いま神書で御霊光のぺージを読んでいただきました。御霊光のページというのはですね、本当に御霊光とはなんなのかと、みなさんまず最初に御霊光をいただいて結果をいただこう、その御霊光とはなんなのかと一番最初に疑問に思うところです。

あ、神書に書かれてありますことはですね、全ての元となる神様の御意志であると、元々人間を造られた神様は「神様の創造」、「造物主」といいますね。神様の創造されたもの、造られたもの、創造というのは想像、はい、イメージから始まるんです。その神様からのイメージこそが御霊光の元なんです。
その御霊光は無空間、何もない空間に波動を起こして物質を満たす訳です。
ですから全ての元は御霊光からできているのです。そのように言ってもおかしくないものなのです。
人間はなぜ御霊光が不足してしまっているかと言ったら、神様との線が切れ、御霊光が不足してしまっているからです。
最近私がお取り次ぎさしていただく中で神様から神書を書かれた方の御霊光が命を救ったとそのように教えて下さっています。

最近まではどんな病、苦痛でも神様のお力によって救われるということを教えていただきました。ここ最近は命を救ったとそのように教えていただきました。
どのようなことかなと、あでも命を救われている方、数多く見ていますのでね、私を含め命を救われたと。
私も、えー、前回お話をしませんでしたが、えー、よく皆さんに話をしてあるので知っていると思ったんですが私は顔にアザがある。何人かの方は知っているかもしれない、顔半分にアザがあったんです。
病院に行きました。最初はくまのようですね。片方の目の下にくまができた。睡眠不足かなと、年齢は17才でしたね。
病院に行きました。そしたらこうなるんだということで見せられた写真が顔半分が紫になった写真でした。えー、病院で小さいうちに取ってくれと言ったんですが、大きくなるまで取れないと言われまして、まあ20、二十才を過ぎた頃からもうそろそろいいでしょうと言うことで治療を始めました。
治療方法は様々な方法で、ドライアイスで焼いたり、グラインダーで削ったりといろいろな方法でした。
しかしあるときに病院の方から、「もうこれ以上現界です」と、「これ以上やったらもう皮膚が持ちません」と言われたんです。
でも途中でしょ。治ると言われてやったんです。残ってます。また濃くなったんです。ああ、もう無理だと言われた。もうどうしようもないと言われた状態で、まあ自分の気持ちが弱かったのか、なにか生きることへの喜びを感じられなくなりました。
そこで神様の御霊光を知りました。

まあいろんなですね神様みたいなところは知っていましたが、治ったことはなかったです。
しかしこの御霊光を受けてそのアザが消えたんです。本当のことなんです。
そのように私と同じようにそういう意味に命を救われた方もいらっしゃる。それとは別に重い病気で命を救われた方も大勢いらっしゃると思います。
神様の御意志、神様の御霊光、神書を書かれた方の御意志、そこに御霊光の元があるんです。
その御霊光こそが皆さんの元になっているんです。
御霊光が不足してくることによってトラウマが生じてくる。御霊光によって神様がその生命体を救って下さるのです。その生命体のマイナスの成分、過ち、罪、穢れ、いろんなものをですね先祖からのあるものを御霊光によって消していきます。
そして御霊光が増えた分、その方が幸福化現象が起きる訳です。
御霊光というのは神様の御意志ですから神書にもありましたように、その方の意志、気持ちによって異なります。今日は三位一体というところですね。
先ほど祭典の中でもお話をしましたのでもう一度話をします。

