地裁の小窓 ー傍聴最前線ー
(平成23年[わ]第1633号等 2011.12.6 横浜地裁101号法廷)
沈黙を破った「元警視」
神世界グループの実質的な教祖だった斉藤享被告に逮捕状が出ているのを知りながら、今年の8月〜9月の間に東京都内、岐阜県内のホテルや旅館へ他人名義で宿泊させて蔵匿したとして、組織的犯罪処罰法違反の罪に問われた吉田澄雄被告の公判が11月25日に横浜地裁で開かれ、罪状認否で被告は「間違いありません」と起訴事実を認めた。
冒頭陳述で検察側は、被告が神奈川県警在職中にグループへの勧誘を行っていた等の理由で08年2月に懲戒免職処分になっていた事や、7月に斉藤被告の逮捕状が出たのを知るや「チェックインをさせてはならない」と関係者に進言していた事などを明らかにした。
続いて行われた被告人質問で、犯行動機を問われた被告は「元々神世界事件は、私が関わる事で大きくなってしまった。私が関係していなければ騒がれなかったというのが実態で、教祖様に負い目があった」などと釈明。これまでの経緯について問われると、「全てスケープゴートになった感じ。私としては忸怩たる思いで4年間を過ごして来た」と振り返った。
論告で検察側は、「被告人は警視だった当時から神世界グループに関与して新規顧客の獲得を図っており、活動の概要やトラブルを認識していた。本件では、斉藤被告の義父に指示をして自らの発案で犯行に及んでおり、主導的役割を果たしたのは明らか」として、被告に懲役2年を求刑。対する弁護側は「本件は、斉藤被告の身柄の特定を確認しないまま逮捕状を発布したという捜査当局の失態に誘引されたもので、動機・経緯には酌量の余地がある。信者として負い目を感じていた為に協力してしまったが、行為への加担も一時的であり、必ずしも悪質な事案とは言えない」として執行猶予を求め、結審した。
判決は12月9日に言い渡される予定。
(傍聴席)
「吉田に始まり、吉田で終わった」
捜査段階での取調べに於いて、被告は捜査関係者にこう言われたそうである。
そもそも、神世界グループの霊感商法が摘発に至ったのは、公安調査庁の緒方長官(当時)が朝鮮総連の土地取引に関与した事件から始まったらしい。
被告の言によると、朝鮮総連の土地取引を公安調査庁が調べていった過程で、世田谷区の豪邸の存在が浮上。この邸宅を借りていたのが神世界グループだった為、公安が「北朝鮮と関係があるのではないか?」と同団体への内偵捜査を進めていた所、たまたま同団体のサロンに現職の警視(=被告)が通っていた事が発覚。驚いた公安が神奈川県警に連絡して一連の騒動となり、被告曰く「騒動の収まりがつかない、という事で私が免職になった」との事。
即ち、被告は「俺が発端で捜査が始まったのだから、俺が逮捕されれば全ての捜査が終わりだ」と言いたかったのだろう。「だから教祖様や団体は関係ないよ」とも・・・・・。
被告人質問で被告は、斉藤被告を「教祖様」と呼び、神世界グループへは絶対的とも思える信頼・信仰心を寄せる一方、古巣の警察や報道へは不信感を露にした。
「取調官から『私の失態で(犯人隠避の)犯罪を作ってしまった。申し訳ない』と言われた」
「平成19年12月20日に詐欺罪の被疑者として扱われ、10日間もカン詰め状態にされた」
「観音会は常に監視されている状態だったから、当局は私達の行動を全て把握していた」
「私自身が(警視時代に)任務に就いていたのは警備全般で、カルトの担当はしていない」
「(斉藤被告が逮捕される際に)私自身も現行犯逮捕されると思ったが、捜査主任官から『吉田は帰れ』と言われたから帰っただけで、逃げたのではない」
そして、本事件の起訴事実である「逮捕状が出ている教祖をかくまった」とされる点については、「教祖様はホテルにチェックインする方法を知らないので、(関係者=斉藤被告の義父が)代わりに手続をして下さいと言っただけ」「教祖様が御信行上1〜2ヶ月はどうしても出られないと言うので、負い目もあってお応えした」とした上で、「犯人隠避の罪になるという認識はあった。犯罪に触れる行為をしたのは申し訳ない」などと反省の弁を述べた。
この日の公判は、まさに被告が捜査段階で「言いたい事は、裁判官の前で言う」と述べていた通りの展開となった訳であるが、筆者からすると「なるほどねえ・・・」と思う反面、何か釈然としない思いも残る結果となった。主尋問で、弁護側が警察幹部の職を捨ててまで神世界グループにのめり込んだ理由について尋ねなかった為、検察側も踏み込んだ尋問が出来なかった面もあったのは止むを得ないとしても、もうひと工夫して事件の真相や背景に斬り込んでもらいたかった、というのが筆者の正直な感想である。
ただ、現時点ではっきりしている事が一つだけある。裁判官に「今回の反省をどう活かすのか?」と尋ねられた被告は、ためらう様子も見せずに「宗教家として、しっかり勤めを果たして行きたい」ときっぱり。つまりは、グループの首謀者が逮捕・起訴されようと活動を辞めるつもりはさらさら無い、という事だ。
それが被告の「せめてもの罪滅ぼし」という思いから来るものなのか、それとも「心の拠り所がここしかない」という思いから来るものなのかは、筆者には知る由も無い。
ちなみに、法廷での被告の語り口は朴訥そのもので、力強さは微塵も感じさせなかった。しかし、しっかりと筋道を立てて主張すべき所は主張しようとする姿に元警察幹部の片鱗をのぞかせていたのも、これまた事実と言わねばなるまい。
(追補)
報道によると本事件の判決公判が12月9日に開かれ、佐脇裁判官は被告に懲役2年・執行猶予4年の有罪判決を言い渡した、との事。
(上記の記事は、下記URLにある。「地裁の小窓」から引用させていただきました)
http://0-3459.at.webry.info/201111/article_19.html
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