主・和田美和の改名だ。和田はこれまで「美和」という本名を名乗ってきたが、第7号では「宮和」となっている。和田は数年間、「箕和」と名乗っていたこともあるが、ここに来て再度「宮和」と改名したのは、よほど良くないことがあったのだろう。例えば側近が集団で離脱するなど・・。

 第7号で最も傑作なのは、尾崎幸廣弁護士が書いている「神書紹介」の記事だ。今回は「人間関係について」と題したものを載せているが、そこで尾崎弁護士が述べている内容は神書の記述とは全く違っている。
 尾崎弁護士は、「(神書は)人間関係、その中でもその中核にある家庭の円満を非常に価値の高いものとしている」と述べているが、これは尾崎弁護士が実際には神書などろくに読んでいないことを暴露したものに外ならない。
 尾崎弁護士のために神書の内容を少し紹介すると、神書では、

などと、親子や家族であっても理解したり、信じたりすることはできないものであり、自分の利益にならないと判断した場合は迅速に家族関係を解消するのが最適と述べている。これを真に受けて、離婚したり、親子関係が断絶したり、兄弟姉妹が離散した被害者がどれだけの数になるか尾崎弁護士は知っているのか? 「(神書は)家庭の円満を非常に価値の高いものとしている」という尾崎弁護士の主張は的外れも甚だしい。釈迦やキリストの教えに対する批判も一面的で誤ったものである。弁護士として依頼者の弁護に当たるのであれば、もう少しクライアントについて正しい認識を持つべきであるし、発言はもっと慎重であるべきだ。

神世界新聞第7号に掲載された尾崎弁護士の記事

神書紹介 「人間関係について」

 神書が重視するのは、健康、財産とともに人間関係である。これらは幸福の三要素であると言う。
まことに率直平明であり当然のことと思われるが、意外にもこれまでの大宗教はこのことを認めないのである。健康には冷淡であるばかりか、時には健康を害するような荒修業を要求するし、財産は無視するか軽蔑するのが大宗教の基本姿勢である。
特に人間関係については全く尊重しない。釈迦は自分の子供を桎梏〈手かせ足かせ〉と感じ、キリストに至っては、「私は平和をもたらすどころか、家庭に内輪割れをさせるために来た」などと揚言している。
 宗教に起因して家庭不和に陥る例は実に多いのであるが、その理由は、人間本来の素朴な感情を低次元のものとし、神への帰依を高級なものとする既存宗教の考え方にある。  この点、神書は人間関係、その中でもその中核にある家庭の円満を非常に価値の高いものとしている。このことが家族を通じて神世界の教えが広まっている理由であろう。

(弁護士 尾崎幸廣)


 裏面上部に掲載された、「奇跡話」(本人がそう思い込んでいるだけだが)を読むと、この人たちは人間の自然治癒力に対する知識が全くないようだ。人間の体には「免疫力」という素晴らしい能力が備わっており、体内に入った細菌やウィルス、また体内で発生したガン細胞などの異物から身を守ってくれるようになっている。言葉を変えると、人間は自分の体の中に「名医」を生まれながらにして持っているようなものだ。この免疫力は自律神経の働きと密接な係わりを持っており、本人の意思によっても免疫力は大きく変化する。「病は気から」などと言われるのは、ある意味では正しい。
 紙面に登場している者達は、こうした知識が皆無であるため、ちょっとでも病状が良い方向に変化すると、「御霊光のおかげ」と思い込んでしまい、「御礼」の餌食になっているのが痛ましい。

 裏面下部の「法律解説・宗教活動がなぜ」と題する記事は前号からの続きであるが、これを読むと、神世界は組織を統合し、宗教団体として活動することをもくろんでいるようだ。
 日本全国にいる多数の被害者を放置したまま、一体何を目標にして宗教活動を行うつもりなのだろうか。組織体制を改め、再出発するのであれば、その前になすべきことがあるはずだ。責任者が公の場で全ての過ちを認め、被害者に対する謝罪と返金を行い、法の裁きを受けた上で再出発するのであればまだしも、過去の行為にほうかむりをしたままの再出発などあり得ないことだ。




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