神世界・解散後の動向(2012.6.16)

 (有)神世界は2012年3月22日付けで解散宣言を出した。しかし、この解散宣言は当時被告として裁かれていた斉藤亨ら神世界幹部の刑を軽くするために出されたものであり、解散宣言が出された後も隠れて活動を続けている様子が各地から伝えられている。
 本日(2012.6.16)、砧の斉藤御殿、稲城のびびっととうきょうサロン、代々木上原のびびっととうきょうサロンの様子を見に行ってくれた方があり、下記の写真が送られてきた。


1、砧のグランドテラス
以前は404号室に「飯窪」、501号室に「日原」の名前が入っていた。(赤矢印部分)
 砧(きぬた)のグランドテラス(斉藤御殿)はエレベーターホールの入居者名の銘板から「日原」と「飯窪」の名前が消えていた。名前が消えているからといって退居したとは限らず、マスコミの取材攻勢を避けるために名札を出すのを止めただけかもしれない。念のためネットでグランドテラスの空室状況を検索してみると、飯窪が入居していた404号室は空室になっていた。【物件情報】
 上記物件情報を改めてよく見てみると、飯窪が入居した当時(2008年頃)、137.05uの広さがあるこの3LDKの部屋の家賃は月65万円だったのだが、現在は50万円に値下げされている。”霊感商法に係わった人物が住んでいた”ということで価値が下がったのだろうか?神世界幹部にしてみれば、多くの客から騙し取った金を湯水のごとく使える状況だったので、高額な家賃など平気だったのだろう。斉藤が入居していた501号室はこのマンションの中でも別格の部屋で、このマンションの5階には501号室以外の部屋はない。つまり5階の全フロアーが501号室で占められている。501号室の家賃がどれくらいだったのかは想像するしかないが、月2〜300万円程度は支払っていたのだろう。この501号室は未だに借り手募集がなされていない。このように高額な物件がすぐに借り手が見つかることはないだろうから、日原や斉藤の名札は消えているが今でも斉藤や日原が501号室に住んでいる可能性はある。砧のグランドテラスは引き続き監視して行くので、付近に行く機会があれば是非覗いてきていただきたい。


2、稲城サロン
 びびっととうきょうの稲城サロンが現在どうなっているかは大変興味が持たれた。現地に行ってみると建物は以前のままであり、窓のカーテンも以前と変わっておらず、今でも活動しているのかもしれないが、偵察に行った時間帯には人の出入りはなかった。入口部分のバリカーは立てられたままであり、雑草も伸びつつあるが、電気メータはゆっくり回っていたので冷蔵庫などの家電は稼働しているのだろう。雨戸がない窓から内部を覗いても照明はついておらず、人がいる気配はなかった。
 玄関ドアの横には、以前は「びびっと東京・和田」という表札が掛けられていたが、深沢サロンと同じように「びびっと東京」の文字にガムテープを貼り付けて隠してあった。玄関ドアの横に設置されている郵便ポストの文字もテープで隠されていた。以前は「びびっと東京・ベル企画・和田」となっていたのだが、現在は「和田」だけ残して他の名称は消してあった。びびっと東京を隠したテープとベル企画を隠したテープの色が違っているのは、それぞれ隠した時期が違うのだろう。
 びびっととうきょうのW田M和は解散宣言後も各地に出向いて今後の活動方針を残存会員等に伝え歩いており、簡単に活動を停止することはないだろう。この稲城サロンの活動状況は今後も注意深く監視する必要がある。

東京都稲城市矢野口84-1

2012年6月16日の稲城サロン外観


レースのカーテンは以前のままだ。壁面の汚れ、ひび割れが進んでいる。

駐車場にもなっている入口部分にはバリカーが立てられチェーンが張ってあった。アジサイがきれいに咲いていたが雑草も目立った。

郵便ポストには「和田」の表示だけが残されていた。以前は赤枠内のように「びびっと東京」、「ベル企画」という名称も書かれていた。

玄関ドア付近。この付近ではSECOMの警備が入っている家は珍しい。

表札に貼られたガムテープ。このテープで隠した部分には、「びびっと東京」と書かれていた。

玄関ドアのすぐ横には以前から箱が置かれている。出入りの邪魔になると思われるが、なぜこんな箱が置いてあるのだろう?

何日間くらい雑草を取っていないのだろう?アジサイはきれいに咲いているが雑草も伸びてきている。


3、代々木上原サロン
 びびっととうきょうのサロンの一つであった「代々木上原サロン」にも行ってみた。サロンが入っていた建物には、アフガニスタン大使館も以前は入っていたのだが、現在は大使館もよそへ移転していた。偶然、この建物の家主の方から話を聞くことができ、びびっとのサロンは今年の3月に退去したとのことである。どうやら解散宣言が出された時期に退去したようである。

「代々木上原」の銘板だけは残っていた。

以前は「故障中」の紙が貼ってあったインターフォン。



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