三位一体、取次者というのは神様の手となる訳です。
お守り様がありますね。お守り様には神様の分霊が宿っています。観音様が宿っています。
そしてその観音様は神書を書かれた方の御神業にとってプラスになることで結果を下さることになっています。
ただ取次者は取り次ぎでいい。そこに観音様が受けられている方を救って下さる訳です。
そのように御霊光によって奇跡が起きていると、神書を書かれた方に教えていただきました。
そして三位一体ということに関してですが、取次者は自分と神様というのではなくて、三位、三つです。神様がいらっしゃり、そこに神書を書いて下さった方がいらっしゃり、そして取次者がいる。
受ける方にとってみると、神様がいて、取次者がいて、受ける方がいるとなるけども取次者の後ろには神書を書かれた方がいて下さるのだと・・。
取次者は神様、神書を書かれた方、取次者とその三位が一体になっているんだと思うことです。
そうすることによって神書を書かれた方の御意志がそこにあり、そこから神書を書かれた方の御意志の中で神世界創造、人間の本当の幸福の世界、どこまでも行っても幸せな世界という内容が御意志がある訳です。
そこに神様の御意志があるんです。だから最近のお話の中で皆さん体験していると思いますが、「神書を書かれた方の御意志があり、結果いただけているんですね」と、そのようにお話をされる方も多いと思います。
それを分かった途端ですね、お母さんが結果をいただいているだけじゃなくて子供までそうかと思った瞬間に子供まで、なにか体をよくしていただき、そういうことが起こるんです。それはどこにあるかと言ったら神書を書かれた方の御意志の中に、どこまでもどこまでも幸せになるんだという御意志があり、そしてそこの中に神様の御意志が入っているからです。
そこを受け入れできぬ、そのときには受けられている方もお客さんのままで終わると思います。
神様に救われてありがたいという気持ちじゃなくて、普通の困ったときだけくるお客さんになっていると思います。
そこで困ったときだけくるお客さんと、まあそうじゃなくてしっかりと永続した奇跡をいただけるお客さん、お客さんと言っても私も神様の御霊光をいただくお客さんでもある訳です。
神様から見て人間は救われる立場であって救う立場でない。
人間が救ってやろうと見ているんです。その過程において奇跡をいただいてよかったなあと思ってそこで終わる方というのは、まだ体の中に毒素があるんですね。トラブルも出てくることがある。その過程において結果をいただいてしっかりつながっていくことになります。そうではなくて奇跡を授かって御礼される方、「あ、良かったな」と結果に応じて御礼される方は神様が次の奇跡を与えて下さる。つまり神様が、「あ、この方はそうか御礼されるなら次の結果を与えてあげよう」と、つまり毒素を預かっている状態から消して下さる状態になるんです。
そのために次の過程へと進む訳です。そして御礼だけでなくてお手伝いをしっかりさしていただきたいと思われる方は、いままでいろんな方を見せていただいた中で家の中で奇跡が起きてきます。
家の中だけでなく家の中が口論が絶えなかったものがそういったものがなくなる。ご主人が協力的になる。家族が円満になる、お子さんが優秀になると、そのような奇跡をいただいています。
そしてそれだけでなくて本当に御霊光はいいんだなと、すばらしいと、神様を出していきたいと本当に幸せなりたいと思われる活動して、そういう積極的な方は神様がその方の表面的に見えるとこだけじゃなくて、内面の本当に生命に係わるとこまで結果を下さっています。

最近のある方はですね、えー私の方に報告に来て下さってですね、話を聞きましたよ。その方は最初はいいからみんなに話したいという気持ちでした。そこの本当に積極的になったと、本当に自分が幸せになるためにやっていきたいんだと、考えが変わりました。その途端にその方にある、本当に生命に係わるようなですね、そういう病のものが解消されてきたんです。
今までの精神面、家族、子供、それが積極的に動いて活動し始めた途端にそのような奇跡が授かってくる訳です。
ですから神書に書いてありますように、本当にその方の気持ちで神様の御意志が変わる訳です。

取次者も同じです。今から皆さん講習会をされる訳ですが、取次者、私も取次者の一人です。御霊光を取り次がしていただく訳です。その御霊光のお取次の中で私も常に指導を受けているのね、常に指導を受けています。その中では取り次ぐ者は外れていてはいけないんだと。
先ほど話したのは、受けられている方が取次者を見るときは三位一体ですよと話をしました。取次者もそこは分からなければいけない。神様の御霊光だから、と思っていい加減な気持ちで取り次ぐよりも、そうではなくて三位一体の気持ちで、神様、神書を書かれた方、自分、そして神様、取次者、受けられている方、その中において自分を外さないことです。自分を外してしまう、つまり自分が人によっては自分なんかという方もいらっしゃれば、自分はちょっとその気持ちはないという方もいらっしゃる。その自分というものがしっかりと取次者になったとき、気持ちが取次者、つまり神様の手となったときにですね、御霊光が更にグレードアップする。

いい加減な気持ちでやる、お取り次ぎするよりも、しっかりした気持ちで取り次ぎした方が御霊光は強力になります。そして考え方が取次者がしっかりした考え方を持っている方が奇跡を多く下さいます。

指導も異なります。取次者がいい加減な気持ちであれば、食事のお話にしてもですね、例えば胃が悪い方がいらっしゃると、取次者があまりいい加減ならば、何か最近おかしいもの食べてない?そのように言われるかもしれない。
もっとひどい人になると何も言わないんです。
でも、ちゃんとしっかりやってみようかなという方になると、なんか食生活だけでなく、他のことも何かマイナスがあるんじゃないのか、もっとしっかりした気持ちを持つと、そこに何か、自分以外のマイナスの要素があるんじゃないかと、もっとしっかり御神業に係わっている方になると、神様との繋がりの中で、なにかずれがあるんじゃないかと、例えを変えますと、ある方が気持ちが落ち込んでいると、その過程において、取次者がしっかりしている方がやれば、もっとこうやるといいんだよと教えて下さる。いい加減であれば、まあすべてお任せというような状態になるでしょう。
つまりダメならダメだという気持ちの会話になるでしょう。
取次者とは大事なものです。神様の御霊光を取り次ぐそこにおいては奇跡が生じる、そこにおいての会話、その取次者の気持ちによって御霊光も変わる訳です。また受けれている方の気持ちによっても変わる。そしてその気持ちは中に必ず三位一体が入っている。それによって永続する幸せな取り次ぎができます。

今日いまから、特別な祭典の中での取次講習です。強力な御霊光をいただきます。ぜひ三位一体という言葉をですね、今日の講習会で自分の身につけて、しっかりとしたお取り次ぎをされるようにして下さい。では終わります。