京都の奥嵯峨
化野念仏寺にほど近い高級住宅街にたたずむ
神世界幹部専用・秘密の隠れ家



 神世界幹部4名(斉藤亨、斉藤葉子、日原易子、宮入参希江)に対して逮捕状が出された際、この4名はいち早く姿をくらまし、その後数週間にわたって逃亡していた。
 捜査機関はもちろん、私もあらゆる手立てを講じて彼らの潜伏先を突き止めようと情報収集を行った。その結果、多数の有力な情報が寄せられたが、その中の一つに「彼らは京都に潜伏しているのではないか」という情報があった。
 なぜそのような情報が寄せられたかいうと、神世界事件が公になる数年前から、斉藤亨や日原易子が頻繁に京都を訪れているとの情報があり、嵯峨野方面に神世界幹部専用の隠れ家があるらしいという情報があった。しかし、この隠れ家の場所については斉藤・日原の親族と、絶対的に信頼されていたごく一部の側近以外は一切知らされておらず、いわゆる「先生」クラスの者でも斉藤等の行き先については知らされていなかった。
 神世界幹部4名が逃亡した際、私が真っ先に彼らの潜伏場所ではないかと疑ったのがこの嵯峨野の隠れ家だった。捜査関係者に「彼らは嵯峨野の隠れ家に潜んでいるのではないか」と言ったところ、「大丈夫です。そこもしっかり張り込んでいます」とのことだった。今だから言えることであるが、逮捕状が出されるかなり以前から神世界幹部の足どりは捜査機関によって詳細に押さえられており、この隠れ家も捜査関係者はすでに把握していた。
 しかし逃亡した神世界幹部4名はこうした既存の施設に対してはすでに警察の張り込みが行われている可能性があると判断したのか、結局この嵯峨野の隠れ家には現れず、斉藤亨は大阪市内のマンスリーマンションで逮捕された。

 この嵯峨野の3施設は神世界内部でも”秘中の秘”であり、斉藤・日原の親族及びごく一部の者しか知らない場所であるが、贅沢の限りを尽くしたこの隠れ家をここで公開することによって、今でも神様を信じて神世界に金を出し続けている人が一人でも多く目を覚ましてくれればと思う。会員や信者が必死の思いで出してきた金は、斉藤等のこうした驚くべき贅沢のために浪費されているのだ。






スタッフ用邸宅


(写真はクリックで拡大します)

写真001
スタッフ用邸宅(南面)

 今回紹介するこの場所は、一般的には「奥嵯峨」と呼ばれる地域で、すぐ近くには化野念仏寺、祇王寺、二尊院、その他京都観光の人気スポットが点在する。そうした観光地からほんの数分歩けば、この場所、京都市右京区嵯峨鳥居本化野町(とりいもとあだしのちょう)がある。
 「高級住宅地」と呼ばれる地域は全国各地にあるが、嵯峨鳥居本化野町は広大な敷地に大きな庭を備えた瀟洒な和風建築の家が点在する大変趣のある地域だ。

 その一角にあるのが上記写真の邸宅だ。この邸宅の正確な図面は入手していないが、googleの航空写真を基にして実測してみると敷地面積は約432u(約130坪)である。
 この邸宅は神世界がスタッフ用として使っているものだが、スタッフ用と言ってもここに来ることができるのは神世界の中でもごく限られた、ほんの数名の者に限定されている。スタッフが何をするために来るのかと言うと、この隣にある本殿を備えた邸宅で教祖や陽龍など神世界最高幹部らの世話をするために連れてこられるのである。
 写真に写っている2階建の部分はその造作から考えて茶室として使うためのものと考えられる。1階部分には折りたたみ式の床机(しょうぎ)があり、足元には大きな平板の石が置かれている。
 2階建ての左隣に見えている門の屋根に注目していただきたい。なんと門の屋根は茅葺きの屋根になっているのだ。詳細は次の写真をみていただきた。




写真002
スタッフ用邸宅(門)

