横浜地検への上申書

 下記の上申書は、2012年5月1日に横浜地裁が出した神世界教祖・斉藤亨被告、佐野孝被告、淺原史利被告、淺原嘉子被告に対してに出された判決に対し、これを不服として検察は控訴すべしと訴えて私(fujiya)が提出したものだ。
 残された日にちはあまりないが、上申書の送り先は下記だ。

 〒231-0021
 横浜市中区日本大通9
 横浜地方検察庁
 特別刑事部長殿

平成24年5月8日

横浜地方検察庁
特別刑事部長殿
〒102-0083
東京都千代田区麹町4丁目7番地
麹町パークサイドビルディング3階
リンク総合法律事務所気付
 藤 谷 歩 湖
TEL 090-****-****

事件番号 平成23年(わ)第972号他





上 申 書


 (有)神世界及びグループ会社による組織的詐欺事件について、下記の意見を上申させていただく。

1、検察は控訴すべし
 平成24年5月1日に行われた(有)神世界関係者に対する公判に於いて、神世界教祖・斉藤亨被告に懲役5年の実刑、佐野孝被告に懲役4年、淺原史利被告に懲役2年6月、淺原嘉子被告に懲役2年6月の有罪判決が下されたが、斉藤被告以外は執行猶予付き判決となった。
 この判決は、被告人等が刑を軽くする目的だけのために急転直下組織的詐欺の起訴事実を認め、民事訴訟の原告及び訴外の被害者に返金し、神世界及び関連各社を解散させた被告人等の所業を、その真意を見きわめることなく過大評価し、不当に刑を軽く判断したものであり、横浜地方裁判所第5刑事部は著しい過ちを犯したに等しいものである。
 被告人斉藤亨は判決を不服として即日控訴したが、斉藤被告に懲役10年、その他の被告にも厳しい求刑をしていた検察としても、この判決は到底受け入れるべきものではなく、即刻控訴すべきである。

2、被害者の心情
 今回の判決を聞いて、神世界事件の被害者はどのように感じたかおわかりだろうか。あの判決の後、地裁近くにある横浜港開港記念館にて行われた神世界被害対策弁護団の記者会見には6名の神世界事件被害者も参加したが、被害者はあの判決を聞いて皆憤り、涙を流して判決が不当であると訴える者が続出した。あの判決で満足している神世界事件被害者は日本全国のどこにも、誰一人としていないであろう。あの判決は極めて被害者を愚弄するものであり、加害者に厚く被害者に極めて厳しいと言われる日本の司法制度の悪しき習慣を引きずったものでしかない。
 あのような判決がまかり通ったのでは、日本に於ける霊感商法をますます助長し、同種犯罪を引き起こす温床を作るだけとなってしまう。
 日本は法治国家であり、法律の適切な運用によって市民の安全な生活が保障されねばならない。検察及び裁判所が加害者にばかり温情を働かせ、被害者を見捨てるようなことがあっては断じてならない。被告人のみが控訴し、このまま検察が控訴しないようなことであれば、それは横浜地検は神世界被害者を見捨てるだけでしかなく、そのような行為は検察に対する市民の信頼を裏切るものである。検察の良心にかけて、神世界事件の被告人全員を検察は控訴すべきである。

 1996年10月、当時京都地裁の裁判官だった藤田清臣裁判官は、中学2年の男子生徒が飲酒運転で信号無視の車にはねられ死亡した事故の判決で、懲役2年6月の求刑を上回る懲役3年の刑を言い渡した。交通事故裁判で求刑以上の刑を下すのは異例であるが、藤田裁判官は判決で、「交通事故裁判での命の重みは駅前で配られるポケットティッシュのように軽い」と述べ、飲酒運転など悪質な違反に警鐘を鳴らす意味を含めて求刑を上回る判決を敢えて下した。
 求刑を上回る判決を出した後、かけがえのない息子をその事故で失った母親から藤田裁判官宛に手紙が届き、その手紙には「生きる勇気を与えられた」と書かれていた。

 被害者の心情として、加害者に厳罰が下されることで被害感情が和らぐことは、この例からも明らかだ。今回、神世界事件の被告人らに対して下された判決は、被害者が受けた深刻な被害をティッシュペーパーのごとく軽くしか見ていないものである。あのような判決は被害者の被害感情を逆なでするものでしかなく、検察は被害者の極めて激しい怒りに目を向け、被害者の声に耳を傾け、検察も怒りを持って控訴すべきである。

3、解散は単なるポーズ
 被告人斉藤亨は、裁判の中で(有)神世界及び関連各社を解散すると述べ、登記簿上では確かに組織を解散させたが、それは裁判所の目を欺くためのポーズに過ぎない。神世界はいまだに活発な活動を続けており、信者らが教祖・斉藤亨を崇める体質は今も何ら変わっていない。
 私のところには現役信者からも連絡が入るが、5月1日に斉藤亨ら4被告が有罪判決を受けた後でも、次のような情報が信者間でやり取りされている。

