神世界新聞

(下記は、2010.3.20更新)

神世界新聞 第5号(2010.3.1発行)を見て

神世界新聞第5号(2010.3.1発行)
 神世界新聞の第5号が2010年3月1日付けで発行されていた。原本は、これまでと同じ「御霊光はすばらしい」というHPで公開されている。
 1面の内容にはこれと言った目新しさはなく、相変わらずバカバカしい内容の羅列に過ぎない。前号から削除された千手観音図の嘘キャプション(教主が描いた・・)は今回も削除されたままだが、削除したことに関する説明は全くない。都合の悪いことには一切触れないのが彼らのやり方であることを如実に表している。
 1面の内容について敢えて言及するとすれば、尾崎幸廣弁護士書が書いている「神書紹介」という提灯記事の内容だ。
 記事の中で尾崎氏はマハトマ・ガンジーの言葉を引用する形で「病院は罪悪の根源だ」と述べている。このように言い切る以上は、尾崎氏は、病院で健康診断を受けたり、病気の治療を受けたりは一切していないのだろう(笑)。尾崎氏も年齢的には病院の世話になることが多くなる年代だけに、尾崎氏が病院に行く際には変装でもして行くのだろうか。ご愁傷様なことである。
 同じマハトマ・ガンジーの言葉を引用するのであれば、「サタンの成功が最大のものとなるのは、その口に神の名をのせて現れるときである」という言葉が神世界には最もふさわしい。
 「私は神様の媒体そのものであり、神様と一体となって使命を遂行しているから、人間的な考えは全くない」(神書P50・神様に任せよ)等と自画自賛を繰り返す教主・斉藤亨の姿をガンジーが見れば、「斉藤亨こそサタンだ!」と言うだろう。
 なお、尾崎弁護士の文章中、「私は痛く感銘した」とあるが、「痛く」は間違いだ。この場合は、「甚く感銘した」が正しい。新聞として人の目に触れる文章を出す以上は、例え執筆者が誤った原稿を書いた場合でも校正者がきちんと修正して出すべきだ。

 2面上部に掲載された、”奇跡話”の数々を見ていると、かって私の妻が嵌っていた神慈秀明会で盛んに用いられていた”おかげ話のシャワー”を彷彿とさせる。こうした奇跡話のシャワーはカルトが好んで使う典型的手法だ。
 神世界新聞第5号のおかげ話に登場している人物の氏名や、掲載された写真に写っている人物は私もよく知っている者が数名おり、彼女等がカルトの手先として都合よく使われている姿が痛々しい。
 神世界のサロンで奇跡話を書かされた人の中には、「もっと感動的に」と注文をつけられ、大げさな話に修正させられた事例も報告されている。「鼻血が出た」と、ある先生に話をしたら、先生はその話を別の客に伝えた際に、「○○さんはこないだ洗面器いっぱい鼻血がでたのよ!」という、とんでもなくオーバーな内容に修飾されて伝えられ、ただ単に鼻血を出しただけだった本人が仰天したという事例も報告されている。「みんなで作ろう神世界マニュアル」の13番目では、「拡大をする為には犯罪にならなければ何をしてもいい。奇跡体験は嘘でもいいんです」と言われていたという報告もされている。
 御霊光の効果をもっともらしく見せるために、針小棒大に話を作り替え、「奇跡」を大量生産しているのが神世界だ。
 信者達のバカげたおかげ話を羅列するより、教主・斉藤亨自らが顔出しで自分の奇跡話でも語った方がよほど説得力がある筈だが、斉藤亨の子供や彼の親族に起こった数々の悲劇を考えれば、御霊光に何ら奇跡を起こす力など存在しないことが明かであるだけに恥ずかしくて登場できないのだろう。