 このスタッフ用邸宅の門は茅葺き(かやぶき)屋根になっている。写真ではその見事さが伝わりにくいが、実物を近くで見るとこの茅葺き屋根を作った職人の腕前が相当なものであることがわかる。詳細はこの次の写真を見ていただきたいが、ここの茅葺きは非常に目が詰んでおり、端々の処理も完璧であり重要文化財に指定されている各地の著名な茅葺き屋根に負けない作りになっている。
 私はこの屋根を見たとき、このすぐ近くにある祇王寺の表門(右記写真)を連想した。祇王寺に行かれたことのない方のためにその写真を紹介するが、祇王寺の表門の茅葺き屋根が改修された2009年当時の状態と、この邸宅の現在の茅葺き屋根の状態はよく似た状態になっている。なおここで紹介した祇王寺表門の写真は2009年当時のものであり、それから3年が経過した現在の祇王寺表門の茅葺き屋根は表面に苔が生え、茅もところどころささくれだっている。




写真003
スタッフ用邸宅(門の屋根)

 この茅葺き屋根の出来映えは非常に高い。写真をクリックして大きな画像で隅々まで見ていただくと分かるが、茅がぎっしりとそれも均一に整えられており、これを作った屋根職人は著名な文化財も手がけているような熟練した屋根師であると思われる。
 右記写真はこの茅葺き屋根の裏側の様子だが、制作者の丁寧かつ熟練した腕前が垣間見えるようだ。
 これだけの屋根を作るためにどれほどの費用がかかったのか想像もつかないが、多数の神世界会員が拠出した玉串や御礼、お詫びなどの金がこの建物を購入するために使われたのだろう。




写真004
スタッフ用邸宅(庭)

 神書をよく読んでいる方はご存じだろうが、神書の149ページ「家相、地相、あらゆる相」には次のように書かれている。
 「宅地の規模の割に石が多かったり大石があったりするのは凶だから宅地の規模が三百坪程度だったら大石や庭石は不要である。庭も築山は凶」。
 神書の作者である斉藤亨自身がこのように述べているにも係わらず、このスタッフ用邸宅には「大石」や「庭石」が多数配置されている。写真をクリックして拡大してご覧いただくとよく分かるが、庭の所々に配置された庭石は、その背景にある低い土塀とも相まって、あたかも龍安寺の石庭を思わせるような庭になっている。手入れがあまりよくなされていないため、現在は苔が地面を覆っているが、以前は庭石の周囲には白砂が敷き詰められており、現在よりもなお一層、龍安寺の石庭に似た状態だった。
 なお右記写真の中央に写っている平たい石(岩?)は畳1畳以上もある大きなもので、その厚みを見ても非常に重量感のある立派な石だ。この石一つだけでも100万円程度はするだろう。
 なお、このスタッフ用邸宅の敷地面積は約432u(約130坪)であり、斉藤が神書の中で「宅地の規模が三百坪程度だったら大石や庭石は不要である」と述べている内容に全くもって反している。




写真005
スタッフ用邸宅(築山)

 この写真005は写真004よりもカメラをやや右に振って撮影したものだ。ここに写っている大きな庭石や太い樹木を配置した小山を「築山」と呼ばずになんと呼ぶのだろうか?
 あまりにも腹立たしいので再度、神書の一文を掲載しておく。

 宅地の規模の割に石が多かったり大石があったりするのは凶だから宅地の規模が三百坪程度だったら大石や庭石は不要である。庭も築山は凶

 こうした築山はこのスタッフ用邸宅の庭だけでなく、本殿のある邸宅、幹部用邸宅の庭にも築かれており、斉藤もしくは日原はよほど築山が好きなのだろう。




写真006
スタッフ用邸宅(魚板)

 このスタッフ用邸宅の玄関横には「魚板」がつり下げられていた。永平寺や萬福寺などの禅宗のお寺に行かれた方は、 斎堂(食堂)付近につり下げられている魚板(開ばん[かいばん]ともいう。「ぱん」は木偏に邦)をご覧になったことがあるのではないだろうか。
 魚板というのは禅宗で用いる鳴物(楽器?)の一種で、京都の宇治にある黄壁山「萬福寺」の魚板は長さ2mを超えている(右記写真)。
 魚板を叩いて音を出すことで食事の時間を僧に知らせるのだが、魚の形をしているのは、魚は日夜を問わず目を閉じないことから、寝る間を惜しんで修行に精進しなさいという意味も持っている。口にくわえた丸い玉は煩悩を表し、魚の背をたたくことで煩悩を吐き出させるという意味もある。神世界幹部は吐き出さねばならない煩悩は多々あるので、魚板ではなく己を叩いた方がいいだろう。