情報A:教祖様に対する求刑は懲役10年であったにも係わらず、判決は僅か5年で済み、佐野会主は懲役6年の求刑が判決では懲役3年、天野先生は懲役4年の求刑が懲役2年6カ月でしかなかった。佐野会主は5年間、天野先生は4年間も刑の執行が猶予されるという本来なら有り得ないものすごい奇跡をいただきました。このようなことは10年に一度あるか無いかの奇跡であり、これは創造者(神様)が動かれた証拠です。

情報B: 教祖様が判決を不服として控訴したのは、「神書」の第一章「天の岩戸」に書かれているように、いま教祖がお隠れになると御霊光が途絶えてしまい、世界が大変なことになるからです。奇跡を与えてくれるのは創造者であり、それを私達に伝えてくださるのが教祖様です。
 創造者と教祖様はこれまでたくさんの奇跡を私達に与えてくださったにも係わらず、私達の中にはそれをきちんと感謝していない人達がいた。だからこの裁判は起こった。裁判が始まってから私達は神様の教えをきちんと守っていなかったことを自覚し、一人一人が神様に対する態度を改め、神様に謝罪したので神様が私達の思いを聞き入れてくださり、今回の判決が軽くて済んだのです。私はあの判決を聞いて、「ああこれは創造者が動かれたのだな」と思いました。皆さんが一生懸命創造者にお願いをしたから、教祖様は10年の求刑だったのに半分の5年の刑で済んだのです。すごいことですね。

情報C:神世界に対していろいろな雑音が聞こえてくるかもしれませんが、皆さんはそのような雑音に惑わされず、こういう時ほどしっかりと御霊光を頂いて下さい。

情報D:返金請求をしている人達がいますが、神様におあげしたお金を返金させるということは、これまでに神様からいただいた奇跡もお返しするということです。返金を受けるということは以前のような大変な状態に戻る覚悟が必要です。


 上記のようなことがまことしやかに信者間に伝搬され、未だに御霊光の呪縛から離れることができない人達がたくさんいるのが現状だ。
 私のところには未だに神世界の教えから目が覚めない者を家族に抱え、途方に暮れている方から複数の相談が寄せられている。教祖に実刑判決が下されても、まだ目覚めていない者達には、上記のように極めて恣意的な情報が組織内部でまことしやかに伝えられており、正しい情報に目を向けようとしない者達が目覚めることはない。
 2010年10月に埼玉県八潮市で、アレフ(元オウム真理教)に嵌まり、目覚めない元妻に怒りを募らせた当時63歳の男が元妻を刺殺した事件があったが、神世界から目覚めない者を抱えた家庭内で、同様の事件が再発しないか危惧される。

 神世界が解散したというのは被告人等の刑を軽くするための裁判対策でしかなく、被告人らの狡猾な作戦の一つに過ぎない。横浜地方裁判所はまんまとその策に嵌まった感があるが、困難な捜査を結実させ、関係者を逮捕し、起訴にまで持ち込んだ横浜地検にあってはその轍を踏まず、被告人らに適正な刑罰を与えるために控訴すべきである。

4、被害弁済の目的
 今回の判決が求刑を下回る判決となった背景には、被害者等に対して被害弁済がなされたことも大きな要因になっている。
 確かに、被害弁済されない事案と比較すれば、被害弁済がなされたことは一定評価されることは理解できるが、弁済された金は元々被害者が支払ったものであり、被害者が受けた精神的・肉体的損害を考えれば、現在支払われている金は到底十分なものとは言い難い。事件全体から見れば、被害申告をしているのはごく僅かな人達でしかなく、大多数の被害者は被害申告すらできない状況に置かれておいる。
 被告人等が被害弁済に応じたのは、とにもかくにも裁判所の心証を良くするためであることは明白だ。被害者の中には自分がこのような被害に遭ったのは、元を質せば斉藤亨の不正な教えが原因であるとして直接被害を受けた被告等だけでなく、教祖・斉藤亨に対しても損害賠償を求めている者があるが、そうした個別の請求者に対して被告人の命を受けた弁護人の対応は、「あなたに金を支払っても被告人の量刑が軽くなるわけではない」と、極めて冷淡な対応をしている。
 この弁護人の言葉が如実に示すように、被告人等が被害弁済を行っているのは被害者に対して申し訳ないという気持ちからではなく、返金したという実績を被告の利益に誘導する目的でしかない。これを狡猾と言わずになんと言えばいいのか。

5、控訴基準
 裁判所が出した判決が「犯罪に相応する刑罰」と判断された場合に限り控訴を棄却すべきであり、今回の判決は到底犯罪に相応する刑罰が下されたとは言えないことは明白だ。
 これまでの通例として、控訴審が証拠調べとして採用する見込みのある新証拠があるかどうかを検討した上で、そのような証拠がない場合は控訴を断念するのが通例となっているが、神世界事件に於いては検察が丹念に証拠調べを行えば、被告等に実刑判決を与えるだけの新証拠を得ることは決して困難なことではない。肝心なのは、検察が「やる気」を出すか否かだ。被告人に対し犯罪に相応する刑罰を与えるために、検察は即刻控訴すべきである。
 一見困難に見えた神世界事件がここまで来ることができたのは、横浜地検の勇気ある検事のおかげだ。あの検事の尽力を無駄にしないためにも、横浜地検は再度気概を見せていただきたい。

以上 




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