この講演の原文は下記にあります。
http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~JFOA/douyuu/297.htm

この原文からタイトルなどを取り除き、講演内容を会主講話4,452文字とほぼ同じ文字数の付近でカットしてから文末が「です。」で終わる回数を調べた。

このようにして調べた結果、下記講演文書中文末が「です。」で終わっている回数は11回であった(文字数、4,476文字)。



先ほど『林業同友』中国林業視察特集号を拝見しました。皆様はさすがにその道の専門家で、視察記の中には樹木の話、農業の話が沢山でてきます。私共がテレビの海外取材で各地に出かけてあの木の名は、あの花は一体何だろうと知りたいことがよくあります。土地の人に聞いても知らなかったり、せっかく聞いても図鑑を持っているわけでないので、日本語名が判らなかったりします。若し名前が判り取材の記事におり込めば雑感に彩がそえられ、それが生き生きとしてくるだろうとうらやましく感じながら読ませていただきました。

対中国のみならず今日の日本は、諸外国との関わり合いなしに生きて行けなくなっていますが、その原点がどこにあるかと言うと「明治維新だ」と言う人もあれば、「もっと古い」と言う方があります。私共の世代には第二次世界大戦の敗戦の時が原点であったように感じられます。その頃「国破れて山河あり」という言葉が新聞にも書かれ、いろいろな人がこのような表現をしました。他に何もありませんでしたからそれが実感でした。専門的に言えば山も河も荒廃していたのでしょう。しかし国が破れても山河はあったのです。東京は焼野原で闇市が出来たといっても、後で発生してきたものです。山河に日本の原点があるわけです。

先月、或る新聞記事に林政審議会の部会報告が出ていました。それによりますと、日本の森林面積は約2500万ha、そのうち私有林が約1700万ha森林面積のうち1000万haは戦後の植林地で、その60%が樹齢30年までの林で占められており、間伐が必要であると記述されてありました。

このような記事を読みながら私が感じたことは、戦争直後から相当な植林活動が行われたということです。他の分野でも同様な努力の積み重ねがあり、戦後30数年が経って世界でも有数の富める国になったことは間違いありません。私たち自身がどれだけ生活に富んでいるのかといった実感は別としても。現在世界の国の数は160以上あります。そのうち工業国が約24ヶ国あり、工業国の中でも日本のあらゆる面にわたる経済活動は世界でも最も羨ましがられている状態になっています。

しかし一方、横浜の中学生の浮浪者殺害とか、校内暴力沙汰などをみてみると、30数年間国民が孜々営々として苦労して築いてきた繁栄の中に、このような暗い反面があることは誠に悲しい気がします。

子供の頃、私は立教大学の近くで育ちましたが野球場にはこと欠かないし、トンボも獲りました。また近くには林や沼もあり、台風の後などにはそこがどのように変っているだろうかと見に行ったものでした。たえず自然と接するということがありました。また勉強一本槍ではなく、戦争中は勤労動員にも出ました。

このようなことをふり返って今日の状況を考えると、例えば間伐が必要であると言われるならば、9年間の義務教育を終えて受験勉強をするだけでなく、昔我々がやった勤労奉仕をナショナルサービスとでも近代的な名前に変えて一年程度間伐作業なり、田畑の耕作作業をやってみてはどうでしょう。自らが自然に接し、労働することによって社会は皆の苦労があってはじめて成り立っているものであることが判るのではないかというような気がします。日本人の体格は明冶、大正時代に比べると立派になり、社会的施設も充実しています。その反面安寧になれすぎているのではないかといった危倶を、私は今日の日本の社会に抱いています。また、我々が解決を迫られている問題は、日本の社会だけでなく世界に拡がっていることに目を向ける必要があります。

先ず第一は地球資源の有限性、或いは環境悪化、砂漢化といった世界的な取組みを必要とする問題があります。第二は産油国、非産油国を問わず中進国が経済建設を急ぐあまり、民間企業の海外銀行からの借入れ金が増えて累積債務によって国が破産する危険が出てきたという問題があります。現在の累積債務は3,000億ドルにも達しており、若し第三世界の国の一つが破産すればその連鎖現象で米国はもとより、世界各国の銀行はつぶれるかも知れないといった国際金融不安という状態にもあります。第三は覇権争いの問題があります。これは昔から続いている問題ですが、我々はどちらかと言うと政治的、軍事的現実に目を覆いがちです。このような覇権争いの中で核軍備競争と核軍縮のからみ合いがあり、これをどのように解きほぐしていくかといった課題が一つあります。

また日本にとっては、覇権争いに伴う軍事的負担とのからみ合いで、アメリカ、ヨーロッパ諸国との貿易摩擦の問題があります。この背景には世界同時不況があるわけです。さらにはアメリカからの防衛負担増強の圧力があります。これは覇権をめざし分断作戦をとっているソビエトとの関係処理の問題と表裏一体です。

覇権とは一体何だろうかと申しますと、要するにソビエトが日本、フランス、西ドイツ或いは第三世界に「おれの言うことを聞け」ということを押しつけ嚇すことであります。例えば、三沢にF16を配備するようなことがあれば、日本は核報復を受けるかも知れないぞといったタス通信の声明のようなもので、一種の核恫喝です。

しかし嚇しをかける反面、手を結べば、こういう利益もあるぞという餌も差出します。これは歴史的に見ても覇権をめざす国が普通とる政策で、今後もソビエトは日本とアメリカ、乃至日本と西ヨーロッパの分断作戦を進めていく側面を持っています。