写真007
スタッフ用邸宅(2階西面)

 私が現地を訪れた時は、スタッフ用邸宅の窓は全て雨戸が閉められていた。その雨戸の色が赤茶けた色であるが、それについては次の写真で説明する。
 この日は神世界関係者は誰もここに来ていなかったようで、このスタッフ用邸宅だけでなく、他の2棟も全て雨戸が締め切ったままであった。




写真008
スタッフ用邸宅(1階西面)

 このスタッフ用邸宅の外観を見てある一つの特徴があることに気づいた。この写真にその特徴がよく表れているのだが、なんだかおわかりだろうか?その特徴とは柱の色である。写真にある通り、この建物の柱の色は赤茶色に塗られている。この赤茶けた色合いから思い出すのがお寺の伽藍だ。
   右記写真は京都東寺の講堂だ。このように柱などを赤茶色に塗っているのは”ベンガラ塗り”と呼ばれ、木製の柱にベンガラを塗ることで木材の腐食を防止するとともに、赤色は”血液”を連想させるところから”生命力”の象徴ともされている。ベンガラ塗りが社寺建築に多く利用されてきたのは、「神仏の御加護が人々に伝わるようにという意図があったのではないか」とする説もある。
 神世界の連中がそこまで深く考えてこの建物の柱にベンガラ塗りをさせたとは思えないので、この建物を設計した人がそうしたことに造詣の深い人だったのだろう。




写真009
スタッフ用邸宅(南東面)

 この角度から建物を見ても、柱や軒下、梁などがベンガラ塗りされているのがよく分かる。
 手前に写っている塀をよく見ると、塀の上に並べられている瓦が非常にきれいであることに気づく。瓦の状態は一点のゆがみもなく整然と並んでおり、塀にも汚れはほとんどない。こうしたことから、この建物は比較的最近整備されたものであることが分かる。
 別途掲載したビデオ映像を見ていただくとよく分かるが、このスタッフ用邸宅も次に紹介する本殿のある邸宅も、その次に紹介する幹部用邸宅もしっかりした塀で敷地を囲んでいる。しかし神書には、「宅地の周囲は不要な塀は凶で、塀は必要最小限にしてそれもなるべく生垣が良い」と書かれている。
 斉藤亨は裁判の中で自分が書いた神書をほとんど読んだことがないと証言していたが、これだけ神書に書いてあることと実際に自分がやっていることが食い違っているのは、如何に彼がいい加減な男であるかを物語っている。

 このスタッフ用邸宅の右隣は通路のようになっており、その通路を挟んだとなりに本殿のある邸宅がある。右記写真を見ていただくとその位置関係が分かりやすい。そして右記写真をよく見ると、この通路の中央に縁石が路面と同じ高さに埋め込まれているのが分かる。最初に見たときには、この縁石がなぜここに埋め込まれているのか意味が分からなかったが、調べていくうちにその意味が分かった。
 この縁石は「町」の境界線を示すために埋め込まれていたのだ。この縁石の左側は「京都市右京区嵯峨亀山町」であり、縁石の右側は「京都市右京区嵯峨鳥居本化野町」なのだ。つまりスタッフ用邸宅が建っている場所は「亀山町」、本殿のある邸宅が建っている場所は「化野町」なのだ。
 「亀山町」の名称は、このすぐ近くに後亀山天皇陵があることから命名されたのだろう。「化野町(あだしのちょう)」の名称の由来については、ザ・魔界京都に詳しく解説されている。
 なお、「鳥居本(とりいもと)」という地名は、このすぐ近くにある愛宕神社の鳥居に由来するようで、京都五山の送り火の一つである「鳥居形(とりいがた)」も愛宕神社の鳥居に端を発している。


(五山送り火の鳥居形と愛宕神社の大鳥居)






本殿のある邸宅


写真010
本殿のある邸宅(南面)