 2面下部にはいつもの、〈法律解説〉宗教活動がなぜ?一問一答と題した言い訳記事が掲載されている。
 前回は神奈川県警を標的に書いていたが、今回は被害対策弁護団を標的にした内容が書かれている。損害賠償訴訟が進展しないのは被害対策弁護団に問題があるように書いているが、これまでの口頭弁論を傍聴してきた者が見れば、それが全く逆であることは明白だ。のらりくらりと引き延ばしを図ってきたのは神世界側代理人ではないか。
 神世界側は、”被害対策弁護団はマスコミを利用している”、”民事訴訟を有利にするために警察権力を利用している”と批判にならない批判を展開しているが、マスコミも警察も、神世界のやっていることはどう見ても霊感商法であり、社会的にこのようなものがはびこることを許してはならないという思いがあるから神世界を糾弾する報道や捜査をしているのだ。正に、”火のないところに煙は立たない”のであり、己のやっていることを棚に上げ、全くもって反省の色が見えない神世界という団体は、完全に息の根を止める必要がある。今回の一問一答の全文(下記)は、私から被害対策弁護団に送っておいた。被害対策弁護団もこれを見れば神世界に対する闘志が倍増することだろう。
 一問一答の文章中には、「筈だ」、「筈である」、「思われる」、「一般的だ」などの用語が多用されており、この文章が如何に論拠が乏しく説得力に欠けるものであるかが分かる。
 参考までに神世界新聞第5号の一問一答を下記に掲載する。


神世界新聞第5号(平成22年3月1日発行)〈法律解説〉宗教活動がなぜ?一問一答

問1
 最近、「被害対策弁護団」なる弁護士グループが、新たに刑事告訴する方針を固めたとの報道がありましたが、今頃、何故、このような動きに出たのでしょうか。

答1
一言でいえば、「被害対策弁護団」と称する紀藤弁護士らのグループの焦りの現れだと思われます。
この弁護士グループは、平成21年5月29日付で民事訴訟を提起し、同年12月25日付で追加提訴したわけですが、これらがいずれも、その都度マスコミによって報道されているように、この弁護士グループは、何かといえばマスコミを利用しようとしますし、民事訴訟を有利にするために、敢えて警察権力をも利用しようとするのです。
 このようなパフォーマンスをよくする割には、民事訴訟の訴状の内容がお粗末で、主張に具体性を欠くため、一向に訴訟が進行しないことから、裁判所は、再三、具体的な主張を行うよう求めているのですが、紀藤弁護士は、前回の弁論期日において、愚かにも、「警察の捜査による解明をまって明らかにしたい」などと、何ら理論的な裏付けもないまま提訴に及んだばかりか、民事訴訟に警察力を利用するという禁じ手を使おうとしていることを敢えて表明しているのです。
 しかしながら、この欄で繰り返し述べているように、今回の告訴の受理と捜索差押え等は、通常ではあり得ない無理筋の捜査であり、それ故に行き詰まりの様相を呈しているわけですが、そのため、この弁護士グループは、民事訴訟の追行上の手詰まり感から焦りの色を濃くし、これを打開し、民事訴訟を有利に展開させようとの意図に加え、依頼者らに対しても、ちゃんと仕事をしていると思わせる狙いから、今回の告訴騒ぎに及んだもので、このような意図のもとにマスコミ利用というパフォーマンスに出たのだと思われます。

問2
 このような告訴は、受理されるものなのでしょうか。

答2
 本紙第2号において、「(捜索差押えの契機になった)告訴の受理そのものが差し控えられるべきだった。」旨述べ、第3号において、「告訴をする人の中には、民事的なトラブルを有利に解決する目的などの不純な動機で告訴する人がないわけではないので、警察も告訴を受理するか否か慎重に検討するのが常であり、実務的には、ほとんど不受理とされるのが実体と言っても過言ではありません」旨述べたとおり、告訴は本来、告訴人の一方的な言い分なので、捜査機関もこれを受理するか否か、慎重に対応するのが一般的です。
 以前の告訴は、神奈川県警独自の必要性から、敢えて受理した一面もあったと思われますが、その後の捜査で、皆さんの信仰心が本物であることから、犯罪性は存しないことが判明した筈であり、また、今回の追加告訴の動きに対しては、既に神奈川県警独自の必要性はなくなっておりますし、被害対策弁護団なる弁護士グループの不純な動機も白日の下に明らかとなった訳ですから、事ここに至っては、神奈川県警も民事不介入の原則に立ち返り、被害対策弁護団なる弁護士グループの魂胆に振り回されることは回避する筈ですから、これを正式受理することは躊躇する筈だと思われます。
(以下、次号)





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