第四には第二世界、第三世界の経済関係があります。いま第三世界160以上の大多数の国には経済的なあせりがあります。つまり第二次大戦が終り、所謂植民地主義が一掃された時点で各植民地は政治的独立の達成を目指し、新しい国家としてスタートしました。しかし、情勢が落ちつくに従って国家財政がもともと不安定だった上、モノカルチュア経済なので国家運営が大変難かしくなってきている事情があります。

ところが経済資源を持っているのは第二世界、つまり日本や西ヨーロッパ諸国です。 ― 第1世界は覇権を有するアメリカ、ソビエトです―。 第三世界では資源ナショナリズムに基く経済的要求が非常に強まるといった問題があります。そこで、第二世界と第三世界の調整が必要になる訳です。

五番目はカンボジア、ベトナムなどに見られる難民の受入れ問題があります。いま仮に、朝鮮半島でもう一つの戦争が、或いは中国本土でケ小平を主流とする勢力と反対勢力との間に武力闘争が起る、或いはソビエトと中国が地上で戦闘を交えるといった状態になった場合に何が起るかということです。戦乱状態におち入った国から見れば日本は天国ですから、日本へ今日は10万、明日も10万、その次の日も10万といった具合に難民が押し寄せる可能性があります。

日本人は一心同体の国であると言われていますので、そういう情況下ではどうなるでしょうか。これは顕在化している問題ではありませんが、潜在的には重要な日本の国際環境の変化として捕えるべき問題であります。

以上、題目を上げただけでも、いかに膨大な問題の集積に直面しているかがわかります。

「国破れて山河あり」といった、山と河と米があればよかった終戦直後の時代は別として、国民の生活水準も向上し、かつ世界各国との交流が膨大となった今日、世界の問題は日本のむらの問題と直結しているという意識が出てこないとどうにもならないでしょう。我々は国際情勢の中に洞察力を備えて対処していくことは得意な方ではありません。簡単に戦争に突入していくようでは駄目なので、これからは国際社会で活躍していく若い人材を育て、また活躍し得る人材が出てきてほしいと望みます。結論めいたことを先に申し上げましたが、私共にはそういった気持が強くあります。

いま述べました国際情勢は甘くないといった中で、世界各国から我国に対して日本は何の貢献も、援助もしてくれないという不満が渦巻いています。しかし、反面では原爆が投下され国土が爆撃によって灰燼儲と化した中から不死鳥のように立上がり今日の繁栄を築いたのは白人でなく黄色人種の日本人の自助の努力であるとして、そこから学ぼうと第三世界の寄せる期待は強いものがあります。

このような期待と不安が渦巻いている中で、わが国は国家戦略を持っているのかという問題があります。オイルショックの時も荒波をうまく乗り切り、政冶的、軍事的には雰囲気が悪くなると身をひそめるようにして回復を待ち、再び経済活動をうまくやっていくといったパターンの繰返しでした、ところが鈴木政権時代から総合安全保障といった考えが浮上してきて、単に防衛費を増やせばよいというだけのものではなく、経済協力に相当のウエイトを置いていかねばならないし、また農業問題にも取組まねばならない、それを安全保障の観点から整合性のある政策に仕立てていこうという意識が強くなってきました。

ただ、国家戦略といった場合いま述べたものにウエィトをどのくらいかけ、どのように噛み合わせるか、そこに対する答えが出なければ国家戦略とは言えません、私は、このような国家戦略を築く必要性については、日本人は決して馬鹿な民族でないので、自分たちにとって何がベストであるかを判断する力を持ち、また充分な情報を持てば、国家戦略を築くことはできると思います。近年徐々にそれが必要だとの問題意識が芽生えてきているように思います。

しかし、仮に国家戦略を策した場合、国際社会に出て行って充分立廻れるだけの人材があるかの点については、今の時点ではかなり疑間に思っています。

最近の世界情勢については、日本人の専門家の間でも今後、議論が深まっていくと思いますが、私は、やはりベトナム戦争の影響を度外視しては論じられないように思います。

本日は、私自身のべトナムでの取材体験を折りまぜながら、ベトナム戦争がどういった戦争であったのか、それが世界にどう響いているかを本論としてお話し申し上げます。

第二次大戦は、私たち日本人にとっては正面からぶつかり合う全面戦争でした。私自身も戦争とはそういうものだとの先入観を持ってベトナム戦争を現地でテト攻勢をはさんで約一年半取材しました。

先ず、ベトナム戦争が奇妙な戦いであったという第一は敵が見えないということです。通常ベトコンといわれるゲリラ戦力は山におります。それに対して南ベトナム政府軍やアメリカ軍は平地に駐留していました。ところが中部ベトナムクアンガイ省では第一騎兵師団一個中隊が山頂にキャンプを張り、ここからヘリコプターで出動して村を襲撃する作戦がありました。この作戦を同行取材した時は、サイゴンからダナンまで軍用機で飛び、そこからヘリコプターに乗継いでその山の陣地まで行きました。

攻撃方法はヘリコプター約10機に兵隊が乗込み、編隊を組んでX村に北ベトナム正規第二師団乃至ゲリラの一部が展開しているとの想定のもとに攻撃するわけです。作戦は敵陣近くで左方向を攻撃するとみせかけて右方向に旋回し、ヘリコプターから兵隊が飛