 これが内部に本殿がある建物だ。googleの航空写真から測定した敷地面積は約483u(約146坪)ほどであり、スタッフ用邸宅の敷地面積よりやや大きい。この写真は向かい側にある「くらしの友嵯峨野寮」の位置から撮影したが、レンズを最広角にしても全景を1枚の写真に納めることはできなかったため、3枚に分けて撮影した写真を合成して1枚にしてある。それでも敷地の左右は少し画面からはみ出してしまっている。それくらいこの建物は大きい。
 この建物も玄関以外は周囲を背丈の高い壁で囲まれており、外から内部の様子を覗い知ることは困難だ。外から見えないので、googleの高空写真で建物内部の様子を見ると、この本殿を有する建物が敷地に締める面積は大きく、この地域(風致地区第1種地域)の建ぺい率である20%をオーバーしているようにも見えるが、建ぺい率の計算には角地の場合の緩和処置などもあり、私のような素人が判断するのは難しい。




写真011
本殿のある邸宅(西面)

 これは内部に本殿がある建物を西側から見た写真だ。写真手前に写っている赤さびた扉は隣接する空き地の入口に設けられているものだが、本殿で祭典が行われる際には臨時駐車場となるのかもしれない。画面左奥の遠くに小さく写っている富士山を小振りにしたような山は比叡山だ。
 和風建築の建物の見立ては難しいが、屋根の状態を見ると素人でもある程度の見立ては可能だ。写真をクリックし、拡大した画面にして屋根瓦をよく見ていただくと、瓦の状態が極めて良いことが分かる。壁面にもひび割れやシミはなく、外観を見ただけでも比較的最近に建物本体の改修がなされていることが分かる。googleの航空写真をよく見ると、この建物周辺に工事用の足場が組まれ、建物全体を保護シートで覆っている様子が確認できる。googleの航空写真は斉藤等がこの物件を購入するに当たって改修工事を行った時期に撮影されたものと思われる。いつ頃改修工事が行われたのかを突き止めることができれば購入時期が特定できると思われるので、次回現地に行く機会があれば周辺の住宅を回って取材をしてみたい。
 この写真をよく見ると、この建物の屋根は「寄棟(よせむね)造り」の屋根と、「切り妻(きりづま)造り」の屋根が複雑に入り組んでいることが分かる。こうした屋根構造の複雑さからも、この建物の建設に当たっては潤沢に資金が投入されたことが伺われる。




写真012
本殿のある邸宅(西面)

 しばらく現地周辺を探索しているうちに夕暮れ時になったので、帰りがけに再度この建物を観察するために戻ってきた。すると本殿がある建物の勝手口に取り付けられてる門灯に明かりが灯っていた。しかし雨戸のない窓から建物内部を見ても明かりはついておらず、この門灯はタイマーか、暗くなると自動的に点灯するスイッチによって点灯したものと思われる。
 門灯がついているのが勝手口だが、その屋根に注目していただきたい。なんとこの勝手口の屋根は檜皮葺(ひわだぶき)になっているのだ。檜皮葺の屋根は社寺や重要文化財に指定されるような歴史的建造物に使用されている例はあるが、こうした一般民家に檜皮葺が用いられている例は非常に希である。
 次の写真でこの檜皮葺の屋根を更に詳しく検証する。




写真013
本殿のある邸宅(勝手口の屋根)

 この勝手口の屋根に施されている檜皮葺(ひわだぶき)を詳細に観察してみた。檜皮葺というのはその名前が示すとおり、檜(ヒノキ)の皮を使って屋根を葺くもので、檜皮は防水性に優れており、伝統的木造建築の最高の屋根材とされている。
 しかし現在は林業の衰退から檜皮葺に使用する樹齢70年以上の充分な樹径のあるヒノキが少なくなったことや、原皮師(もとかわし)と呼ばれる檜皮を採取するための特殊技術を有する職人が全国で15人(2008年当時)になってしまうなど檜皮葺を取り巻く状況は非常に厳しい。
 この屋根は檜皮葺そのものも素晴らしいが、右記写真にあるように屋根裏の造作も「工芸品」を思わせる見事なものだ。重要文化財の檜皮葺を改修するだけでも檜皮の供給や職人の手は一杯の状態であり、このような一般民家に新たな檜皮葺を施すことがなぜできたのか甚だ疑問である。費用的にも「金に糸目をつけずに」支払いができる者でなければこのような屋根の制作を依頼することは不可能であろう。この屋根一つを制作・維持するためだけでも、どれだけ多くの神世界会員が出した金が使われたのかを考えると、この素晴らしい屋根を見ながら複雑な心境にならざるを得なかった。
 この写真013を拡大してよく見ていただくと分かるが、この檜皮葺の出来映えはため息が出るほど素晴らしい。水切りの処理や末端部の処理も完璧であるし、屋根部分が描くなだらかな曲線も見事である。これだけ見事な仕事ができる檜皮葺師は全国に数人しかいない。
 京都市のHPにある、京都職人仕事百科 第46回に、著名な檜皮葺師である犬飼傳吉氏の談話が掲載されているので是非参照願いたい。




写真014
本殿のある邸宅(西から全面)

 この写真は本殿のある建物を西側から見た全体の姿だ。この西面も左右の長さは20m以上になるため1枚の写真には入りきらず、2枚の写真を合成してある。写真左端に写っているのが檜皮葺の勝手口で、そこから右に続く塀の内側にはこんもりと茂った木々が植えられている。
 この背の高い木々の向こう側には勝手口から玄関に向かう通路があり、庭を眺めながら移動できるようになっている。石灯籠や大きな「瓶(カメ)」も置かれていた。
 右記写真に写っている黒っぽい平瓦の屋根部分はこの建物を購入した際に改築して新たに設けたもので、この屋根の下は祭典時などに使う廊下になっているのかもしれない。




写真015
本殿のある邸宅(北から全面)

 私が現地を訪れた際は、本殿がある邸宅横の空き地は雑草が生い茂り、出入口の扉も閉まっていたので足を踏み入れることは困難な状況だったが、私から現地の話を聞いたある方が後日現地を訪れてみると、なんと空き地の雑草はきれいに刈り取られており、自由に出入りできる状態になっていたそうだ。
 その方から提供していただいた写真がこれで、なるほど雑草は全て刈り取られ見通しがよくなっている。この写真は本殿のある建物を北側から撮影したもので、この写真の左端辺りが次に紹介する幹部用邸宅の庭に接している。しかしこの土地と左隣りにある幹部用邸宅の土地とは高低差が非常に大きく、そのままでは到底行き来はできない。
 そこで斉藤亨は、これらの物件を購入した際、この本殿がある邸宅と幹部用邸宅との間を道路に出ることなく行き来きできるようにするため、業者に依頼して幹部用邸宅の庭の端に階段を設置したようだ。その様子を示すのが下記の2枚の写真だ。




写真015-B
新旧写真比較

 この左右2枚の写真は、左側の「旧」がgoogleの航空写真、右側の「新」がyahooの航空写真だ。写真の撮影年月日は定かではないが、写真に写っている建物の状態から判断してyahooの写真の方がgoogleより新しい。googleの写真には本殿のある邸宅の周囲に工事用の足場が巡らされているのが写っている。斉藤がここを購入し、自分好みに改装するための工事を行っている時に撮影されたのがgoogleの写真であろう。googleによると写真の撮影年度は2〜3年前の物が多いそうだ。yahooの写真は工事が終わり、現在の姿になった状態を示している。yahooの写真には、本殿横の空き地に数台の車両が駐車している様子も写っているが、本殿でなんらかの祭典があり、それに参加する者が乗ってきた車が止められている可能性もある。
 この2枚の写真を「間違い探し」のクイズのように見比べてみると数点の違いがあることに気づく。「新」のyahooの写真には幹部用邸宅の庭から本殿のある邸宅へ登ってくるための白っぽい階段が写っているのだ。「旧」のgoogleの写真にはこの階段は写っていない。
 幹部用邸宅の植栽も大幅に造り変えられているのが分かる。これだけ広大な庭に庭師を入れて植栽を変更し、その維持管理をさせるだけでも多額の金が使われているのだろう。
 本殿がある邸宅の西側の屋根の形状も大きく変更されており、黒色の屋根が端から端まで一直線に設置されている。







幹部用邸宅



写真016
階段

 上記写真016も後日現地に行かれた方が撮影してくれたもので、写真をクリックして拡大していただくとよく分かるが、画面の右端付近に割竹を縦に貼り込めた四角い箱のような物が写っている。これが階段を上りきったところのプラットフォームで、その下に階段が数段写っている。階段の下の方は雑草や樹木に隠れて見えないが、階段の下は幹部用邸宅の庭まで続いている。右記の写真がその階段部分をアップで撮影したものだ。
 写真016の左下に写ってる屋根は幹部用邸宅の二階の屋根の一部だが、2階の屋根の端がこちらの土地の高さとほぼ同じであるので、この二つの土地の高低差は約6mほどあるようだ。一般的な階段の蹴上げ(一段の高さ)は18cmほどなので、6mを上がるためには33段の階段が必要となる。日原の年齢で33段の急な階段を上り下りするのはなかなか大変なことだったろう。




写真017
幹部用邸宅(東側道路)

 写真の石垣が続いているところが幹部用邸宅だ。石垣が先の方で途切れたところに黒っぽい玄関の屋根と、その先にガレージの屋根が見えている。
 この幹部用邸宅は神世界がここで所有している3件の物件の中では一番大きく、敷地面積は約726u(約220坪)ある。
 地面から1mほどの高さがある立派な石垣の上に1mほどの土盛りがなされ、更にその上に下の石垣と同じような石垣を設け、その上に1.2mほど高さがある土塀を巡らしているため、道路から塀の上端までの高さは約3mほどあり、内部の様子を道路側からうかがい知ることは全くできない。「塀は必要最小限にしてそれもなるべく生垣が良い」と斉藤亨が神書で述べているのが冗談のようである。

 高級な住宅では石垣を巡らしている例はよくあるが、この神世界幹部用邸宅の石垣は「切込み接ぎの乱積」と呼ばれる高価な石垣だ。この石垣とよく似た石垣が高松城(香川県)にある。右記写真をクリックしてご覧いただきたい。この高松城の石垣も「切込み接ぎの乱積」と呼ばれる手法で作られたものだ。
 贅を尽くした感がある幹部用邸宅の石垣や建物であるが、斉藤や日原が逮捕され、被害者への返金に追われているため庭師を入れて庭園の整備を行う余裕もないのか、雑草が生い茂り荒れ放題となっているのが侘びしい。

 夏草や兵どもが夢の跡(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)





写真018
幹部用邸宅(玄関)

 これが幹部用邸宅の玄関だ。この玄関も檜皮葺きの屋根がかけられており、高級住宅が建ち並ぶ町並みの中でもひときわ目をひいている。他の住宅も、みな大きな庭を備えた和風の素晴らしい家ばかりであるが、檜皮葺きや茅葺きの屋根がある家は他には見当たらない。
 この檜皮葺きは施工してから数年経っているようで、檜皮はやや黒ずみ、苔も生えてきている。檜皮葺きの屋根は施工直後よりも、こうして自然と一体となった状態の方が趣がある。これから年数を経るごとに趣が増していくのであろうが、残念ながら斉藤は鉄格子の中に数年は入ることになるので、それを見ることは当分できないだろう。
 せっかく手に入れた隠れ家であったが、こうしてその存在が明らかになってしまったので、斉藤一家はもうここには寄りつかず、転売することになるかもしれない。これからしばらくは嵯峨野の売り家情報を注意して見ておこう。売値を見ればこの3件の不動産に対して斉藤がどれくらいの金を使ったのかが分かる。




写真019
幹部用邸宅(ガレージ)

 これは間口の幅から考えるとガレージと思われるが、タイヤが通った跡が出入口部の床面に見当たらないので、なにか他の目的の出入口なのかもしれない。この写真では死角になって見えないが、右端の壁面に電気メーターが設置してあり、しばらくメーターの動きを観察していたが、メーターの円盤は非常に低速で動いており、冷蔵庫か家電機器の待機電力程度しかこの時は使われていないようだった。





写真020
幹部用邸宅(庭と屋根)

 この写真も後日行かれた方が提供してくれたもので、これまで分からなかった幹部用邸宅の庭の様子が写っている。
 画面中央付近に右上に向かう石段が写っており、この部分も「築山」になっているようだ。この石段を登っていくと本殿のある邸宅に上がっていくための階段があるのだろう。石段の左右には苔が緑の絨毯のように続き、シダ植物なども見える。木々の間には石灯籠も写っているようだ。
 画面左下には幹部邸の屋根の一部が写っているが、方形屋根に曲線で構成された屋根が組み合わされた複雑な形をしており、随分手の込んだ造作がされていることが分かる。





写真021
幹部用邸宅(屋根)

 この写真も提供していただいたもので、建物本体は写っていないが屋根の様子はよく分かる。この屋根を見ると、大きな屋根の中央に小さな屋根のようなものがあるのが分かるが、これは何だろうか?これはおそらく「換気口」だろう。
 最近は省エネ志向が進み、夏場の日差しによって屋根が焼け、その熱が室内の温度を上げないようにしようと、一般住宅でも屋根裏の換気をよくするための工事をする場合がある。一般住宅で屋根裏換気を行う場合は小屋根側面に換気口を設けたり、屋根裏の温度が一定温度以上に上昇すると自動的に屋根裏換気用の換気扇が回って熱くなった空気を外部に排出するようになっているものが多い。
 しかし、この邸宅の屋根に設置されているのはそうした簡易型の換気口ではなく、屋根施工時からしっかり組み込まれたものだ。これほど「立派な換気口」には滅多にお目にかかることはない。この幹部用邸宅の屋根は「方形屋根」と呼ばれる形をしているため、熱気は中央の一番高いところに集まってくる。こうした形の屋根の場合は屋根中央に換気口を設けるのが最も効率的なのだが、屋根の構造上、屋根の強度を保ったまま屋根中央に開口部を設けることは非常に手間暇がかかり、費用も高額となる。よほど費用が潤沢に使える人間でなければこうした屋根を作ることはできない。
 更にすごいのは、屋根の勾配の微妙な変化だ。写真をよく見ると分かるが、この屋根の勾配は緩やかなカーブを描いているのが分かる。直線的な面を持つ屋根を作るのに比べると、このように緩やかなカーブを描いた屋根を作るのは非常に手間がかかることは素人でも想像できる。
 一つ上の写真020に写っているが、庭に向かう建物の屋根は更に複雑な曲面の組み合わせになっており、この建物が如何に手間をかけた作りになっているかが分かる。まさか屋根だけに手間と金をかけ、本体工事は手を抜くようなことはしないだろうから、写真には写っていない建物本体部分や内装にも同じように手間と金がかけられているのだろう。
 自分が汗水流して働いて稼いだ金ではなく、舌先三寸で他人から巻き上げ、労せずして得た金なので、湯水のごとく浪費することに何のためらいもないのであろう。








付近の売却物件


写真022
5,700万円

 この地域の不動産相場を確認するため、付近で売りに出ている物件の価格を調べてみた。  写真022は神世界とは全く関係がない物件であるが、幹部用邸宅から徒歩1分とかからない場所で売りに出ている。この物件は621uの土地に廃屋に近い建物がついて5,700万円だ。広い庭はあるものの手入れは全くされていない様子で、荒れ放題の状態だ。周囲を生け垣が囲んでいるがこちらも荒れ放題の状態だ。
 これら建物や植栽の撤去には相当の金がかかるので、更地にしてから売り出せばもう少し高い価格が付くのかもしれない。




写真023
7,280万円

 写真023も神世界とは全く関係ないが、同じ化野町内で売りに出ている物件で、敷地は465.46m2、建物は築22年と少々古いが、まだ使える状態ではある。これで7280万円である。

 神世界が所有している3件の物件は土地も広く、建物や庭も十分な価値がある状態なので3件を売りに出せば数億円にはなるだろう。
 斉藤亨がどのような意図で3件の物件を手に入れたのかは不明だが、ひょっとすると斉藤は将来ここに住むつもりだったのかもしれない。せっかく手に入れた隠れ家であったが、こうしてその存在が明らかになってしまったので、今後ここを利用することは難しくなるだろう。不動産は所有しているだけでも毎年固定資産税などを支払わねばならないので、早晩斉藤はここを手放すことになるかもしれない。しばらくの間、鳥居本化野町、嵯峨亀山町で売りに出される物件に注目しておこう。
 組織的詐欺事件で有罪判決を受けた者たちが使用していた物件に買い手がつくか不明ではあるが。








世界救世教いづのめ教団

京都平安郷


写真024
なぜ奥嵯峨なのか

 斉藤亨や日原易子が奥嵯峨の地にこうした拠点を構えたのは、世界救世教いづのめ教団の「京都平安郷」の影響を受けたことが考えられる。同じ奥嵯峨の地にある京都平安郷までは、化野町の神世界の拠点から車で10分ほどしかかからない近い距離だ。広沢の池の畔に広大な面積の土地を購入して作られた京都平安郷は、宗教を度外視して見るならば非常に風光明媚で素晴らしいところだ。



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